南域結界☆ ジェルソミーナ -24ページ目

5 愛されるもの・愛される花

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 向こうが「顔も見たくない」と思っているなら、こちらだって、「名前さえ聞きたくない」と思っている。
 今や、帝都・ロードは、かなり入りたくない町の、典型例だった。
 宗教化された、マーカス・キーツの名は、どこへ行っても耳にさせられたし、気にすまいと思えば思うほど、宰相を称えた看板やら書籍やらが、次々、目に飛び込んで来るからである。

 この調子では、明日にでもきっと、道端でばったり、「本人とご対面」……なんてはめになるに違いない。
 ロードの隣町「グールデン」で仕事を終えたジェルソミーナは、今、領主の厚意に甘えて、数日の間、館の一室に泊めさせてもらっている。
 この館の風呂場には、温泉が引かれているのだ。
 昨年の暮れから休む暇もなく、結界だの戦闘だのしつづけてきた彼女だけに、体も精神も疲れ果てている。領主の厚意は何物にも替えて嬉しかった。

 寝起きにゆっくり温泉に浸り、その後、湯冷ましに、川のほとりの市場へ、散歩に出る。
 川の上手から、涼しい風が吹き降ろしてくる。
 もう少し奥の通りに入ったら、何か怪しそうな物も売っていそうだと、彼女がテントから離れた時、
「ミーナ! ミーナじゃないのっ」
 明るい声に振り返った。
 落ち着いた色合いの、小ざっぱりとした外出着を着て、同じ年頃の娘が、橋の上から手を振り、こちらへ向かって来る。
「フィーネっ」
 宰相を避けてこの町へ来たはずなのに、思いもがけない所で、ロードの友人に出くわしてしまった。
 いつもは姫様に付いて回る立場のフィーネなのに、今日は古い世話役の女が二人、彼女の後ろへ付き従っている。

 フィーネの父が、パストラル帝国軍の最高位、ガービン元帥だという事を、もちろんジェルソミーナは知っている。
 生まれた時にはすでに、身分の高いお嬢様であった彼女は、活発に動いてみせても、その気品が損われることはない。
 侍女達を橋のたもとへ残し、フィーネはジェルソミーナの腕を取った。
「良かった、ミーナに会えて。ちょっと聞きたい事があるの。時間はある?」
 焦った口調で、彼女を宝石街へ連れ戻す。
 有無を言わせぬ勢いだ。
 こうでなくては、いくら身分が高くても、あの王女様のお守り役は務まらないのかもしれない。
「なに、どうしたの」
「男の子にプレゼントをあげるなら、何がいいと思う?」
「プレゼント? 誰に?」
「それは聞かないで」

 ようやく早歩きが、止まった。
「プレゼント……同じ年頃の人? あ、年上ね」
「う、うーん」
 長いつばの帽子の下で、フィーネはあいまいに、微笑んだ。
 大きな目が、リスのようにくるくると動く。
「そう」
 フィーネちゃんにもようやく春が来たか、とジェルソミーナはなんだか嬉しく思った。
 ガービン・パパさんがこれはきっと、お喜びになるに違いない。
(フィーネちゃんらしさが出て、可愛らしい物……っ?)


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4 愛されるもの・愛される花

「ジュン、どうだ? 他にもいい娘、いるかい」
 目をこらしている姿が気になって、カヤが、囁いた。
「あ……っ! あの、今入ってきた子」
 レースの向こうを指さしたまま、動かない。
 「なんだよ」と苦笑いして、カヤはジュンクリフと場所を替わった。

 カヤはどういう訳か、城や王宮、時には市井の女の子たちの、情報に詳しい。
 一目見た瞬間に、
「あーあ、フィーネちゃんね」
 なるほどね、とうなずいた。
 ジュンクリフは気が気でない。
 地上で友人の言葉を、不安気に見守っている。

「知ってるんだ」
「知ってるさ」
 待ちきれないジュンクリフの所に、友人はすぐに帰って来て、ニックにも目配せしながら、二人を集めて囁いた。
「この辺りに彼女が来るのは珍しい。でもここは話題の店だし、新規開店したてだからな。目を盗んで来ているんだろう。ちょっとおっちょこちょいだけど、気立ての優しい、いい子だよ」
 詳しいね、とニックが目を見開いた。
「有名な子なの?」
「すでに男がいるとか」
 いいや、と首を横に振った。
「有名でも、ましてや男なんて、いる訳がない。大事にされているんだ、箱入り娘だ、とんでもないよ。言ったろ。あの子はこんな所に来る子じゃないんだ。つまり……」
「早く言えよ」
 ちょっと、ジュンクリフが怒っている。

「悪かったよ、ジュン。てっとり早く言うよ、あれはガービン元帥の一人娘だ。僕らの手に負えるような人じゃない。泣いて頼んだってあのガービンが、僕らなんかに一人娘を任せてくれるはずがない。平手打ち、いや、官職を下げられて、娘からできるだけ遠い、辺境の地に飛ばされるのがオチさ。それが、「遊びで」なんて事になってみろよ……」
「誰も本気で惚れてる訳じゃねえよ」
 ジュンクリフは、爪の裂け目をいじりながら、呆れたように、友人の顔を見返した。

 途端、カヤの目が、安心しきったように輝いて、
「そ、そうだよね、安心したよ」
「あたりまえだろ。いい女なんて、幾らだっているんだからさ。よりによって……ガービンだからな」
「そうさ。危険を冒す必要はない」
「カヤ、ジュン。早く飲みに行こうぜ」
 歩き出したニックに、二人は、振り返った。
「ああ」
「よしっ、飲むぞーっ!」
「飲むんだーっ!」
 三人は気勢を上げて、表通りへ駆け出して行った。
 冬の風が、通りを吹き抜ける。

 シトラビンスが、喫茶堂の一階で、その後ろ姿を、心配そうに見ていたのを彼らは知らない。


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3 愛されるもの・愛される花

 窓辺から地上に降りるなり、カヤは、特にジュンクリフへ、念入りに説明を始めた。
「見つかるなよ。途中、足場の安定が悪いから、気を付けて」
 ジュンクリフが二番目によじ登った。
 確かに、安定が悪い。
 けれども無事に登りきった。
 カヤは通りに気を配っている。今度はニックが、木箱を押さえておく係だ。
「あれだな。あの……奥のテーブルの。紫のショールの」
 意識は通りにむけたまま、カヤは答える。
「そう、その女。紅茶飲んでるだろ?」
「うん」

 木箱の上でほんの少し上体を反らせ、壁の排水管につかまると、アーチ型の窓から、明るい喫茶室の中を覗き見することができる。
 一階に集まる客よりも、ほんの少し上品な集まりのようで、紅茶を飲んだり談笑をする仕草にも、品がある。
 新しく開店した喫茶堂とは聞いていたが、天井にはクリーム色の天使の誕生が描かれ、戸棚や柱は艶をおとしたピンク色。シャンデリアは貝殻をかたどった可愛らしい作りで、壁紙にも貝があしらってある。
 これはちょっとした、宮廷の喫茶室のようだ。

「うん……いいなあ、かわいいなあ」
「な? そういう女を選べよ」
 カヤも下から、そうだろう? と念を押す。
 ニックも上を見上げて、
「ジュン、僕からも忠告するよ。女は外見じゃないぞ」
「いや、外見も大事だ」
 とはカヤ。
「いいや、外見とスタイルが全てだ!」
 小声で頭上から、言い返している。
 ニックとカヤは、嬉し気に目を見合わせた。
 「奴、ちょっと元気になってきたみたいじゃないか」。
 どんなにジュンクリフが取り澄ましても、彼らには分かっていたのだ。
 かなりへこんでいる時ほど、何でもない振りをしてしまうものなのだと。

 客層は若い女の子が中心で、どの子も皆、可愛らしい。
 男の身では躊躇してしまう、愛らしい内装の店内だが、こうして眺めているだけなら、どきどきしながら楽しめる。

 確かに、この前の『手料理対決』では、ジュンクリフは大敗を喫した。
 まさか、シェアがあそこまで料理音痴で、あそこまでエナの技術が勝れているとは思わなかったから、後で、
「馬鹿ねえ、前もって私に相談してくれれば助けてあげたのに。ほら、シェアの家に遊びに行って、みんなで料理作ろうって時、シェアちゃん一人だけ片付けばっかりしてたの、知ってるでしょ? あの子は絵ばっかりで、食べる事にはからっきし興味がないの。放っておくと何日間も、水しか飲んでないんだから」
 ジェルソミーナに言われた時、正直、かなり腹が立ったものの、言い返す言葉は出なかった。
「まあ、シェアには朝ご飯ぐらい作るように、ちゃんと言っておくから……」

 しかし、彼は驚いていたのである。
 画家、シェア・マードックとの交際が絶たれても、彼は拍子抜けするぐらい、悲しくとも何ともなかったのである。
 それは今も変わらない。
(あきれたなあ)
 むしろ、彼の胸に鬱々とのしかかっている物は、エナと「つき合わなければならない」という、重く苦しい呪縛であった。
(なんであんな、約束しちまったんだろ。俺)
 よりによって、と息をつく。


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