コルネットのうだうだ -7ページ目

カッコイイ!「ブラックベリー」

昨日、出張するのに新幹線に乗ったら、スマートフォンの「ブラックベリー」でなにやら文章を打っている女性を見かけました。

ブラックベリーを使っている人を初めて見たせいもあり、おぉ、なんだか仕事のできる人っぽいなぁ、と。

iPhoneは今や持っている人が多くて珍しくなくなりましたので、見た目のカッコよさでは、ブラックベリーですね。

でもブラックベリーって、何にどう使えるのか、よくわからないんですけど。








初めて見た「ASIMO」

先日、東京に行く用事があり、そのついでに台場にある「日本未来科学館」というところに行ってきました。

そこへ行ったのは、3Dのプラネタリウムがある、と聞いたのでそれを見たくて行ったのですが、残念ながら、日曜日の午後に行ったので、会場の定員オーバーにより見ることができませんでした。

代わりに館内の常設展を見て回ったりしたのですが、その中で、あの人型ロボット「ASIMO」のショーがありました。

1時間ごとにショーをしているようです。ショー自体は10分ほどなのですが、その前にいわゆる「前説」があって、お姉さんがやけにいろいろと指示を出してきます。

その中で、「拍手の練習をしましょう」というのがありました。なんかテレビの収録みたいだなぁ、と思いつつ、指示通り拍手の仕方を練習したのですが、なんでそれが必要なのかは後からわかりました。

開始時間が来て、奥の扉が開いて、ASIMOが歩いて出てきました。まるで小柄な人みたいです。手足の動きがスムーズで、ロボット風ではありません。しなやかな動きはまさに人間のそれとほとんどいっしょ。

でも、私にとっては、それがすごーく気持ち悪く感じたんです。ASIMOはあっちへ行ったりこっちへ来たり、時には走ったりしたのですが、こっちへ近づいてきたときに、ゾッとして鳥肌が立ちました。同時に「おい、これ以上こっちへ来るな!」と思ってしまいました(目の前3メートルくらいまで近くに来たし)。

いわゆる嫌悪感です。小さい子どもがなまはげを見て泣いてしまうのと同じ感覚かもしれません。歩いたり手足を動かすのはすごくスムーズなのに、止まっているときは微動だにしないのも不気味なんです。生きてるのか死んでるのかどっちなんだ?という感覚にとらわれます。

で、進行役のお兄さんが、ASIMOが何か動作をするたびに、観客に拍手を求めます。最初の練習の甲斐あって、観客は拍手をしますが、私としては、なんでこいつに拍手を贈らなきゃいけないんだ、という気分になりました。人間というのは人に対して感謝や賞賛の意思表示をしても機械に対してそんなことする気にはならないものです。自動販売機に向かって「ジュースを売ってくれてありがとう」と言う人はいませんから。

もちろん小さな子どもは別で、ぬいぐるみやロボットに対しても人間と同じような態度を自然ととるでしょうけどね。そんなわけで、最初の前説がくどかったのは、そうしておかないとショーがなりたたないからなんだろなぁ、と思ったり(←イヤな大人です)。

昔から、SF映画にはロボットが多く登場し、その中には人に歯向かったり人間の敵になったりするものも現れます。ASIMOを見て、私自身は、ほんとにこんなロボットがうようよ出てきたら怖いだろうなぁと思いました。それだけASIMOの動きが人間に近いものだと言えるのですが、あまりにもリアルすぎる存在というのも、考えものです。





映画「ノルウェイの森」

公式サイト
http://www.norway-mori.com/index.html


前提として、この映画は原作を読んだことがある人でないと楽しめないし、理解もできないと思われます(そう私も聞いていたので、昔読んだ文庫本を引っ張り出してきて、映画鑑賞の前日当日で読み終えました)。私が観に行ったとき、4人くらいの人がぱらぱらと途中で席を立って出て行きましたが、理解できない人だったんだろうな、と。

基本的に原作のストーリーをなぞってはいるものの、完全にいっしょではなく、また小説内の前提が省略されていたりするので、読んだことがない人には非常にわかりにくい映画になっています。そういう意味では、小説の「映画化」というよりは、「映像化」と言ったほうがいい。小説に出てくる各シーンを映像にするとこうなる、といった感じ。

【以下、ネタバレがあります】































いくつかの点で原作を変えており、それが私にとっては不満であり、原作の良さを損ねていると思いました。

登場人物の性格付けがまず違います。まだマシと思ったのは主人公ワタナベと直子でしょうか。違うと思ったのは、永沢さん、緑、レイコさん。小説のイメージにぴったりだったのは緑のお父さんだけでした。

私のイメージでは、永沢さんはあんなニヒルな感じでなく、背筋がぴんと伸びたエリート風。緑は活発で性格はカラッとしているが、実は秘めた苦労が伺える感じで、ずんぐりした体型に純和風の顔(あんなハーフっぽい顔でない)。レイコさんも竹を割ったような性格のおせっかいなおばさんで中島みゆき似のイメージ。

しかし、映画では登場人物がみんな影のある重い感じとなっているので、映画全体がすご~く陰鬱になってしまっている。登場する設定やシーンが重いものが多いので、キャラクターはもっとバラエティに富んでなければ、バランスが取れないのではないだろうか。

菊池凛子の直子はなかなか良いのでは。難しい役どころだし、小説では現状がわかりにくい(レイコの書く手紙の中で状況が断片的にわかる程度)でイメージが美化されているのだけど、映像化するとああなるのかな、とも思えました。

松山ケンイチのワタナベも、まあ良いと思う。もっとすっとぼけた、何を考えているのかよくわからない、ひょうひょうとしたキャラを考えていたんですが。

とにかく、キャラクターもセリフも、原作ではもっととんがっていたのが、ずいぶん丸められていたように思えました。60~70年代にはもっと熱さや生生しさがあっていいように思えます。

もっとも気に入らなかったのが、原作のテーマが変えられていたと感じられたところ。原作は「生と死」あるいは「生と性」がテーマと考えられ、すべての陰鬱さが、ラストには生への輝きとなってカタルシスとなり、吹っ飛ぶ感じが素晴らしいのだけど、映画ではそれがなくて、陰鬱なまま終わっていました。レイコさんも緑もめそめそしていたし、ワタナベも依然としてどっちつかずのままだった。

原作が多分に感覚的なのだから、それを読んだ監督ががどのように感じたかを映像にした、それでよいのかもしれないし、その意図が遂げられているのであれば、この作品は成功だったのかもしれない。監督は外国人だし、日本人のイメージとは違っているかもしれない。ちなみに観客に外国人女性がすごく多かったのが印象的でした。邦画で英文字幕も出ないのに。

まあいろいろと不満はあるものの、それなりに楽しめたし、ツッコミどころ満載という意味からすれば、ヨシとしましょう。