"榮一○"スパナは

横須賀・海軍製 or 京都機械製?

 

"榮一○"と刻印されたスパナを発掘しました。

榮一○型は、初期のゼロ戦ならびに九七艦攻に搭載されていた発動機です。

ゼロ戦向け"榮"発動機用スパナと言えば無条件で一重丸京/京都機械製と思っていたのですが、一重丸京の刻印は無く、代わりに"YC"と刻印されています。

但し、一重丸京の刻印は無いながら、一重丸京/京都機械製の紫電改向け"譽"発動機用のスパナと全く同一形状です。

はてさて、この"榮一○"スパナの正体は如何に?

色々と悩みましたが、結論から先に述べると、製造元は以下2通りのどちらかだろうと考えます。

 

(1) 横須賀の海軍・空技廠 

横須賀・空技廠は、海軍航空機の製造技術本部であると共に、京都機械の整備用具製造を指導していて、京都機械が海軍の整備要具工場になる前に、その横須賀の海軍・空技廠が製造。

"YC"マークが刻印されていて、横須賀・空技廠のマークと推察。

 

(2) 京都機械 

京都機械の製造ながら、海軍から整備要具工場として正式に指定される前のため、一重丸京は刻印せず、代わりに横須賀・空技廠が承認した印として"YC"マークを刻印。

 

両者の可能性は50:50と考えています。

推察の根拠は、以下にて。

 

1. "榮一○"スパナの詳細

・両口フラットで、"榮一○ 内 106"と刻印されていて、さらにその右側に小さく"YC"と刻印されています。

・冒頭に記述の通り、榮一○型発動機は初期のゼロ戦ならびに九七式艦攻の搭載されていて、初期ゼロ戦(ゼロ戦11型)が榮12型、九七式三号艦攻が榮11型であることから、この"榮一○"スパナはゼロ戦一一型ならびに九七式三号艦攻用の整備要具と言うことになります。

・裏面は何も刻印がありません。(これまでに見つかっている海軍発動機用の京都機械スパナには、必ず裏面に一重丸京が刻印がありましたが、この"榮一○"は無刻印)

・ちなみに、発動機名が刻印されている海軍スパナはこれまでに3種(榮二○、譽、天風)が見つかっていて、どれも京都機械製を示す一重丸京が刻印されています。

 

・今回見つけた"榮一○"スパナで特筆すべきは、一重丸京の刻印が入っている京都機械製"譽"スパナと完全同一形状なことです。(同一サイズ23x26mmでの比較)

↑"榮一○(写真上側)"と"譽"(同下側)

 

・写真比較で分かる様に全体形状が似ているだけで無く、各部寸法が99.6%以上で近似していますので、"榮一○"と"譽"スパナは同一と言えます。

・冒頭で推測している様に"榮一○"スパナが横須賀・空技廠製であった場合は、その鍛造型が京都機械に移譲されて"譽"スパナの製造に使われたのだろうと思います。

 

 

・"内106"は内部要具(発動機オーバーホール用)の106番を示しています。

・後期ゼロ戦"榮二○"スパナの整備要領書では"内106"はスパナではありませんので、"榮一○"と"榮二○"では整備要具一式の構成が異なるようです。

・ちなみに、"榮二○"および"譽"の23x26mmスパナは外6番(外部要具6番)になっています。

 

↑京都機械製"榮二○"内部要具一覧表("榮二○"の内106はスパナでは無い)


・"YC"刻印は、"Y"と"C"が重なっています。

・これはKTCものづくり技術館に展示されている九九艦爆・木製ケース内の薄口スパナに刻印されている"AC"と同じ形態です。(”A"と"C"が重なっている)

・九九艦爆は愛知航空機製で工場記号は"A"、また横須賀・空技研の工場記号は"Y"であることから、"AC"は九九艦爆の製造元である愛知航空機、さらに"YC"は横須賀・空技研が関わっていることを示していると考えることが出来ます。

(両者に共通する"C"の意味は不明ですが、製造元または工具を指している??)

 

 

 

↑九九艦爆用と思われるスパナの"AC"マーク(KTCものづくり技術館)

 

↑軍用機関連の工場記号(Wiki/軍用機の命名規則より)

 

・ちなみに、このスパナは2週間前に東京・青梅市の廃品業者さんのくず鉄の中から見つかっていて、傷が少なく綺麗な状態で終戦から80年もよく生き延びていたものです。

・"譽"スパナも数ヶ月前に名古屋の中古工具屋さんで見つかっていて、まだまだ戦時中工具を発掘出来る可能性がありますね。

 

2. 横須賀・空技廠と京都機械について

・社史『京都機械35年のあゆみ』より以下のことが分かっています。

*横須賀・空技廠自身が航空機の整備要具を製造していた。

*京都機械は、横須賀・空技廠の指導を受け、1940年/S15から海軍向けの整備工具を製造。(1943年/S18に航空機整備要具の海軍指定工場に)

↑社史『京都機械35年のあゆみ』抜粋

 

・京都機械は1940年/S15から海軍向け整備要具の製造を開始する一方で、ほぼ同時期に榮11型/九七艦攻は1939年/S14、ならびに榮12型/初期ゼロ戦は1940年/S15に生産が始まっています。

・したがい、京都機械の要具製造開始以前に"榮一○"スパナが製造された可能性があり、その場合は横須賀・空技廠の製造と考えるのが妥当です。

・一方で、京都機械が海軍整備要具の製造を開始した1940年~1943年は海軍指定工場にはまだなっていないため、京都機械が製造しているにも関わらず、まだ一重丸京は刻印できず、横須賀・空技廠の認定要具として"YC"マークを表示していた可能性もあります。

・いずれにしても、1943年以降は海軍指定工場製として一重丸京を刻印したと考えることが出来ます。(榮20型取扱説明書が1943年に発刊されていることと符合します)

 

↑京都機械と海軍発動機年表

 

・なお、これまで海軍航空機の整備要具で1940年以前の製造元(下表オレンジ色)が不明でしたが、今回の"榮一○"スパナにより初めてその時代のスパナが見つかり、スポットがあたりました。

・なお、陸軍航空機の整備要具製造元(下表みず色)については残念ながら発動機も機体も不明になっています。(陸軍発動機のスパナ現物は何点か見つかっていますが、製造元は不明です)

↑軍向けスパナ製造者一覧

 

・補足になりますが、日本で民間企業による型鍛造は1918年/T7に東京鍛工が始めたことが分かっていますが、日本での最初の型鍛造は10年遡って1907年/M40に陸軍が始めていて、また1912年/T1には呉の海軍工廠も開始しています。

・なお、上記1918年に民間企業としては最初に東京鍛工がスパナの型鍛造も始めていますが、日本の型鍛造による整備要具は、1918年よりも以前に既に陸軍/海軍が初めていただろうと推測しています。

 

↑『生産技術』1955年11月号の『我が国の型鍛造について』より抜粋 

 

3. "山崎鍛工所”製の可能性について

"榮一○"スパナが見つかった時、一重丸京マークが無いことから、戦前にスパナを製造していて、かつ"YC"よりイニシャルが"Y"の会社を探しました。

名古屋の"山崎鐵工所"が航空機部品と共にスパナを製造していて、かつ創業者が横須賀・空技廠の出身であることから、当初は製造元の第1候補と考えました。

但し、愛知航空機製が海軍より記号"A"を指定され、九九艦爆向けのスパナに"AC"マークが入っていて、かつ横須賀・空技廠も記号"Y"が与えられていて、愛知航空機と同一形態の"YC"マークがスパナに入っていたことから、冒頭の通り横須賀・海軍省が製造に大きく関わっていると考えるに至りました。

しかしながら、さらに"山崎鐵工所"を調べていくと、戦時中に三菱重工の名古屋航空機製作所に多くの航空機向け鍛造部品を納めていたことが分かりました。

三菱重工が組み立てていたゼロ戦に多くの山崎鐵工所の部品が使われていたのだろうと思います。

したがい、"榮一○"スパナも"山崎鐵工所"製である可能性は否定できないと思います。

但し、横須賀・空技廠が正式に京都機械を指導し、整備要具の専門工場に指定していることから、京都機械が整備用具を製造していたと考えるのが素直です。

もし、"山崎鐵工所"が航空機用のスパナも生産していたとすれば、三菱重工の名古屋航空機製作所で使用される組立工具なのだろうと思います。

ちなみに、ゼロ戦の機体製造は三菱重工ですが、発動機の"榮"は中島飛行機製になります。

 

↑1943年『機械と事業』内の会社紹介

 

4.補足…"榮二○"と"譽"のスパナ

↑京都機械製のゼロ戦向け"榮二○"スパナ

↓同じく京都機械製の紫電改向け"譽"スパナ

 

"榮二○"と"譽"の23x26mmスパナは外6番であること、ならびに"榮一○"と"榮二○"の整備要具は共通の場合と個別の場合の2通りがあることが分かります。

↑"譽"外部要具一覧

 

この回、終わり