11・25自決の日 | 昭和80年代クロニクル

昭和80年代クロニクル

古き良き昭和が続いてれば現在(ブログ開始当時)80年代。昭和テイストが地味に放つサブカル、ラーメン、温泉、事件その他日々の出来事を綴るE級ジャーナルブログ。表現ミリシアの厭世エンタ-テイメント少数派主義ロスジェネ随筆集。

このブログを開始してから、おそらく5年くらいは経過すると思う。


知人以外ではどれだけの方々が(こっそりと)訪問して読んでくれているのかはまったく

わからないけど、文章や取り上げるテーマの内容からして、どんなヤツがこのコラムを

書いているのかといった人物像を想像していただくほうが面白いだろうということがあり、また

「いい年こいてバカなこと書いてやがるな」と思われるのも嫌だったので、開始にあたり、

とりあえず「年齢」は公表せずにこのコラムを続けてきた。


でも……おそらくもうほとんどバレてるだろうな(笑)


書いている内容の時代背景的なモノもあるし、オレのプロフィールや知人のリンク先とかにも

年齢のヒントがばらまかれているから(爆)


ここで一回だけはっきり言ってしまおう。去年の年末についに……「不惑」というエリアに突入してしまった年齢である。

地雷地点を確認しながら歩くように、これまでずっと一歩一歩ゆっくりと踏み出して歩いてきたが

つい、去年末に新たな一歩を前に踏み出したところ、履いていた長靴が「不惑ゾーン」にズブズブとハマってしまい、「ひぃー、抜けん抜けん!」とわめいているお年である。


その不惑の年齢として書いてきたこれまでの文章。

「実に幼稚」だと感じるか、それとも「年齢の割には若い感性」だと捉えて頂くかは各読者様の

判断にゆだねさせて頂く。


しかしまあ、世の中にはいろんな「おない年」がいるもんだ。


昔から男前のタレントや、ファッション雑誌などには興味なかったから在学中はまったく

その名前も存在も知らなかったけど、同じ年のとある有名人‘I’が同じ期間に同じ大学に

通っていた同級生だということを卒業してから知った。


当時は顏も存在も知らなかったから学校内にそういうヤツがいるなんていう意識もしていなかったが、もしかしたら講義で隣の席に座っていたこともあったのかもしれないし、実は学食の隣の席でカレーライスを喰っていたこともあった……のかもしれない。


オレはほとんど関わりはなかったのだが、オレの必修クラスの中に一人、ファッションにかなり敏感なヤツがいて、そいつがオレの友人と一緒に大学内を歩いている時に‘I’を目にして、友人に

「あいつ、モデルやっているやつだよ」と教えたらしい。

だから、友人は大学時代に一度見かけたことがあるらしい。


その有名人‘I’とは……


当時はARATAという名でモデルをやっていた「井浦新」である。



うわーーー!!同じ男で同じ年齢で同じ大学出ているのに、なんだ現在のオレと井浦新の間に

存在する数億光年ほど離れたこの格差と世の女性が向けてくる視線の温度差はっ!!


オレと井浦新の間で、年齢以外の共通点を必死に導きだそうともがいてみたが

「二足歩行」しか出てこんでわないか。


いくら華やかな世界に生きているとは言え、そんな同年代の男が「世界のミシマ」役を演じる

ことになったと聞いた時はさすがにジェラシーを隠せずにはいられなかったのだ。


でもやはり三島&楯の会の最後を描いた映画作品ということで前から気になっていた。

先週末にやっと借りる機会が出来たのでDVD観賞。


『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』



自決の日


三島由紀夫と、楯の会学生長の森田必勝ほかメンバーが市ヶ谷駐屯地に乗り込み総監を

人質にたてこもり、クーデターをおこし最後に切腹するまでの流れを描いた作品である。

監督はこの後すぐに交通事故で亡くなってしまった若松孝二だ。


感想を結論から言ってしまうと、面白かったのかもしれないが、観るならば三島に関する文献などをあまり読んでいないうちに先に観ておけばよかったかもしれない。


知っているエピソードや場面がそのまま映像になっている感じで、忠実といえば忠実だし

三島や三島事件の文献を読み漁っていない人が見れば、かなり楽しめる映像だったとは思う。

でも、ほとんど知っているままだった(爆)


それでいてあって欲しい重要なシーンがなかったり。

市ヶ谷に乗り込む前夜の「最後の晩餐」のシーンは欲しかったな。それがたぶんサウナのシーンに変換されたような印象。


メインである最後の演説のシーンも意図的なものか、予算削減的なモノははわからないが

下で聴いている聴衆(自衛隊員)の映像は当時のホンモノの映像のインサートで、カメラは

井浦新演じる三島を写すアングルだけだった。

ヘタに中途半端にエキストラを雇った風景にするとかえってリアルさに欠けるからああしたの

かもしれない。


でも総合的には観ておいてよかった映画だとは思う。

三島を知らない人には人物像を手軽に知るためのテキスト程度にはなるのではないだろうか。



そう言えば、職場の人が「でも、三島ってバリバリの右翼だよね」とか言っていた。

たしかにそうかもしれない。


オレは三島の書く文章は比喩が巧みで好きだけど、最後の政治的な行動は別に

正しいか間違っているかはわからない。


でもひとつだけ確実なことは、行動そのものは間違っていたとしても本当に日本の未来を憂いて

身を賭した覚悟の行動に出たということ。


なんだかんだ言っても、結局は保身や自分のイメージ保守でモノゴトを語る人間が多い中で

ミシマは本当に自分のことよりも日本のことや日本人の将来を考えて命をかけたことは間違いない。

正しい将来の捉え方は間違っていたかもしれない。だけど覚悟はホンモノだ。

オレが尊敬するのはそこ。

ミシマの思想が全て正しいなんて思ってはいない。


今はね、なんでもかんでも「右」か「左」に分けたがるでしょう。

専門家やネットで活動する人たちって。


右か左かってそんな簡単に分けられるものじゃないと思うんだよね。

まあ熱烈に声をあげて活動する一部の人はのぞいて。


古きものがすべて悪しきものというわけでもないし、権力や新勢力がすべてのモノゴトを

間違った方向へ運ぶとは限らない。


昔からある伝統だから守らなければならないだとか、権威ある人の命令だから敬ないといけないだとか、新しい勢力だから支持しなければならないだということじゃなくて、純粋に「自分の考え」

を持てばいいだけではないのだろうか?


誰かが言っているからとか、昔から守られているからだとかじゃなくて、自分の意思で考えたなら、その結果が右寄りになろうが左寄りになろうが、いいと思う。


オレはそういう意味で「右」の部分も「左」の部分も持っていると思う。


壊したほうがいい歴史もあれば、大事に保存し続けたほうがいい歴史もある。

すぐに潰したほうがいい「新たな思想」もあれば、すぐに広めたほうがいい「新たな思想」もあるはずだ。



「歴史」も「未来」も両方ともそのまま守るというのはおそらくムリ。


歴史をそのまま守れば未来はおそらくブっ壊れる。

でも完全に新しい未来像を目指すなら、歴史をブッ壊すことになりかねない。


極端な右も左も諸刃の剣に思える。




ミシマは最後「右」のために「左」の動きをとった。

そんなような印象をうけた。


ただ、「日本」の主役は「歴史」ではなく「人間(日本人)」なんだ。

そこを忘れちゃだめだ。



ちなみに作品内において楯の会学生長の森田必勝役を満島ひかりの弟が演じていたが

顏があまりに違いすぎるだろ(笑) 演技は決して悪くなかったが。


ああ、もう一回、防衛省見学ツアーに出向いてみたくなった。

「三島の刀跡」