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PERU day by day改めKansai day by day

17年住んだペルーから帰国してスペイン語の全国通訳案内士デビューしました。インスタグラムシェアしながら、日常生活や日本の面白いところを紹介していきます。
趣味はランニングとペルーの国民舞踊、マリネラ・ノルテーニャ。

3月28日はアース・アワーで夜一時間電気を消して
省エネを訴えるらしい。

ペルーでもHora de Planeta6年ほど前から実施しているようだが、
家にいるときは電気消してエクササイズでもしようかという気になるけど、
うっかり外出して暗くって怖い目にあうのはいやだなあ。

町の中央広場で街灯を消すのは
クスコもリマも同じらしい。
でも、協力しない店舗があるようで・・
昨年のアルマス広場は




街灯は消されているが教会二つもライトアップされていた。

中央のインカ皇帝像とやらもしっかり輝いていた。
なんでだ・・。

まあ、あんまり暗くされると怖いので、
この程度がいいかと・・。

怖いのは幽霊じゃなくて、強盗などの犯罪者。

結局、昨年はアースアワーの時間に家まで帰ったけど、広場を抜ければ
普通に街灯がついていた。

そのほうがいい。
日本のような安全な国ならともかく、
ペルーのような治安の悪い国では
闇に乗じていきなり泥棒や強盗にあいかねないので・・
実際、帰宅途中に夜間に停電があって
恐怖におびえながら歩いたことがある。
みんな携帯電話の明かりをたよりにしていた。

クスコでは教会は一晩中ライトアップされている。
学校や一部の公共施設は教室などの全ての電灯を消さずに
一部の部屋の電気をつけたままにするところも多い。

これは泥棒の侵入を避けるためだ。
ペルーの電気代は決して安くない。それでもそうせざるえない。
ペルーでもLEDが普及してくれたら・・って。


アース・アワーだからって喜んで協力するわけにいかないのだ。



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ペルーの9月の風物詩となった南米最大の料理フェア
MISTURA(ミストゥラ)。
今年は会場を古巣の
博覧会公園(Parque de la Exposicionパルケ・デ・ラ・エクスポシシオン)に
移して開催されることが決定したのだが、
これに待ったをかけたのが、同公園にある
リマ美術館(Museo de Arte de Lima 略称 MALI マリ)

「食い物のブースの間で美術館の再開はできない」

同美術館はこの公園の内部とPaseo de Colon通りの二つアクセスがあるが、
MISTURA開催中及びその会場設置準備、終了後の撤去作業中は
公園側のアクセスが閉ざされることになり、入場者が減少することは必至。
8月には2階部分の常設展示再開と写真家マルティンチャンビ展が予定されている。。

料理店の会期は9月3日から14日までだが、
会場建設が始まる7月20日から影響が出始め、
8月17日には公園が完全に閉鎖され、
フェアの施設撤去が終了する10月まで美術館入場に影響が出るとされる。

博覧会公園は1872年のリマ国際博覧会の会場として建設され、
その中心施設となった博覧会宮殿(Palacio de la exposicion)が
現在のリマ美術館の施設となった。

同美術館は考古学展示から近・現代の美術品の展示をしている他、
絵画、音楽、舞踊など芸術関係のさまざまなスクールも開催している。

同美術館館長マフルフ(Majluf)女史は発言している
「文化関係者が料理界の成長から学ばなければいけないことは多い」
「しかし、博覧会公園はフェアの会場として適当ではない」
「美術館は動かすことができない料理フェアこそどこかに行くべきだ」


「貧困は文化の不足にも現れるということをリマはまだ理解していない。
一国として成長するためにも文化は必要なのだ。」


参考
http://elcomercio.pe/lima/ciudad/falta-cultura-tambien-forma-pobreza-noticia-1799153
http://peru21.pe/espectaculos/mali-su-coleccion-permanente-volvera-exhibirse-agosto-2214324
http://es.wikipedia.org/wiki/Parque_de_la_Exposici%C3%B3n
http://peru21.pe/actualidad/mali-sobre-mistura-museo-no-puede-reabrir-entre-puestos-comida-2214654


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日曜日の夕食を準備をしているときに指を切った。
ソテーにするアルパカ肉に下味をつけている最中のことだったような気がする。
痛みをあまり感じず、
付け合せようのカボチャに赤い斑点がついていたので
おやっと思い、人差し指先を見ると傷がついていた。
ただ出血もあまりなく、絆創膏もつけずにそのまま料理を続けた。

アルパカ肉には寄生虫がいることがあるらしいので、
傷口から潜入していないことを祈りたい。

その程度の感覚で怪我をした感じではなかった。

月曜日も傷口はほったらかしのまま、
キーボードも問題なく叩けた。

しかし、火曜日、弁当の準備をしている最中、
ニンニクのみじん切りをしているときに
焼け付くような感じを傷口に感じた。
ニンニクで傷口が炎症を起こそうとしているのだろうか。

明らかな出血が、朝の忙しいときにダラーリと。
あわてて静脈を抑えて
いったん止血。

念のために出勤途中ニバンドエイドを買ってつけたはいいけど、
キーボードを叩く、指先に違和感が残り続けた。
バンドエイドの中で血がにじんでいるのが見られた。

傷口に塩をすりこむような・・
という表現があるけど、
傷口にニンニクもかなりやばいような気がする。


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1534年3月23日、スペイン人によるインカ帝国(タワンティンスーユ)征服後の
クスコでスペイン人によるクスコ市の建都が祝われた。カトリックの儀式の元に・・。

ペルーの都市の多くは、スペイン人による建都の日を
その街の創立記念日としている。
しかし、かつてインカ帝国の中心であったクスコはそうではない。

インカの時代の太陽の祭り、
インティライミを復興した祭りを6月24日に行うようになって
その日を「クスコの日」として以来、
この街ではスペイン人による建都の日はすっかり忘れられてしまった。

それにもかかわらず、昨日、日刊紙REPUBLICAは
「今日は何の日Efemerides」に
「Feliz Aniversario Cusco」として
クスコの創立記念日をweb上に掲載してしまったのだ。

これに対してソーシャル・メディアでは反対するコメントが殺到した。
日本で言えば炎上というやつである。

「クスコではこの日は祝わない」
「破壊の始まりの日」
「侵略と強奪の日」
「インティライミこそが記念日だ」
「クスコはスペイン人ではなく、マンコ・カパック(初代インカ皇帝・伝説)によって創建されたのだ」
といったコメントが大半だった。
クスコは先住民とスペインの融合によってできあがったのだという
少数意見もあったが、すぐに反論にあってしまう。

実際、クスコの人口のほとんどはスペイン姓と名前を持っているし、
スペイン語を話し、スペイン人がもたらしてカトリックを信仰している。

聖週間には地震の主の祝福に行き、カトリックの祭日を祝うのクスコ人。
大半の人間が先住民とスペイン人のメスティソである。

にもかかわらず、スペイン人による建都を否定しているのだ。
スペイン語を話し、スペイン姓と名前を持ちながら!

会社の同僚にも聞いてみた。
観光学科を卒業して、クスコの征服の歴史も知っているべきなのに、
屈辱の日でもある1534年3月23日を知らなかった。
彼の意見は
「破壊の日だよね」

1920年代以降、インディヘニズモと呼ばれる先住民文化復興運動が高まり、
考古学研究の盛んになっていくにつれ
クスコ市民の間では
自分たちは「偉大なインカの子孫である」
という意識が植え付けられていった。

それを少しでも否定しようものなら、炎上どころか石もて終われることになりかねない。
ある意味歪められた自意識だとは思うのだが、反駁は禁物。

クスコの人間にかかわらず、
ペルーは征服された先住民と
征服したスペイン人とそれ以外の移民たちによってなりたっているので、
市民そして国民のアイデンティティが複雑で
矛盾に満ちている。

とりあえず
インカ=善 スペイン=悪
この図式はクスコでは守らなければいけない。観光客も同様だ。

(例外、サッカーなどで、スペインVSドイツとかオランダの場合、当然スペインを応援する)



インカ帝国―その征服と破滅


インディヘニスモ―ラテンアメリカ先住民擁護運動の歴史 (文庫クセジュ)

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ペルーの1879-1880年のチリとの戦争のアリカの戦で、
指揮官ボログネシとそれ以下の仕官たちが
チリ軍と比較して圧倒的に少ない兵数とペルー側の支援がない中で
無残にも祖国の名誉のために散って行ったの姿を描いた映画、
「Gloria del Pacifico(太平洋の栄光)」を見た。


この戦いとボログネシやアルフォンソ・ウガルテなどの
士官たちに関する解釈は
私が立ち入るレベルでの話ではないので、踏み込まないが、
戦争映画としてみるとあまりにも戦場や兵士、
その近辺の町の描写に生々しさや緊張感が感じられなかった。
兵数の少なさや戦闘シーンの迫力のなさは製作予算の問題もあって、レ
ベルを上げられなかったのはしようがない。

しかし、ボログネシもウガルテも戦死するクライマックスの戦闘シーンで
前線にいる兵士の顔や
服があまりにもきれいなのには驚いた。
普段街中にいるような状態だ。
大砲や銃を撃ちながら泥や煤にまみれない兵士たち。

ありえるのだろうか?そんな美しい状態で最終的に指揮官たちも兵士も死んでいって・・。
戦争における恐怖や痛みを感じさせない描写。
なんて悠長な戦いだったのだろうか?これは映画製作上の問題だ。
日本のドラマだったら、桶狭間の戦いレベルでも足軽は汚く描かれるし、もっと緊張感のある生々しい描き方をされる。

ありえない描写にペルーにとって戦争は遠い存在なのだ、と思わざるを得なかった。
1941,1981,1995年のエクアドルの国境紛争を除けば、
ペルーが最後に大きな戦争をしたのが1880年。
戦争の記憶に乏しく、ひたすらに敗軍の将、
ミゲル・グラウやフランシスコ・ボログネシを英雄化し、
チリの悪行を憎むのが戦争体験を語ること。
戦争は繰り返してはいけないというようなメッセージは決して出てこない。

なんてうらやましい。

戦争に対する反省をすることもなく、すごしていている。

ふと日本を振り返ってみた。第二次大戦の終戦から今年で70年。
アメリカもイギリス、その他かつて連合軍だった国々、ドイツ、日本、イタリアといった枢軸国だった国々の国民もこの映画の戦闘シーンを見るとがっかりするだろう。

一方で勝ち目のない戦いを迎えるボログネシと兵士たちの姿に、
やはり1945年の日本の姿を思い起こした(当然私はまだ生まれていないが・・)

歴史年表を思い起こしながら、大政奉還が1867年で西南戦争が1877年。
チリ、ペルー、ボリビアの戦争は西南戦争の少しあとか・・。
日清戦争が1894年、日露戦争が1904年。第一次世界大戦に満州事変。
アメリカと違って70年間戦争をしていないとはいえ、
日本の戦争の記憶はまだ生々しく語られている。

1867年の大政奉還から第二次大戦敗戦まで78年。
敗戦から今年で70年。
1867年から敗戦までの78年は
終戦から現在までの70年と比べると期間的にはそう変わらないが、
歴史的発展から見ると、大変凝縮された期間だったのだろう。
おまけに戦争も・・。

アメリカはこの70年間何回戦争をしているのだろう。

戦争は二度と繰り返してはいけない・。
でも、あのときあの戦争がなかったら、
いまの日本は、アジアは世界は、どうなっていたのだろう・・。

映画を見ながらどうでもいい問いかけを繰り返した。


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