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PERU day by day改めKansai day by day

17年住んだペルーから帰国してスペイン語の全国通訳案内士デビューしました。インスタグラムシェアしながら、日常生活や日本の面白いところを紹介していきます。
趣味はランニングとペルーの国民舞踊、マリネラ・ノルテーニャ。

ペルーには祝日が少ない。
たったの12日。
その少ないという感じを高めるのが、
祝日が日曜日と重なった場合の
振り替え休日という制度がないのだ。
盆休みとか年末年始の休日もない。

そういった中で気になったのが、
1日に祝日が多いな・・ということ。
5月1日 労働者の日
11月1日 諸聖人の日
1月1日 新年

1日で気になるのが、働いている会社の給料日が
毎月1日であること・・。

日本であったように、給料日が日曜、祝日に重なるときは
その前日払う・・なんていうことは・・

考えられない。

たいていの場合、そのあとに払われる。

困ったことに、今年の5月1日は金曜日、
その翌日の土曜日は休みではないのだが、
出勤者が少ないのでまず払われることはない・・。

下手したら、4日の月曜日に払われることになるかもしれない。。
やば・・
よく、
「5月1日の労働者の日を祝おう」
なんて言われるけど、
労働者の日の前に給料を払ってもらったことがない。

もちろん4日の日に払われるのはゴメンなので、
今年は4月30日に払うように頼むつもりですがね・・。





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(日めくり)まいにち、修造! ([実用品])

好きな鶏料理 ブログネタ:好きな鶏料理 参加中

先週の金曜日、久しぶりに
ポジョ(POLLO=鶏肉)を食べにいった。

チキンといえば日本ではケンタッキー。
ペルーでポジョといえば、
ペルー人が大好きなポジョ・ア・ラ・ブラサ。
(チキンの炭火焼)

「ポジョを食べに行こう」
といえば、ポジョ・ア・ラ・ブラサのことをさすのだ。

夕食を作るのがおっくうだったので、
ウチの近所のポジェリア(ポジョ・ア・ラ・ブラサ屋)
"El Truco del Sabor"(Calle Recoleta)にいった。

普段は持ち帰りをするのだが、
2ヶ月ぶりに入ったので、
フライドポテトの感触を楽しみたく、
その場で食べることにした。

チキンやサラダは持ち帰っても問題ないのだが、
ポテトは家まで5分近い道をもって帰ると
冷めるだけでなく、食べたときの食感が変わってしまうのだ。



サラダとアグアディートいう鶏がらと野菜のコリアンダー風味のスープ。
ここのサラダはシンプルだが、
ソース類がよい。
特にレモンと唐辛子とタマネギとハーブのドレッシングは
スープに入れてもおいしい。

そして8分の一サイズのチキンとポテト


これで6ソーレス。
安い割には上品感のある味。
フライドポテトも旨い。

最初は持ち帰るつもりで、
出来上がるのを待っている間の時間つぶしに
雑誌を持っていったのだが、

頼んだ時点で気が変わり、席についた。

席に雑誌を置いてサラダビュッフェをとっていると、
「これ君の?」
と暇そうにしている店員の男の子に訊かれた。

わたしのだけど、あとで読むの。
「貸してよ。ちょっとだけ」

彼は隣のテーブルについて読み始めた。

いや、見始めた。


とチキンを食べながらちらちらと彼を見ていると、
写真しか見ていない。

読んでいない。

そうなんだよなあ。

職場でもヒマつぶしに雑誌や新聞を持って行き、
何気に机においておくと、
人に読んでいいかと許可をえる前に
勝手に開いて読み、いや、見始めるのだ。

おいおい、それ私のやねんけど。

「雑誌貸して!」

といわれて貸してやると、
パラパラとページをめくり始め、
数分で
「もう読んじゃった!他にないの?」

読んでへんやんけ!見てるだけやんか!

と突っ込みを入れたくなってくる。

そういえば、キオスコ(新聞雑誌販売スタンド)でも
スタンドにかかっている新聞の一面だけ読んで、
買わずに済ませる連中も多い。

私が新聞を買っていると、

「そこどけ!読めないだろ!」

と叱責されてしまったことがある。

お前、買えやあ!!!!

ペルー人はただで情報を得ようとする・・。
本もコピー本を入手したり、
映画は海賊版を買う・・


そんなことを考えているうちに、
お客さんが増えてきたのか、
店員は雑誌を見るのをやめ、
感謝のそぶりも見せずに私に雑誌を返した。

普段はポテトを残すのだが、
久しぶりに食べたカリッ、フワの食間を楽しむために、
全部平らげた。

おいしかったけど、
でも、どこか不満が残ってしまった。


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Ceviche: Peruvian Kitchen (English Edition)
<
4月23日は世界図書・著作権デーだった。

クスコでは4月23日はインカ皇女とスペン人征服者の混血で、
インカ帝国の歴史物語インカ皇統記〈1〉 (岩波文庫)の著者である
インカ・ガルシラソ・デ・ラ・ベガの命日としてしのばれている。

日本では4月23日はサン・ジョルディの日と本の日を合わせて読書を促進していたように思う。

調べるとウィリアム・シェイクスピア、ミゲル・デ・セルバンテス、
インカ・ガルシラソ・デ・ラ・ベガの命日がいずれも、4月23日、
それも同じ1616年になくなっているのだという。
http://www.un.org/en/events/bookday/

こうしたことから、世界図書・著作権デーとなっているのだそうだ。

恐れ入りました。

ガルシラソがシェイクスピアやセルバンテスと肩を並べているとは・・。

セルバンテスやシェイクスピアは説明する必要はないので、
インカ・ガルシラソ・デ・ラ・ベガについてだけ説明しよう。

父をスペイン人征服者、セバスティアン・ガルシラソ・デ・ラ・ベガ、
母をインカ皇帝ワイナカパックの姪、皇女、チンプー・オクジョに、
1539年にクスコに生まれた。
その生家はクスコのHELADERO通とGARCILASO通の角に今も残され、
ペルー文化省所有の博物館となっている。

よくクスコでは最初の混血児として紹介されるが、
ペルー全土ではフランシスコ・ピサロと
インカの皇女でワイナカパックの娘イネス・ワイラスとの間に生まれた
フランシスカ・ピサロが最初の混血児となる
(記録されている有名なところでは・・)。

クスコでは1533年にスペイン人が到達していることから、
ガルシラソ・デ・ラベガ以前に混血が生まれていたはずだ。

幼少時をインカ皇族の母方親戚に囲まれて暮らし、
インカ時代の思い出話を聞かされてすごした。

彼は1560年にスペインにわたり、教育を受け、軍人となり、
その後詩人として活躍した。
詩人時代にミゲル・デ・セルバンテスと出会っている。

晩年を1606年「LA FLORIDA DEL INCA」、
1609年と「COMENTARIOS REALES DE LOS INCAS」を執筆、
インカ帝国のユートピア的なイメージをヨーロッパに広めた。
残念ながら彼の著書は他の年代記作者の史料や思い出を頼りにしており、
脚色が多いことから、史料としての価値の低さを染田秀藤氏の著書インカ帝国の虚像と実像 (講談社選書メチエ)で指摘されている。

しかし!
クスコでそのようなことを言ってはならない。
「ガリョ島の12人」
の話の脚色部分をクスコ人に指摘してはならない。
(ペルー人でも他の地域の人間なら問題はないはず・・)

あくまでも理想化されたインカとクスコを語るためにも
インカ・ガルシラソ・デ・ラ・ベガはアンタッチャブルな存在なのだ。


嘘でもいいから、最初の混血児としておかなければならない。

ガルシラソ・デ・ラ・ベガの間違いを指摘しようものなら、
クスコから石もて終われることになるであろう。

彼の名前はクスコ社会に浸透している。

クスコにはインカ・ガルシラソ・デ・ラ・ベガ校という小中学校もあり、
インカ・ガルシラソ・デ・ラ・ベガ・スタジアムもある。

(手前の緑の運動場がガルシラソ校、奥の赤と白のスタンドが
改修前のガルシラソスタジアム)

サッカーチームとしては
創設4年でリベルタドーレス杯決勝トーナメントに進出した
レアル・ガルシラソ
さらにデポルティボ・ガルシラソ(二部リーグ)がある。
ちなみにガルシラソ・デ・ラ・スタジアムでは2004年の
コパ・アメリカの準決勝コロンビアVSウルグアイも行われ、
南米一美しい天然芝スタジアムとも言われたことがある。

クラブチームシエンシアノが国際大会の常連だったころには
ブラジルのグレミオ、サントス、アルゼンチンのボカ・ジュニオール、
メキシコのアメリカ・デ・メヒコも同スタジアムで試合をしている。
しかし、2013年にレアル・ガルシラソがリベルタドーレス杯で使用後、
屋根をつけるための改修工事に入るため閉鎖された。
だが、10ヶ月で工事が終わるはずが
ココ・アクリオ前知事下の汚職などもあり、工事が進展しておらず、
工事開始2年近くたっても完成をみないままである。

地元チームは他郡の市民スタジアムのような
小さなスタジアムで試合を行っていたが、客足が伸びないため、
2004年にボカ・ジュニオールをレコパで破り、
南米ナンバーワンとなっとことがありながら、
現在は経営難に苦しむシエンシアノが入場料収入を上げるために
スタジアム使用を懇願、市民防御局の許可が得られないまま、
2014年、工事中のままでスタジアム使用を再開している。

シェイクスピアからクスコ社会の問題、サッカーの問題に話が発展しまった・。汗



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「アルマス広場を車両通行禁止にしよう」

そういう意見が高まったたのは昨年9月、
ちょうどメインストリートのアベニダ・エル・ソルから
広場に入っていく道の工事中に遺跡が見つかった頃だった。
(道路や建築工事中に何か見つかるのはクスコでは珍しい話ではない)





当時はこの遺跡を埋め戻さないで、
通行人がいつでも見られるようにしよう、
広場も通行止めにしよう、
という意見は多く遭ったのだが、
-文化省が遺跡のコンテクストを調査するためには
隣接する大学講堂や周辺の建物の地下も調べるのは技術的に無理がある。
-元文化庁長官の考古学者ルンブレーラス氏が
雨で遺跡がいたまないように雨季が本格化する前に埋め戻すようにすすめた。
-展示保存しようにも市長の人気が終わるところで、真剣に検討する余地はなかった。


などで、結局12月に埋め戻されてしまったのだ。

ちなみに10月の市長選で当選したモスコソ氏は
就任前の段階から
「広場歩行者天国化」について発言を始めた。

これに関してアレキパの友達をこの"遺跡"に案内したところ、
「アレキパのアルマス広場はカテドラル側が車両通行禁止になっているぜ、
クスコでも実験してみたらいいのに」

といっていたが、
私は即座に返答した。
「広場に入れなくなるとあそこの
サンクリストバル地区へのアクセスに問題が出てくるのよ。」



広場からサンクリストバル教会に向かう丘の山腹にある地区。
(夜景写真では左端の教会に向かう地区)

道は狭く、急な坂になっている。
アクセス方法は
-モナステリオホテルがあるナサレナス広場から一方通行のプマクルク通りを上る。
 出るときはぐるっと周ってアルミランテ坂からアルマス広場
 →広場に抜けられないと、パラシオ通という通常一方通行の同じ道を
  戻ることになる
-広場から上っていくスエシア通。やはり一方通行の道。
(広場が通行止めになることで、アクセスは1km遠回りをして逆進せざるを得ない)

ということになる。

この地区に住んでいる人々はどうなるんだ、
車を使うなというのか?

年配の人、妊婦、子供連れ、大量の買い物をした人々に
こんな急な坂を歩いて上れというのか・






まさかとは思っていたが、
年があけ、今月になってから通行止めになってしまった。
サン・クリストバル地区の住民の合意を得ぬまま・・。

この地区へのアクセスに関して、車両通行止め支持者は
「いや、サピ通からドン・ボスコ通と回っていく道や
サクサイワマン遺跡から降りて来る道もある」
などとマリー・アントワネットの
「パンがなければ、お菓子を食べればいい」
を思い起こさせるような意見を述べた。

このパターンだと
サピ通 1km近い遠回り
サクサイワマン 8km以上の遠回り
ととんでもない形になってくる。
サピ側からの遠回りでもタクシーで1ソルは
余計に取られるだろう。

「タクシー代を市が補填してくれるのか?」
そう、FACEBOOKで私が発言すると
前市政でほぼ副市長ののような役割だった
元市議会議員に
「いいね!」
をいただいた。

植民地時代から残る地区の住民が住みにくい状態にするのは
問題ではないか?
住民もクスコの歴史の一部なのだから・・。

さらにクスコ市自体がFACEBOOKで
歩行者天国化に対する意見を求めていたので意見を書き込んだ

「クスコ市街が碁盤の目上にきれいに区画されているなら、
歩行者天国化は100%賛成だ。しかし、
クスコの街はインカの時代に儀礼を行うために
谷あいに場所が選ばれ、ピューマの形に区画された。
スペイン人がこれをつぶさないまま、現代に至り、
現代的な合理性に欠ける町並みになっている。
このままでは歩行者天国化はできない。
1kmも遠回りをさせるようなことを住民に強いてはならない」

市の運輸局から「いいね」をいただいた。


さらに車椅子の人々が通行止め反対のデモ行進をした。

文化人面をして、少数派の住民の意見を訊かない
市長の傲慢さに市民の不満は鬱積をしはじめた。

4月23日、午前の小中学生によるパレードの後、
通行止め措置は一時的に解除された。

ただ、メディアは、車両通行止めが続くか、
続かないかはまだはっきりとわからない・・
としている。



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王妃マリー・アントワネット〈上〉 (新潮文庫)


インカ遺跡巡礼
4月6日より、クスコの中央広場のアルマス広場で車両通行禁止試験が始まった。



当初は4月19日までの予定だったのだが、
「十分に調査されていない・・」
とかで、さらに試験は10日間延長された。

今年新年に就任したばかりのクスコのモスコソ市長が
「広場はみんなのもの」
というスローガンとともに歩行者天国にしてしまったのだ。

クスコのアルマス広場周辺の歴史的景観保存地区は
世界遺産にも指定されており、文化財にしているされている建物も多い。

しかし、クスコの街は谷あいにあり、
広場を出ればすぐに坂を上って丘に向かわなければならない。
(広場自体も平らではない)



おまけにインカの時代から500年もの間、
スペイン人すら拡張することもないまま、
街の区画がそのままになっている。



なにしろアルマス広場の車道が周辺地域でもっとも広いのだ。
その広場が通行止めになってしまうことによって、
周辺道路の混雑が激しくなり、住民や出勤する人は大迷惑をこうむっている。

車が入らなくなったことによって、
観光客は写真を撮るのが楽になったが、
ホテルによっては車でアクセスができなくなってしまった所もある。
(重いスーツケースを持って急な坂を上るのはツライ・・)

この通行止め処置は市長の一存によるものらしく、
市議会の了解を得ていないという。

市民の間には「職権乱用」として市長を訴えようという動きも出てきた。

私個人はダカールラリーにも反対するほど、
文化財保護派なのだが、クスコのアルマス広場の通行止めには断固反対なのだ。

クスコの広場周辺は
馬すらいなかったインカ帝国の時代に宗教儀式をするために作られた
街の区画をそのまま現代にも残していて、
リマやアレキパやトルヒージョのように
碁盤の目上に街路整備されることもなかった。

インカの時代にクスコの街の区画を
ピューマ(アメリカ豹)の形にしたという話があるが、

今考えると迷惑な話で、
現代に求められる合理的な交通事情をまったく無視した、
儀礼上の役割しか考えていなかったのだ。

その中で、もっともゆったりと車が走れるのがアルマス広場

クスコ市民がタクシーの利用を減らし、
公共の交通機関の利用を増したり、
もっと歩く努力をして、
交通量を減らす努力はするべきだが、
現状のままでの通行止めにはかなり問題があると思うのだ。

(つづく・・)


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Cusco: Urbanism and Archaeology in the Inka World (Ancient Cities of the New World)