シェイクスピア、セルバンテス、インカガルシラソ、そしてクスコ社会 | PERU day by day改めKansai day by day

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17年住んだペルーから帰国してスペイン語の全国通訳案内士デビューしました。インスタグラムシェアしながら、日常生活や日本の面白いところを紹介していきます。
趣味はランニングとペルーの国民舞踊、マリネラ・ノルテーニャ。

4月23日は世界図書・著作権デーだった。

クスコでは4月23日はインカ皇女とスペン人征服者の混血で、
インカ帝国の歴史物語インカ皇統記〈1〉 (岩波文庫)の著者である
インカ・ガルシラソ・デ・ラ・ベガの命日としてしのばれている。

日本では4月23日はサン・ジョルディの日と本の日を合わせて読書を促進していたように思う。

調べるとウィリアム・シェイクスピア、ミゲル・デ・セルバンテス、
インカ・ガルシラソ・デ・ラ・ベガの命日がいずれも、4月23日、
それも同じ1616年になくなっているのだという。
http://www.un.org/en/events/bookday/

こうしたことから、世界図書・著作権デーとなっているのだそうだ。

恐れ入りました。

ガルシラソがシェイクスピアやセルバンテスと肩を並べているとは・・。

セルバンテスやシェイクスピアは説明する必要はないので、
インカ・ガルシラソ・デ・ラ・ベガについてだけ説明しよう。

父をスペイン人征服者、セバスティアン・ガルシラソ・デ・ラ・ベガ、
母をインカ皇帝ワイナカパックの姪、皇女、チンプー・オクジョに、
1539年にクスコに生まれた。
その生家はクスコのHELADERO通とGARCILASO通の角に今も残され、
ペルー文化省所有の博物館となっている。

よくクスコでは最初の混血児として紹介されるが、
ペルー全土ではフランシスコ・ピサロと
インカの皇女でワイナカパックの娘イネス・ワイラスとの間に生まれた
フランシスカ・ピサロが最初の混血児となる
(記録されている有名なところでは・・)。

クスコでは1533年にスペイン人が到達していることから、
ガルシラソ・デ・ラベガ以前に混血が生まれていたはずだ。

幼少時をインカ皇族の母方親戚に囲まれて暮らし、
インカ時代の思い出話を聞かされてすごした。

彼は1560年にスペインにわたり、教育を受け、軍人となり、
その後詩人として活躍した。
詩人時代にミゲル・デ・セルバンテスと出会っている。

晩年を1606年「LA FLORIDA DEL INCA」、
1609年と「COMENTARIOS REALES DE LOS INCAS」を執筆、
インカ帝国のユートピア的なイメージをヨーロッパに広めた。
残念ながら彼の著書は他の年代記作者の史料や思い出を頼りにしており、
脚色が多いことから、史料としての価値の低さを染田秀藤氏の著書インカ帝国の虚像と実像 (講談社選書メチエ)で指摘されている。

しかし!
クスコでそのようなことを言ってはならない。
「ガリョ島の12人」
の話の脚色部分をクスコ人に指摘してはならない。
(ペルー人でも他の地域の人間なら問題はないはず・・)

あくまでも理想化されたインカとクスコを語るためにも
インカ・ガルシラソ・デ・ラ・ベガはアンタッチャブルな存在なのだ。


嘘でもいいから、最初の混血児としておかなければならない。

ガルシラソ・デ・ラ・ベガの間違いを指摘しようものなら、
クスコから石もて終われることになるであろう。

彼の名前はクスコ社会に浸透している。

クスコにはインカ・ガルシラソ・デ・ラ・ベガ校という小中学校もあり、
インカ・ガルシラソ・デ・ラ・ベガ・スタジアムもある。

(手前の緑の運動場がガルシラソ校、奥の赤と白のスタンドが
改修前のガルシラソスタジアム)

サッカーチームとしては
創設4年でリベルタドーレス杯決勝トーナメントに進出した
レアル・ガルシラソ
さらにデポルティボ・ガルシラソ(二部リーグ)がある。
ちなみにガルシラソ・デ・ラ・スタジアムでは2004年の
コパ・アメリカの準決勝コロンビアVSウルグアイも行われ、
南米一美しい天然芝スタジアムとも言われたことがある。

クラブチームシエンシアノが国際大会の常連だったころには
ブラジルのグレミオ、サントス、アルゼンチンのボカ・ジュニオール、
メキシコのアメリカ・デ・メヒコも同スタジアムで試合をしている。
しかし、2013年にレアル・ガルシラソがリベルタドーレス杯で使用後、
屋根をつけるための改修工事に入るため閉鎖された。
だが、10ヶ月で工事が終わるはずが
ココ・アクリオ前知事下の汚職などもあり、工事が進展しておらず、
工事開始2年近くたっても完成をみないままである。

地元チームは他郡の市民スタジアムのような
小さなスタジアムで試合を行っていたが、客足が伸びないため、
2004年にボカ・ジュニオールをレコパで破り、
南米ナンバーワンとなっとことがありながら、
現在は経営難に苦しむシエンシアノが入場料収入を上げるために
スタジアム使用を懇願、市民防御局の許可が得られないまま、
2014年、工事中のままでスタジアム使用を再開している。

シェイクスピアからクスコ社会の問題、サッカーの問題に話が発展しまった・。汗



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