不妊治療を終わらせるには③
自ら決断し、選ぶこと人はそれぞれで、高齢でも自然妊娠する人もいれば、つらい治療に耐えてでも我が子に会いたいと頑張れる人もいる。でも、そうでない人もいる。それぞれなんだ。それぞれの中で私は自分のできる精一杯をやってきたんだ。4年間で。何にもせず、結婚して生活していて子供が結局できなくてあとで欲しくなって嘆き悲しんでいたわけではない。治療は私なりにつらかったし、いろんなことに悩んで、夫のやさしさにも触れて、たくさん話もしてたくさん泣いた。リセットがきて泣いて泣いて面倒くさい私を夫は受けれてくれた。仕事だって、休みをとるために嘘をついたり、最終的には不妊治療を上司に打ち明けたりもした。眠れない夜もあったし、SNS依存になってネガティブ情報に踊らされたこともあった。(それは今もか)(SNSに関しては悪い情報を自ら集めにいっているような節もあって、それで治療や妊娠出産が怖くなってしまったことも事実ある。)つらかったんだよ、4年間。そして私は頑張ったんだ。もう、やめてもいいかなあ。ヒトはヒト。耐えられない自分を受け入れて、今できる選択を自分で選ぶんだ。ただし、この選択は「最善」ではない。これでいいのかな?間違っているのかも?という思いはきっと一生消えない。消えないけど、続けるのもやめるのも、どちらかしか選べないから。だから私は治療を「やめる」決断を自ら選び取って、その答えに毎日ゆらぎながら向き合っていく。たまに泣きたくなったり間違いだって落ち込むことがあるだろう。それでも今私が自ら選んだ答えを心の中にとどめて、「これでいいんだ。これしか今の私には選択できなかったんだから。だからこれでいい」そう思って生きていくんだ。きっと、子供を産みたかった気持ちはずっと消えない。でも、今の私は「産みたいのに産めない」ではなく「産みたかったけれど産めなかった」という言葉の方がしっくりくるようになってしまっている。きっとこの先、きっと死ぬその時まで、私は自分の子供という執着を手ばなすことはないだろう。濃淡の差を繰り返しながら、だんだん、だんだん、血が噴き出して痛くて晴れている傷口のような心の痛みは、ケロイドになって、たまにお天気が悪いときや体調が悪いときにじくじく痛む程度になって、ずっと私とともにあるのだろう。会えないかも、しれない私の子供。あなたの手を握りしめてあげることができなくて本当にごめんなさい。でも、私はあなたのことを決して忘れず、心の中にずっととどめてたまに思い出して涙することを許してね。愛しています、私の生まれるはずで生まれなかった私の大切な子供。