満足してしまったらそこで終わる。だからまだ満足するわけにはいかない
第7章「エリンギ」
「エリンギ」
私が初めて組んだオリジナルバンド。
思えばバンドを始めたときからずっとこういうオリジナルをする
バンドをしたかった。
今まではDTMでオリジナルを作って遊んでいたが
バンドでするのは初めてだった。
だからどういうふうにすればいいのかまったくわからないまま
とりあえずメンバーだけを集め、見切り発車で出発する。
前回のときに一緒にやっていたベースとギターの人から始まり
紅一点のキーボード、そしてセミプロだったドラマーを引き入れ
それは始まった。
事前にバンドでする予定の楽曲をWEBサイトでメンバー限定で配布。
用意した曲はまず2曲。
ブルージーなロックナンバー。
後にこのバンドの代表曲となる曲である。
そしてアコースティックな曲。
いずれもこの時点では僕の中で最高の楽曲だった。
そして初音合わせの日。
事前に何となく聞いてくれていたようで、しょっぱなの音合わせから
いきなり半分以上出来上がる。
正直予想外だった。
やはりレベルが高い人と一緒に演るのは非常に気持ちいい。
こっちがついていかなければといい意味のプレッシャーを感じる。
数回合わせただけでおおよその骨組みが完成する。
このとき他に何を合わせたか覚えてないが、心地良い緊張と初めて出会う
音作りの快感、そして得も言えぬ一体感を感じ、僕はこのバンドに過剰なぐらいの
期待を寄せる。
発起人としてやるべきことは他にもある。
まずはバンド名。
練習終了後のまったりとした時間の中で、バンド名の案をみんなで考える。
バカ話をしながら僕らは笑いあい、そしてギャグみたいなバンド名
「エリンギ」が誕生する。
次にすることはお披露目となるライブをどうするか考えることだった。
これまた偶然なのだが、前回の短命のビートルズコピーバンドにいたベースの人の
日記を読んでいると、とあるバンドを気に入っているとの記事が。
そしてそのバンドのHPを見ると、マネージャーらしき人が実は以前出会った人だったのだ。
そのバンドが「ワンダラスト」というバンドであった。
これまた偶然なのだが、例の茶話会で演奏していた彼、そしてキーボードの子と一緒に
やっていた彼は同一人物であり、またそのマネージャーとユニットを組んでやっていたのも
これまた彼だったのである。
つまり私のバンド人生は彼なくしては誕生しなかったと言っても過言ではない。
そんなつながりを感じながら僕はマネージャーにアポを取る。
そしてワンダラストの人たちと出会い、意気投合して初のイベント開催が決定された。
うちを入れて合計4バンドでの初イベントライブ。
またもや初ライブが初主催(厳密に言うと主催はワンダラストなので、初企画というべきか)。
我がバンドは目標を得たことで、急激な勢いで曲を作りあげていく。
初ライブまでそんなに時間はない。
しかもメンバーがそれぞれ他のバンドを掛け持ちしていたせいで
練習は月に1回。
それまでに曲を数曲用意し完成させなければならない。
互いに曲を持ち寄り、中には共作した曲も合わせてようやくライブで出来るほどの曲が完成する。
実際には時間がなかったのもあって、アレンジ的に完成には程遠かったが
まあ何とか形にはなった。
ライブ当日は、それぞれのバンドの意気込みもあって集客共に目標数値をクリアするほど
盛況のうちに終了した。
とても面白くエキサイティングなイベントで楽しかった。
その後エリンギは目標となるライブを設定し、それに向けて既存曲の調整及び新曲の取り組みと
少ない時間の中で密度の濃い時間を過ごすことになる。
フォトセッションもした。
レコーディングもした。
数回のイベントにも参加し、セッションバーではあるが初のワンマンも経験した。
持ち込んだ楽曲数は山のようにあったが、実際に形になったのは数曲。
その中でレコーディングして形にして残せたのはさらに数曲。
結果的にわずか2年あまりの活動となったが、シングル1枚、ミニアルバム1枚だけでも
残せたのはよかったな。
オリジナルバンドをして初めてわかったのは、自分一人の思いだけでは
誰もついてこないということ。
お互いにバンドへの思いと共通した考えの下に意思疎通が出来ないと
バンドとして成立しないということ。
1曲1曲に対してどれだけみんなが真剣に取り組み、構築していくことが
どれだけ意識を共有させることにつながるのかがわかった気がする。
妥協点はある程度高みにおくほうがいい。
どこかに面倒だとか、これでいいじゃん、という覇気の低下が
レベルを低下させ意識の共有の崩壊につながるのだということを
このバンドをしたことで初めてわかった。
もちろん、この曲に対してこのアレンジでいいと決定すれば、その時点で完成させてかまわない。
でもそうじゃないとき、もっとこうしたいという思いがそこにこめられているとき
そしてそれが伝わらないとき、僕はどこかにメンバーに対して遠慮していた部分があったのを
気付くか気付かざるか、意識の共有がそこで途絶えていたのに、気付きながらも止めることは
出来なかった。
もっとこうすればよかった。
もっと意見すればよかった。
やって後悔するのとやらずに後悔するのとでは
どっちが悔やまれるのか。
この場合、後者が該当するんだろうな。
一度フレーズのことで意見が衝突したことがある。
僕はアレンジについて自分なりの考えがあった。
まず曲そのもののイメージがある。
リズムはどうだ、どういう構成だ、どうメリハリをつけるのか。
これは作曲者の仕事。つまり設計図。
ある程度のイメージを伝えなければ工事には入れない。
まずリズム隊を構築する。
土台になる基礎なので、全体のイメージを把握してもらう。
骨組みが出来上がるとあとは味付けとなる。
リードギターやキーボードは装飾部分となる。
その装飾によって曲は彩り素晴らしいものとなる。
だからフレーズは演奏するたびに毎回違っているわけにはいかなかった。
ソロやオブリガードなどは決め手となるフレーズがほしい。
それによってその曲にはそのフレーズは欠かせないものとなり
そのフレーズだけでその曲が浮かぶほどインパクトの強いものにしなければならない。
家の土台はどの家も同じようなものだが、内装は家によって違う。
クラシカルなのかカントリーなのかシックなのかポップなのか。
そのあたりをうまく伝えられなくて衝突してしまった。
こういうとき説明下手は損だ。
またメンバーそれぞれの音楽環境が違うので
それらが相乗効果で絡み合えば、僕の引き出しにないフレーズやら
リズムなどがその曲に更なる変化をもたらす。
そういう意外性を期待していたのだが、やはりどこかお互いに遠慮があったのだろう。
意外性を期待していたのはどうやら自分だけだったのかな。
そしてそのあたりからバンド内に不協和音が鳴り響き
またバンド内の技術の差によって上手く機能しなくなった。
そしてわずか2年程度の活動を以って、エリンギは休止状態に入る。
実を言うと正式に解散宣言はしていない。
みんなの中では終わったことかもしれないけどね。
客観的に見ればバンドは失敗に終わったかのように見えるが
逆の発想でポジティブに考えると、バンドというものを牽引していくには
どうすればいいか、ということにおいて非常にいい経験だったのではないかと。
だからこのバンドで得たものは大きい。
素晴らしいバンドだった。
僕にとって最高のバンドだった。
みんなには悪いことしたと思う。
でも他のメンバーもこのときの経験は決して無駄なものではなかった、と思いたい(笑
今も彼らと交流があるが、その後結成したバンドを見てみると
エリンギで得た教訓を次のバンドで生かしているように思う。
実に楽しそうだ。
うらやましい。
だから僕もここで終わるわけにはいかない。
このバンドで得た教訓を生かさなければ、他のメンバーに申し訳ない。
相変わらず説明下手で自分ひとり空回りしそうな勢いだが
それでもいい。
エリンギという素晴らしいバンドの次のバンド。
プレッシャーだけど非常に楽しみでもある。
今度のバンドでは、このとき出来なかったことを思う存分やろうと思う。
メンバーがこのバンドメンバーであることを誇りに思えるようなバンドに。
そして今、私は新しいバンドを結成した。
名前もまだ決まっていないけど、方向性は決まっている。
そのうちお披露目するときもくるだろう。
まだまだ発展途上で荒削りだけど、面白くなりそうなバンド。
よし。
がんばろう。
以上、私の今までのバンド遍歴でした。
次はDTMのお話でもしようかなーなんて思ってます。
とは言っても専門的なことではなく、やっぱり過去の話になりますが
お付き合いいただければ幸いです。
では。
人は人との出会いによって成長し人生を形成していくものである
珍しく土日に更新。
第6章「音楽活動への復帰」
記憶が定かではないので、出来事が多少前後しているとは
思うが、なるべく思い出しながら書いていこうと思う。
何故ビートルズのコピーバンドなのか。
特に理由はなく、始めるなら昔を思い出して
ビートルズのコピーから始めてみようかなと思ったんじゃないかな。
そこでビートルズのメンバー募集をしている掲示板に何気に
書き記した。
「ドラム募集」と。
そしてベース加入希望の方の欄にも書き込む。
両方とも幾分も待たずに返信が来たと思う。
もちろん掲示板なので、相手の技量や容姿はわからない。
が、ひとまず顔をあわせることになった。
ネットで知り合った人とオンタイムで顔をあわせるのは初めての経験。
百貨店前で集合した我々は共に緊張した面持ちで初面会を済まし
近くの喫茶店で色々話し合った。
やはり好みが共通した者が集まると初めて同士でも話が盛り上がるもんだ。
いつのまにかバンド名まで決めていた。
後日リードギター予定の人を連れてスタジオに入る。
数曲合わせてみた。
が、なんだろう。
なんだかしっくりこない。
ドラムの人はなかなかに達者で、ピアノまで披露していたが
ベースがちときつい。
彼の歌も艶がない。
リードに至っては素人同然だった。
ん~。
スタジオの近くの喫茶店で一服しながら、あーだこーだ話してその日は解散した。
まあこれから練習していけばなんとなく形にはなるかな、と思いつつ
僕にとってはまだ様子見のところがあった。
そんなある日ベースの子のHPを見た。
なんと気の早い。
いつのまにかうちらのバンドのことが大々的に載ってある。
まだ何もしてないのに。
よほど嬉しかったんだろう。
でも逆にこれが僕を大いに引かせる要因になった。
おいおいちょっと待て、と。
先走るんじゃないよ。
まだ何の形も呈してないものをそんなに宣伝すんなよと。
一気にやる気が失せた。
皆で話し合った結果、僕は彼を解雇した。
悪かったとは思う。
後日彼を再会する機会があったが
あきらかに気まずい態度。
一応お互いに大人なので、それなりの配慮でそこは収めたが。
その後このバンドは2回目のスタジオを迎える前に消滅。
しばらく経ってからベースの子は自分でバンドを立ち上げたようだが
僕はまた引きこもることになる。
確か時期的にもこのあたりだっと思うんだけど
どうだったかな。
そこは小さいバーなのだが、セッションできるということで
友人がどこから仕入れてきたのか小さなチラシを元に
僕らはそこに向かう。
そしてなかば強引ともいえる形で僕らはセッションに参加した。
まあ当初よりそれが目的でもあったのだが。
しばらくぶりに弾いたギターは、やはり思うようには弾けず
まあそれでも何とかかんとか乗り切ったように思う。
その後僕らは割りと頻繁にこの店に通うようになり
幾多の人たちと出会うことになるのだが
元々皆から尊敬の眼差しで見られるようなプレイが
出来なかったうえに社交的ではないから
あんまり僕のことは覚えてないとは思う。
それでも別に僕はかまわないんだけどね。
でもこのときのセッションがきっかけだったと思うんだけど
本当に何年かぶりに僕はギターを購入した。
エピフォンカジノ。
何本目かな?
1本目・・・中学1年のときにダイエーで購入したフォークギター。
2本目・・・中学生の終わり頃リサイクルショップで購入したフェルナンデスのギター。
3本目・・・友人からもらったフェンダーのストラトキャスター。
4本目・・・初めて楽器店で買ったSG。メーカーは忘れた。グレコだったかな。
5本目・・・タカミネの12弦のアコースティックギター。
その次だから6本目になるのか。
上記のSG以外はまだ所有している。
リサイクルショップで買ったフェルナンデスのギターは、塗装をはがしナチュラルバージョンで
つい数年前まで使用していた。
SGは友達に貸してそのまんまどこに行ったか消息不明。
気に入ってたのに・・。
まあ6本目となるカジノは非常に弾きやすいギターで
今でもお気に入りの1本。
安いわりに音は悪くない。
しばらくの間、このギターが僕のメインとなる。
その後DTMでビートルズコピーをしたり、オリジナルを作ったり
先ほどのバンドで一緒だったドラムの人から誘われて
イベント出演のためのビートルズコピーバンドに参加したりしていた。
このバンドは先ほどのバンドより遥かにしっくりきた。
というより音楽になってた。
ドラムもベースも、そしてなによりギターがよかった。
キャラクターもいい。
僕にとってはドラム以外は初めて会う人たちだったけれど
わりとすぐ打ち解けることができた。
唯一の難点は、ドラムとベースの奪い合いがあったことぐらいか(笑
イベントに出演するにはテープオーディションに合格しなければならない。
5~6曲程度練習して応募した結果、落選。
いけんじゃねーか?と思ってただけに残念。
これにより目的を失ったこのバンドは解散。
しかし僕はこの人たちとこれで終了するのがもったいないと思った。
そこで以前からオリジナルをしたいという話で盛り上がってたベースの人に
「一緒にオリジナルバンドしませんか?」
と声をかける。
もちろん彼もその気満々。
即答で決定。
しかし僕の本来の目的は彼よりもギターの人にあった。
ここで知り合ったのも何かの縁。
これで離れ離れになるのはもったいない。
同じようにオリジナルバンドに誘う。
一旦保留ということでその日は帰ったと思う。
ちなみにドラムの人にも同じように誘ったのだが
彼はオリジナルバンドはしたくないということで断られた。
後日、ギターの人から参加表明を受け、僕は他のメンバー集めに奔走する。
そうそう、思い出した。
この後キーボードの女性が参加するのだが、彼女との初めての出会いは
彼女がやっていたユニットに僕の古くからの友人が参加していたのが
きっかけだった。
その友人というのが、僕がバンドを始めるきっかけとなったあの茶話会で
キーボードを弾いていた奴だったのだ。
彼との逸話は山のようにあるがそれはまた後々お話するとしよう。
実はそのキーボードの彼女のライブのときに紹介された彼女の友人の女の子と
僕をセッションバーへ連れていった友人と僕の3人でユニット組もうぜ!という話になり
その日の打ち上げは大いに盛り上がった。
バンド名は「IMO」。
ただの芋焼酎からきたイモをアルファベットに置き換えただけである。
そしてそれぞれイモンヌ、イモーキー、イモレモンなどと名乗り
活動する、予定だったのだが、ボーカルの彼女「イモンヌ」の歌声を聴いて
謎のユニット「IMO」は活動しないまま終了した(笑
ありゃ歌じゃねーよ(笑
とまぁ、そんなギャグみたいなこともありながら僕はそのとき出会ったキーボードの子に
声をかけ、一緒にバンドをしないか?と持ちかける。
彼女はその場で即答してくれた。
そしてセッションバーで知り合ったドラマーを引き入れ
新しくオリジナルのバンドがめでたく結成された。
その名を「Eringi」
次回は第7章「エリンギ」
僕が僕であるようで僕でない感覚
第5章「遠ざかった音楽」
僕は20歳を迎えた。
仕事は順調でいつの間にかチーフクラスにまで昇進し
仕事をするのが楽しくて仕方がない時期だった。
この頃僕は音楽から遠ざかり何もしてなかった・・・。
と、いうわけでもなかったんだな、実は。
バンドが消滅してから、本格的なバンドは確かに遠ざかっていたけども
その間まったく活動してなかったわけではない。
会社の人たちと飲み会や慰安旅行のたびにメンバー編成し
バンドもどきのことはしていた。
数回あわせただけの簡易的なバンド。
飲み会のイベントというだけのもの。
正直言ってほとんどやる気はなかった。
覚える気もなし、演奏するのも適当。
やりたくなかった。
こうして僕の演奏レベルはどんどん低下していく。
以前ならフレーズなど考えなくても弾けたのに
今じゃどのフレットがどの音階かすらも瞬時に出てこなくなった。
右手と左手のバランスが悪くなり、爪弾いてもよくひっかかることも多くなる。
一時、感動も薄れ、心と体が別々になっていると感じた時期があった。
僕の中では自分という存在が二人いるような感覚。
命令に対し、体が反応しない。
20歳前後までの自分とそれ以降の自分では完全に別物と言っても
相違ないぐらい違うものになっていた。
以前の自分は想像力にあふれ、自分の意思と体の反応が一致していた。
何故だ。
まるで人が入れ替わったかのような感覚。
実は今もその不具合というか、自分が自分でない感覚に襲われるときがある。
原因は不明。
そしてこれは今はじめて告白する事実。
そこから自分の作る曲が変わった。
バンドというものはしなくなったが、そのかわり録音に夢中になった。
ちょうどHDDタイプのMTRが出始め、パソコンが一般家庭に普及し始めた頃。
僕は友人が購入した最新式のMTRを使って新曲の録音を始めた。
以前の曲とは比べ物にならない録音精度。
しかもシーケンスソフトまで導入。
画期的だった。
ここからDTMにはまりこんでいく。
曲は腐るほど出来た。
それも自信のクオリティ。
あきらかに以前の曲よりレベルアップしている。
コード進行も変化し、アレンジも時間をかけて考えるようになった。
バンドじゃないから、自分一人で作りこむから
DTMは私にぴったりな世界。
キーボードなど持ってないから全て手入力してたせいで、1曲完成させるのに
だいたい1ヶ月ぐらいはかかっていたと思う。
ただ残念なのはミキシング知識がなかった。
またそれを知る術もなかった。
でもそれはそれで楽しかった。
作りこむマスターベーションに満足していた。
つまりこの数年間、僕はバンド活動をまったくしておらず
たった一人で、誰も聞いてくれる人のいない環境で
ただコツコツと曲を作り続けていた。
セッションとか弾き語りとかはいくつかやった覚えはある。
どれも満足するものは何一つなかったけども。
バーとかスナックとか仲間内だけでしかやってなかったから
腕はどんどんにぶるだけ。
この頃になるとコード弾きしかせず、ほとんどソロを弾くことはなかった。
正直もう興味はなかった。
だけど作曲へのこだわりや情熱だけはどんどん進化していった。
メロディアスで面白みのある展開、複雑で意味深な歌詞、
ありきたりじゃない知的な曲を作り出すことだけに集中していた。
曲を作ることが果てしなく面白かったのだ。
つまり私の音楽的なポジションが、プレイヤーから作曲者へと
変化していった時期でもある。
時間にして小学生1年生が中学校へ進級するぐらいの期間
僕は潜伏したままだった。
誰も聞くことの無い曲をただ一人で作り続ける日々。
たまに飲み屋でセッションや弾き語りする程度。
でもそれは突然、何の前触れもなく自分に襲いかかる。
「バンドをしたい」
本当に突然だった。
何がきっかけだったかもう覚えてないけど、僕は何故かそう思った。
たくさん作り続けていたオリジナルをバンドでしてみたかった。
バンドという形の中で、ひとつの曲を作り上げていく過程を経験したかった。
自分とは違う感性を感じ、強烈な刺激を受けてみたかった。
そしてそれが自分の感性にどう生かされるのか、
自分の知らない新たな可能性を引き出してくれるのか、
僕は知りたかった。
感じたかった。
ある日僕はメンバーを募集する掲示板を見ていることに気付く。
そしておもむろにネットの掲示板でこう書き記した。
「ビートルズのコピーバンドを一緒にしませんか?」
次回は第6章「音楽活動への復帰」