ここ数週間は、5分の休憩すら取れないほどの激務続きでした。本日、ようやく一区切りがついて、今日の午後はブログの更新も含め、後回しにしていたことに着手しております。

さて、私事で恐縮ですが、1月30日に私の妻が文と絵を手がけた絵本『さいごのぞう』が完成しました。



「さいごのぞう」という言葉を聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょう?
失礼な言い方かもしれませんが、ピンと来ない人がほとんどじゃないかと思います。
ゾウが絶滅の危機にあるという話が、ほとんどの人に知られていないからです。

ゾウの生息数は、人間のわずか0.7%。人間が増え続けているのに対し、減少をし続けています。あんなに大きな身体を持ち、性格的にも穏やかで、肉食獣に襲われることもないゾウが、なぜ絶滅の危機に直面しなければならないのでしょうか。

原因は人間にあります。無秩序な自然破壊と開発、象牙を目的とした乱獲…。ぞうが安心して住める土地は、4000年前の6%になったと言われています。この状況が改善されなければ、この世からゾウが消えてしまう日、「さいごのぞう」の物語が真実になってしまう日が来るかもしれません。

この絵本は、そんな妻の思いを形にしたもので、NPO法人トラ・ゾウ保護基金さんとキーステージ21さんの協力を得て、世に送り出されました。

動物が安心して住めない世界とは、きっと人間にとっても住みにくい世界なのだと思います。ゾウの幸せのためにも、自分たちの幸せのためにも、このテーマについて深く考えてみる価値はあるんじゃないでしょうか。

「さいごのぞう」が一人でも多くの人のもとへと旅立ち、その役割を果たしてくれることを祈っています。

■絵本『さいごのぞう』Amazonサイト
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4904933028

■絵本『さいごのぞう』公式サイト
http://www.keystage21.co.jp/saigonozou/

■HONYA CLUB
http://www.honyaclub.com/shop/g/g15962708/
日本国民が戦争と戦力の放棄を謳った憲法9条を保持していること対し、ノーベル平和賞を贈ろうという動きが、ネット上で出ているらしい。

憲法改正を掲げる安倍政権に反対する政治的な動きでもあるのかもしれない。ただ、この条文が世界的に見ても、極めて希少価値を持ち、少なくとも第二次世界大戦後の日本に長期の平和をもたらした立役者であることは、間違いないであろう。

憲法9条は「奇跡の条文」だと思う。
戦前の大国主義からは想像もできないし、戦後も朝鮮戦争の兆しが見え始めていたら、その制定は実現しなかったに違いない。

この条文があるおかげで、日本は多くの戦争に参加せずに済んできた。朝鮮戦争にも、ベトナム戦争にも参加せずにすみ、他国の恨みを買わずにすんだ。イラク戦争でも、戦線には兵を送らずに済んだ。米国の度重なる協力要請にも「憲法があるから」の一言で、断り続けることができた。

その間、日本は国家予算の多くを経済振興につぎ込むことで、発展を遂げてきた。そう考えると、日本という国の形を作ったのは憲法9条である、との見方すらできる。

戦争とは戦力の奪い合いであり、敗れた国の戦力は、勝った国の戦力に吸収される。それ故、戦力を保有する国ほど、仮想敵国としてみなされやすい。その意味でも、憲法9条の「戦力放棄」は、戦争抑止の究極のウルトラCだとの見ることもできる。

とはいえ、憲法9条という無形資産が、ノーベル平和賞に馴染むのかどうかは、私もよく分からない。ただ、そんな奇跡の条文であることは、日本人として認識しておきたい。
私はテレビを見ない。週に平均、おそらく10分も見ない。テレビをつけるのは、お気に入りのスポーツが流れている時くらいで、バラエティやドラマの類は、一切といってもよいほど見ない。

なので、このテーマを論じる上で、少々浮世離れした話になるかもしれないが、その点はご容赦いただきたい。

「明日、ママがいない」というドラマをめぐって、「赤ちゃんポスト」を設置する熊本市の慈恵病院が、日本テレビに放映中止を求めたという。

ドラマの内容が「預けられた子どもを傷つけ、精神的な虐待、人権侵害になる」というのが、慈恵病院の主張であり、放送倫理・番組向上機構(BPO)に訴えることも検討しているそうなので、その憤りはかなり大きいのだろう。

テレビ番組の内容について「不適切だ」などの議論が出るたびに、私はよく「嫌なら見なけりゃいいのに」と思ってしまう。「テレビをつける」「チャンネルを合わせる」という二つの選択肢を取らなければ、そんな不快な思いをすることもない。

ただ、こうした騒動を見ても、テレビというメディアが、とてつもない影響力を持っていることを思い知らされる。これが、一出版社が出した書籍、漫画などであれば、こんな騒動になることはない。テレビだからこそ、その甚大な影響力を看過できないというのが、慈恵病院関係者の主張であろう。

「表現の自由」とは、果たして何なのか。原発に「賛成」という人間もいれば、「反対」という人間もいる。憲法9条改正にしても然り。多様な意見があり、各々が自由に主張すればよい。自民党を支持するチャンネルがあってもよいし、民主党を支持するチャンネルがあってもよい。はたまた、政治は無関心で、お笑い番組ばかり流すチャンネルがあってもよい。

事実、出版業界は、そうしたガラパゴス化の上に成り立っており、そうした価値観の多様化こそが、世論の絶妙なバランスを保っているようように思う。似たような論調の本ばかり並べば、思想統制が進んでしまう。

問題は、テレビが出版業界と違って、放送局数(視聴者から見る選択肢)が限られており、その影響力が絶大すぎるという点であろう。テレビ業界が、CS放送のようにガラパゴス化していれば、慈恵病院の関係者だって、さほど目くじらを立てなかったに違いない。

一つの番組が、それだけの影響力を及ぼしてしまうテレビ業界の構造、それこそが一番の問題なのだろうと思う。