皆様、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。
昨年は1年間、忙しさに感けて一度もブログを更新できずじまいでした。
今年は、毎月少しずつでも更新していきたいと思っているので、お時間があれば是非ご笑覧ください。
今年の正月は、久々にまとまった休みが取れたので、3日ほど大津の実家に帰省しました。妻は6日からの展示で忙しく、私一人での帰省…。そんな状況もあって、両親はいつにも増して、実にさまざまな話をしてくれました。
その中でも、非常に興味深かったのは、佐藤家にまつわる数々のエピソードです。
父方の先祖は、山形県鶴岡市の下級武士だったそうで、私の祖父の祖父(ひいひいおじいさん)の写真なるものも、発見されました。

【佐藤兵蔵】
写真の裏には、「佐藤兵蔵、明治38年、61歳」とありますので、この方は明治維新を23歳で迎えた計算になります。鶴岡のある庄内藩は、いわゆる「賊軍」で、戊辰戦争で薩摩や長州などの新政府軍と戦っった側。この方が、どんな人生を送ったのか、とても気になります。
母方の先祖は波瀾万丈。祖父はもともと、仙台藩家老に属する登米の名家に生まれたものの、明治維新後の変革の中で父親(私の曽祖父)が財産を失い、兄弟たちとともに養子に出されたそうです。
下の写真は、祖父が旧制中学にいた頃と思われる一枚。後列右から2人目が祖父です。

【高須賀家の人々】
前列右から3人目が、高須賀啓四郎さんといい、祖父を養子として引き取った方です。私はずっと、祖父の実父と思っていたのですが、血のつながりはなかったのですね。
ちなみに、前列右端が、啓四郎さんの姪(めい)なのですが、後に祖父と結婚しました。すなわち、私の祖母です。二人が結婚して、私の母(長女)が生まれたとき、啓四郎さんは、たいそう喜んだそうです。
なお、啓四郎さんは、自身が子どもの頃に父親が後妻さんと共に行方をくらましてしまったとのこと。きっと、苦労した人だったんでしょうね。
父や母の話を聞いていても、明治から大正、昭和にかけて、日本はすさまじい勢いで変化し、先人達が多くの苦労を払ってきたことがよく分かります。
下は、佐藤兵蔵さんの写真から109年が経った現在の佐藤家(姉の一家と共に)。

【佐藤家(2014年正月)】
父は現在80歳、母は74歳。元気なうちに、少しでも話を聞いておきたい、聞いておくべきだなと思った、そんな正月でした。