原作を読んでいるのだから、さほど感動することもないだろう…なんて思いながら見ました。

その予測は大いに裏切られました。

映画の半ばから大号泣。涙が頬を伝ってアゴからポタポタと落ち続けていました。

映画は、原作とは細かな部分で異なっていましたが、むしろ物語の本質を的確に捉え、一般の人にも分かりやすく描かれていたように思います。

戦争賛美の要素もなければ、平和主義の押し付けもなく、先の太平洋戦争とは何であり、特攻とは何だったのかを、フラットな視線で現代の人たちに問い掛けてくれる映画だったと思います。

主役の岡田くんは、以前からお気に入りの役者だったのですが、ますます好きになりました。かっこ良すぎでしょ。
皆様、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。

昨年は1年間、忙しさに感けて一度もブログを更新できずじまいでした。
今年は、毎月少しずつでも更新していきたいと思っているので、お時間があれば是非ご笑覧ください。

今年の正月は、久々にまとまった休みが取れたので、3日ほど大津の実家に帰省しました。妻は6日からの展示で忙しく、私一人での帰省…。そんな状況もあって、両親はいつにも増して、実にさまざまな話をしてくれました。

その中でも、非常に興味深かったのは、佐藤家にまつわる数々のエピソードです。
父方の先祖は、山形県鶴岡市の下級武士だったそうで、私の祖父の祖父(ひいひいおじいさん)の写真なるものも、発見されました。

佐藤兵蔵
【佐藤兵蔵】

写真の裏には、「佐藤兵蔵、明治38年、61歳」とありますので、この方は明治維新を23歳で迎えた計算になります。鶴岡のある庄内藩は、いわゆる「賊軍」で、戊辰戦争で薩摩や長州などの新政府軍と戦っった側。この方が、どんな人生を送ったのか、とても気になります。

母方の先祖は波瀾万丈。祖父はもともと、仙台藩家老に属する登米の名家に生まれたものの、明治維新後の変革の中で父親(私の曽祖父)が財産を失い、兄弟たちとともに養子に出されたそうです。

下の写真は、祖父が旧制中学にいた頃と思われる一枚。後列右から2人目が祖父です。

高須賀家の人々
【高須賀家の人々】

前列右から3人目が、高須賀啓四郎さんといい、祖父を養子として引き取った方です。私はずっと、祖父の実父と思っていたのですが、血のつながりはなかったのですね。

ちなみに、前列右端が、啓四郎さんの姪(めい)なのですが、後に祖父と結婚しました。すなわち、私の祖母です。二人が結婚して、私の母(長女)が生まれたとき、啓四郎さんは、たいそう喜んだそうです。

なお、啓四郎さんは、自身が子どもの頃に父親が後妻さんと共に行方をくらましてしまったとのこと。きっと、苦労した人だったんでしょうね。

父や母の話を聞いていても、明治から大正、昭和にかけて、日本はすさまじい勢いで変化し、先人達が多くの苦労を払ってきたことがよく分かります。

下は、佐藤兵蔵さんの写真から109年が経った現在の佐藤家(姉の一家と共に)。

現在の佐藤家(2014年1月)
【佐藤家(2014年正月)】

父は現在80歳、母は74歳。元気なうちに、少しでも話を聞いておきたい、聞いておくべきだなと思った、そんな正月でした。
もうあと24時間ほどで、2012年が終わろうとしています。

今年は昨年と比べると仕事を多くいただけて、ある意味では充実した1年でした。

その代わりに、ブログやFacebook、Twitterの更新を始め、やるべきことが何かとできなかった一年でもありました。

新たな人との出会いもあり、一方で懐かしい人との再会もありました。

そして、仕事でも色々な領域にチャレンジできた一年でした。

しかし、一抹の寂しさもあります。いわゆる社会活動的な、仕事外の活動に参加できなかったことです。

例えば、被災地支援の活動、犬猫殺処分撲滅の活動、生涯学習的な活動などに参加したいなという思いは、以前から持ち続けています。


でも、とにかく余裕がない。仕事を前倒しても、次から次へと新しい何かが飛び込んでくる。

2012年はそんな一年でした。

考えてみたら、贅沢な話です。でも、仕事ばかりではなく、他人の役に立つ何か、他人が喜ぶ何かをしたいんですよね。


40にもなって、少々青臭いことを言うようですが、この歳になったからこそ、思うことのようにも思います。

でも、頼まれた仕事を断るのは、お金や生活の問題を抜きにして、出来ない性格なんです。

まあ、仕事をすべて、納期通りに収めたことは、「誰かの役に立った」ことと同義だと、自らに言い聞かせることにします。

でも、来年はもう少し、文化的な一年にしたいなぁ。

そんなことを思いつつ、2012年の最終日を迎えようとしています。

本年は、いろいろとお世話になりました。

皆様にとって、2013年が自分らしく生きられる1年になりますことをお祈りしております。

2012年12月30日

佐藤明彦




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