サッカーW杯決勝トーナメント。

ベスト8に進出した日本は、PK戦でドイツを下し、準決勝へ。相手はブラジル。先制されたものの、後半の終了間際に奇跡的に追いつき、試合は再びPK戦へ。

日本は1人目のキッカーが外し、1ゴールのビハインド。すると、監督が、ピッチサイドで見ていた私の所へやって来て一言。

「4人目のキッカーはお前だ。頼むぞ!」

えっ!?オ、オレ!?ど、どういうこと!?
PKなんか蹴ったことがないどころか、サッカー選手じゃないんですけど…。

なんて考えているうちに、自分の番に。スタジアムは大歓声。
右へ蹴るか、左へ蹴るか。左と見せかけて右へ蹴るか…どうしよう…あわわわわ。ちゃんと蹴れるんだろうか。どうしてこうなっちゃうの‥・だ、だれか助けて~~~~



………と、叫び声をあげようとしたところで、目が覚めた。
全身、汗びっしょり。どうやら夢だったらしい。

私の場合、こんな「疲れる夢」を見ることが多い。包丁を持った男に追いかけられたり、両手をバタバタさせながら空を飛んだり、いずれも絶体絶命の場面まで来ると目が覚める。

特に多いのが、絶対に自分とは無関係な出来事の「当事者」となってしまう夢。

これまで、空港から飛び立った飛行機をぼんやりと見つめていると、その飛行機が失速・墜落してしまい、なぜか「オレのせいだー」と頭を抱え込むという夢を3回ほど見たことがある。

今回のワールドカップの夢といい、お前は一体何様なんだと、ツッコミたくなる。きっと、自意識が過剰なんだろう。どうせ見るならもう少し楽しい夢を見たいものだ…。
昨日、実家の母親から電話がありました。

「あなたの高校時代の同級生のK君って人から電話があったわよ。1月に同窓会をするそうで、その連絡先を教えてほしいって。携帯の番号を教えておいたけど、いいかしら?」

K君とは、高校3年生の時のクラスメイト。とにかく、明るくひょうきんなヤツで、クラスのムードメーカー的な存在でした。

「もちろん、問題ないよ」

その昔、K君のことを「面白い子ね。」と言っていた母親ですが、さすがに20年が経って、忘れてしまったようです。20年というのは、それだけの年月なんでしょう。

その後、夕方にK君から電話がありましたが、ちょうど週に一度の料理タイムだった私は、出ることができませんでした。すると、続いて携帯メールが入りました。

「Kです。高校の同窓会のことで連絡を取りたいので、電話ください」

不思議なもので、そのメールを見た私は、懐かしさ、嬉しさの反面、多少の煩わしさも感じてしまいました。

高校卒業から20年、最後に会ってから15年、その間一度も連絡を取っていない“同級生”と、どんな会話をすればいいのでしょうか。長い、空白の時間を超えて、あの頃のようにバカ話ができるんだろうか…。

少しためらいながら、夕食後、Kに電話をしました。

「もしもし!」

聞こえてきたのは、少し年齢を重ねた、あの頃のまんまの弾むようなK君の声。その声が聞こえてきた途端、自分の中にあったモヤモヤがすべて吹き飛び、まるでタイムスリップしたかのように、あの頃の自分に戻っていました。

K君は今、地元で高校の教員をしているとのこと。それから約10分ほど、お互いの近況、友人の情報などを交換し合いましたが、とにかく嬉しくて、楽しくて、感慨深い時間でした。

高校を卒業してから約20年。高校時代、共に過ごしたのはたかが1~2年のことですから、二人の間にはその10倍以上もの空白があります。にもかかわらず、一瞬にして“あの頃”に戻れるのは、まるで魔法にかかったかのようです。

生きていると色々な繋がりができ、絆が生まれます。その糸は、切れたと思っていても、どこかでつながっているんですね。

あの頃と変わらぬトーンで電話に出てくれたK君に、感謝。
弊社が事務局を務めている教員採用試験対策講座「ぷらすわん研修会」の第1クール、全8回が終了しました。

毎回30名ほどの方々にご参加いただき、金山先生、小川先生の熱心な指導のもと、熱い講義が繰り広げられ、実に充実した研修会でした。

第7回、8回の研修会では、受講者による「模擬授業」が一人ずつ行われました。果たして、その腕前とはどんなものかと思って見ていたのですが、正直なところ、そのレベルの高さに驚かされました。

よく通る声の張り、柔らかな表情、子どもへの小気味良い発問、てきぱきとした板書・・・。どの受講者の授業も、一定水準以上に達しているように見えました。

$TEACHERS ”OFF”LINE-「ぷらすわん研修会」模擬授業
↑模擬授業の様子。皆さん、本当にExcellentでした。

もちろん、現役の先生が見れば、不十分な所も多々あるのでしょう。でも、まだ教職に就いてもいない人が、これだけの授業ができることに、受講者の方たちの並々ならぬ努力と熱意を感じました。

努力と熱意だけではありません。おそらく、この方たちの多くは、良き教師となる上での“素質”を持っているのだと思います。

しかし、彼ら彼女らも、全員が今年、採用試験に合格できるかといえば、そう簡単な話ではありません。おそらく、力がありながらも、涙をのむ方だっているでしょう。

それは資質能力の問題ではなく、競争率の問題です。倍率が下がってきているとはいえ、未だ教員採用試験の多くが“狭き門”であることに変わりはありません。

ふと、思ったのですが、これだけの逸材がしのぎを削り、厳密かつ慎重に採用選考が進められる中で、未来の「指導力不足教員」など、果たして生まれ得るのでしょうか。少なくとも、「ぷらすわん研修会」の受講者たちが、将来そうなる姿というのが、私には想像できません。

もし、そうなってしまうケースがあるとすれば、それ環境的要因、すなわち管理職や同僚教員、あるいは保護者が、そうさせてしまうんじゃないか…、そんな風に思いました。

今、学校は大変な時代を迎えています。保護者のプレッシャーは強く、子どもも多様化し、学級を経営のは容易ではありません。本会の小川先生のように、面倒見のよい先輩教員も、昔ほどいなくなっています。

そんな中で、誰も頼ることができずに孤立し、自らが見えなくなり、塞ぎこんでしまう若手教師も多いと聞きます。指導力不足教員が生まれる背景も、あるいはこのプロセスに似ているのかもしれません。

昨日、最終回が終わった後、「ぷらすわん研修会」では、講師の先生方に「感謝する会」が行われ、師弟の絆を深めると同時に、受講者の方々同士の親交を深めました。

こうしたつながりや絆は、これから教師に人たちにとって、この上なく大切なことで、本当に素晴らしい会だったと思います。

微力ながら、弊社がそのお手伝いをさせていただけたことを嬉しく思います。