ここ数年、Twitterが一気に普及してきたことから、このメディアにまつわるトラブルなども、よく耳にするようになりました。

特に、有名人が不用意な一言をつぶやいてしまったことから「炎上」したり、著名人の言動を一般人がつぶやいてしまったことから騒動になったりと、態様はさまざまです。

ブログやmixiなども、大なり小なり同様のトラブルが多々起きていますので、これは交流型のWebサービスが抱える宿命とでもいえるのかもしれません。

こうしたトラブルで叩かれるのは、決まって氏名を明らかにして、実名で参加している著名人たちです。そうしたいわゆる「公人」を、名前を伏せて匿名で参加している一般人が、言いたい放題叩きまくるという構図は、どこか不公平な気もします。

中には集中砲火を浴びて、Twitterから退場する人もいて、少々気の毒に思います。

もちろん、「匿名」だからこそ、日ごろ言えないことをつぶやけるのであり、それがこうしたメディアの醍醐味といえば、そうなのかもしれません。

でも、何か政治力があるわけでもない人の何気ない一言のあげ足をとって、それを袋叩きにするのは、どこか教室で繰り広げられる陰湿な「いじめ」にも似ています。

もちろん、批判をすべて封印すべきと言うつもりはありません。大切なのは、自身の書き込みが、小さいとはいえ一メディアとして、影響力を持っているのだという意識を持つことです。

巨大メディアである新聞やテレビだけでなく、個々人がそうした意識をきちんと持つことこそが、これからの時代を生きる人に求められるメディアリテラシーではないかと思うのです。
ここ数年、料理が好きで、ここのところは毎週末、何かしらの料理を作っています。

先週はドライカレー、その前はホイコーロー、その前はガパオ・・・といった具合に、ジャンルは幅広く、どれも1時間~1時間半ほどかけて、けっこう本格的に作っています。

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▲写真は先週末作ったドライカレー。ゆで卵のいびつさはご愛嬌ということで・・・

料理をしていると、普段とは頭の違う部分を使うせいか、なかなか心地良いものがあります。普段の仕事とは違って、一つひとつの作業を着実にこなしていけば、必ず完成・ゴールに至るプロセスも、楽しい理由の一つかもしれません。

でも、考えてみたら、私の料理なんぞ趣味の領域を超えません。週に一度、レシピに書かれた食材を一通り買ってきて、手順通りに作るなんて、誰にだってできることです。ある程度の味になるのも当然です。

家庭の主婦は、冷蔵庫などに余っている食材を確認した上で、栄養分や経済性を考え、毎日の食卓をコーディネートするわけですから、すごいものだと思います。

ふと思ったのですが、このことは「教育」にも相通じるのではないでしょうか。週一回の料理屋である私は、例えていえば「ゲストティーチャー」のようなもの。お膳立てした料理を「美味しい」と言ってもらえるのは、いわば当たり前のことです。

本当にえらいのは、子どもたちの状態、学習の進度などを頭に入れながら、年間200日以上にも上る授業や活動を組み立てている先生方です。

新聞やテレビでは、ユニークな教育実践が取り上げられ、脚光を浴びている先生方も少なくありません。でも、むしろ大切なのはら、日々の授業を着実にこなし、子どもの糧となる成果をコンスタントに上げていくことなのだと思います。
毎年6月ごろ、全国各地の学校で「教育実習生」の受け入れが行われます。「教員免許」を取得する人は、実際に教員となる人の数倍から数十倍にも上りますから、実習生の数は相当数に上ります。

世間的にはあまり知られていませんが、実習生の受け入れは、各学校の裁量に任されています。すなわち、制度上は、受け入れても、受け入れなくてもよいのです。

実習生の受け入れは、学校にとっては結構な負担です。授業の進度にも遅れが出ますし、学級づくりにも影響が出ます。「できれば勘弁してほしい・・・」と思っている先生方だって、少なからずいるでしょう。

でも、実際にはほとんどの学校が、快く(しぶしぶながら?)実習生を受け入れています。それは「少しは我慢してでも未来の教師を育てよう」という古き良き慣習・伝統が、公立学校の中にあるからだと思います。

でも、最近はトラブルも多いと聞きます。知人の大学教授は、毎年6月になると「お詫び行脚」をすると言っていました。受け入れ先の学校で、実習生が実にさまざまなトラブルを起こすからだそうです。

「トラブル」の中身はよく分かりませんが、免許取得だけが目的な人の中には、場をわきまえなかったり、学校の秩序を乱したりする人が多いのかもしれません。中には指導する教員の言う事を聞かず、自分勝手に教えたいことを教えてしまう実習生もいるそうです。

もちろん、多くの実習生はまじめに取り組んでいます。でも、そんな実習生においても、学校のセオリー、職員室の文化を把握していなかったがために、とんだ失敗をしでかすことがあります。これは、ある意味で「不可抗力」だと思いますが、子どもを預かる先生方にとっては冷や汗ものでしょう。

一方で、教育実習を終えて、すっかり教師への熱を失ってしまう人も少なくありません。特に多いのが「子どもは可愛いけど、先生方との人間関係が・・・」というパターンです。実際、何人かの実習生から、そんな話を聞きました。学校には「戦場」のような慌ただしさがありますから、お客様気分で来た人の中には、ぞんざいな扱いに不愉快だと感じる人がいるのかもしれません。

問題の根源は、実習生の理解不足にあります。学校が、そういう場であることを肌で感じ取れれば、トラブルは減り、実習もスムーズに進むことでしょう。でも、日ごろほとんど学校と縁のない大学生が、学校の「職場事情」や「文化」を理解するのは、難しいものです。

座学を中心にカリキュラムを消化し、実践は「ぶっつけ本番」の教育実習のみ、しかも2~4週間という短期間という現状の教員採用システムは、無理があるのではないか…。最近、そんなことを思います。

とはいえ、教育実習の期間をこれ以上長くするのは、学校の負担が大きく、現実的ではないでしょう。ならば、例えば教育実習とは異なる、もう少し緩やかな形(ボランティアや指導員など)で学校と携わる期間を設け、ある程度のレベルまで学校の事情や文化を理解した後に、本実習で授業を持つという仕組みは、作れないものでしょうか。

学校の負担を軽減する意味でも、未来の有望な教師を確保する上でも、教育実習のあり方を変えていく必要があるのではないかと、私は考えています。