「宗教嫌い」への一石を投じて「エル・カンターレ信仰」を推す! | 「BLAST塾長日誌」

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こんにちは、BLAST塾長、吉田憲司です。

 

世の中の「宗教嫌い」の方に向けて、一石を投じてみようという試みです。

 

しばらく、お付き合いください。(最後まで、特に赤字の【注意】までお読みくださいね、)

 

 

「宗教嫌い」だけでなく、「宗教不要論」の話題を、最近、よく耳にするのです。

 

こんなに身の回りに、神社やお寺のある国なのにオカシイなぁ、と思っているのです。

 

〝この国から精神性を排除したい〟と思っていたり、〝宗教はアヘン〟と考える方々の勢力が増しているのかなと、考えてはいます。

 

世界全体を、そちらの方向へ持っていきたいという〝唯物論的無神論〟というやつでしょうか。

 

現在、ある意味、世界は「神を信じる者たち vs 信じたくない者たち」で分断されているのが、事実でしょう。

 

 

本来、日本、そして、日本人の持つ精神性の高さは、他国と比べても決して劣ることもないもの、と信じたいところです。

 

ところが、一昨年の、安倍総理暗殺の犯人とされた男性の境遇が〝宗教二世〟であったあたりから、宗教に対する風当たりが、特に強くなってきたように思います。

 

もっとも、昭和の時代、いやもっと前から、〝新興宗教叩き〟というのには、事欠きません。

 

「いいものもあれば、そうでないものもある」といった面もあるため、それも否めませんが…

 

そういう状況は、十分にわかっています。

 

こちらも、〝宗教であれば、全肯定〟というわけではありません。


 

また、現在、パレスチナ・イスラエルで続いている戦闘が、〝イスラム教 vs キリスト教〟ということも後押しするように感じています。

 

だから、「宗教は嫌い」「宗教は必要ない」「宗教は古臭い」という結論になるということも、理解はしているつもりです。

 

宗教までいかずとも、「神秘思想」や「スピリチュアル」に少しふれてみたい、また、その雰囲気を醸し出したいという方々が「NRBS(Not Religious But Spiritual)」(宗教的でないが霊的なものは信じる)の中にあるということも同時に、理解はしています。

 

 

そこで、どういったことが、「宗教嫌い」「宗教不要論」の方の、依って立つところなのかと考えてみました。

 

推測にしか過ぎませんが、次のような感じではないでしょうか。

 

・〝宗教があるから、戦争もある〟

・〝神や宗教の概念は、人類を統治するためのもの〟

・〝神も、天国・地獄も、見てきた人はいない〟

・〝宗教は、弱者からの単なる集金システム〟

・〝宗教でなく、科学的真理がすべて〟

・〝この世がすべて、死んだら終わりっしょ〟

・〝生きている間が、楽しければ、それでいいのよ〟

 

などなど…

 

必ずしも、正確性は期待できませんが、ChatGPTにも訊ねてみようと思い、「現代人に、宗教が嫌われる理由 箇条書きで」と投げかけて返ってきた答えと合わせると…

 

・〝神も、天国・地獄も、見てきた人はいない〟

・〝宗教でなく、科学的真理がすべて〟

 

科学との対立: 

現代社会では科学と技術の進歩が著しく、宗教と科学の見解が対立することがあります。一部の人々は宗教が科学的証拠に基づかない信仰であるため、宗教を嫌う傾向があります。

 

・〝宗教があるから、戦争もある〟

・〝宗教は、弱者からの単なる集金システム〟

 

過激な信者との結びつき: 

宗教が過激な信者や極端な行動と結びつくことがあるため、これが宗教全体に対する否定的な印象を与えています。テロ行為や過激な布教活動などが宗教と結びつけられ、これが嫌悪感を引き起こすことがあります。

 

・〝この世がすべて、死んだら終わりっしょ〟

・〝生きている間が、楽しければ、それでいいのよ〟

 

価値観の多様性: 

現代社会では異なる宗教や非宗教の人々が共存しています。この多様性の中で、一つの宗教が他者に押し付けられることへの反感が生まれることがあります。

 

・〝宗教があるから、戦争もある〟

 

宗教の過去の行動: 

歴史的に見て、宗教は戦争や差別などに関与してきたことがあります。これが現代において宗教に対する否定的なイメージを形成している要因となっています。

 

・〝神や宗教の概念は、人類を統治するためのもの〟

 

個人の自由との対立: 

現代社会では個人の自由が重視されており、宗教がその自由を制約すると感じる人々がいます。たとえば、特定の宗教が行動規範や生活様式に対して厳格な規定を持つ場合、これが嫌悪感を引き起こすことがあります。

 

・〝宗教でなく、科学的真理がすべて〟

・〝神も、天国・地獄も、見てきた人はいない〟

 

科学的啓蒙の進展: 

近代以降、科学的な知識が拡大し、従来の宗教的説明や信仰が科学的根拠に欠けると見なされることが増えました。これが宗教に対する信頼低下につながることがあります。

 

と、いうような結果となりました。

 

 

もっとも、以前は塾長も、上に挙げたような考えの中で、ずーっと生きてきました。

 

「宗教っていうのは、偏っていて、良くないものもある…」と、1990年代の初頭までは…。

 

以前、書いたかもしれませんが、ある時に、「コンバージョン」というか「コペルニクス的転回」をするのです。

 

 

 

 

つまり、これらの本(幸福の科学出版刊)に書かれてあることは正しいし、何もおかしなところはない、と実感するのです。

 

このとおりにやれば、間違いなく…

 

★『人生、生きていることの意味がわかる』

★『死の意味もわかる』

★『気になっていた、幽霊や霊の仕組みもわかる』

★『世界宗教の違いと紛争の原因もわかる』

★『そして、世界平和への道、憎しみの解決法もわかる』

★『この世・3次元とあの世・4次元以降の関係もわかる』

★『高次元を含む、次元構造もわかる』

★『古代史にのみ残る文明とその興亡もわかる』

★『人間関係の調和方法もわかる』

★『現代社会で、豊かになり成功する方法もわかる』

 

そして、何よりも

 

★『心のルールとその存在もわかる』

 

ので、「ほとんどの人生の不安は消え去る」ということなのです。

 

偏見さえなくせば、という条件はありますが、「代償を払うことなく、だれもが幸福になれる」と実感をしたわけです。(『代償の法則』を無視するものではありませんが…)

 

それが、「正会員」(当時あった制度です)になってから、これまでの30年間に感じてきたことです。

 

もちろん、最初は〝新興宗教〟ということもありますし、〝霊〟とか〝守護霊〟とか〝魂の兄弟〟とか、〝マゼラン星〟とか…が出てくるので、「アヤシイから気をつけよう」と思ったのは事実です。

 

「会員になってみようかな、と思う」と、妻に言うと、「そんなヘンな新興宗教に入ったら、即、離婚だからね」と言われる始末。

 

もっとも、子どもが生まれたばかりの時期だったこともあり、いろいろな不安もあったでしょうから、これ以上、不安材料を増やしたくないという気持ちもあったことかとは思います。 

 

それでも、数年かけて本を読み続け、あることをきっかけとして、えいやっと、会員となるのです。

 

その前後から、「八正道(はっしょうどう)」という仏教的な反省法にも興味があったので、毎日、少しずつ、その日一日や、これまでのことを振り返り始めました。

 

で、「幸福の科学、エル・カンターレ信仰」は、「アブなかったか?」ということで言うなら、「まったくアブなくない」というのが、その答えとなります。

 

むしろ、今、振り返って考えるなら、「幸福の科学、エル・カンターレ信仰」をしていなかった自分の方が、〝危なかったでしょう〟…いろんな意味で。

 

数年前に帰天した母などは、生前よく「幸福の科学は、ケンちゃんに合ってたんやわ、良かったね」と言ってくれていました。

 

自分でも、そう思います。

 

ただ、当時から〝幸福の科学がボクに合っていた〟だけではなく、「おそらく、すべての人にとって新しく、必要な考え方」だと思っていました。

 

しっかりと、その基本的なコンセプトを掴んで、数冊の書籍を読んでみれば、誰にだって分かるはずです。

 

この思いは、今も変わりません。

 

ですから、この文章を書いているわけです。

 

 

さぁここで、最初に書いた想定意見の答えを出してみましょう。

 

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〝宗教があるから、戦争もある〟

ここで気になるのは、宗教を「シューキョー」と、一括りに考えている点です。

 

もう、何百年も続く「キリスト教とイスラム教の戦い」や「インド仏教を潰したイスラム教」「日本神道」などなど、世界には様々な宗教があるのですが、そのすべてが戦いをしているかの錯覚なのでしょうか。もちろん、「ジハード(聖戦)」といった言葉もありますし、歴史的には、宗教に絡んだ戦争も数多いですから、そう思いたくなるのも仕方がありません。

 

それらの宗教には「世界宗教」もありますが、もう、古くなっているのだと思います。

 

始祖が始めた時代と、この21世紀の現代では、あまりにもすべての環境が変わってしまっています。

 

一定地域における、信仰心を上げるという意味での「一神教」は、当時は役に立ってきたでしょうが、世界がグローバル化した現代においては、そのこと自体が、トラブルの元となっています。

 

原理主義的に、学び、行動すればするほど、現代社会との乖離は大きくなっていくことでしょう。

 

全ての宗教には、「上位概念」が必要とされているのです。

(そんなことより〝宗教を排除〟と短絡思想に陥らないでくださいよ)

 

大川隆法総裁が作られた「幸福の科学」では、「主エル・カンターレ」という「地球神」の概念を出されることで、ここに解決の道筋をつけられたのだと、考えています。

 

(間違っていたらすみません、訂正入れます)

 

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〝神や宗教の概念は、人類を統治するためのもの〟

これも、左翼思想の方から、よく耳にする表現です。もちろん、歴史的には、教会制度などのなかにも、民衆をコントロールしようとした時代もあるかもしれませんし、その他の宗教においても、始祖亡き後は、〝人間のすること〟ですから、そう捉えられても仕方ない面もあるかもしれません。

 

だからといって、〝神や宗教は、まやかし〟と決めつけるには至らないはずです。

 

この項、下へと引き継ぎます。

 

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〝神も、天国・地獄も、見てきた人はいない〟

そうなのです、この意見もよく耳にしてきました。〝神も、天国・地獄も、見てきた人はいない〟とは言いますが、逆に、「〝神も、天国・地獄も存在しない〟と証明できた人もいない」わけです。

 

ある意味、こういったマターは、非常に個人的な思想に基づいていますので、世の趨勢がどう捉えるかによっては、〝この世の常識〟というものに変化が生まれる部分かと思います。

 

幸福の科学では、数十年も前より、大川隆法総裁が、『霊言』や『守護霊霊言』という形で、『あの世の世界の証明』を試みておられます。

 

『霊言』とは、スクリプトなしの、動画撮影などによる記録がなされた状態で、あの世の霊人の考えを地上に下ろしたものです。

 

たいていの『霊言』は、出版されて、自由に読むことができますので、興味のある方は、一度手に取られればと思います。

 

仏教に、「上根・中根・下根(じょうこん、ちゅうこん、げこん)」という、「信仰に対するセンサー」を表した言葉がありますが、「上根(じょうこん)」や「中根(ちゅうこん)」上部の方なら、数冊読まれただけで、実感されると思いますし、これまでの、「幸福の科学」に対する偏見が、少しでも払拭されればと期待します。

 

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〝宗教は、弱者からの単なる集金システム〟

〝宗教とカネの問題〟これもポピュラーな切り口ですね。現在の政治不信、まぁ、今に始まったことでもないでしょうが、これも、この〝宗教とカネの問題〟からスタートしていると言えるかもしれませんね。

 

宗教団体は非課税というのも、理解と納得のいかない方々が多いのではと想像します。

 

言ってしまえば、「宗教は公器だから、非課税」という部分なのでしょう。

 

どうしても、〝宗教がカネを集めて、私腹を肥やす〟というイメージが強いのだと思います。

 

政治が安定している国、機能している国では、宗教の役割は目立ちにくくなりますが、そうでない国においては、宗教は、政治の役割をも果たす公器でもあるわけです。

 

ある意味、この日本においては、「幸福実現党」という政党を通して、国防に対する意見もしっかりと提示していますので、十分に「公器」足り得ると言えると思います。

 

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〝宗教でなく、科学的真理がすべて〟

最近は、なんでもかんでも「科学的か、どうか」というフィルターでしか判断できなくなっているように感じています。

 

気持ちはわかります。

 

知り合いの科学者が言っていたのですが、最近は「科学自体が〝信仰〟〝科学信仰〟になっている」とのことでした。

 

科学自体は、「仮説を立て、検証し、再現可能を確かめる」という過程をクリアしたものということでしょうが、正直、すべてからみれば、こんなことは、〝ほんの一握りにしか過ぎない〟というのが、宗教的立場でしょう。

 

科学の範疇を、遥かに超えたところに「信の世界」は、あるとも言われています。

 

かのニュートンが、「自分は真理の大海を目の前にして、砂粒を数えている赤子にしか過ぎない」と言ったというエピソードがありますが、科学で推し量れることは、ほんの僅かであるし、ここ最近は、その〝科学〟でさえ、立脚点がアヤシイような気がしなくもありません。(個人の感想です)

 

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〝この世がすべて、死んだら終わりっしょ〟

〝生きている間が、楽しければ、それでいいのよ〟

これを、もっと先に言わなければいけなかったかもしれませんね。

 

〝この世がすべて、死んだら終わり〟では、ありませんよ!

 

そう思って、そういった人生観で生きるのは、それこそ、個人の自由に任されているとは思いますが、「あなた、それで本当に大丈夫ですか?」というのが、正当な宗教からの立場なのです。

 

パスカルの「賭けの精神」は、ご存じですか?

 

多少、話題が、信仰心といった崇高なものから、下世話なことにはなるのですが、かのパスカルが「パンセ」の中で唱えた考え方だそうです。

 

「死んだら終わり」という考えと「死んでも終わらない」という考えがあるとします。

 

つまり、「あの世はない」のか、「あの世はある」のか、の二項対立です。

 

①あの世があると思って生きて、あの世がなかったら→ あの世がないので思い煩うこともない

②あの世があると思って生きて、あの世があったら→ 予測通りであり、あの世で生きればいい

③あの世がないと思って生きて、あの世がなかったら→ あの世がないので思い煩うこともない

④あの世がないと思って生きて、あの世があったら→ 死んで終わりと思ったのに、まだ生きている

 

大まかに分けて、この4つのパターンがあると思うのですが、①と③は、あの世はないので、死んで終わりとなります。

 

②は、あの世を信じて生きて、死後、あの世があるので、実際は死んでもいないとも言えます。

 

問題は、この④なのです。

 

あの世はないと思って生きて、〝この世が楽しければ、それでいい〟とか、〝多少、人に迷惑をかけても自分が良ければいい〟という人生観で、実際死んでみたら、あの世はあった!

 

これが、一番、困るパターンではないでしょうか。

 

神様もいたけど、閻魔様もいた。天国・地獄は、昔話ではなく、現実に、実際にあった!という驚愕です。

 

パスカルの「賭けの精神」によると、この最後の④のパターンを避けるためには、「死んでも終わりではなく、あの世がある」と思って生きた方が、賭けで負けることはないというわけです。

 

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【注意】

おっと、これは大切な【注意】なのですが、だからと言って、自分で自分の生命を絶ってはいけませんよ!

 

「肉体は死んでも、魂は死なない」というのは、神さまから『永遠の魂』が与えられているわけです。

 

これが何を意味するかというと、自殺をした場合、結局は、死にきれないという悲惨なことが起こるわけです。

 

肉体は死んで、焼かれて、無くなるのです。

 

でも、魂は、残るのです、その場周辺に…。

 

で、その魂の意識は思うのです、〝あれっ、死んだつもりなのに、まだ、死んでない!〟と。

 

そして、何度も何度も〝死のうと〟自殺を繰り返すのです。

 

「辛い人生であっても、何とか今世を生き切る」というのが、最良の答えなのです。

 

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これ以外に述べておくべきこととしては…

 

◎『永遠の生命』を持って生きている、と信じることで人生観が変わる

 

◎死とは「肉体」の死であり、魂、心は永遠であり、自分という存在はなくならない

 

◎これを、突き詰めると「次元構造」に至る

 

◎今生きている世界は「3次元」、死、あの世の世界は「4次元以降」となる

 

◎この世の人生は「魂のテスト期間」ーこの間に、どう思いどう行動するかで、死後採点される

 

◎採点基準:100のうちプラスが多いと「天国」、マイナスが多いと「地獄行き」

 (自殺者は、その場で数十年以上も〝地縛霊〟となり、どちらにも行けない)

 

◎「天国」にも階層があり、「5次元(善人界)」「6次元(光明界)」「7次元(菩薩界)」と上がっていく(『次元構造』といいます)

 

◎昨日亡くなった人と、平安時代に亡くなった人が出会える世界が「4次元以降」

 (4次元の要素が「時間」ということの意味)

 

◎「地獄」には種類(階層も)があり心のマイナスに合わせて「血の池地獄」「針の山地獄」「無間地獄」…とたくさんある

 

◎「地獄」は結局、魂の病院というか、リハビリセンター、修正(反省)ができれば、低い天国に上がれる

 

◎『永遠の生命』があるということは、『転生輪廻』という生まれ変わりもある

 

◎数百年ごとに、時代と場所を変えて「天国」から生まれ変わる、そして、魂の経験を積む

 (ポイント:地獄からは生まれ変われない)

 

◎だから、赤ちゃんは、みんな天使のような笑顔と言えるかも(この部分は、個人の印象です)

 

◎今回、たまたま「日本人として生まれた」だけであり、すべての国の人々が、同じ境遇と考えるなら、肌の色、国、宗教、民族の違いによる憎しみは消える(これが「世界平和」のコンセプトとなり得る)

 

◎この世(3次元)で、間違った心を持つと、同じようなことを考えているあの世の存在と同通することもある(「憑依」の原理)

 

◎だから、「心の統御」が必要となる(唯物論的無神論者は、ここのところが弱い)

 

◎『次元構造』では「肉体」→「幽体」→「霊体」→「光子体」→「魂・心」…と精妙化していく(「霊的なネットワーク」とも言える)

 

◎その「心の奥の、奥の、奥の、奥…」に在るものこそが、『主エル・カンターレ』という「究極の神さま」

 

◎3次元にいる私たちは、『次元構造』を通して霊的には繋がっていると言える(『宇宙樹』の思想にも関連)

 

◎『エル・カンターレ信仰』を持つことで、すべての宗教を統合することが可能となる
 

◎〝何かいけないことをした時〟に、「自分以外は誰も知らない」と思っても、それを知っている存在があるということでもある

 

◎『魂のきょうだい』という「転生輪廻」のシステムがあるが、ここでは割愛する

 

◎これらすべての教えは、大川隆法総裁先生から学んだこと

 

◎つまり、『仏法真理』であり、『エル・カンターレ信仰』となる

 

 

思いつくべきことを、つらつらと記してみましたが、これで全てというわけでもありません。

 

他にも、数多くさまざまにありますが、これは、また別の機会に…ということにしておきましょう。

 

(何せ、3150冊からの情報、いや、知識、もとい、智慧ですからね)

 

言ってくだされば、直接、お話しもさせていただきます。

 

 

こういった話題、初めての方もあるかもしれませんが、ここに記しておこうと思いました。

 

何らかの参考になればと思って、書いてみました。

 

「塾長って、こういうことを考えている人だったのね」というわけです。

 

ちょっと、書くつもりだったのに、『仏法真理』は奥深いので、話がどんどん拡張してしまいました。

 

『エル・カンターレ信仰』による『仏法真理』をベースに記しています。

 

何も見ずに書いていますが、正確性を期することとしました。(ミスあればお教えくださいね)


 

現在も、世界は混沌としており、民族間の対立、宗教観の対立もあり、また、「人生の意味、生の意味、死の意味」も分からない手探りで、この地球上には80億人が生きているという状態でしょう。

 

最初に述べたように、心の世界においては、「神を信じる者たち vs 信じたくない者たち」で分断されていると思います。

 

しかし、マスメディアや教育、政治、家庭などで、(タブーとなることはあっても)これが〝問題〟となることは、まずないわけです。

 

こんなに大切なことを、表立っては誰も言わない、このこと自体が「問題」だと感じました。

 

これが、この文章を記すこととなって、一番大きなきっかけでしょうか。

 

 

個人的なこととなりますが、「幸福の科学の正会員」となって、30年が過ぎました。

 

塾長の、『最初の一冊』は、『太陽の法』だったわけですが、紆余曲折ありながらも、幸福の科学で『エル・カンターレ信仰』を得て、『仏法真理』を学んできた結論として、世界中の人が『エル・カンターレ』とその教えの一部でも知ったなら、「この混乱と戦乱の多くは解決するに至る」と確信しているわけです。

 

ここまで読まれて、少しでも「幸福の科学」『エル・カンターレ』『仏法真理』にご興味を持たれた方、どこかで(書店売りの)書籍を手に入れて、どのページからでも開けて読まれればと思います。

 

何せ、大川隆法総裁は、すでに3150冊も出されているわけですから、どこかに、あなたの琴線に触れる一冊があることでしょう。

 

記念に何らかの文章を残しておこうと思って書き始めたのですが、思った以上に、長文となってしまいました。

 

こんなに長くなってしまって、小冊子にでもすれば、よかったでしょうか(笑)

 

ここまでお読みくださって、本当にありがとうございました!

 

 

書き始め=2024-02-05 09:37:10

書き終わり=2024-02-16 03:07:00

追記=2024-06-15 11:39:00

 

 

【追記(2024-06-15)】

 

気がつけば、この長文をアップしてから、もう4ヶ月が過ぎてしまいました。

 

この間に、何をしていたかというと…

 

もちろん、BLAST塾長としての仕事は確実にしていたのですが、新たな試みにチャレンジしていました。

 

この文章の中でも触れたかもしれませんが、全世界80億人に地球神としての「El Cantare エル・カンターレ」を知っていただくという試みです。

 

昨年の暮れからの構想だったのですが、ついに、5月にはその試みの一つが出来上がりました。

 

それが…ジャーン!

 

 

「エル・カンターレ カード」!(←できればここ、ドラえもんでお願いします)

 

まだ、不十分なのですが、出会う方にお渡ししようとしているところです。

 

 

あと、5月には全世界から「Happy Science」のメンバーが日本にやってきましたので、その方たちにも会ってきました。

 

会うだけではなく、一緒に、英語版の「八正道研修」も受けてきました。

 

国を超えても、同じ「エル・カンターレ信仰」を持つ同志が、親交を温めてきたというわけです。

 

熱かったです。