【BLASTの選ぶ偉人】景山民夫さん | 「BLAST塾長日誌」

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こんにちは。Jukool BLASTの塾長、吉田憲司です。

 

1月27日がくると、よく書いている話題ではあるのですが、景山民夫さんが帰天されてから、ちょうど20年となりました。

 

この話題を、Facebookのとあるページに投稿すると、ここ2日ほどで140名を超える方からいいね!を頂きました。

(その後、170名となりました…と、これを書いてから9日が過ぎてしまっていますが…)

 

亡くなられてから20年も経っているのに、根強いファンがいると実感しました。

 

以前、途中まで書いたこともあるのですが、核心に触れていなかったことがあります。

 

それは、塾長にとっては「景山さんは大恩人である」という部分です。

 

BLAST塾長日誌「景山民夫さんの思い出」

https://ameblo.jp/contact/entry-10779206506.html

 

 

後から考えると、景山さんとの縁は非常に深いものがあります。(と勝手に思っている)

 

実は、中学生時代に深夜番組で「ゴングショー」という素人出演のお笑い合戦のような番組を見ていたのですが、この番組の翻訳が景山さんだということを後に知りました。

 

「クイズダービー」も「世界まるごとハウマッチ」も「タモリ倶楽部」もそうではないでしょうか。

 

「ひょうきん族」のひょうきんプロレスでブレイクしたとも言われているようですが、「クイズダービー」にゲスト出演されたあたりから、面白い人だなと気にするようになった気がします。

 

当時は、ネットもありませんので、検索をかけることもなく、「いろいろなことを自然に知る」というのんびりした時代でした。

 

高校時代から、「ポパイ」というファッション雑誌を読み始めるのですが、この兄弟誌の「ブルータス」が創刊された時ぐらいにも、景山さんが連載をされていたように思います。(このあたりはまとめて「ONE FINE MESS 世間はスラップスティック」に書籍化されています)

 

最初は、放送作家でスタートされましたが、自分の書いた台本を出演者が収録を終えて、ゴミ箱に投げ捨てるのを見て、もっと残る仕事がしたいと思い、「作家」を目指されたとどこかで書いておられたのではないでしょうか。

 

「作家の景山民夫」と胸に書かれたTシャツを着ておられたこともあるようです。

 

とにかく、塾長が若い頃には影響を受けた人のお一人であったわけです。

 

エッセイも小説も、いろいろと読みましたが、その中では、公私にかかわらずプラクティカル・ジョークが満載の破天荒な自由人という印象でした。

 

それでいて、意見の違いに関わらず、周りの方に精一杯の誠意を示すやさしさもお持ちだったようです。

 

「エコロジー」という言葉が日本で流行した頃には、当然、塾長も飛びつきはしたのですが、景山さんはその後早々に「第3回世界イルカ・クジラ会議」で英語でスピーチをしているという感じでしょうか。

 

チェルノブイリ原発後には、世界的に「反原発運動」が盛り上がるのですが、やはり塾長も多分にもれず、署名集めをしていたこともありました。(塾長、今は、国防の観点から「原発推進派」となっています)

 

このあたりも、景山さんの影響だったかと思います。

 

意識を高く持っておられた方で、「シックな生き方」について書かれたエッセイには、シックであるためには、

 

・真にシックな生き方は、ライフスタイルの確立

・心の豊かさ

・学生時代に千冊の本を読む

・人生のきちんとした目的があり、努力をしている

・最低2ヶ国語、外国語を話す

・クラシック楽器が弾ける

・2時間程度は飽きさせずに会話できるぐらいの話題がある

・着ている服の方が当人より目立つようなことがないような人格

 

といったことをあげておられました。

 

メモ書きを参考にしているので、概要ということでご理解ください。

 

とにかく、80年代、90年代を通して、時代の先端を走るカッコいい大人のお一人であったと思います。

 

 

この頃の塾長について、少しだけ書いてみます。

 

今思うと、本当にお恥ずかしい限りなのです。

 

本当に「シンプルな思考」の中に生きていました。

 

たとえば、こんな感じです。

 

「人間、生きているうちが花」

「自分が、楽しければそれでいい」

「死んだら、終わりだから、将来には思い悩まない」…

 

と、いった感じでしょうか。

 

このブログを読んでいる塾生の中には、ショックを受ける人もいるかもしれませんが、「非常に刹那的に人生を捉えていた」ものです。

 

それも仕方がないといえば、しかたがありません。

 

だって、基本的に「人は死んだら、終わり」というような人生観だったからです。

 

この後、分かるのですが、「人生を有限と捉えるか、無限と捉えるか」によって、ひとりの人生は大きく変わってくるものです。

 

言い換えるなら、「人は死んだら終わりなのか(人生を有限と捉えるか)、そうではないのか(無限と捉えるか)」ということになります。

 

塾長は、この頃には「人は死んだら終わり(人生は有限)」という人生観で生きていたわけです。

 

もちろん、そう考える方は現在も多く、その理由は「こういった話題を学校教育で扱わないから」ということでしょう。

 

〝「科学的」ではないから、「証明」ができないから、信じられない〟といった、ある意味、理性的な判断です。

 

これについては、以前に「TEDxKobe」のオーディションで発表したこともあります。

 

 

話を戻しましょう。

 

その景山さんが、90年に「幸福の科学」と出会われたのです。

 

このことがなければ、塾長も「幸福の科学」には興味を持たなかっただろうと思います。

 

現代の多くの方と同様に、無関心かネガティブな反応をしていたと思います。

 

しかし、塾長にとっては「唯物論的人生観」から、コペルニクス的転回ができたという意味において「大恩人」というわけです。

 

つまり、自分の人生を考える上で、「人生を有限と捉えるか、無限と捉えるか」によって、大きく人生観が変わったということになります。

 

 

おっと、今回も長くなりました。

 

このあたりも、いつかくわしく書ければいいと考えていますし、直接、お話しできれば、面白おかしく(←いつものように)話すのではないかと思います。

 

とにかく、今日の結論としては、「景山民夫さんは、塾長にとっての大恩人だった」ということですね。

 

景山さん、本当にありがとうございました。

 

みなさま、お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

【BLASTの選ぶ偉人】景山民夫さん

 

 


 

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