私の勤務していた職場では実務責任者である事業部長や部長が部下の実務作業を助けることが出来るほどの能力やスキルが無かったので、何事も最終的には担当者の力量によってしか結果が得られないというのが実態だったと思います。これに加えて、もっと悲惨だったのは情報処理システムを扱う上に必須のシステムエンジニアの能力の低さがビジネスチャンスを逃し続ける原動力にもなっていたと思います。
これも役員や管理職の情報処理システムに対する認識の浅薄さからくる会社全体の問題だと認識していましたが、そもそも技術系の役員・管理職という立場の社員のシステム技術能力が低いので、自然の流れとしてシステムエンジニアとして採用された筈の若い社員の教育・育成計画も相当に程度の低いものであったのではないかと想像をしていました。
私の所属していた職場ではコンピュータ作業を中心とする情報処理の下流工程専門のような部署でしたが、そんな作業中心と言いながらも出来る業務には制限をつけられていたのが何とも情けないと何時も感じていました。ベテラン社員も過去に経験したこと以外は難しいとして辞退することも多々あり、自ら新しい事や難しそうな事にはチャレンジをするという基本的な能力に欠けるとしか見えないのでした。
顧客の仕事をこなすためには私自身で対応可能な外注先を見つけて契約を成立させる以外には手がなかったという現実があり、普通の情報処理システムの会社ならしなくてもよい事をしなくてはなりませんでした。こういう仕事の仕方が出来ない社員は、システムエンジニアから顧客要求を断られてそのまま顧客に返して契約を逃していき、単に一時の仕事がなくなるという事だけではなく、会社としての信用レベルが落ちているということにも気づかず当然の帰結として契約も少なくなっていたと見えていました。
以前にも言及しましたが、高額給料の役員以下事業部長や部長連中が実務をしないし出来ないし、組織ばかりが立派で実務が出来ない社員が多数いたという事もあり、そういう実務に寄与しない社員の費用はシステムエンジニア費用に加算されて割高になり、実際に働くシステムエンジニアの能力と顧客に請求する費用とはかけ離れたものになっていたと思います。所謂、能力半分で費用は一人前という構図が出来ていたと思いますが、そういう現実に社員はぶつぶつ言いながらも誰も反論をした役員や管理職がいなかったと記憶しています。
 
何度も引き合いに出しますが、役所体質の顧客の基幹システム再構築のプロジェクトでは、担当した事業部の能力レベルがプログラム開発しか出来ないくらいにも拘わらずシステム開発が出来ると称し、割合簡単なシステム開発レベルの業務だと考えられましたが、見当違いの仕事をして最終的には中途半端で終了したという事案がありました。この時ほどシステムエンジニアと称する社員の技術レベルや知識レベルの低さを見せつけられたと思ったのは私一人だけだったと思うと、会社という組織はシステムエンジニアの能力というものに対する基本的な考え方が出来ていないということを証明していたのではないかと思えました。
役所体質の顧客の基幹システム再構築のプロジェクトに対して、苦言を呈したことで私の嘱託契約を解除した事業部長が、プロジェクト終了後に顧客から騙された発言が出た時には無反応の対応をしたという背景には、何事も自分は悪くなくて顧客が悪いという社風からくるものだけではなく、担当部署のシステムエンジニアのしでかした行状が理解できないという能力不足も背景にあったと推測していました。
現場の責任者である事業部長や部長連中が実務に精通しないばかりか業務もこなせないという現実を毎日の様に見てきましたが、そのことが実務を担当している社員にとっても不幸な現実を背負わせることになっていました。会社の役員や管理職の情報システムに対するリテラシーが極端に低いにも関わらず、情報処理システムという広範で定義が困難な難しい業態を扱うという、矛盾している業務をしている事に社員の大半が気づいていないので、顧客からの仕事は情報処理の下流工程と言われる、安易な機器販売とかシステムエンジニア派遣とかに向かうのは自然の流れだったと思います。
顧客との最初の契約は当然ながらシステムエンジニアやコンピュータの作業という事になるのですが、真面目に対応しているうちに顧客からは段々と要望が増えて難しい事案を持ち込まれて行きました、自社のシステムエンジニアの能力の範疇にあるうちは何とか誤魔化せても出来ないことも沢山ありました。顧客とは飲めない酒を飲んで歓談する時もあり、そんな時顧客から「今の仕事よりももっと色々やってほしい事があるし、そのためにお宅の会社と契約したんだ」と言われると心中では「もうこれ以上は対応不可ですのでお断りします」と叫ぶことも度々ありました。

現場の責任者である事業部長や部長連中が情報システムという概念だけでなく製品知識という基礎的知識も欠如しているので、何か新しい事案で聞いたことが無いことにはリスクが高いと言って断ってしまうことも多々ありました。社内が情報システムの知識も薄弱、仕事に対する意欲も消極的という職場環境は、まさに事業部長や部長連中の幹部社員の能力不足によって引き起こされていると言っても過言ではないという感想を起こさざるを得ないと思っていました。
その一方で仕事にはリスクがあると言って原価の中にリスク分割り増し費用を上乗せする事が常態化していましたが、そもそもリスクがあるのは顧客との契約では無く、自身の情報システムの知識レベルや技術レベルの低さに起因しているという事に気づいていないのかと不思議で仕方なかったということもありました。社員の意見が正義で顧客の言い分は間違いと決めつけをするような社風があり、リスクは自社にはなく顧客にあるという妄想が常に働いていたという風に感じていました。リスクのない簡単な事案でも原価にリスク分費用を上乗せされるので顧客に請求する費用は割高になるのは不自然と見えませんでしたが、当時は否応なくリスク分が上乗せされて原価が提示されるので個人的には抵抗感がありました。
リスク、リスクと役員や管理職が叫ぶ社内環境にあるので、ノルマを課された社員の扱える仕事の内容は益々安易なものにしか目が行かないことになったと思います、それに加えて上場した結果として3カ月決算という短期の業績報告が必須となり、凡人の事業部長や部長は益々目先ばかりの数字達成にしか目がいかないようになっていたのも、契約内容の質の低下に拍車をかけていたと感じていました。
私がサラリーマンとして最後に手掛けた役所体質の基幹システム再構築案件も2年くらいかけて顧客と打ち合わせをしながら漸く具体化したもので、それこそ山の様な資料や情報を提供して実現したプロジェクトでしたが、社内ではそういう芸当を出来る社員はいなかったと思います。社員は全てを勘違いすることにはたけているので、役所体質の基幹システム再構築プロジェクトは某事業部の提案で契約できたと勘違いするし、極め付きはプロジェクトが中途半端で終了していた事も、そういう事実には社内全員が気づかず、勘違いして終了したと思い込んでいたのが何とも恐ろしい事実であったと感じていました。
話は少し変わりますが、現在では情報処理業界も以前の様に自然と右肩上がりするという業績向上が出来なくなっている状況にあります。企業の業況が世界経済に翻弄されて、以前よりは厳しさを増す中では、情報化投資は業績に直接寄与出来ないので年間投資額も維持するか減額するかという傾向にあると思います。
情報処理業界の或る大手企業では業績向上のために、間接部門要員を大量に第一線のビジネス部門に配置転換することで利益を稼がない間接部門経費を削減し、第一線戦力増強してビジネス拡大を図ろうという施策が全社的に行われていまると報道された事があります。間接部門からの異動でビジネス要員として不適な人は退社をするということになるとも報道されていました。会社ぐるみで生き残りとか、成長とかを模索する取り組みだと思います。以前のブログでも書きましたが、40歳で転職して間もなない30年ほど以前、この会社の社長が課長時代の頃に名刺交換してビジネスパートナーとして一時期付き合ったことがあります。当然のごとくながら、私が転職した新規事業部門から異動し、その会社と自然と縁が切れたのは後任社員や管理者のレベルが低すぎて付き合えなかったという事であったというのはこのブログを読んでいる諸氏には自明のことと思います。
 
私の勤務していた会社では役員以下、事業部長・部長という幹部が役所仕事をしている事に何の疑問も持たないで、会議があたかも業績に寄与しているとでも言わんばかりに勘違いしているのにも気づかないで、その一方自分たちが業績を上げているという勘違いもしながら、実務は担当者任せで放置するということが行われていました。会議も尤もらしい横文字のものが並んでいたのも、そういう事実を立証しているものと思われましたし、管理職のスケジュールが空かないようにとヒラメとかコバンザメ社員が次々に新しい会議を作っていたことも社員全員が疑問を持たないほどに、一般企業としては普通には考えられない無意識の内に、社員全体が顧客を相手とする実務はしたくないという意思が明確に表れていたように感じていました。特に年配社員にはそういう傾向が強く、若手社員のうちにヒラメとかコバンザメが自然と育成される環境が職場には出来ていくということにもつながっていて、そこには社内運動会とかいう現象が現れていて村社会が出来上がっていたと思います。
私が退職の寸前までの上司であった事業部長や部長の動きについては以前のブログでも紹介しましたが、凡人たる故に悪事をなすという典型的なもので、サラリーマン社会のピラミッド構造にならい事業部長や部長は一般社員を見下したような素振りが時々垣間見えた時があって、社員から見れば高い給料だけをもらうだけでなく飲み代を会社の経費で落としているのに何の疑問も持たず、自分たちは役員に取り立ててもらいたいという一心だけで行動しているので社員の心情には心及ばず、役員から渡されたノルマは一般社員が稼ぐものであるというのが当たり前のような風土が根付いていたと思います。事業部長や部長連中の価値観が自己保身と自分顕示欲の塊であったというのは、そういう態度の裏腹として私が実務をする中で何度も嫌な経験をさせられて我慢をしていたことも度々でしたので、余計に忘れられない記憶として残っています。
こういう風土はそう簡単には変われないと思われ、情報処理業で一流と言われる企業がどんどんと変革している中で、私の勤務していた会社は相も変わらず村社会体質を変えられないので将来は業界から取り残されているばかり、どういう結末が待っているのかというのは退職した身には関係無いことなので、ある意味ではほっとしていますが、何時かマスコミで報道されれば知ることになるのかなと思っています。
私の勤務していた会社では、現場の責任者である事業部長・部長連中が会議という実質何の成果も無い無駄な時間を浪費しているだけで現場の稼ぐ仕事にタッチしていないのに、給料だけは大枚をもらっていたのには矛盾を感じたことがあります。業績達成のお為ごかしとして机上の空論を引っ提げ、部下を集めて説明していましたが、如何にも尤もらしい仕事をしているという態度には独善というものがあるだけであるという事が理解できていない様に見えていました。そういう独善という思考の延長線上にあるのが事業部長主催の早朝読書会であったと思います。
社員教育の一環として英会話とか中国語会話の研修が就業時間前に開催されていたのは知っていましたが、ほんの少数の社員しか使う機会が無い英会話とか中国会話の研修に意味があるのだろうかというのも気になっていましたが、会社の費用で研修できるというので意欲のある社員にとってはいい機会になっていたのかもしれないと思います。

事業部長主催の早朝読書会をするというメールが流れてきた時には、凡人が暇になるとこの程度のことしか思いつかないのかなという感想が出てしまいました。読書会と言ってもビジネスのハウツー本の読書会で、事業部長がお気に入りらしいっていたと思われるブラック企業の社長の話だろうというのは見えていたので呆れるばかりでした。
当時、ブラック企業として有名で「社員は土日も働く」とか「仕事が終わるまで帰らない」とか言う社長の就業時間に関する認識が間違っていて、経営者としての自身の仕事の指標を社員に押し付けるようなものに思われましたが、会社は急成長していたのでマスコミには時々そういう言語録が出ていました。その社長も近頃は、社員の勤務時間について訂正をしてきたので、多分誰からか入知恵されてブラック企業のというのを払拭しようと思ったのだろうとは想像は容易にできました。
事業部長がブラック企業の社長の事業やり方に傾倒しているらしいのは普段の発言でも分かりましたが、自分の勤務している会社の社員にもブラック企業の同様に朝から晩まで利益が出るまで社員を働かせるという指導はされなかったし、出来もしないと思いました。
事業部長が急成長しているブラック企業の社長を尊敬しているならば、事業部長自身もブラック企業の社長同様に休日もなく朝早くから夜億迄働いたらいいだろうにと思えたのでしたが、そんな事は気づく能力もなく、口先だけでお経を唱えるようなものだというのは明らかでした。元々、事業部長は役員から指示されたノルマを担当者に負わせて尻を叩く事だけが仕事としか考えていないので、現場実務を指導するとか支援する気なんてさらさら無い人間が部下の前でブラック企業の社長をほめちぎったところで白々しくしか聞こええず、この事業部長は有名なその会社がブラック企業というのを知っているのかという疑問を持たせるという効果しかないと思いました。
事業部長は顧客から契約を自身の力でどれほど獲得してきたのかというのは皆無に等しいと思われるので、こういう実務に疎い社員を事業部の責任者に据えるという事態が起こえり得るのは、民間会社という組織としての機能が失われていて、会社の素地として役所と同質な会社であるというのが露出していた現象だろうと理解をしていました。
先回の続きで感じることは、私の勤務していた会社はある意味ではやくざの世界と共通するものがあった職場ではなかったかと思えます。やくざ世界は普通の世間に隙間に網を張って生きているようなもので、そこには上納金システムというものがあり組に所属しているというのは常に上納金とセットで出来ている世界と思います。
私の勤務していた会社では、毎年役員が自身は確信を持っているとは言え客観的には根拠も薄弱に見える業績計画をノルマに変えて事業部長・部長経由で個人に課されていました。個人ノルマの達成に向けて毎週部長が進捗具合をチェックして報告をするというサイクルが繰り返されるだけで、ノルマを課した役員や事業部長・部長は実務をする気がなく、ヘルプが部下から上がったら手助けするというスタンスで、事業部長・部長は部下のノルマ達成に殆ど何の役にも立っていないと見えていました。
役員・事業部長・部長や管理職は業績よりも、常に世間体とか親会社の顔色をうかがうような思考が無意識の中にあるので、事件が起きると社内に対しては担当者を悪者にし、社外に対して顧客を悪者にするという事が普通に行われていて、誰一人としてそういう事が客観的に見て変だとは思わないし言い出す社員もいないという職場でした。こういう仕事の仕方が行われていたので、結果として役員・事業部長・部長や管理職と言われる社員は実務にかかわらないので業績に寄与するとはとても言えないと思えました、最終的には消極的な担当者が時々契約する、時の風に吹かれたような事案だけで会社が成り立っている様な体制であったと思いました。言ってみれば、担当者の上りで役員以下の管理職が給料をもらっているのはやくざの世界と似ているといわれる所以かと思えていた次第です。
事業部長と言えば現場の責任者の筈ですが、毎日会議で殆ど自席にはいないので日々動くような事案とか事件とかには最初からかかわる気などはなくて、誰かが決めれば数分で済むような話を延々と話し合いをするという会議にかまけていたとしか見えませんでした。時々は会社の帰りがてら会社の経費で飲み歩いていた事実は、領収書が事務担当の女性の机の上に置いてあるので分かりましたが、コンプライアンス遵守が厳しく言われている中で堂々と会社の金で一人飲み歩くという神経にも違和感を持たざるを得ませんでした。3・40年も昔には喫茶店のコーヒー代から夜の仲間内の飲み会費用を会社の経費で落としていましたが、社内統制とかコンプライアンス厳守とか言われる中、そんな事をしていたら公私混同と指摘されるのが普通と思いましたが全くそういう事は無かったので、何事も建前ばかりが先行する会社なのかとも思えていました。つい、4・5年も以前の事ですが今でもたいして変わってはいないと想像をしています。
 
私は現在癌治療中の身となり、抗癌剤の副作用で頭髪が抜けただけでなく、顔の皮膚がただれているような状態なので外出もままならぬという毎日です。元々大腸がんに罹患したのは50歳も後半の頃と推測していますが、何度も書きましたが事業部長のパワハラが原因で精神的な圧迫から引き起こされたものと考えています。会社では毎年健康診断を受診していましたが、医師から指摘を受けたのは胃の内視鏡検査で、決まって検査結果は軽い胃炎で胃癌などは見つかったことはありませんでした。胃炎の発症も食生活の乱れだけではなく、毎日顧客からの課題とか問題の解決策をどうするかを考える、会社の中で会社を経営するような生活が日々続いていたのが原因だろうと思います。
会社の健康診断程度では大腸癌の発症を見つけることは出来なかったという結果となり、健康診断も形ばかりで何の役にも立っていなかったというのは、退職後に大腸癌が見つかり立証されたようなものだと思います。サラリーマン現役の頃には多忙な活動とか常に考え事をしていたせいか、血便が出るわけでもなかったので大腸癌の存在には全く気づかなかったという事でしたが、大腸癌は体内でたくましく成長していて他の臓器にも転移をしていたという結果になったのでした。
こうして考えると、私の大腸癌は会社の在籍中に発症したものであることは間違いないので、労災にもあたるのかなとも思えます。労災に癌という病気が適用されるのかは立証が難しいとは思いますが、退職した身でもあり仕方なく現状を受け入れざるを得ないのかなと少々残念な気持ちになっているのは事実です。
会社に在籍していた頃は自腹接待で会社に相当の利益を提供するばかり、退職後は癌治療で不自由な毎日を送り癌治療費で年金が消耗されていくというので、どうも私の人生は散財ばかりするものであったと思うと普通の人とは随分と違った道を歩いてきたのだなと思うことがあります。
一昨日のテレビ番組「奇跡のレッスン」という番組を見ていて触発されました。番組は高校女子ソフトボール部のレッスンをオリンピックを制した米国の元ソフトボールピッチャーが行うというもので、一週間のレッスンで最後には格上の高校女子ソフトボール部に勝利してハッピーエンドというものでした。米国の元ソフトボールピッチャーは色々な指導をしたのですが、その中で私が気に留めたのは次の2つのものでした。
(1)過去の事は忘れて、正しい方法を学ぶ。
(2)ピッチングフォームは一球投げる都度確認しなくていけない位にフォームは大切にする。
(1)は従来学校のコーチが指導してきた事を捨てて正しい方法で練習をし直すというもので、特に小さいころからソフトボールのピッチャーをしてきた生徒がいて、ずっと腰を入れる投球フォームは間違っていると指摘され、修正はそう簡単ではないと言いながらも腕をしならせてなげる方法に修正していた事でした。今までとは全く違う方法を指導されて戸惑いもあったようですが、学校のコーチも日本流とは違うと言いながらも修正を容認していました。番組ではピッチャーの練習指導が主に報道されましたが、打撃とか守りの方法でも新しい練習方法で取り組むように指導をされていました。(2)はピッチングフォームが正しくないと球が狙い通りに投げられないしストライクにもならないというので、非常に厳しく指導がされていたと思います。
 
私の勤務していた会社の社員の仕事への取り組み姿勢は、消極的態度が基本にあり、現場に疎い上司が自己中心的な発言とか行動をするのを部下が上目遣いで見て自然と同化されていくような職場であったと思います。役員は自身の能力を棚の上にあげて世間や親会社への体面ばかりを気にして、社員のノルマを毎年上げるのが当たり前みたいに考えているらしく見え、尤もらしい屁理屈をつけては期初に社員にノルマの押し付けると同時にノルマ増額の屁理屈を説明していました。管理職や事業部長は役員から言い渡されたノルマの達成責任は担当者にあるとばかりに説明するし、それを機械的に部下に割り振る部長も何とも無責任に思えて仕方がなかったという感想を持っています。
企業が成長するという時にはそれなりの理由や背景があるもので、その理由は個人のノルマの達成というようなものではなく、根本的に事業を変えるか成長させるためのエンジンが変わらない限り成長をするという事は難しい事だと思います。
ここでテレビの女子ソフトボールの指導教訓(1)を思い起こすと、私の勤務していた会社がもし成長とか業績拡大という発想があるならば、過去の清算を全て行い新しい道を模索して進むしかないということが必要と言われていると解釈をすることが出来ると思った次第です。その為の第一歩は、役員や管理職が情報処理業や情報処理業務に精通していることが前提で、且つ現場の責任者である事業部長や部長は自身で現場を担当して現実世界を知ることが必要だと思います。多分、このハードルは相当に高いので実現は無理かと思われるというのが感想です。
続いて(2)の教訓はフォームが重要と言うのは、営業職で言えば契約に至るまでのプロセスを理解するという事だと思われますし、システムエンジニアであれば与えられた技術課題の解決策を自身で考えられるというような、所謂社員としての基本的な能力を身に着けるということだと思いました。これも何度も書いているように、社内弁慶ばかりに目が行って行動する社員が多いので、実務は役員が出来ないのは仕方がないとしても、現場責任者である事業部長や部長が出来ていないので部下指導も出来ないという致命的な欠陥があり実現は困難かなと推測しています。
このテレビ番組を見ながら思ったのは、スポーツ練習だけでなく会社が成長するには単に毎日練習をしているだけでは駄目で、きちんとした理屈の上に則り進めないと疲れるだけで無駄な努力であるということを暗に知らしめてくれたのかなと思いました。
私の勤務していた会社が色々な意味で風変わりな会社であったというのはブログを書いているうちに感じていることです。担当していた部署は親会社とは無縁な一般企業を相手にしていたので余計にそういう風に感じたのかもしれません。その一般企業を相手に毎日の日銭を稼がなくてはならないというのが営業職としての仕事だったわけですが、何せ社員が引っ込み思案で新しい事には中々チャレンジするという気力もないのに何とか食っていけたのは不思議でした。改めて考えてみると、安易に顧客との契約といっても社内営業で他部署の下請け契約をする社員が多く、社外との新規契約も取引先に紹介されたような案件ばかりで、どちらかと言えば残り物案件と言うか雑魚の集まりのよな案件が多かったと感じていました。
情報処理業界というのは建築業界のピラミッド構造と同じく、構想からから始まる上流工程から下流工程へと仕事は流れていきますが、一流どころの会社は上流工程と言われる考える仕事が中心で、建築業界で言えば建物や環境をデザインをする仕事になりますが、情報処理業界でも業務改善とか新事業とか言われる類の業務システム化構想が最初の工程となります。そういう業務を中心としている会社では、現場作業がメインとなる詳細設計以降と呼ばれる類の仕事は外注会社とか三・四流と言われる会社に下請けさせるのが通例で、私の勤務していた会社もその類の会社だったと思います。しかしながら、親会社から転籍してきた社員は親会社の知名度が頭にあるので、業態とか取引先とかの違いに理解が出来ないのか勘違いしているか不明でしたが、所謂気位ばかり高いので自分の会社が三・四流会社とは認識をしていないようでした。先回書いたブログでは、そういう認識が無いままに役員が一流どころの会社の真似をして利益も生まない中国企業との提携をした結果として、役所体質の顧客の基幹システム再構築プロジェクトにおいては、役員が不利益を顧客に生じさせる環境を作り社員が忖度して実行したというのを思い出したわけです。
 
何事も非積極的ではない行動をするというのは再三書いているように、上意下達という風土から無意識のうちに何も知らない・聞かない・存ぜぬの精神が存在して、社内で目立つことや自己保身にばかりを考えるので、肝心の取引先の顧客扱いが二の次になり顧客利益が損なわれようというのに不感症となった結果が、情報処理業でも下流工程の作業とか派遣とか言った類の仕事しか上流工程会社から落ちてこなかったという現実があったと思います。そういう作業とか派遣でも仕事の内容よりも契約額が大きいというだけで喜ぶという管理職が大半で、仕事の中身で勝負することができない現実にまともに立ち向かおうとする社員が殆ど見受けられなかったのも何とも残念であると感じていました。
情報処理業でも作業とか臨時の派遣などというのは建築業の大工と同じで、必要の都度しか仕事が発生しないので世間の景気の風が吹いている時は利益の薄い仕事でも回ってくるのですが、景気次第では仕事が少なくなるのでスポット作業がなくなり業績が悪化するということになっていたと思います。
そういう時に業績向上策と称して、役員が変なコンサルタントから仕入れたような事業をしようとしたのですが、自身で情報処理ビジネスを担当した経験が皆無に近い人間が、何を言うのかと思いながら空想に近い絵空事を社員に説明するので、何とも言い難い感想を持たざるを得ない説明を何度も受けたことがあります。同時に、期ごとののノルマの説明は全員に強制して行われていましたが、肝心の実行に当たっては個人任せで、事業部長以下現場の管理職は部下指導が出来ないし、そもそも管理職が自身の給料を捻出するだけの実務をしようともしないのを長年見ていて、社員は長い物には巻かれろとかいう諺を実践しているのかと思わざるを得ないと感じていました。
私の勤務していた会社の役員は、情報処理業界とか情報処理業務について正確な理解も出来ていなかったと書きましたが、私自身の仕事の上で被害者意識を持たされたのは、プログラム開発を中国に作った関連会社に仕事を発注したことでした。私が役所体質の顧客の基幹システム再構築プロジェクトを担当していた時、制作したプログラムの維持運用を考えれば国内の外注会社にプログラム制作を委託した方が断然有利な筈なのを、一過性の仕事なのにも拘わらず、わざわざ中国の得体のしれないプログラマー集団に何故委託するのかという疑問が湧いていました。この役所体質の顧客の基幹システム再構築プロジェクトの終了後、普通にはにわかに信じられない様な多数のトラブルが発生し、受託した事業部や担当システムエンジニアの能力レベルに大きな問題があったのが露見しましたが、そういう社員が行ったのは仕事の仕方も会社都合に従い安易で保身にばかり気が向いて、顧客事情やシステム安定稼働という発想は皆無のプロジェクト運営をしていたというのもうなずけると思います。プラグラムの発注も社内事情でプロジェクトとは直接関係のない中間マージンを取る部署経由で、中国の出資会社にプログラムの作成を委託していたのを苦々しく感じていました。
今から5年ほども以前になりますが、中国のプログラマー費用が中国経済の発展に伴い高騰しており委託するコストメリットは殆ど無かったものの中国の会社へのプログラム外注が行われたのは、役員主導で中国の会社への出資が行われたという背景があり、役員や上目を使う管理職からからいちゃもんを付けられるのを嫌って担当者が否応なく決めたものの推測をしていました。
 
そもそも社員の情報処理システムに対する能力レベルが、システム開発でも非常に簡便な類のものか、プログラム開発と言われる類の仕事しかできないという自社社員の能力レベルを役員が理解できていなくて、大手情報処理業者が中国の会社との連携するのをマスコミなどで報道されるのを見て、自社も同様にしようと考えたのは役員の思慮が足りなかったし能力や判断力に問題があったということだったと思います。その負のつけは延々と続いて、私が担当した役所体質の顧客の基幹システム再構築プロジェクトで、プログラムの保守に不安を残したという結末になったと思いますが、顧客事情やシステム安定稼働という発想の無いシステムを受託した事業部では何とも感じていないと推測をしていました。基幹システム再構築プロジェクトを受託した事業部は、プログラム障害起きたらその時に適当な言い訳で乗り切ればよいと考えていたのだろうと思っていましたが、多分現在も体質は変わっていないと思います。
親会社の業態と情報処理業界とは全く業態が違うのにも気づかないし、情報処理そのものの知識も脆弱な役員が見栄で事業を始めたのが中国IT企業への出資だったと思いますが、何の打開策も打てずに時の流れに流されて利益も生まない事業を放置していたのも親会社の社風を受けついだものかと思っていました。サラリーマン役員なので責任感が薄いのは、社員の上意下達意識とか嫌なことは避けるとかする事等、何事も社内事情に流れるままに行動して真剣に仕事と向き合わない社風とも通じていてると感じていました。
私がサラリーマン後半を勤務した会社は、親会社の新規事業部から出発して子会社との統合を経て上場会社として出発して、その後も同業他社との合併をしてきたという歴史がありました。親会社とは全く異なる業態なので最初はプロパー社員と多くの転職社員が採用されたのですが、事業の拡大が出来なくなると転職者の多くは再び転職していったという中で、私は上司の出世欲や自己保身の犠牲にされ、ひどい目にあいながらも自分流を確立したので何とか67歳まで勤務が出来たということだったと思います。その間に見てきた会社の現実は肌で感じていられたのは、最後まで現場の第一線で働いていたからだと感じています。
 
親会社の新規事業部として発足した当時はベンチャーとの協業が多かったのですが、多分いい加減なコンサルタント会社からの情報で始めたとしか思えないような一貫性の無い、その場限りの事業ばかりだったように思えました。その上、どこの会社でも出来そうな機器販売というようなことを志向していたので、情報処理業で生業をするという命題を自ら考えることもなく、金を投ずればなにがしのリターンがあるだろうという妄想から巨額の資金を投入したものの10年も経てば全て失敗して親会社から見放されて子会社との統合を余儀なくされ、資金調達のために仕方なく上場したものと推測をしています。
こういう事業の失敗経験はその後の事業に生かされたかと振り返ってみると、全く逆で同じ失敗を繰り返してきたとしか思えませんでした。一時の物売りで業績が大きく上がると将来が保証されたような気になっていたような事業部もあり、ほんの何年かは世の中の上げ潮に乗り好調なるも4・5年も経ると同業他社が出て席捲されて落ち目になるという事が続いていたと思います。
情報処理業の本命であるシステム開発は看板の言葉ばかりが踊って大したプロジェクトが実行出来なかったのも、物売り販売同様に目先の利益ばかりを追い求める姿勢が事業の本質を忘れさせてしまった結果だと思います。それが、役所体質の顧客からの基幹システム再構築プロジェクトで見事に実力の無さが露見し、プロジェクトを契約終了というので仕事を中途半端に一方的に終了した結果が顧客から騙された発言につながったものと考えると、そもそもの原因は役員の情報処理業に対する思慮の無さが延々と続いた結果でもあったのかなと考えられました。一般社会人であれば失敗をしたら原因とかを考えるのが普通と思うのですが、どうも私の勤務していた会社ではそうでもないらしかったと思えてきました。

霞が関の役所ではもう明治政府以来から延々と同じ仕事が続いていて、勤務する役人は同じ仕事を毎年繰り返すだけが命題で過去の仕事の枠を外れたことをしてはしないというのが流儀で、言ってみれば単純作業の積み重ねをしている集団だと思いますが、マスコミのレベルが低くて正確な評価報道がされていないとしか思えません。役所での単純作業集団が何故一般会社の給与と同額にしなくてはならんかというのは常々疑問に思っていますが、そういう単純な評価や思考も出来ないほどに国会議員も質が低くなっているからだと思っています。その一方、役人の国会議員へのすりよりは一般会社でのヒラメ社員やコバンザメ社員と同じであり、公僕とは名ばかりで出席欲の強い人間と見なされても仕方がないと思います。昨今の国会で騒がれてマスコミに露出している役人の表情は、一様に無表情で感情が無いようにみえるのも、彼らがそういう人生を送ってきた証でもあると思えてなりません。
こういう霞が関の役所同様、過去の反省もなくその場限りの場当たり的な事業をしていて、情報処理業社としての切磋琢磨も無く、情報処理業の下流工程ばかりという認識も持てないほどの意識の低い中でも将来展望も描けず、硬直した経営が何十年と行われていたのではなかのかという感想を昨今持つようになりました。
近頃は抗癌治療の影響で色々な副作用が出てきて、特に顔の真ん中に吹き出物がたくさん出来、誠にみっともない顔になりました。体中の毛が抜けたり体の色が黒くなったりしているのを見て、抗癌治療が薬の説明書に書かれている通りの副作用が出てくると、まるで人体実験でもされているような気にもなります。
以前にも紹介しましたが大腸癌に罹患したのは10年以上も以前のサラリーマン勤務時代で、事業部長のパワハラで精神的に追い詰められた前後ではないかと想像をしています。発症した大腸癌を成長させたのは、事業部長のパワハラ後に新たに契約した顧客から契約額を増加させるために、自腹接待で深夜に顧客の嗜好に合わせてキャバクラで飲めない酒をちびちびと飲んでいたことではなかろうかと推測しています。私のサラリーマンとしての最後の10数年は会社の中で会社を作ったような体制で臨み、社員として相当大きな額の利益を会社に提供しましたが、そういう努力の結果が大腸癌という身体問題に及んだという事で考えれば、この大腸癌による他臓器への転移が消えるまではサラリーマンを退職している身とは言えども、癌治療が終わるまでは前職との関係性は切れなという風にも感じる時があります。関係が切れないので勤務していた会社の感想ブログは書き続ける必要があるのかとも思います。
 
勤務していた会社が村社会で表面ばかり取り繕うのが仕事となったのがブログで書いているうちに鮮明になってきたと思います。上司によるパワハラ、セクハラに加えて海外での不適切な行動とかの事件が社内では噂話になったものの、さほど世間から注目もされない会社であったことからマスコミにも取り上げられなかった事は幸いと社内では思われていたと推測しています。社内での循環取引による粉飾決算とか顧客からの契約クレームの無視とかいうのも特に問題視されることもなく済まされたのも、臭いものは蓋をして知らん顔をして、関係者が忘却するまでの時間をやり過ごすというのも村社会の特徴をあらわすものであると思います。
会社が村社会体質でもあるのは、社員自らが主体となる発想が無い事があると思います、その現象の一つが社内会議の多さであったと思います。契約の都度、役員や管理職のスケジュールを見ながら稟議書のハンコをもらいに行ったのですが、その役員や管理職のスケジュールを見ると仕事の大半が社会議で占められて、責任者がさっさと方針を決めて指示をすれば済むようなことを延々と時間をかけて話し合いをするという、誠に非効率的な時間の過ごし方をしていたと感じていました。ヒラメ社員やコバンザメ社員の主催する会議も多々あって、どうでもいいような事案を大勢の社員が貴重な時間を会議で時間をつぶしているのに呆れていたと当時は感じていました。時間を貴重と感じていないのは、自らの給料を自ら稼ぎ出すという発想が役員から一般社員まで皆無なので、無理な事かもしれないというとうのは常々感じていたことでもありました。
会社というものが顧客との契約という対価を得る事で成り立っていて、親会社は長年の歴史で顧客が固定化して何の努力もなく相手会社の景況だけで契約額が決まっているという経験があり、子会社は業態が全く異なる情報処理業であるにも拘わらず契約形態は親会社と同様であると考えているふしがあるのが役員や管理職に見られたので、会社経営の根幹となる思考が業態に即していない役員が成長とか発展とかいう言葉を時々口にしているのに非常に違和感を感じていたのは事実です。
無駄なたくさんの会議同様、組織も無駄と思われる間接部門に多い社員が配属されていたのも異様に感じていました。稼ぎの無い間接部門を太らせてどうするのかという疑問はなく、如何にもおためごかして組織を細分化することに意義を感じるばかりで、経営効率化とか間接部門のコストセンター化阻止とかいう、利益をどう稼ぎ出すのかという普通の経営感覚を持つ役員が皆無で、一方では役員は社員の報酬を心配するのは二の次で自らの報酬を確保するばかりに目が行っていたのではなかと推測をしていました。