私がサラリーマン後半を勤務した会社は、親会社の新規事業部から出発して子会社との統合を経て上場会社として出発して、その後も同業他社との合併をしてきたという歴史がありました。親会社とは全く異なる業態なので最初はプロパー社員と多くの転職社員が採用されたのですが、事業の拡大が出来なくなると転職者の多くは再び転職していったという中で、私は上司の出世欲や自己保身の犠牲にされ、ひどい目にあいながらも自分流を確立したので何とか67歳まで勤務が出来たということだったと思います。その間に見てきた会社の現実は肌で感じていられたのは、最後まで現場の第一線で働いていたからだと感じています。
親会社の新規事業部として発足した当時はベンチャーとの協業が多かったのですが、多分いい加減なコンサルタント会社からの情報で始めたとしか思えないような一貫性の無い、その場限りの事業ばかりだったように思えました。その上、どこの会社でも出来そうな機器販売というようなことを志向していたので、情報処理業で生業をするという命題を自ら考えることもなく、金を投ずればなにがしのリターンがあるだろうという妄想から巨額の資金を投入したものの10年も経てば全て失敗して親会社から見放されて子会社との統合を余儀なくされ、資金調達のために仕方なく上場したものと推測をしています。
こういう事業の失敗経験はその後の事業に生かされたかと振り返ってみると、全く逆で同じ失敗を繰り返してきたとしか思えませんでした。一時の物売りで業績が大きく上がると将来が保証されたような気になっていたような事業部もあり、ほんの何年かは世の中の上げ潮に乗り好調なるも4・5年も経ると同業他社が出て席捲されて落ち目になるという事が続いていたと思います。
情報処理業の本命であるシステム開発は看板の言葉ばかりが踊って大したプロジェクトが実行出来なかったのも、物売り販売同様に目先の利益ばかりを追い求める姿勢が事業の本質を忘れさせてしまった結果だと思います。それが、役所体質の顧客からの基幹システム再構築プロジェクトで見事に実力の無さが露見し、プロジェクトを契約終了というので仕事を中途半端に一方的に終了した結果が顧客から騙された発言につながったものと考えると、そもそもの原因は役員の情報処理業に対する思慮の無さが延々と続いた結果でもあったのかなと考えられました。一般社会人であれば失敗をしたら原因とかを考えるのが普通と思うのですが、どうも私の勤務していた会社ではそうでもないらしかったと思えてきました。
霞が関の役所ではもう明治政府以来から延々と同じ仕事が続いていて、勤務する役人は同じ仕事を毎年繰り返すだけが命題で過去の仕事の枠を外れたことをしてはしないというのが流儀で、言ってみれば単純作業の積み重ねをしている集団だと思いますが、マスコミのレベルが低くて正確な評価報道がされていないとしか思えません。役所での単純作業集団が何故一般会社の給与と同額にしなくてはならんかというのは常々疑問に思っていますが、そういう単純な評価や思考も出来ないほどに国会議員も質が低くなっているからだと思っています。その一方、役人の国会議員へのすりよりは一般会社でのヒラメ社員やコバンザメ社員と同じであり、公僕とは名ばかりで出席欲の強い人間と見なされても仕方がないと思います。昨今の国会で騒がれてマスコミに露出している役人の表情は、一様に無表情で感情が無いようにみえるのも、彼らがそういう人生を送ってきた証でもあると思えてなりません。
こういう霞が関の役所同様、過去の反省もなくその場限りの場当たり的な事業をしていて、情報処理業社としての切磋琢磨も無く、情報処理業の下流工程ばかりという認識も持てないほどの意識の低い中でも将来展望も描けず、硬直した経営が何十年と行われていたのではなかのかという感想を昨今持つようになりました。