広島から 中国総領事館 誘致に待ったをかける -68ページ目

広島から 中国総領事館 誘致に待ったをかける

広島に県、市、県議会、市議会、経済団体を挙げ、中国総領事館を誘致する計画があります。
経済にばかり走り、国家安全保障を考えない誘致計画に警鐘を鳴らします。

1980年代の半ばに、長崎、福岡総領事館が設置され、その後、中国の総領事館は約20年間設置されて来なかった。1985年までに建てられた4ケ所は、すでにそれぞれ、かなり大きな土地を所有している。

それに対して、中国国内の日本総領事館は全てが賃貸物件である。平等ではない(相互主義になっていない)という批判がある。

大使館と4つの総領事館の所有面積は以下の通り。

中国大使館(港区)   11,000m²
大阪総領事館        1,200m²
福岡総領事館        5,000m²
札幌総領事館        5,000m²
長崎総領事館        3,300m²
(ウィキペディア「新潟中国総領事館の万代小学校跡地移転問題」より転載)

2005年に名古屋、2010年に新潟に設置されたが、その後この二つの総領事館がそれぞれが欲しがった土地の面積は、

名古屋総領事館     10,000m²(国家公務員宿舎跡地 31,000m² の一部  東海財務局(財務省))
新潟総領事館      15,000m²(新潟万代小学校跡地 新潟市)

いずれも取得の意思を表したのは、2010年8月。翌、9月に尖閣諸島における漁船衝突事件を引き起こし、中国共産党の強硬な姿勢が日本人の警戒感を激しくかき立てる結果となり、中国側にしてみればまとまる話をこじらす結果となった。

名古屋、新潟は、地元住民の反対と保守派の人々の努力の末、最終判断は保留という状態まで押し戻したが現在も継続中。中国側は日本人が問題を忘れてしまうのをじっと待ち、頃合いを見て再度、取得に動くものと見られる。

これとは反対に、東京港区の中国大使館の場合は、2008年に、これまでの所有地に加え、追加の土地取得の意思を表明し、2011年4月に一般競争入札で新たに5677㎡を落札。事態は翌、5月の2日 建設通信新聞が報道するまでわからず、購入、取得を遂げさせてしまった。

各総領事館の所有面積を見比べてわかる通り、大阪総領事館は他よりもかなり小さい。従来より、現在の総領事館が手狭になっていることを理由に良い土地があれば、取得、移転の意向を示唆しており、大阪も警戒を怠ることができない。


以上見てきた通り、中国共産党は在外公館という名目で、これまでの数倍規模の広い土地を欲しがり始めている。

これまでのケースのいずれの場合も、国有地、公有地からの取得が目指されており、鼻から民間の小さな土地など目もくれないこと、所有権者である日本政府や地方自治体は、住民と危機感を共有できず、他の買い手よりも高い値段で買ってくれるのであれば、売却するのは普通のことと考えていた点が共通している。


さて、ここからが本題だ。

現在、広島駅周辺の13.8ヘクタール(138,000 m²)の再開発大規模プロジェクトが進行中である。二葉の里(ふたばのさと)地区だ。

プロジェクトの担い手は 中国財務局(財務省)、広島県、広島市、そしてJR西日本。
http://area-m-hiroshima.org/

今度も入札がある。
中国財務局 国有地の売却情報(一般競争入札案内)
http://chugoku.mof.go.jp/kokuyu/kansou/uri/new.html

かねてから、二葉の里再開発事業に関し、市の広報や松井一實市長は「たんに市だけではなく県、また中四国地方全体にとって、また広島を中国地方の雄足らしめる有用な土地活用」を謳っており、この言い回しは、中国総領事館誘致の際に使われてきたフレーズと酷似している。

さらに今見たように中国共産党は、日本国内の総領事館建設用地に10,000~15,000m² の土地を欲しがるようになっている。その入手先も、東海財務局(財務省)や 新潟市 だった。いずれも世論の運動をきっかけに土地取得に失敗しており、共産党、中国財務局(財務省)、広島県、広島市はこれを教訓とするはずである。該当地は広大で、これまでのように、まずテナントを借り、次いで土地取得、移転という段階を踏む必要もない。直接土地取得、即建設を目論んでいると見ておかなければならない。

広島駅周辺の一等地で再開発が行なわれている面積は138,000m²(名古屋の国家公務員宿舎跡地 31,000m² の4倍以上)と広大だ。たとえばこのうち一割(138,00m²)を総領事館に割り当て、最初から事業計画に組み込んでいたとしても、なんの不思議もない。あとはできるだけ直前まで市民に対し「中国総領事館」という直接的な言葉を避け、最終的に外務省の許可が下りるのを待って、さりげなく建ててしまう。

くどいようだが、総領事館誘致は県、市の悲願であり、ともに長年誘致活動を行ってきており、地元経済界も諸手を挙げて賛成している。仙台市のケースと著しく違うのは、これと言った反対者がいない上、広島の左寄りの県民性を思えば、総領事館誘致計画を知った県民、市民からの反対運動が起こる可能性も小さい。新潟のように議会が反対に回ることも期待できそうにない。

沖縄と新潟が事実上抱き合わせ提案になったように、仙台と広島が抱き合わされた場合、中華街計画を頓挫させた実績を持つ保守層の反対のため、仙台が「後回し」にされ、広島がすんなり決まるというシナリオも、すでに描かれているかもしれない。仙台に比べ誘致のハードルがずっと低い、それが広島なのだ。





大高未貴の 魔都見聞録 [桜H21/3/14]


中国「沖縄総領事館」を打診
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6606241




最後に。

昨夜、台湾で蔡英文が馬英九に破れた。これは日本の命運を決定づける、負けてはいけない重要な選挙だった。長年チャンスに恵まれながら、日本が台湾との政治的交流の機会を放棄してきたつツケを払わされたのだ。

間もなく、中国共産党の日本侵略が一般の日本人の目にも見えるようになるだろう。それとも、ゆでガエルのように最後まで気がつかないままなのだろうか。

この国の終焉の始まりを告げるかのように、同日実施の大学入試センター「地理B」の設問中、世界地図に、千島列島の一部と沖縄本島、台湾などの島の記載漏れのミスがあった。

いずれ、「あれはミスではなく、前触れだった」という日がやってくるのだろう。「実は選挙に合わせて仕掛けた」などと言って中国人が名乗り出てくるのを見ることになるのかもしれない。
総領事館誘致の要望先がなぜ重慶なのか、 不思議に思った人は多いだろう。


重慶「市」と聞いて、また広島市と姉妹都市だと聞いて、人口100万人ぐらいの都市だろうと思ったら大間違いである。この姉妹提携、実は非常につり合わない。

話をわかりやすくするために、一つの例として人口を、間に東京都を挟んで比較してみる。

広島市は120万人弱。日本の総人口の1パーセント未満。
東京都は1300万人を超え、日本人口の10パーセント以上。
東京都は広島市の10倍以上の規模だ。

重慶市は常に東京都の2倍の人口を超え(3,000万人前後)たレベルで、広島市総人口の数倍が活発に出入りを繰り返す(増減する)ダイナミックな地である。日本人の「都市」の感覚を超える。

現在急速に、おそらく世界中でもっとも経済発展を遂げようとしている地域の一つだと思われる。行ったことがないので想像するだけだが、たぶん、1年おきに出かけたら、その都度景観が変わり、自分が訪ねた場所がわからないぐらいなのではないかと推察する。もちろんこれは都市部での場合。

さて、県知事と副市長の重慶訪問に話を戻そう。

広島市の市民局国際平和推進部国際交流課の資料には、昨年8月の重慶訪問につき、

これまで本市が要望している中国総領事館の設置について、広島県国際機関誘致連絡会議のメンバーである広島県とともに、中国共産党重慶市委員会書記と会談し、改めて要望を行なう。

とだけ記されている。

この「中国共産党重慶市委員会書記」とは、誰なのか?

薄熙来という人物だ。今後、日本の命運を握るキーパースンのひとりになるに違いない。

太子党。父は薄一波元副首相(1908~2007年)。次の習近平政権において、国家最高指導部の党中央政治局常務委員のメンバーになる可能性がでてきた。

最近、この薄熙来について、産経が次のような記事を載せた。
長いが、重要なので記事の全文を掲載する。


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【ダイナミック上海】
手を組んだ水と油のライバル
2011.12.24 18:00

 政権交代が決まる2012年秋の中国共産党大会を控え、最高指導部となる党中央政治局常務委員の「9人のイス」をめぐり水面下の権力闘争が激化している。



 5年に1度開かれる党大会では、2期10年の任期を終えて総書記を退任する胡錦濤氏(69)=国家主席の任期は13年3月まで=の後任にはすでに、党中央書記処第一書記で国家副主席を兼務する習近平氏(58)が確実視されている。9人の政治局常務委員の筆頭に座ることになる習氏以外の、残る8人分のイスが、どう争奪されるか今後の権力闘争の焦点だ。



 その中でにわかに注目を集めているのが、それぞれ8分の1を狙う重慶市党委書記の薄煕来氏(62)と広東省党委員会書記の汪洋氏(56)の動き。これまで異なる手法でそれぞれ改革を目指し、お互いを牽制し合ってきたライバルともいえるが、その2人が11日、北京で「重慶広東戦略協力枠組み協定」に調印。意外にも“手打ち”を行ったからだ。党大会を意識し、共闘態勢で党指導部の人事を有利に進めようとの思惑がありそうだ。





密接な経済関係アピール

 
 「渝(ユー)粤(ユエ)協力を喜ぶ」。経済面を中心に重慶市と広東市の協力強化をうたった戦略協定調印を報じた重慶日報と広州日報はいずれも、1面トップでこんな見出しを掲げた。「渝」は重慶、「粤」は広東の別名で、「渝粤」と並べた漢字の発音は「愉(ユー)悦(ユエ)(心から楽しみ喜ぶこと)」と同じになる。内陸部で農村人口も多い重慶から、製造業の多い沿岸部の広東への労働力の供給など、密接な経済関係をさらに発展させてアピールする考えだ。



 2人のライバル関係はその出身と経歴にある。毛沢東元主席(1893~1976年)とも近かった革命第一世代の薄一波元副首相(1908~2007年)を父に持つ薄氏は、党高級幹部の子弟グループ「太子党」の代表的人物。一方の汪氏は、胡錦濤氏と同じ若手エリート集団で太子党と政治的に敵対する「共産主義青年団」の出身。皆が豊かになる「共同富裕」を訴えてきた薄氏に対し、資本の論理で「発展優先」を求める汪氏の発想は異なる。





互いに意識、牽制


 
 薄氏は、毛沢東や父親の時代の革命歌を住民に歌わせ、暴力団組織を一網打尽にする「唱紅打黒」と呼ばれる政治運動を鼓舞し、地元紙に「重慶の大衆の支持を得た」と自画自賛させているが、汪氏は「運動方式では民生(国民生活)問題は解決できない」と暗に薄氏の政治運動を牽制。広東への波及を恐れていた。



 汪氏は11月下旬の省内の会議で「改革は広東の魂であり、改革が発展の強大な動力になる」と述べ、党中央が警戒してきたNGO(非政府組織)の登録を緩和するなど「民生」主導の改革断行を訴えている。だが、薄氏は12月初め、汪氏を意識したのか「発展の動力は何か。改革開放だけでなく共同富裕も動力だ。共産党員は終始、追求し続ける」とし、内陸部で深刻な貧富の格差是正に向け、党の指導を前面に打ち出す考えを示した。





政治的パフォーマンス


 
 太子党の立場で「党主導」派の薄氏と共青団出身で「民生」派の汪氏は水と油とみられてきただけに、今回の共闘態勢には誰もが驚いた。その実、汪氏は江沢民前総書記兼国家主席(85)を引き立てた元上海市長で海峡両岸関係協会会長を歴任した大物の汪道涵氏(1915~2005年)のおいにあたる人物。江沢民氏は太子党と利害関係が一致する上海閥の頂点にあり、そうした点と点を結べば汪氏と薄氏の握手も不可解ではないとの“後付け”の理屈も成り立つ。汪氏はしかも、重慶市委書記を2年間務めた、薄氏の前任者でもある。



 ただ、毛沢東など新中国を成立させた革命第一世代とは異なり、習氏のほか薄氏、汪氏など、政治局常務委入りを狙う世代にはもはや、政権を担うレジテマシー(正統性)があるのかどうか、中国の民衆の間に疑念が生まれてきても不思議ではない。選挙という民意を反映する制度のない一党支配体制にあって、北朝鮮の金正日総書記(1942~2011年)の19日の死去と三男の正恩氏による後継体制の行方が、中国の政権交代劇に影を落とす可能性もある。



 いわば政治的パフォーマンスで賭けに出た薄氏と汪氏。まだ中央政治局常務委入りを確実にしてはいないが、共産党イコール国家である中国にあって、絶大な共産党と国家の権力を握る9人のイスをめぐって今後も、壮絶な争いが展開されるのは必至だ。(上海 河崎真澄)


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http://sankei.jp.msn.com/world/news/111224/chn11122418010005-n1.htm



総領事館の誘致に、今後、絶大な権力を握る可能性が一層増してきたこの人物の力を借りようというわけだ。

さらに、薄熙来の元に昨年詣でたのは、県知事や副市長だけではない。
人民日報日本語版から。



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重慶市書記、丹羽駐中国大使と面会 重慶


 重慶市共産党委員会の薄熙来書記は28日、丹羽宇一郎・駐中国大使一行と会見、重慶と日本の経済貿易協力・交流の推進について意見を交わした。「重慶日報」が伝えた。



 薄書記は「中国西部地区の直轄市として、重慶には大きなマーケットと発展の将来性がある。数年来、重慶市民は一丸となり、『五つの重慶』建設に尽力、都市環境は非常に改善され、全国でも治安・環境の最も優れた、市民が最も幸福感を有する都市と評価されている。日本は重慶にとって第一の輸出先であり、双方は良好な協力関係にある。多くの日本企業が重慶で健全に発展している。このたび、丹羽大使が三井、シャープ、日立など大手企業の代表と共に重慶を訪問されたことは、協力深化に向けた意欲の表れだ。より多くの日本企業が重慶に進出することを歓迎し、電子・電機・情報産業など幅広い領域で、より価値ある協力が展開したい」と期待を寄せた。



 丹羽大使は東日本大震災発生後に、重慶が心温まる慰問と無私の援助を提供したことに謝意を示した上で、「日中両国は一衣帯水の友好隣国であり、経済貿易の往来は緊密で、昨年の日本の対中投資は大幅に増加した。重慶との貿易も急速に伸びており、前途は明るい。今回の重慶訪問は、十八梯と朝天門広場で市民生活を体験するのが目的で、一般市民の快適な、満ち足りた生活を実感した。薄書記が提起された森林・快適・住みやすい・平安・建康の『五つの重慶』建設目標および生活水準の全体的向上を促す12の政策がすでに実施され、所得格差の縮小や生活水準の向上で効果を挙げており、喜ばしく思う。来年は日中国交正常化40周年であり、日本は重慶で経済貿易・文化交流イベントを数多く開催する。これらの場を通じて双方の協力がさらに密接になることを望む」と応えた。



 三井物産の瀬戸山貴則常務執行役員兼中国総代表(中国日本商会副会長)は「地理的にも重慶は中国の中心であり、優位性は明らかだ。さらに鉄道で重慶からヨーロッパへはわずか12日、インド洋への便も非常に良く、重慶は日本企業にとって中国西部への投資の重要な窓口」と述べ、「重慶両江新区の日本での知名度を高め、より多くの日本企業が重慶で発展するのを希望する」と語った。三井住友銀行(中国)の奥山和則董事長も「重慶駐在員事務所の役割を発揮し、重慶の経済発展を促したい」と抱負を述べた。(編集HT)



 「人民網日本語版」2011年12月1日


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http://j.people.com.cn/94473/7661849.html





昨年11月末には丹羽中国大使が、三井、シャープ、日立など大手企業の代表を引き連れて詣でている。経済界に薄熙来とパイプを作っておきたい人たちは多い。

こうした中国共産党要人詣を「ハニートラップにかかりに行く」とあからさまに形容する人もいる。日中友好や経済交流の美名のもと、国益が損なわれていく。

このブログを訪れるような人なら知っている人が多いと思うが、丹羽宇一郎は伊藤忠商事の社長、会長を経て、2010年6月、親中の岡田克也外務大臣が押し切るかたちで中国大使になった。当時、この人事は中国で非常に好意的に受け取められたのだ。

伊藤忠商事という企業の体質については、以下の動画をぜひ見ていただきたい。

青木直人:丹羽宇一郎新中国大使誕生の背景
http://www.youtube.com/watch?v=yVnxnEH4FBI



追記:
この記事をアップしている間に、さっそく「次期政治局入りのための汪洋書記のポイント稼ぎ」の動画が入ってきました。参考までにこちらもどうぞ。

広東省で「農民工」の呼称廃止?
【新唐人2012年1月13日付ニュース】
http://www.youtube.com/watch?v=fBoY6xbIaYE
総領事館に話を戻そう。

おさらいになるが、

1984年 広島県 / 四川省
1986年 広島市 / 重慶市
1990年 庄原市 / 四川省 綿陽市
1992年 三次市 / 四川省 雅安市雨城区
1993年 東広島市 / 四川省 徳陽市
2001年 大竹市 / 四川省 都江堰市

が、それぞれ姉妹都市提携を結んだことはすでに述べた。

このような全県を挙げた友好ムードのさなか、
1998年に県は、広島市、広島商工会議所と共同で 広島県国際機関誘致連絡会議 を設置。以来、領事館誘致の猛烈なアピールを行なってきた。

(役所が公表している資料の中には誘致連絡会議の設置を1999年とするものもあるが、以下の通り要望書の提出は1998年から始まっている)

広島県国際機関誘致連絡会議の取り組み状況
1998(平成10)年4月から2008(平成20)年2月まで(公表分)

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平成 10 年 4月  中華人民共和国大使館,外務省,中華人民共和国外交部等へ要望書提出
平成 10 年 5月  駐日中華人民共和国大使,外務事務次官へ要望
平成 10 年 7月  中日友好協会(北京)へ要望書提出
平成 10 年 9月  中日友好協会会長,中国人民対外友好協会会長へ要望
平成 10 年 11 月  中華人民共和国外交部,中日友好協会,中国人民対外友好協会(北京)へ要望
平成 11 年 6月  中国国際交流協会副会長へ要望
平成 11 年 7月  中日友好協会会長へ要望
平成 11 年 11 月  中華人民共和国外交部,中国共産党中央対外連絡部,中国人民対外友好協会等へ要望書提出
平成 12 年 1月  中日友好協会副会長へ要望
平成 12 年 9月  中華人民共和国外交部(北京)へ要望
平成 12 年 11 月  駐日中華人民共和国大使へ要望
平成 13 年 5月  中日友好協会(北京)へ要望
平成 13 年 11 月  駐日中華人民共和国大使へ要望
平成 14 年 10 月  中華人民共和国外交部,中日友好協会等へ要望
平成 14 年 11 月  駐日中華人民共和国大使へ要望,中華人民共和国大使館へ要望書提出
平成 15 年 3月  駐日中華人民共和国大使館参事官兼総領事へ要望
平成 15 年 8月  中華人民共和国外交部,中国共産党中央対外連絡部,中国人民対外友好協会等へ要望書提出
平成 16 年 1月  中華人民共和国駐大阪総領事へ要望
平成 16 年 10 月  中華人民共和国外交部,中国共産党中央対外連絡部,中日友好協会,中国国際 交流協会,中国人民対外友好協会へ要望
平成 16 年 12 月  駐日中華人民共和国大使へ要望
平成 17 年4月  中華人民共和国外交部,中国共産党中央対外連絡部へ要望
平成 18 年8月  中華人民共和国国務委員,外交部,駐日中華人民共和国大使へ要望書提出
平成 19 年7月  中華人民共和国外交部,中国日本友好協会,中国国際交流協会へ要望書提出
平成 19 年11月  知事が駐日大使に面会し要望
平成 20 年2月  中華人民共和国外交部へ要望書提出

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広島の猛烈なアピールが続く中、
2005(平成17)年には名古屋に総領事館が設置される。
後日詳しく述べるが、これは重慶出張駐在官事務所の、重慶総領事館への格上げに伴い開設されたものだ。

つまり広島は、姉妹都市である重慶に総領事館が設置された時、その意思を示しながら、名古屋に総領事館を持っていかれてしまった経緯がある。

2007(平成19)年7月の要望書は全文が公開されている。
在広島中国総領事館への熱い思いと、なみなみならぬ決意が窺える。

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要 望 書
(広島市への総領事館の設置について)

2007年7月26日

広島県
広島市
広島商工会議所
広島県日中友好協会
広島県日中親善協会


 平素から,広島県と中華人民共和国との友好関係の発展にはひとかたならぬ御高配を賜り,厚くお礼を申し上げます。
さて,本県と貴国との間には,文化,教育,経済等を通じた幅広い交流の歴史があります。とりわけ,1984年9月には広島県と四川省が,1986年10月には広島市と重慶市がそれぞれ友好提携を締結し,様々な交流事業を行っているところです。
 こうした中,年間12万5千人が広島と中国とを結ぶ航空路線を利用されるとともに,貴国から4万3千人の観光客が本県にお越しになっております。また,本県には留学生など1万人を超える貴国の方々が生活されております。
その数も年々増加しており,将来に向けて更に緊密な関係が構築されていくものと確信しております。
また,本県に拠点を有する企業は,古くから積極的に海外との取引を行っている企業が多く,貴国には,既に137の企業が212の事業所を設けており,更に多くの企業が貴国企業とのビジネスに関心を持っていることから,今後とも,経済分野における交流の拡大が見込まれています。
これらの企業の動きを加速するため,本県では,空港や港湾などの交通・輸送基盤の整備を進めるとともに,本県と貴国を結ぶ航空路線やコンテナ航路の拡充に努め,さらに,貴国への進出希望企業の相談窓口を上海に設けるなど,一層の経済交流の促進に取り組んでおります。
 また,本県は中国・四国地方の中央に位置し,従前からこの地域の政治,経済の中心的な役割を果たすとともに,本県と四国を結ぶ「瀬戸内しまなみ海道」の開通により,本県の拠点性は一段と高まっています。
このような状況から,国際平和都市であり,知名度も高い広島市に貴国の総領事館が設置されれば,貴国との友好関係が一層深まるとともに,実務的な交流も強固になるものと考えております。
 つきましては,このことについて特段の御高配を賜りますよう 重ねてお願い申し上げます。

2007年7月26日

広島県知事       藤田 雄山
広島県議会議長     林  正夫
広島市長        秋葉 忠利
広島市議会議長     藤田 博之
広島商工会議所会頭   宇田  誠
広島県日中友好協会会長 古田 敬一
広島県日中親善協会会長 篠原 康次郎

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http://hiroshima-ic.or.jp/china/shisen/souryoujikan.html


2008(平成20)年以降現在まで、広島の熱烈な求愛は続いていくが、ここでは割愛する。

沖縄に総領事館を設置したい旨、中国から申し入れがあるのは右の要望書を提出した翌年、2008年の年末。

2009年3月、外務省が沖縄総領事館を拒否、沖縄の代わりに、在青島(チンタオ)日本総領事館に対応する中国側総領事館設置先に新潟が提起され、
2010年6月 新潟総領事館が実現した。

これと前後して2009年、県知事に湯崎英彦、2011年、広島市長に松井一實が就任、以来、県と市の対話は、藤田-秋葉体制よりもずっと円滑に行なわれるようになった。これは多くの広島市民の耳に届くところとなっている。

2011年8月の、県知事、副市長の重慶訪問と申し入れは、県知事と市長の両方の首が変わっても、総領事館誘致の方針が揺るぎないことを内外に示した。今後は盤石の誘致活動に拍車がかかることが予想される。

現在、
日本には 札幌、大阪、福岡、長崎、名古屋、新潟に総領事館が、
中国には 瀋陽、上海、広州、香港、重慶、青島に総領事館が、そして大連に 在瀋陽日本国総領事館大連出張駐在官事務所 がある。

仙台とともに、在瀋陽日本国総領事館大連出張駐在官事務所の、大連”総領事館”昇格と引き換えに、誘致を熱望しているというのが現状である。
昨日、四川省から、日本では考えられないニュースがまた届いた。

総領事館の問題を掘り下げる前に、これを機に別の角度から四川省という地を見ておこう。反射的に広島の偽善も浮かび上がる。

まず次の動画をご覧いただきたい。

「2012年明け チベット人3人が焼身自殺」
http://www.youtube.com/watch?v=Ac9Lm_TF6rA

事件に至るまでの、長年にわたる詳細については、ウィキペディア「チベット問題」や ホームページ「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」に譲るが、昨年からチベット人僧侶・元僧侶による焼身自殺及び未遂が男女合わせて15人にも上っており、そのほとんどが四川省 アバ・チベット族チャン族自治州アバ県 で起きている。

年が明けたばかりの今月6日にも事件は発生、9日にはアメリカ国務院 # が中国に呼びかけを行っている。報道官のステイトメントは、多少腰が退けている印象はあるものの、短いながら意識的に厳しい語を多用し、はっきりとした非難のメッセージになっている。

対して、”友人”である広島はどうだろうか?広島県が四川省の人権侵害に言及した形跡はない。抵抗の表明として行なわれた連続焼身自殺、当局による数百名にも上る拉致・拘引、そして行方不明に対し、沈黙を守り続けてきた。

AFPBB News は、
=====
「自由チベット」のステファニー・ブリグデン(Stephanie Brigden)代表は、14人もの人々が焼身自殺を図ったことは外国政府に対する「痛烈な批判」であり、「国際社会は対応に失敗した」と声明で訴えた。「こうした抗議行動は、世界の指導者たちがチベットの絶望的な状況に見て見ぬふりをする限り続くだろう」
=====
とのコメントを掲載している。広島は、今こそ声明を出すべきなのだ。


さらに別の面からも。

昨年から焼身自殺者による抗議が連続したアバ・チベット族チャン族自治州。四川省北部に位置し、その一部はジャイアントパンダの保護区として世界自然遺産に指定されている。

かつてはチベット人の地であり、120万人と言われる殺戮の末、中国共産党が手にした土地の一つである。その土地に生息する動物を”中国の”動物と喧伝する嘘、そしてそれを利用した偽の「友好」。これがパンダ外交の正体だ。

そして今、このチベットから土地、人命もろとも略奪したパンダを利用して、日本に総領事館を建てる計画が進行中だ。


【梅原克彦】仙台市パンダレンタルに潜むもの [桜H24/1/10]
http://www.youtube.com/watch?v=fFslB1gAWhY


悲観的な話題ばかりになったので、最後に希望をひとつ。
四川省から歓迎されないものばかりが来るわけではないことを示すために。

共産党を見限り日本人になった 石 平 さん、四川省 成都 の出身だ。
「日本人の心は中国人にも届く」そうだ。四川省は愛日家の産地でもある。


# アメリカ国務省のこと。日本の外務省に相当。現在の長官はヒラリー・クリントン。これまでも世界中の人権侵害に対し報道官を通じ声明を発表してきた。中国ではしばしば「(アメリカ)国務院」と呼ぶが、中華人民共和国の「国務院」は、日本では「内閣」にあたる。
広島県と四川省は極めて親密な関係にある。姉妹提携はたんなる飾りではない。実質を伴い、あらゆるルートで頻繁に交流を持っている。まず、その経緯を簡単に説明しておく。

県と四川省は1984年9月17日友好提携を締結。当時、重慶は四川省の中心的な都市であったことから、1986年10月23日、広島市と重慶市とが姉妹都市提携に至っている(現在、重慶は直轄市)。

その後も関係は着実に深まっている。


1990年 庄原市は、四川省 綿陽市と、
1992年 三次市は、四川省 雅安市雨城区と、

1993年 東広島市は、四川省 徳陽市と、
2001年 大竹市は、四川省 都江堰(とこうえん)市と、
それぞれ姉妹都市提携を結んでいる。

熊野町にいたっては、小さな自治体でありながら、四川省出身の中国人を役場職員として採用した実績をホームページ上で明らかにしている。

広島市はそのホームページの中で、重慶市と姉妹都市提携するにあたり、

本市と重慶市の間には、第二次世界大戦において甚大な被害を受けた市民の復興に向けたたゆまぬ努力があり、平和に対する意識が高い、という類似点がありました。」

と説明しているが、 重慶は「平和に対する意識が高い」と言えるのか?

それは本当か?

市民に対して次のような情報は出さなくて良いのだろうか?

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核兵器開発に囲まれた四川省



現在においても四川省には、省都の成都を中心として、核兵器・原子力施設が多数ある。軍事用核施設として、中国工程物理研究院(綿陽)、ウラン濃縮(ガス拡散法)施設(和平)、ウラン濃縮(遠心分離法)施設(漢中)、プルトニウム生産用原子炉再処理施設(広元)、再処理(プルトニウム生産)施設(宜賓)、民用施設として中国核動力研究設計所院と西南物理研究院(成都)、原始炉製造工場の東方集団(徳陽)、原子炉工学研究所(狭江)、ウラン濃縮(遠心分離法)工場(楽山)などがわかっている。



ちなみに、2008年5月、四川省の成都に近い汶川で、マグニチュード八の大地震が起こり、多数の死傷者が出たばかりか、多くの建造物が倒壊した。そのなかに、蛾々たる山岳地帯に奥深く建設された核兵器関連施設が多数含まれていた。



同じ四川の重慶(現在の行政区分では中央直轄市)では、国民党政府時代に建設された陸戦兵器、主として大砲・機関銃・小銃と砲弾・銃弾を生産する工場が拡張された。長江に沿って水上艦艇、潜水艦などを建造する造船所、船舶用エンジン、部品、計器などを製作する工場などが建設された。これらの企業に関連して、重慶鉄鋼公司、重慶特殊鋼公司が拡張され、関連企業が新しく建設され、既存の企業が拡張・改造された。



重慶は海岸から遠く離れている。そんな所で造船、しかも軍艦や潜水艦を建造していると知って、読者は目を疑うかもしれないが、長江は河口から重慶まで数千トンの船舶が遡行できる。ちなみに長江には毛沢東政権ができるまで橋が架かっておらず、1956年にソ連の援助で武漢に橋が架かり、次いで文化大革命の最中の68年に南京に橋が架けられ、「毛沢東思想の産物」「文化大革命勝利の産物」と称揚された。その後南京と武漢の間の九江に橋が架けられた。これらの橋は船舶の航行を考慮して橋桁が高くつくられており、三峡ダムも船舶が航行できるように配慮されている。現在、長江河口近くで橋梁工事が進んでいる。



また、四川省の成都、貴州省の遵義では、航空機、ロケット、ミサイル、電子関係の企業、それに関連して貴州省の省都・貴陽にアルミ関連工場が建設されている。貴州省と雲南省との省境に近い四川省南部の山中で長江上流金沙江に面した攣枝花に、突然鉄鋼生産基地が生まれた。その北には西昌衛星打ち上げセンターがある。



このように四川省を中心として各種国防関連施設・企業が所在しているところから、西南地区には、大規模な水力発電所が多数建設されている。以前、著者は必要があって中国の電力について調査したことがある。長江をはじめ多くの大河の上流地区とはいえ、西南地区に水力発電施設の数が多いことに驚いたことがある。その理由はここからきている。


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平松茂雄著 『中国はいかに国境を書き換えてきたか 地図が語る領土拡張の真実』p137-140 より


「本市と重慶市の間には、第二次世界大戦において軍都としてのたゆまぬ努力があり、国家安全保障に対する意識が高いという類似点がありました。重慶市は現在でもその努力を続けており、この点で本市の手本となっています。」

とでも紹介した方がずっと現実に即している。