いつかわが知性が更なる高みに立ち、世界認識を一貫した形で行う、その普遍的方法と個別的方法を峻別し、普遍的方法をなるべく一般的な形で提示する、その実践例として人文学のいくつかの分野と科学のいくつかの分野について何らかの一貫した方法に従って再構成ないし創造することを目指している。すなわち諸学問を私のやり方で、その認識において統一する。私が最もよく取り組んできた物理学ですらもこの認識によって得られた世界像の一部分を構成するに過ぎない。

 

 これは私の人生における大きな目標であり、長い時間をかけてゆっくりと取り組んでいくテーマである。本当にできるかはわからないが、過去にそれを成し遂げた人間がいるのだし、私にできないこともないだろう。おそらく上に述べた普遍的方法は、人間のあり方の洞察によって得られると思う。というよりも私は自らの理性的判断をまず人間のあり方の理解を基に行ってきたため、私のやり方で作った人間学が土台となり、それによって得られた認識についての普遍的方法、そして必要最小限の個別的方法によって世界認識がなされるのが、今の私の思索の発展の流れからみると自然である。

 

 私にとってこの目標は古いもので、高校1年生の頃には上の目的のためには批判と創造というプロセスが世界認識の土台になるのではないかと直感的に思っていて、しかし2年生になると創造というよりも改善という方が実情に合っているのではないかとも思いなおしたことを記憶している。しかし、世界認識を一貫した形で行うという目標それ自体は中学生のころから持っていたもので、中学生の頃は創造や改善といったプロセスはなくただ批判のみが土台になると思っていたが、それ以上に印象深いのは中学3年生、高校1年生ぐらいの頃には自らは変わり続けることが大事だ、それこそが人間として成長するための要だと非常によく意識していたことである。いずれにせよ、高校1年生の頃にはまず物理学についての俯瞰的かつ統一的認識を得ることを目標にしようと決めて、物理学についてのこの目標は現在は当時求めた形に近づきつつあり、成就しつつある。

 

 さて、私の目標は成就するのだろうか?成就するなら、いかなる形でだろうか?今の私には全く想像がつかないが、概ね期待通りにうまくいくのではないかと思っている。

 

 このブログを読んだ人はきっと、なんだかよくわからないという印象を受けるだろう。個別の話題について短く論じられているが、記事によっては中々難しいものもあるし、各記事のテーマがバラバラでまとまっていないように思うことだろう。ただ、難しくても決して無意味なことを書いているのではないように見えて、どう受け止めればよいか、どう評価すればよいかよくわからないと思うことと推察される。

 

 よくわからないのもうなずける。これらはすべて、私が今日まであらゆる経験を通して練磨してきた思想の結実である。長い時間をかけ、何千何万と試行錯誤を繰り返してきた結果である。これらはすべて、よりよい人間のあり方を追い求めてのものであった。こうした雑多な知識全体がまさに私という人間を形作っているのである。だが一つ問題があり、今の私の思想は人間のあり方を個別に調べることによって作り上げられており、幾分か普遍性が損なわれているのである。

 

 このブログの目的は、個別の話題について私の考えを書き表し、それによって私自身を知ることである。雑多なものをまとめ上げて統一された普遍的なものを作り上げる上での前準備である。複雑なものは複雑なままでは他者が理解しづらい。私の考え全体を多くの人が理解可能な形にするには、私の個別の考えをまとめ上げて普遍性を備えたものにすることが必要だと思う。どうして理解してもらいたいかというと、人がより良くあるにはきっと私の考えたことが役に立つからである。とはいえそうはっきりとした理由でもない。

 

 あと、副次的な目的であるが文章を書く練習でもある。本当は私は難しいことでも文章として書くより話して伝える方が得意だ。しかし話ではどうしても正しさというものが欠けてしまうし、伝えられる人の数にも限りが出る。このブログは私が文章を書く目的も兼ねているわけだが、実は記事の話題に合った形で文調を変えている。科学の話は論理的に、道徳の話は説得的に、随筆は自然な感じで、といった感じだ。

 

 ここまで読んだ人の中には、私が読者をあまり重視していないのではないかと感じる人もいるだろう。決してそういうわけではなく、暗め、硬めの文章が続いた後には読んで気持ちのいい明るく柔らかい文章を書こうと意識している。それに、読者の感想は積極的に記事の執筆に取り入れている。面白いと言ってもらえればうれしいし、よくわからないという意見も参考になる。

 

 だからどんなものでも感想を教えてくれるとうれしい。私の文章を読んだ人がどんなことを思うのか、非常に興味深い。また、何か意見があれば遠慮なく伝えてほしいし、書いてほしいテーマがあれば積極的に教えてほしい。かなり幅広く対応できると思う。

 心は軽やかでありながら深みを見つめ、何事にも大きく動揺せぬが万事について心が自然にゆっくりと動くのを感じ、うれしいことには無垢な子どものように混じりけのない笑顔を浮かべ、悲しいことにはなんともなしに少し落ち込んでしまう。心は明瞭で隠すところがなく、純粋な喜怒哀楽が自然と浮かんでくる。その感情は決して大きいものではなく、少し外にあふれ出る程度である。悪いことを考えるのはなんというかよくないなと感じ、悪意は自然と消える。美しいものに出会えば微に至るまでよく見つめ、美を自然と感受する。難事に出会えばよく考えて理解に努め、平易な物語に解する。人をよく見て何を考えているのか自然と感じ取る。悲しみを抱えているのなら話を聞き、喜んでいればそれを分かち合う。人が困っていれば助けられないか思案する。小さないいことがあれば小さな喜びを感じ、小さな悲しみは長く抱えることがない。ちょっとしたことでも幸福感が心の中に満たされる。

 

 心がもっとも純粋な時間は朝起きた後である。何を考えるのでもなく喜びもなく不安や悲しみもなく、ただ習慣が導くままに体が動くのみである。どんな高尚な人間もどんな悪人も眠りから目覚めたときは何を考えるということがない。意識が覚醒するにつれて少しずつ日常が心に入り込んでくるが、ほんの少しの間でも人はみな同じように純粋な心を持つ。朝の心は静かである。いかなる人でも枝葉末節に揺れ動くことが少ない。

 

 混じりけのない心は純朴な人柄を導く。素直で裏表がない。人に隠すところのあるような暗さ、陰湿さがない。朗らかで明るく、いろんなところに交じって溶け込む。自然な喜びが外に醸し出され、笑みが自然とあふれ出る。そういう人には、幸せが自分の内側から自然と生まれてくるのだと思う。

 

 人と人とが会って言葉を交わす。人と話す他の多くの方法があっても、会って話をするということは私にとって他に変えられないものだ。人通りの多い街を並んで歩き、たまに目に付く少しおしゃれでよくわからない日用品を売るお店、街路に突き出した大して興味もない看板に目を奪われながら、ちょっとしたことを針小棒大に語る。閑静な住宅街の狭く見通しのきかない迷路のような小道を遠くにある高い建物を頼りに歩きながら、状況があまり想像ができない相手の思い出を非常に興味深く拝聴する。どこかの喫茶店や人通りの少ない場所に置かれた長椅子に座って、深く味わい深い話を交わす。話題はなんでもよい。近い距離で何か言葉を交わすことが一番重要で、本当に楽しく、うれしく、心地いいものだ。

 

 人と話しながら私は相手の言葉の選び方、会話の運び方、声色の変化、表情、話す速度、目線になんとなしに気を配り、相手がどう思っているのか、楽しんでいるか、喜んでいるか、はたまた悲しんでいるのかを感じ取る。こういうのは人間の慣れというか、私が十分注意してきたからか、そうしようと意識せずとも自然とわかるものだ。よく知った仲ならなおさらで、以心伝心のように何を考えているのかが朧げながら伝わってくる。

 

 ただ、人間というのは複雑なもので、相手が楽しいと感じているからと言って自分が楽しいかどうかはまた別だ。単なる話術の技術的な駆使によって相手を楽しませてるだけだっていうちょっとしたニヒルな感情を抱くこともあるし、相手が興奮していればむしろ自分は少し落ち着いてゆったりとした口調で相手の話を冷静に聞かなくちゃってなるときもある。

 

 でも、できれば相手が私と話して楽しいとか嬉しいとか思うようにしたいものだ。もちろん状況がそれを許さないことがあるけれど、それにしたって人間は共感の生き物、やっぱり相手が楽しんでいる方が自分も楽しめる。だから特別な状況でない限り、私は相手の気持ちを感じ取ったら言葉や話題をうまく選んで、時にちょっとふざけた感じで相手をもっと楽しませようと思うんだ。

 

 昔から私は人と話すのが好きだし、人と会って話をするのをとても楽しんできた。場に応じてとても面倒で難しい物理学や数学の話をすることもあれば、とんでもなくくだらない話をすることもあったけど、どちらか一方だけがいいってわけじゃなくて、両方とも必要なのだ。難しい話ばっかりしていると私も疲れちゃうし、たまに甘い角砂糖を入れた紅茶を飲みたくなる。でも、軽い話ばかりだと飽きちゃうんだ。

 

 いろんなところに行っていろんな人と知り合うと、時々、阿吽の呼吸のように私との会話がまるで映画のセリフのように弾む人がいる。そういった会話はいつまでも続けていられる。会話がポンポンとボールのように弾むんだ。そして、そういう人が私にとって得難い友となり、永く続く縁となっていくんだ。そんな人と話していると感じるんだ、ああ、幸せだなぁって。