冬のソナタというスタイル
彼女がはまっていたので、私も一緒に冬のソナタを見ました。ペ・ヨンジュンもすごいかっこいいですし、チェ・ジウはすごい美人です。しかしそういう点よりもドラマの内容や韓国の文化に着目をしてみました。
まず先に申し上げますがこの記事には内容に関するネタバレが含まれています。まだドラマを見ていない方は読まないほうが楽しめると思います。
このドラマを一通り見て感じることは「オリジナリティーとは何か」ということです。
交通事故 記憶喪失 別人として生まれ変わる 盲目 恋人同士が実は兄弟だった
これらの基幹となっている要素はそれぞれとてもオーソドックスで、誰でも聞いたことのある、ありきたりなものです。しかしこれらを(多少強引であっても)くっつけてしまったところに人気の秘密があると思います。
ドラマを見る過程で「この先どうなるんだろう」という思いは誰にでもあるでしょうし、心のどこかで先の展開をある程度予想して見ているはずです。
これらの心の動きそのものがドラマを楽しむ上で非常に重要です。
ある程度の年齢になると、話の内容があまり期待を裏切られるものだと不快感を覚えるものだと思います。逆にあまりに期待通りだと退屈になってしまっておもしろくありません。つまり基本的にはオーソドックスなスタイルを踏襲しながらも多少のサプライズをスパイスとして利用するという方法が人気獲得のために最も適したものだと考えます。
ただ冬のソナタの場合、特に目新しい要素は見受けられません。逆に言うとオーソドックスな要素ばかりをただ単純に組み合わせた構造になっていると感じます。しかしその単純な構造にこそ秘密があります。
記憶を失った主人公が自分の父親の秘密に迫る過程で、見ている人は「まさか・・・兄弟とかいうオチっすか?」と感じるのではないでしょうか。序盤のストーリーからは記憶を失った主人公が別人として登場し、恐らく記憶が戻ってハッピーエンドになると予想をしていたはずです。まさかその先に兄弟・盲目などという要素が待っているとは予想できません。なぜなら序盤のストーリーから考えてこの展開はあまりに突飛で脈絡がないように思えるからです。しかしながら盲目・兄弟などの要素自体そのものが突飛なわけではなく、むしろありきたりでオーソドックスです。
つまりこのドラマは単純な要素のつなぎ合わせのみで出来ているにもかかわらず、そのつなぎ目自体がサプライズの役割を果たしているために見ていて飽きることがないのです。
私はこの手法をジョイントサプライズと呼んでいます(今思いつきました)。
ジョイントサプライズは聴衆に「こんな話きいたことない」と思わせる効果もあります。これはある意味で錯覚であり、新しい要素を提案しているわけでないことに注意したいものです。
また、こういった手法は既存の要素を消費していると考えることも出来ます。なぜなら先ほど列挙した要素
交通事故 記憶喪失 別人として生まれ変わる 盲目 恋人同士が実は兄弟だった
今後これらの組み合わせでヒットするドラマを作ることはもう出来ません。この構造では即座に冬ソナを連想されて「似たような話」になってしまうからです。またこれらの要素のいくつかを多少入れ替えたところでそれはやはり同じことで、構造的にかなり広い幅を冬ソナが占有しその陣地は使いまわしが利かなくなります。
つまりこれが既存の要素の組み合わせを消費しているという理由です。
ドラマに限ったことではなく、これらのことは音楽や小説、漫画などにも同様のことが言えるのではないでしょうか。
このことは同時に「オリジナリティーの難しさ」をも感じさせます。たった一つの要素であっても、誰も聞いたことのないような話を作るのはとても大変だと思います。
私は昔音楽で仕事をしていたことがありますが、誰も聞いたことのないような音楽を生み出すのは不可能と思えるほどに難しいものです。こういったことが出来る人のことを世間では天才と呼ぶのかもしれません。
また、新しい要素というものは時として人に不快感を感じさせるものです。天才の所業がなかなか認められない理由はここにあるのではないでしょうか。
冬のソナタを見てもう一点感じたことは「韓国人は酒が好きなんだな」ということです。毎回毎回、必ずといっていいほど酒を飲んでいるシーンが出てきます。
私たち日本人はノミニケーションなどという言葉通り、酒がないと上手にコミュニケーションできない人種だと言われていますが、はたして韓国人と日本人どちらのほうがノミニケーションに頼っているのだろうか、などということを考えます。
ジョイントサプライズについては漫画のワンピースなどでも同じことが言えます。また機会があればワンピースについて一席ぶちあげたいと思っています。
驚異の装備
この写真はこちらで紹介したゾウの鼻(正面)です。つくづくこの道具というか装備はすばらしいもんだなと思います。ゾウは文化を持っている高度な生き物です。繁殖能力を失った野生動物は役目を終えたという意味で案外あっさりと死にゆくものですが、ゾウは繁殖能力を失った後でも長く生きることが多いようです。
一般的にゾウは老齢の雌をリーダーとした群を形成します。群は水場を求めて絶えず移動しますが、その際にリーダーの知識が非常に重要です。
彼らは長年の経験から水場の位置を記憶しており、群が生存するために彼らを水場に導く役割を果たします。群を維持する上でその知識が必要不可欠なものなのです。
つまりゾウの群はおばあちゃんの知恵袋によって支えられている部分が大きいと言えます。
人間も経験者や先人の経験や知識を大事に扱ったからこそ高度な文化を形成することができます。その意味で野生動物であるゾウにも高度な文化が存在するのではないでしょうか。
ゾウの鼻には骨がありません。ですから化石には残りませんが、今もしゾウが滅んでいたら私たちはゾウの姿を知らないかもしれません。まさか先端がこんなことになっているなんて想像もできないことでしょう。
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ナマケモノ生活と顔の肥大化
今日はぽろぽろと本業の入金があったので商品発送をするつもりだったのですが、ヤマトの担当者がお休みしているとのこと。まぁいいか。本当は土日働きたくないけど明日発送しよう。
今日は朝から少し寝不足気味でしたのでこれから昼寝タイムにしました。
私は海外から商品を輸入しオンラインで販売しています。家の一室を在庫ルームにして、そこからはみ出さないように仕入れをします。
お客様はエンドユーザーですのでこれといってお会いしたりすることもなく、毎日会っているのは彼女とヤマトのお兄さんくらいのもんです。
こんなわけで外に出ることもほとんどありません。
このような生活をしていると、お日様が恋しくなることがあります。そりゃ外に出ればそれでいいんですが、なんせそれをめんどくさいと思うタチなもんですから。それでなるべくカーテンを開けて日光を部屋に入れるように心がけています。
独立して約1年くらいでかなり体重が増え、実家に帰れば友達には「おまえ死ぬぞ、おまえ死ぬぞ」などと脅かされます。だいたい1年くらいで8キロ程度増えたのではないかと思います。
今年の正月に「痩せるぞ」と決意してからもうやがて一年たつんですね。本当に年月が過ぎてゆくのはあっという間です。
基本的に私のダイエット方法は「インプットを減らす」ことに重点を置きます。基礎代謝がどんどん下がっていくのは年齢的にどうしようもありませんし、運動もそれなりにやっています。やっぱり食べる量を減らすのが一番簡単ですね。
今ピーク時と比較してだいたい5キロくらい減ったでしょうか。これで正月はなんとか「まぁ、まだちょっと太っとるけどだいぶ戻ったね」くらいのリアクションで済みそうな予感です。
私は昔よく「顔が小さい」といわれていました。「関東で3本の指に入るほど顔が小さい」などと評してくれる人もいたのですが、もうここ3年くらい言われた記憶がありません。個人的に顔がでかい人には人情味を感じます。私も年相応の人情が身についてきたのかもしれません。
動物がたまらない
みなさん、この写真なんだと思いますか?幻の珍獣 ツチノコじゃないですよ。これはゾウの鼻です。鼻でにんじんをつかんでいるのです。
驚異的じゃありませんか。感動です。
ここは市原ぞうの国という動物園ですが、ここではゾウやキリンに直接えさをあげることが出来ます。今回は彼女とこの市原ぞうの国に行ったときの胸一杯の感動を余すところなく表現してみたいと思います。
ゾウをこんなに近くで見ることが出来るところは少ないでしょう。なんせゾウの鼻がこんなものすごい構造になっているとは思ってもいませんでした。また、適当な距離でにんじんを持っているとぐぐぐーという感じでなんとかがんばって取ろうとします。椅子を使わずに電球の交換をしているような感じです。
ゾウはおもいっきりにんじんに集中していますので鼻を触ることもできるんですよ、それはもうベタベタと。
鼻毛がすごいんですよ。まるで針金みたいな剛毛が生えています。
さらに鼻水もどぼどぼ出ています。最も驚くべきことはこの写真でも分かるとおり「これ、手?」と思えるほど器用な構造です。
こりゃすげー いやほんとすばらしいアニマルワールド。
そしてひとしきり楽しんだ後に立ち去ろうとすると、この像が金網をダバシーンドバシーンとものっっすごい音たててたたくんです、もちろん鼻で。つまり私たちを呼んでいるわけですね。
「おい、もうちょっとよこさんかい、こんなんで足りるか」
その音といったら本当に恐ろしいほどパワーを感じさせるもので、K-1選手でもあんなにすごい音を出すことはできないんじゃないでしょうか。
キリンにえさをあげることもできます。きっと驚くことでしょう。信じられないくらい顔がでかいです。そのでかい顔がぬぅぅっと上のほうから近づいてくるのですが、あまりにでかいので遠近感が錯覚を起こしてしまいます。そして紫色のベロでえさを巻き取ります。ベロの色はこの世のものとは思えません。ほとんど恐竜ですよ、恐竜。でも目は優しそうな感じ。
トラもいましたよ。トラ。さすがにこれにえさをあげることは出来ませんが、時間が合えば食事シーンを拝見することも出来ます。
えさの時間になるとトラはうなりだすんですね。グオルルル。よくテレビで聞く声です。しかし、テレビでは伝わってこない倍音効果のためか、その臨場感は(まさに場に臨んでいるのですが)すさまじいものがあります。
はっきり言って聞いたことないようなものすごい音がします。音を聞いただけで自然と背中がゾクゾクっとして本能的な恐怖を覚えました。これはまぎれもなく生命の危機に瀕した時の感覚です。
こんな動物、絶対にかなわないと思いました。別に対決するつもりはありませんが、それでもきっと自然界で出会えば目をあわせただけで観念してしまうと思います。
うぎゃー、トラだーー・・・ボナペティ
私はあきらめの悪いタチですが、それでもこのオーラには絶対逆らえないと感じました。
私はもう身もだえしてしまうほどに動物が好きです。サファリパークや動物園が好きで好きで仕方がありません。そして得意技のひとつとして、私は動物が感じていることが大体分かります。
よく主人公が自己犠牲の精神に立って多くの人を救うストーリーの映画を目にしますが、私はそういう映画で泣いたことがありません。しかし動物がご主人様を守るために死んで・・・ウッ すみません 自分で書いていてグッときてしまいました。
まぁとにかく動物が死ぬ映画はよく泣きます。かなり古いですがターナー&フーチとか。アイアンジャイアントというロボットのアニメ映画でも泣きました。まぁ動物じゃないんですけどね。
写真に写っている手は彼女の手ですが、彼女も動物好きです。多分私は「動物が嫌いだ」という女性と生活することは出来ないと思います。
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和式・洋式
numeriさんの記事 「和式イヤ」 学校トイレ洋式化検討
若年者から和式トイレが嫌われる理由として「根本的に足腰が弱くなっている」という説を聞いたことがあります。
確かに和式でうんこをするスタイルは下半身への負荷が高いといえるでしょう。私自身、ときどき和式を使うと若干足がプルプルしてくるのも事実です。
また、個人的な見解ですが日本人の便通が悪くなっているという可能性もあると思います。その場合「投下構え」の時間が大幅に延長され負担は倍増します。たとえば和式スタイルで30分はかなり辛いのではないでしょうか。
これは言うまでもなく日本人の食生活の変化によるものと考えられます。魚と野菜を中心にした安産型の食生活から、肉中心の大便難産食にシフトする過程で自然と排泄に要する時間が延びていると考えられます。
足腰が弱くなり、大便所要時間が大幅に伸びる過程で洋式が主流になるのは自然な流れなのかもしれません。
あぐらの出来ない外人さんがいるように、和式でうんこを捻り出すことが構造的に困難な日本人が増えていくであろうことは容易に想像できます。
しかし和式が自然淘汰されていくのは日本人として一抹の寂しさを感じるのも事実ですね。
余談ですが、私の出身地ではうんこを漏らすことを「うんこしかぶる」または「うんこまりかぶる」と言います。
若年者から和式トイレが嫌われる理由として「根本的に足腰が弱くなっている」という説を聞いたことがあります。
確かに和式でうんこをするスタイルは下半身への負荷が高いといえるでしょう。私自身、ときどき和式を使うと若干足がプルプルしてくるのも事実です。
また、個人的な見解ですが日本人の便通が悪くなっているという可能性もあると思います。その場合「投下構え」の時間が大幅に延長され負担は倍増します。たとえば和式スタイルで30分はかなり辛いのではないでしょうか。
これは言うまでもなく日本人の食生活の変化によるものと考えられます。魚と野菜を中心にした安産型の食生活から、肉中心の大便難産食にシフトする過程で自然と排泄に要する時間が延びていると考えられます。
足腰が弱くなり、大便所要時間が大幅に伸びる過程で洋式が主流になるのは自然な流れなのかもしれません。
あぐらの出来ない外人さんがいるように、和式でうんこを捻り出すことが構造的に困難な日本人が増えていくであろうことは容易に想像できます。
しかし和式が自然淘汰されていくのは日本人として一抹の寂しさを感じるのも事実ですね。
余談ですが、私の出身地ではうんこを漏らすことを「うんこしかぶる」または「うんこまりかぶる」と言います。