내한국 私の大好きな韓国☆ -33ページ目

내한국 私の大好きな韓国☆

2010/12-2011/11まで韓国でワーキングホリデーを体験し振り返ってみる思い出日記で、3か月の語学堂終了後就職した怒涛の1年間。自分の記憶断捨離のため始めたblogでもある、今だからこそ落ち着いた第三者目線で見れる私が愛した韓国を綴る。

내한국
안녕 여로분


2日酔いで1時間目をお休みした。なんだか2時間目学校へいくものの、すんなり韓国語がはいってくるようになっていた。

不思議なことに、勉強きらいの私だが、学校生活も10日位経ち、韓国にきて1か月も過ぎようとしているので、さては慣れたのだと思った。

魔法の水のおかげで緊張がふっきれ、韓国のみなさんや警察官の方など優しさに触れ、がんばっていけると感じた。

今日も学校で習ったことをお家に帰って覚え、図書館で勉強する体の状況ではないのでおうちでしばしやすみ、アルバへ行く。昨日のことで迷惑をかけてしまったので謝った。お酒に慣れてなかったとはいえ、人生初の失態に動揺は隠せなかった。お酒に酔うという恐ろしい様子、あのフイルムが切れた状態にはもうなりたくない、すまなかったと苦々しい思いの丈をぶつけた。

余は言いわけだが、韓国ではお酒で酔うのは当たり前だし、何もなくて無事にお家に帰れたのでよかったと言ってくれた。そしてアルバもくびにならなくて本当によかった。お金もあるが、心のよりどころと言うか、またあのような淋しさにかられるのではと切なくてたまらなかったが、そうならなくて助かったという心持だった。

気を取り直して、日本語を教えて、またわからない服飾用語がでて、宿題にして、学校へ行き、アルバへ行くといういつものリズムを取り戻した。


ソウルでお気に入りの場所10位に入る청계천(清渓川:チョンゲチョン)
내한국
안녕 여로분

なかなか文章を書くのが苦手で、この1ページに収まるくらいを書くのがやっとなので申し訳ない。特段もったいぶるわけでもないので読んでいただけると本当にありがたい。

韓国でアルバをしていて事件はいくつもあった。その最初の事件を今回はお届けする。


あの寒い日、意気揚々とアルバのみんなと、社長のお友達と焼酎と書いて「魔法の水」と呼ばれる
소주(ソジュ:焼酎)を飲む。小ぢんまりとした座敷で2階建ての佇まいだが、有名店なんだろう、おいしい삼겹살(サムギョプサル:3段豚バラ)をたのしく食べ、홉(ホップ:ビール&チキンのお店)へ行き、今度は鶏肉だが、おなかいっぱいじゃないのか??またお肉となる。そしてビールで流し込んだ。お酒の強さと胃の大きさではさすがに負ける。ここら辺から記憶がない。

気が付いたのは신도림駅(シンドリウム:新道林)だった。江南から社長に2万won頂き、タクシーに乗せてもらったのに、新村へは帰れてない。私の発音が悪く、酔っていたせいもあって家にも帰れてない。そして倒れていた。知らない人若い男性が私の携帯を拾い上げ、1番最後の人へ電話をかけてくれている。そしてその最後の人とは、アルバの同じ年の日本語を教えている女の子だった。ヨンミちゃんは、その男性に新村へ遅れと指示してくれた。そのおかげもあって、私は無事に新村の現代百貨店の前で下された。

ここまでなら事件ではないだろう。ま、事件でもないかもしれない。たいした話でもないが、次に記憶があるのは、パトカーの中だった。記憶を辿るがまったく思い出せもない。こんな状況を韓国ではフィルムが切れたと表現する。필름이 끊긴다.(フィルミ クンキダ)最悪の状況だか面白い表現で笑ってしまう。ㅋㅋㅋこれも韓国の表現で、クククと笑ってしまうという意味だ。

笑っている場合ではない。とりあえず家に送ってもらわなければと道案内してやっとコシテルに到着した。女の警察官で保護してくれていた。ちゃんとしろと別れ際に叱咤された。あの警官の人に心から感謝している。あのまま倒れていたら、韓国の寒さで凍死していただろう。そして色々と携わってくれた人たちのおかげで今がある。

これは1年の事件のなかの1つだ。大したことではないかもしれないが、平凡に生きてきた私にとったら日本でも乗ったことのないパトカーに乗るのは最初で最後にしたいと反省した。

*雪が積もってる世宗大王:セジョンデワン
내한국
안녕 여로분

相変わらず寒い。毎日、スノーブーツで通う学校までは筋肉痛になるほど坂が多い。ご存知の通り韓国は山に囲まれており、坂が多い。延世大学も山の中にあるキャンパスのような感じだ。雪景色の校内はとてもきれいでうっとりとするほどだ。雪の中でうっとりはなかなか危ない。すぐに移動☆寒すぎて動けなくなるのでうかうかしてはいけない。


アルバの経験と言えば、日本語教える先生、居酒屋、ウエイトレスやパン屋しかしたことがなかった。立ちっぱなしの仕事が嫌いで、何か考えることが好きだった。パン屋のバイトはパンをどこまで積んだらいいのかわからずに、上まで詰めすぎてお客さんが取れなくて落としていたことや、ココアに牛乳を入れずに出してお客さんが飲まなかったこともあった。今思い出すと本当に面白いが当時は必至だった。居酒屋でも最後の〆のお茶漬けを最後の階段を踏み外して3つもこぼしたりした。こういったことは全く向いていない。よく考えてゆっくりじっくり成功に向けてというような仕事がすきだ。それなのにバイトというものは、そういう仕事がなかなか見当たらなかった。


今は日本語を教えるアルバだが、教えているのだが、服のちょっとした作業?もしている。6時くらいにみんなと夕飯をたべた後間違って縫製があがってきたものを少し加工したこともあり、日本語も教えて、日本から来た指示書をみて?機械の図面とかは多少わかるものの、服飾のことはわからなかった。それでも翻訳と通訳を繰り返しながらやりとげるべきだった。

今日も1日語学堂の学校で勉強して、日本語の先生のアルバもこなし一息つくのだが、社長と飲み会になった。회식:会食(フェシ/会食)だ。

このあと事件がおきる。
明日へ続く。


なぜか街中でよく見る薬局。