내한국
안녕 여로분
華城のおうちを片付けるため、キッチン道具や、日本語の教材や、延世の教科書などを安く売った。あの日はソウルまで1時間もかからないはずなのに、週末渋滞で4時間ほどかかった。韓国の男性がトースターを買いたいので送ってくれといったのに、思ったのと違うから安くならないかと言ってお金を払わなかった。思い通りになんかいかない海外生活、それを支えてくれた会社の同僚や、延世の語学堂のみんな、韓国で知り合った近所の人たちが助けてくれたから1年を終えられる。
30歳までの申請なら何度かvisaがもらえるので、もう1度行きたかったので申請したが、30歳を越えていたので叶わぬ夢となった。実はvisaがないと海外で生活していくのは至難の業だ。半年分程の学費があれば学生visaがもらえるが、仕事はかなり規制がある。また語学や技術を教えるvisaなら働くことはできても給料が少なかったり、自由がきかなかったりする。visaがなければ3ヶ月/90日しか韓国にいられないということになる。結婚すれば勿論visaがもらえるが、その勇気もなかった。
2010年12月の寒い冬に渡韓し、3ヶ月の延世の語学堂で2級を学び、運よく就職し事務員として働き、短期間で韓国の文化に触れ、いいことばかりではなかったがあの1年は私にとって貴重な体験となった。
最後金浦空港までパクが送ってくれた、会社の社長は帰りのチケットを買ってくれるということなので、往復の一番高いエコノミーを買った。韓国から日本へのチケットのため、電話1本ですぐにbookもでき韓国へいけた。その後パクが結婚の挨拶に来るまでの翌年までずっと勧告からチケットを買っていたので手間が省けたのは、夏に往復チケットを捨ててしまい、ラッキーなことに社長が往復チケットを買ってくれたおかげた。
空港には、友達の息子も来てくれた。最後泣きそうだったので早く帰ってもらった。今までほぼ週末毎あっていたので、なんともいえない寂しいきもちになった。
羽田空港には、姉夫婦が待っていてくれたのだが、あまりにお肉を食べ、お酒を飲み、遊んで暮らしたため太りすぎて別人にみえたといわれた。韓国へいく女性はなんでもご馳走してくれるやさしい男性がたくさんいることを気をつけなくてはならない。体重計も早めに買ったほうがいいだろう。
帰国後毎日一緒にいたパクとテレビ電話したが、なんだか随分温度差を感じた。震災の影響で帰国できないとあきらめていた部分もあったが、報道されているよりかは日本は復活していて安心した。すぐに新しい仕事を見つけられれば保険も引き継げると思い焦ったが、つい楽で便利な派遣社員になってしまった。お給料は素晴らしかったが、待遇は社員よりよくなかったかもしれない。
日々の暮らしをこなしていくにつれて、韓国で生活していたことが幻だったかのように思われてきた。韓国語も忘れだし、働いたお給料で新大久保の延世と同じ教材を使う学校を見つけ3級を終わらせる。それなのに、日本での生活が楽しすぎてパクとは破局を迎える。おれはお前と結婚できなかったら、世界に一人不幸な女性ができるんだ。それがオレの嫁だ。お前がいなくなったら、日本が嫌いになり、灰人になると、豪語していたパクは1年もしないうちに中国人と結婚した。人生はそうそう悪くはならない。日々忘れ、新しいことのはじまりと、終わりを繰り返し、明日はだれしにも訪れるだろう。
좋은 날 되세요!!



