こうしたなかで、トヨタ自動車工業と日産自動車工業を両翼とする自動車産業も量産化にしのぎを削り始めた。昭和36年(1961年)6月、全国一斉に発売された国民車“パブリカ”(38万9千円)は乗用車を大衆のものに一歩も二歩も近付け、この時の反響の大きさに、トヨタ自工を除く自動車各社も勇気付けられた。そしてその結果は、昭和40年代に入るや流行語となった“3C時代”(カラーテレビ、クーラー、1000ccクラスの乗用車)へと開花していった。


鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
第3編 成長拡大期<1960~1969年>

廃墟の中から、めざましい経済復興をとげたわが国の経済は、昭和30年(1955年)以降神武景気、なべ底景気、岩戸景気と短期の景気変動を体験しながら、いわゆる“高度成長時代”へと突入していった。国民総生産(GNP)の確実な上昇。これは個人所得の増加、ひいては個人消費の拡大を呼びおこした。先ず家庭での“三種の神器”という流行語がもてはやされ、、白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫が爆発的に売れた。


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こんなとき、時間の経過は忘れるものです。ともあれ、取り巻く人々は人間味にあふれ、びっくりするほどよく働らいたものです。私自身も、設計技術者第1号という甘えは許されなかったが、それほど苦痛に思ったことはなかった……


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「入社するや、鬼頭社長に連れられて、人影のないトヨタ自工の工場に入っていく日々が始まりました。生産ラインを眺めながら、巻尺で付帯設備の寸法を測り、スケッチをする。それから会社に戻り、図面をひき、翌日の段取りをしました。


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