鬼頭工業 30年の歩み 135正門を入った正面に、鉄骨スレートぶき、150坪(約495平方㍍)ほどの工場を、右手に社長宅が建設された。工場建設に合わせて設備も充実した。鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
鬼頭工業 30年の歩み 134新天地は、585坪(約1930平方㍍)の敷地があり、高畑時代の3倍弱。国道248に面した田園だったが 、トヨタ自工の本社と本社工場が手にとるように眺められた。鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
鬼頭工業 30年の歩み 132当然のことだが、当社もこうした自動車産業、とくにトヨタ自工の昭和34年以降のめざましい展開に追随して、創業期と比較にならないテンポで変身することになった。鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
鬼頭工業 30年の歩み 131こうしたなか、昭和33年(1958年)1月、挙母商工会議所から“挙母市は、トヨタ自工と不即不離の関係にある事実に沿って、豊田市に改称すべきだ”との請願書が市当局に提出された。その後、7月29日付で、県知事がこの変更申請を許可、昭和34年(1959年)1月1日付で新生「豊田市」が誕生、以降、東洋のデトロイトとして飛躍の道をひた走 っている。鬼頭工業株式会社|KITO MAC|