こうしたなかで、ト ヨタ自動車工業と日産自動車工業を両翼とする自動車産業も量産化にしのぎを削り始めた。昭和36年(1961年)6月、全国一斉に発売された国民車“パブリカ”(38万9千円)は乗用車を大衆のものに一歩も二歩も近付け、この時の反響の大きさに、トヨタ自工を除く自動車各社も勇気付けられた。そしてその結果は、昭和40年代に入るや流行語となった“3C時代”(カラーテレビ、クーラー、1000ccクラスの乗用車)へと開花していった。
鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
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