昨夜、「SONGS~辻井伸行」を見た。彼の生い立ちや成長の過程の映像を織り込みながら、スタジオ・ライブを見せてくれた。そして、番組の後半にEXILEのボーカリストのATSUSHIをスペシャル・ゲストに招いて、辻井のピアノを伴奏にATSUSIが歌う「それでも、生きてゆく」を聞かせてくれた。東日本大震災の被災地に思いをはせて辻井が作曲した曲に、ATSUSHIが作詞したということだ。曲も詩も、またピアノも歌も良かった。辻井伸行といえば、僕はN響と協演した、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の演奏を聞いたことが思い出される。この協奏曲は難曲らしい。辻井の実力は知ってはいたが、そうは言っても盲目のピアニストが、果たしてミス無く弾けるのか、演奏を聞く前は正直心配だった。しかしそれはあくまで杞憂に過ぎなかった。彼はみごとにこの曲を弾きこなした。彼はインタビューに、「この曲は、僕は得意なんです。」と答えたそうだ。僕は、以前母との会話で、ついつい「生き神様という言葉があるが、辻井伸行のような人間のことを言うんだろうなあ。」と言ったことがある。


僕が、サッカーに興味を持ち始めた1970年頃は、世界のスーパー・スターは、ほとんどが自国のサッカー・リーグでプレイをしていた。ブラジルのペレはサントス、西ドイツのフランツ・ベッケンバウアーとゲルト・ミュラーはバイエルン・ミュンヘン、ウーヴェ・ゼーラーはハンブルガーSV、イングランドのボビー・チャールトンはマンチェスター・ユナイテッド、ゴードン・バンクスはストーク・シティ、イタリアのルイジ・リーヴァはカリアリという具合だ。ただ、西ドイツ代表のカール=ハインツ・シュネリンガーは、イタリアのACミランでプレイをしていた。しかし、それはかえって不思議に思えた。その後情勢が変わり、一部の南米の優秀な選手が、マネーとステイタスのアップを求めて(全ての選手がそうだとは言えないだろうが)ヨーロッパでプレイをする時代となってゆく。そして、現在は、ヨーロッパにはビッグ・クラブというものが存在し、世界中から代表選手が集まり、さながら多国籍軍団の様相を呈している。当然、、ヨーロッパ・チャンピョンの争いは、ビッグ・クラブ間の争いになっている。今後は、1970年のオランダのフェイエノールト・ロッテルダムや、1991年のユーゴスラヴィアのレッドスター・ベオグラードが世界を驚かせたようなことは、起こりにくい状況になっている。
オランダは、FIFAワールド・カップに、1934年と1938年に出場して以来、長くワールド・カップから遠ざかっていた。しかし、そのオランダのクラブ・チームの「フェイエノールト・ロッテルダム」が、1970年に南米のクラブ・チームの覇者を破って、世界一に輝いた。勿論オランダのクラブ・チームとしては初の快挙だ。あのマンチェスター・ユナイテッド(ボビー・チャールトン、ジョージ・ベストらを擁していた)でさえ、1968年に、アルゼンチンのエスツディアンテスに敗れて、このタイトルをのがしている(その後マンチェスター・ユナイテッドは2度世界一になっている)。すると、翌々年の1972年に、今度は、「ヨハン・クライフ」を擁する、ヨーロッパ覇者の「アヤックス・アムステルダム」が、またクラブ世界一になったのだ。その頃の僕は、オランダのサッカーに関してそれほど感心もなく、情報も持っていなかったので、この快挙には本当に驚いた。そして、その後の1974年のワールド・カップ・西ドイツ大会で、「ヨハン・クライフ」がキャプテンを務めるオランダのナショナル・チームは、「トータルフットボール」と呼ばれる戦術で、堂々の準優勝に輝くのだ。