サッカー日本代表(オフト・ジャパン)は、1993年10月、1994年のFIFAワールドカップ・アメリカ大会のアジア地区最終予選を戦うため、カタールに乗り込んだ。アジア地区のそれぞれの予選で勝ち残った6チームが一同にカタールに会して、リーグ戦を戦い上位2チームがワールド・カップ本大会に出場できるのである(現在のようなホーム・アンド・アウェイの方式ではなかった)。オフト・ジャパンは、前年の1992年アジア・カップで優勝していた。そして1993年の5月には待望のJ・リーグが開幕していた。色んな意味で、日本には「追い風」が吹いていた。日本代表はリーグ戦序盤にもたつき、出場決定は最終戦のドーハでのイラク戦まで、持ちこしてしまった。最終戦の主なメンバーは、三浦知良、ラモス、中山、井原、森保(現サンフレッチェ監督)、長谷川などだった。日本は後半中山のゴールで2-1とイラクに勝ち越した。後半のロス・タイムに近づいた頃、僕は勝利を確信して、家族と祝杯をあげようと思って冷蔵庫にビールを取りに行った。しかしテレビの前に戻ると日本代表はイラクにコーナーキックを与えてしまった。そしてロスタイムに突入した後、コーナーキックからヘディング・シュートを決められ2-2と引き分けてしまった。日本ーイラク戦より数分前に終了していた他会場の結果がわかっていたため、試合終了後、中山は大きく泣き崩れ、他の選手も皆呆然としていた。結局韓国に得失点差で及ばなかった日本代表は3位となり、悲願のワールド・カップ初出場を逃してしまうのである。


近年、ニコラウス・アーノンクール指揮のウィーン・フィルのコンサートに行った。正直、僕が聞きに行ったオーケストラのコンサートの中では、チケット代が一番高かった。またチケットを入手するのにも苦労をした。曲目は、モーツァルト作曲「交響曲第39番」とベートーベン作曲「交響曲第7番」で、アンコールは、ベートーベンの「第8番」の第2楽章だった。オーケストラのメンバーは、「ニューイヤー・コンサート」の放送や、日本公演の放送などでよく見かけたメンバーが揃っていた。モーツァルトの「第39番」は、さすがに「本場の」モーツァルトを聞かせてもらったという感じだった。この曲で演奏していた、放送でもよく見かけていた若き首席トランペット奏者の音は、よどみのない本当にいい音をしていた。このコンサートで少し残念だったのが、トロンボーンの音が聞けなかったことだ。

僕は、中学一年から吹奏楽を始めた。吹奏楽は、主に吹奏楽のためのオリジナル曲と、クラシックを吹奏楽用にアレンジした曲を練習するため、おのずとクラシックに興味を持つようになり、ベートーベンやチャイコフスキーなどのレコードを買って聞くようになった。そして、クラシックのオーケストラのコンサートを初めて聞きに行く機会が訪れた。それは地元の音楽大学のオーケストラのコンサートだった。やはりそのコンサートで一番印象に残ったのは、弦楽器の音だった。吹奏楽の練習で、木管楽器、金管楽器、打楽器の音は聞き慣れていたが、弦楽器の生の音を聞くのはその時が初めてだった。その音はレコードの音よりも、柔らかく深みがあった。それ以来僕は、コンサートの独特の緊張感と期待感、そしてそれぞれの楽器の生の音を求めて、コンサート会場によく足を運ぶようになった.