サッカー日本代表(オフト・ジャパン)は、1993年10月、1994年のFIFAワールドカップ・アメリカ大会のアジア地区最終予選を戦うため、カタールに乗り込んだ。アジア地区のそれぞれの予選で勝ち残った6チームが一同にカタールに会して、リーグ戦を戦い上位2チームがワールド・カップ本大会に出場できるのである(現在のようなホーム・アンド・アウェイの方式ではなかった)。オフト・ジャパンは、前年の1992年アジア・カップで優勝していた。そして1993年の5月には待望のJ・リーグが開幕していた。色んな意味で、日本には「追い風」が吹いていた。日本代表はリーグ戦序盤にもたつき、出場決定は最終戦のドーハでのイラク戦まで、持ちこしてしまった。最終戦の主なメンバーは、三浦知良、ラモス、中山、井原、森保(現サンフレッチェ監督)、長谷川などだった。日本は後半中山のゴールで2-1とイラクに勝ち越した。後半のロス・タイムに近づいた頃、僕は勝利を確信して、家族と祝杯をあげようと思って冷蔵庫にビールを取りに行った。しかしテレビの前に戻ると日本代表はイラクにコーナーキックを与えてしまった。そしてロスタイムに突入した後、コーナーキックからヘディング・シュートを決められ2-2と引き分けてしまった。日本ーイラク戦より数分前に終了していた他会場の結果がわかっていたため、試合終了後、中山は大きく泣き崩れ、他の選手も皆呆然としていた。結局韓国に得失点差で及ばなかった日本代表は3位となり、悲願のワールド・カップ初出場を逃してしまうのである。