ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ -9ページ目

ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ

自分の言葉で自己表現し、今と未来をより良く生きていきたい。回復途上ですが相談援助のお仕事もしています。書くこと話すこと…対話を通して人生の課題と向き合うお手伝いがしたい。ゆっくりまったり生きづらさから回復しながら生きてゆくのもいいもんだ♪

New Messenger こまり。です。

去年に少し習ったままで
全然実践していなかった
タロットリーディング。

えいやっ!と始めてみたいなあと思い立って
リーディングの練習相手を探しています。
SNSで発信したら
何人かからお問合せ、早速の体験の申し込みがあり感謝感激です(≧▽≦)
インスタグラムはこちら。

なんで今まで躊躇していたのを
急にやり始めようと思ったのか??
またそれについてもブログでぼちぼち書こうと思います。

基本的にちょっとスピリチュアルな事や不思議なことが好きで
感覚や直観を大事にしたいなあと思うタチの人間です。

エビデンスがあ~とか根拠があ~とか、必要性は~、ということが本業(制度ケアマネ)の方ではどうしても付きまとうのですが
それはそれで。
でもね。本業でお会いする人のことでも
意外と??直観って当たったりするんですよ。

ことばや表情には出さないけど、この人相当無理してんじゃないかなあ~なんて感じていたら
急に具合悪くなって倒れたり。
ことばでは心配や不安を口にするけど、見ていてうん、大丈夫そう。と思ったら
お仕事が長く続いていたり。
直感でこの人やだな、と思ったのを打ち消して一緒に仕事してたら
やっぱりやな人で陰口言われていたり。
そういうことって、あるんです。

本当はボーっとした感覚有意の人間です。
直感や感覚で対話のできるツールがタロットカードなのかなあ、なんて思います。
好きなことなので
ちょっとやってみようかなあというところです。
直接お会いできる人に限られますが
無料体験、リーディングの練習相手募集中です。


先日、県外にいる妹が帰ってきていました。

数年前に父親ががんを患ってから
何かあった時の連絡先は妹です。

自分史でも書いていますが、父親は相当のダメンズで私たち子どもを置いて逃走しています。
親としての義務も責任も果たさすにトンずらこいているのですが
父親のこと①
父親のこと②

なんだか子どもには優しく接してほしいようなのです。(正直、どの面さげて!と思わなくもないです。)

妹はじめわたしたち姉弟は
日常的な交流は感情的にできない、しない
けれどもなんかあった時
それこそ亡くなった時の引き取り
お墓をたてること
それぐらいはしよう、と決めています。

妹が父親に
「なんかあったら連絡して」
と伝えているのですが
父親は
「何事かがないとあってくれんのか?」と返したそうで
まさに妹は「どの面さげて!」と呆れ返ったという話をこの帰省中に聞きました。

後で考えると
子どもには会いたいのだろうな、(自分のしたことは差し置いて。)
寂しいんだろうなというのは分かる。

でも、このちょっとひねくれたものの言い方。
ムカつくわー。やっぱり。と私も思う。


親子だから絆がある
家族だから絆がある
だから(いい意味で)情緒的にかかわるべきという価値観が見え隠れする。

絆がある。

でもね。
絆のもう一つの読み方…。

ほだし。

絆しの意味は
人の心や行動の自由を縛るもの 自由を妨げるもの 馬の足を繋ぎとめる縄 手かせ足かせ

そして
実は絆の意味も…
犬、馬、鷹などを繋ぎとめる綱。転じて断とうにも断ち切れない人の結びつき

確かに
親子には絆があって絆されている。
言い得て妙。

だからムカつくし、許せないし、関われないことだってある。

親子だから仲良くすべき
家族なんだから助け合って当然
そこには無条件の愛があるのが前提

そんな価値観に
絆されて
多くの人が生きているのかもしれません。
私も。



先日、娘と一緒にテレビを見ていた時の会話。

娘:「今はねえ、結婚したくない、しない人が若者でも増えているんだって。」
私:「ふーん。まあ、してもしなくてもいいんじゃなあい?」
娘:「私はしたいなあ。絶対したいなあ。ほら、お父さんとお母さんみたいに。」

・・・・。

私:「お母さんとお父さんを見て結婚したいって言うなんて。私、それだけで生きてて良かったわ。」
娘:「なにそれ~。」

決して幸せではなかった家庭で育ち自分史の記事はこちら。
私、なんで生きてんのだろう?と思いながら(でもどこかにこの思いを封じ込めながら)
生きてきた私にとって
こんなに嬉しいことばはない。
シアワセな家庭を知らない私が
私の子どもに対して
シアワセな家庭を見せてあげられるなんて
思えない。

娘が
家庭を持ちたいという子に育っていることが
ものすごい奇跡のように思えました。

ダンナとの関係も
葛藤がないわけではないけど
まあまあ家族として機能していて
子どもから見たら
なんとなしにお父さん、お母さんやってるように見えているのかなあ。

私自身が
もうちょっと
シアワセ感じて生きてもいいのかなあ?なんて思ったことでした。

そんなこんなで
ちょっと書くのを休んでいた
自分史を
ぼちぼち10月ぐらいから再開しようと思います。
決して幸せではなかった子どもの頃の話ですが、
今、少しだけ幸せを感じることができたから
過去に向き合える力が出てきたのだと思います。
こまりです。

丁度1か月ぐらい前になるのですが、SNSで突然知らない人からメッセージがありました。

「 メンタルヘルスをうたっていますが、どのくらい専門家なのかわかりませんが、聴いてもらいたいことがあるのですが。お願いできますか?」
とな。

こまりは指定事業(ケアマネ)以外は有料相談にしている(申し込みは殆どないですが)ので
そちらの紹介をしました。

その後のお返事は

「有料だったらいいです。お金儲けのためにしているのですね。あなたは本当に人を助けたいと思っているのではないのですね。」

とのこと。

私は
「良い方にめぐりあえるといいですね~。」とお返事してやり取り終了しました。
SNSで私をフォローしてくださってたようなのですが、その後フォローも外されていました。

この出来事から私も色々考えました。

まず一つが私の有料相談の設定について
これは有料相談でバカスカ稼いでやろうと思って設定しているわけではなく、
ちょっと複数の意図があって設定しています。(その意図に関してはここでは割愛します)

でも、相談、あったらいいなあ~、とも思っていました。ケアプランにはならないけれども困りごとの相談には対応したい、なんて思いもあり…。
なんと中途半端!

やるならやるでもう少しきちんと宣伝したりしないことには難しい。
ましてや
「話を聴いてもらう」ということだけで数千円を払いたい、払える、と思う人の方が圧倒的に少ない。
ご相談者の「有料ならいいです。」はごもっともかもしれません…。
やるならやるでもっと私も真剣に宣伝やらマーケティングやらをしなければ、と思うのと
もう少し気楽に悩みを相談できるものって私にできないかなあ??と考えるきっかけになりました。

二つめ。
「お金を受け取って相談にのること」
そうです。私はこれを生業にしているので
「相談はタダではない!」
ここは声を大きくして言います。
なんとなく、日本では水と福祉はタダのように思われていますが…

私のやっているような指定を頂いて制度としての対人援助のお仕事も
一定の条件を満たしたうえで
一件いくら、の出来高で報酬が支払われているのです。
無料相談会とか○○支援センターでは相談者個人からお金をもらわないので分かりにくいかもしれませんが、
市町村、県、国など出所は色々ですが
住民の困りごとの相談を受けて解決につなげるために、これこれこういう体制で業務をしてくださいね。と、
要するに「委託」という形でその業務にかかる費用(人件費含む委託金)をもらって相談業務をしているのです。
「人の相談にのる」
ということは決してタダではないのです。
そしてそういう保証がない限りは
生業としてはできないのです。

勝手にお節介や好奇心で人の話を聴くわけではないのです。

私は生業として相談業務をしています。
なので制度に乗らない相談の場合は
有料で受けることにしています。
でないと
「タダでやってる何でも屋」になってしまい、
仕事に対する責任も負えません。
というのが私の相談援助に対する考え方です。改めて整理できました。

そして三つ目。
「本当に人を助けようとしているわけではないのですね?」

この問いに対しては
誤解を招くかもしれませんが…

「ええ、その通りです。人を助ける、なんてことは思ったことがありません」

という答えになります。

そもそも
自分が
人を助ける、助けることのできる
人間なのか??

「私は困った人を助けることのできる凄い人間ですよ~。」
なんて。おこがましいにもほどがある。
もし、相談者さんが私のSNSを見て
「あ~、この人は本当に人を助けたがっている人なんだ~」
と思ってしまったとしたら
それは誤解ですので
今後は誤解の少なくなるような
投稿を工夫しなければなりません。

でも、私の仕事、「相談援助」って、助けるの字、入っとるやんけ!
お前、助けんのかい!
と多くの人が思うかもしれません。

助ける、って何だろうと思う。相談援助って何だろう?って私は問い続けています。
そして人それぞれで「助ける」ということの意味理解は違っている。

だから
「(ご相談者さんの思っている)「助ける」とは思ったことがありません。」
が、正しいのかもしれません。

人はそれぞれで
救いの道や解決方法を
自分の力で見つけるんだと思っています。

私は
簡単に
「人助けができます。します。」とは言わないし、言えません。

それでも対人援「助」職の端くれです。
その人が自分で救いや解決方法を見つけるための
お手伝いはしていますし、できます。
それが私の「話を聴く」ってことかなあ。




久々のブログ更新です。
毎月9、16、18、27日には自分史を更新していくと
言っておきながら
7月~8月前半、更新せずでした。
何事も続けられないのが私…というのもありますが、
このまま書き続けるのが自分にとってもいいのか
なあ?
等々。少し迷っていたのもあり、書けずにいました。

きっかけは
6月に受講した家族支援の研修。
とても有意義な研修でした。

その中で講師の先生がおっしゃった一言。
「クライエントに自分の言葉で物語を語ってもらう、というのは大事。その人にとっての家族の物語があるから。でも。いつまでも同じところでぐるぐる留まって前に勧めないような『語り』はもうやめた方がいいことがある。課題に向き合える、これからをどう生きるかを考えられる『語り』ができるように、『もう、その語りはやめませんか?』と言うこともあると思う。」

これは対人援助職に向けての言葉だったのだけれど

なんだか
自分自身の「語り」についてもずばっ、と突かれた気がしました。
このまま
母親がいかに価値観を押し付けていたとか、話を聴いてくれなかったとか、やっぱりあの時のあの言葉は納得いかないだとか
そういうことにフォーカスし続けて
自分史をこの後も書き続けるのがいいことなのか…?

ちょっと止めてみて考えていました。

一カ月半ほど頭の片隅で考えていて

気が付いたこと。

母親の言動が

結構どうでもよく思えてきたこと。

やっぱりあんまり親密に母親と関わろうとは思わないけど。

それでも
まあ、それはそれよね~。
と思うようになってきた自分がいます。

書いてみて整理ができたからそう思えるようになったのと
書いている時にタイムリーに他者の言葉が自分事として刺さったことと
両方の効果があっての私の気づきなのかなあと思います。

少し意識を変えて。
これからも自分のことや
家族のことを
自分の言葉で物語っていこうと思います。