ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ -8ページ目

ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ

自分の言葉で自己表現し、今と未来をより良く生きていきたい。回復途上ですが相談援助のお仕事もしています。書くこと話すこと…対話を通して人生の課題と向き合うお手伝いがしたい。ゆっくりまったり生きづらさから回復しながら生きてゆくのもいいもんだ♪

ほんの数年。家族全員が揃って食事をしたり
休日に行事やイベントに家族で出かけたり
学校行事や参観日に父親が来たり!
そんな日々がありました。

この頃は父親は大抵夕方7時~8時ごろには帰ってきて
会社の帰りに雀荘に寄ることもなく…
残業だと嘘をついて土曜や日曜に競馬や競輪、雀荘に行くことなく
家にいました。

当時、とある道徳団体の活動に両親はハマっており
その団体の色んな役割をせっせと行っていました。
予定表づくりや婦人会会合、会員持ち回りの「座談会」と称するお話会などなど
そして「先生」と呼ばれるような講義、公演ができる先輩会員の送迎係みたいなのも
父親はよくやっていました

「ギャンブルや借金生活から立ち直った会員(父)とそれを支えた妻(母)」

ということで
この団体の座談会や婦人会で母親はこれまでの苦労話をしていたこともあります。
「涙なしでは聞けません~(>_<)」
「本当に感動した(≧▽≦)」
と持ち上げられ
自宅での座談会では終わりの頃には私たち子どもが健気に(⁈)登場するものだから
余計涙を誘う…。(会の後に残りのお菓子が欲しかっただけなんですけどね)
「こんなかわいい子がおって、○〇くん(父)、頑張らんといかんよ。」
とありがたいお説教を頂きながら。

この道徳にハマり続けていたら
再びギャンブルに溺れることはなかったのかもしれません。
ギャンブル「では」身を持ち崩すことはなかったのかもしれない。

しかし
再び父親はギャンブル
特に麻雀にハマってしまうのです。

夕方7時の帰宅はだんだんと遅くなり
休日に家にいることも少なくなり
父親不在で母親の機嫌の悪い時間がドンドン増えていく…。

当時はなぜ「立ち直った」はずの父親が
また家に帰らず、家族を顧みなくなったのか
さっぱりわかりませんでした。

後で母親から聞いたのですが
当時、熱心に送迎係をしていた「先生」から
急に研修や公演のお誘いがだんだんかからなくなってきたそうです。
別の会員さんに送迎や同伴を頼むようになったのだそうです。
結構このことは父親にとってはショックだったようで
当時、「○○さん(「先生」)は絶対や。どこまでもついていくで。もし、○○さんが死ねって言うんだったら俺は死ねるんだ~。」と言っていたそうです。
母親は
宗教的に、道徳的に『間違ってはいけない』価値観でしたから
『死ぬとかいうことを軽々しく口にするあんたはどうかしている』
と、一蹴したそうです。

父親は
死ぬほど慕っていた人から遠ざけられた

それが再びギャンブルにハマるきっかけになったということです。

そして
『この人のためなら死ねる』という情熱を
率直に話しても
傍にいる配偶者からは
その意見を否定された、ということです。


このエピソード。

限りなく大人げなくて子どもじみた反応やなぁ、と思う人もたくさんいるでしょう。

全くその通りだと思います。

そう、父親は
大人になりきれていなかったんだと思います。

両親の離婚や不仲
祖父母に育てられたこと

父親が大人になりきれてなかった理由は単純ではないのかもしれません。

依存する物質や嗜癖、関係を
断ち切っただけでは依存症は回復しないものなのだ、ということを思い知らされるエピソードです。

当時の父親は診断こそないものの(この時代にはギャンブル依存症という病名すらなかったのですが)
間違いなくギャンブルに依存していた
そして
宗教や道徳の説く『正しさ』以上に
治療が必要だったのだと思います。
ここ数年、気の重い仕事や
気がすすまないけれどもやらなければいけない仕事に立ち向かう時に自分に言い聞かせる言葉。

それはそれ、これはこれ。


ケアマネ業に限らず
福祉や介護の仕事には
「ねばならない」
ことがどうしても付きまとう。

だから
ねばならないの部分は
ドライに
取り組むことにした。
(自分の好きなことややりたいことではないけど)それはそれ、これはこれ。

昔は
ことケアマネジメントについては
周りから認められたい
最高を目指したい
分からない人には分からせてやりたい
私にはこれしかない

そう思い込んで
沢山の研修も受講したし、
そこで辛い体験や嫌な思いをしても
これは自分の成長のためだ
と言い聞かせて
我慢をして取り組んだことも山ほどあった。

それは、それ、これはこれじゃなくて
それしかない。これが全て。

しんどいわー。

今でも気の重い仕事はやってくる
受けねばならない研修も少なからずある。

それは、それ。これは、これ。

と言い聞かせる。
まさに呪文。

だからこそ
受けたい研修や
やりたいことは

見つけて
お金も時間もエネルギーもかけて
取り組むのだ。

大事にしたいことを
大事にするために。



今更ながらではあるけれども。

私も自助グループに行ってきました。
それは勿論、ソーシャルワーカーとしてではなく当事者として。

言いっぱなし
聴きっぱなし

ソーシャルワークの仕事を始めてから
自分の当事者性に気が付くまでの間、
私はずっと当事者会や家族会の力を信じてはいませんでした。

キャラのこゆーい家族(特に母親)が一人で
我が家の子育て論だの障害者福祉だのを
喋りまくって

当事者にしても
持論を各々が展開して
社会批判を繰り返している
ヘンな集団が多いのだと思っていました。

ついでに職能団体で専門職の集まりだとしても
ヘンな集団はあります(;´Д`)


自助グループや当事者会、はたまた職能団体が
ヘンな集団になってしまうのは

そこでのベースになる
ルールや価値観が
共有されていないから。

単に
病気だ、障害だ、生きづらさだといったカテゴリーでカオス的に集まっているから。

そういうことではなくて
価値観やルールを共有して納得しているグループというのは
本当に癒しの力になるのだなぁ、と
今更ながら実感しました。

だから
そのグループの価値観、在り方には
しっかり納得して参加するという
個人の自分軸を大切にしなければ。

沢山の自助グループがありますが
一人でも多くの方の力に、癒しになるように

価値の共有、尊重。
なによりも大切です。

私が小学校1年~4年位の頃は
父親も
ほぼ毎日家に帰ってきており、
家族7人で夕食が食べられていた時代だと記憶しています。

父親のギャンブルをなんとか矯正させようとて
病弱な長女(私のこと)がどうにか無事育つようにとの思いから
色んなものにアクセスしていた(母親が中心となって)
我が家には
信仰や道徳が浸透していきました。

まずは信仰。
私が3歳頃からかな?
決まって教会(神道)に第1日曜日の午後は行く
お祈りをした後は必ず神官様のお話がありました。
この教会の神官様の助言でこまり家の先祖代々のお墓は立て直されました。
日曜日は教会か、墓参りかのどちらかでした。
子どもの私たちも強制参加です。
先祖代々の菩提寺のお役目をすることも
母親が始めました。
お寺の掃除
お堂の掃除
行事への参加
御詠歌の合唱、大会出場
四国八十八か所巡礼
お寺での舞踊に着る着物を縫うこと

道徳について
当時、とある道徳思想に父親も母親もハマっていました。
どちらかというと父親がハマっていたような気がします。
大きな団体でしたので各地にその道徳思想を実践、啓発する人達の集まりがありました。
近所や町内にも沢山その道徳思想を実践している人がいました。「事務所」というところがあって事務局を担当している家庭もありました。
広報誌や活動予定表を配りに行く手伝いを私もしていて
小学校1~2年の頃は7件ぐらいの家を毎月訪問していました。(私の訪問の歴史は実はこんなに長かったのか…)
時々会員さんの持ち回りで自宅で「定例会」が開かれます。
この団体内には子ども会のようなものもあって
キャンプや遠足みたいなものに参加したこともありました。
多分、両親が離婚するまでなんだかんだで続けていたのだと思います。その子どもの集まりの一番新しい記憶は中学1年生の夏休み、団体の施設でのサマーキャンプです。

私がちいさいころから
凄く窮屈に感じていた
母親からのメッセージ
「神は見ている。嘘をつくな。」
「正しくあれ。」
「家族は仲良くするべき」
「親は敬うべき」
「神仏に背くとバチがあたる。」

これらは
母親からのメッセージではなく
この時に
母親が取りすがって依存した
宗教や思想からのメッセージだったのだと
ブログを書きながら気が付きました。

そう、つかの間の数年間の「黄金期」
それを支えていたのは宗教と道徳思想でした。

そしてその黄金期は長くは続かず…。
「正しい」考えで
「正しい」行いをしていたにも関わらず
この後
こまり家は
崩壊の道を辿ることになるのです。
相談のお仕事をしていて
良く言われるのが
「色んな事知ってないとできませんよね~。」

それは確かにそうなんですけど
知らないことだって沢山あります。
苦手な分野だって沢山あります。

そういう時は
どしどし
自分より知ってて上手い人に尋ねる、つなぐ、任せる。

👆これをするので「結構何でも知ってる」風に見られますけど。風です。あくまで。

で、知らないことは知らないって正直に言えばいいんです。
相手が専門職で自分の知らない、苦手な分野に詳しい、得意な人なら
ものすごく丁寧かつ優しく教えてくれます。
(人は自分の得意分野については誰かに教えたい人が大半です。)
相手がクライエントさんやご家族だったとしても
「ごめんなさい。知りません。どうしてそんなにお詳しいんですか?」
と逆に聞いてみたり。
「知りません。今度の訪問までに調べておきますね。」
とか
正直に言って叱られたり、馬鹿にされたりしたことは一度もありません。
利用者さんと一緒に調べたり、各々で色んな所に当たってみて
意外とご本人や家族で解決できたり、はたまたケアマネも新たな知識とネットワークができたりします。

知らないことを知っている
知らないことに自信を持つ

これ、だいじやと思います。
知っている人が心優しく教えてくれて助けてくれるんですもの。

でも
残念なことに

クライエントから言われたことは
全部相談を受けた私が解決できなければならない

なんでも知っていなければならない

知らないと恥ずかしい、馬鹿にされる
知らないことが知られてはいけない

そんな風に勘違いしている人がたまにいます。

知ったかぶりが一番かっこ悪くて迷惑です。

そんな偏屈なプライドで
クライエントのニーズが解決できるんなら
相談援助の専門職いらんし。

知らないことに
自信をもって
さあ、明日もぼちぼちいきますか。