休日に行事やイベントに家族で出かけたり
学校行事や参観日に父親が来たり!
そんな日々がありました。
この頃は父親は大抵夕方7時~8時ごろには帰ってきて
会社の帰りに雀荘に寄ることもなく…
残業だと嘘をついて土曜や日曜に競馬や競輪、雀荘に行くことなく
家にいました。
当時、とある道徳団体の活動に両親はハマっており
その団体の色んな役割をせっせと行っていました。
予定表づくりや婦人会会合、会員持ち回りの「座談会」と称するお話会などなど
そして「先生」と呼ばれるような講義、公演ができる先輩会員の送迎係みたいなのも
父親はよくやっていました
「ギャンブルや借金生活から立ち直った会員(父)とそれを支えた妻(母)」
ということで
この団体の座談会や婦人会で母親はこれまでの苦労話をしていたこともあります。
「涙なしでは聞けません~(>_<)」
「本当に感動した(≧▽≦)」
と持ち上げられ
自宅での座談会では終わりの頃には私たち子どもが健気に(⁈)登場するものだから
余計涙を誘う…。(会の後に残りのお菓子が欲しかっただけなんですけどね)
「こんなかわいい子がおって、○〇くん(父)、頑張らんといかんよ。」
とありがたいお説教を頂きながら。
この道徳にハマり続けていたら
再びギャンブルに溺れることはなかったのかもしれません。
ギャンブル「では」身を持ち崩すことはなかったのかもしれない。
しかし
再び父親はギャンブル
特に麻雀にハマってしまうのです。
夕方7時の帰宅はだんだんと遅くなり
休日に家にいることも少なくなり
父親不在で母親の機嫌の悪い時間がドンドン増えていく…。
当時はなぜ「立ち直った」はずの父親が
また家に帰らず、家族を顧みなくなったのか
さっぱりわかりませんでした。
後で母親から聞いたのですが
当時、熱心に送迎係をしていた「先生」から
急に研修や公演のお誘いがだんだんかからなくなってきたそうです。
別の会員さんに送迎や同伴を頼むようになったのだそうです。
結構このことは父親にとってはショックだったようで
当時、「○○さん(「先生」)は絶対や。どこまでもついていくで。もし、○○さんが死ねって言うんだったら俺は死ねるんだ~。」と言っていたそうです。
母親は
宗教的に、道徳的に『間違ってはいけない』価値観でしたから
『死ぬとかいうことを軽々しく口にするあんたはどうかしている』
と、一蹴したそうです。
父親は
死ぬほど慕っていた人から遠ざけられた
それが再びギャンブルにハマるきっかけになったということです。
そして
『この人のためなら死ねる』という情熱を
率直に話しても
傍にいる配偶者からは
その意見を否定された、ということです。
このエピソード。
限りなく大人げなくて子どもじみた反応やなぁ、と思う人もたくさんいるでしょう。
全くその通りだと思います。
そう、父親は
大人になりきれていなかったんだと思います。
両親の離婚や不仲
祖父母に育てられたこと
父親が大人になりきれてなかった理由は単純ではないのかもしれません。
依存する物質や嗜癖、関係を
断ち切っただけでは依存症は回復しないものなのだ、ということを思い知らされるエピソードです。
当時の父親は診断こそないものの(この時代にはギャンブル依存症という病名すらなかったのですが)
間違いなくギャンブルに依存していた
そして
宗教や道徳の説く『正しさ』以上に
治療が必要だったのだと思います。