水俣市大園町に所在する市指定天然記念物の

荒神神社のムクノキです。

 

 大園荒神神社という、こぢんまりとした神社の境内にあるムクノキです。

 樹齢は約500年と言われているそうです。

 枝々に名前が付けられているという地域住民に愛されている木です。

 

 

 

 

 

 

 

 

※写真は2023年10月撮影

熊本市中央区国府に所在する

芥川板碑(白山神社境内)です。

文化財の指定は受けていません。

 

 芥川板碑とは、18世紀末頃の寛政年間に田迎手永の惣庄屋であった芥川守拙が建てた一字一石碑です。

 この白山神社境内の芥川板碑は白山神社本殿の南側に位置し、大永四年銘の板碑の隣に所在します。

 中央上部に聖観音像を彫り、銘文はかなり読みにくいですが、「普門品一字一石寛政甲寅七月 建立者五穀成熟人民平安罪 障消滅子孫 栄昌之祈願也 芥川守拙敬白」とあります。


 

一番左が大永四年の板碑。左から3番目の板碑が芥川板碑です。

 

 

 

 

 

これもかなり薄い造りです。

※写真は2023年10月撮影

菊池市木柑子に所在する市指定史跡の

木柑子(きこうじ)古墳(木柑子二ッ塚古墳)です。

 

 墳丘はかなり削平を受けていて現存長約43mですが、築造当時は全長約60m前後あったと考えられています。周囲に2重の周溝が配置してあり、それらを含めた総長は100m前後と推定されています。墳丘の傍らには県指定重要文化財の木柑子石人が所在します。6世紀後半の築造です。

 

 

 

 

 

 

 

 

※写真は2020年3月撮影

熊本市西区花園に所在する

澤村家墓所(成道寺境内)です。

文化財の指定は受けていません。

 

 成道寺の裏山に所在します。初代澤村大学吉重以下第十三代までの五輪塔が並んでいます。初代澤村大学は、若狭国の生まれで、丹後城主の細川忠興の家臣の家来になり、その後の戦いで武功をたてて、肥後入国後には細川家で五千石を得ました。

 

 

 

 

 

 

※写真は2020年2月撮影

熊本市南区御幸木部に所在する

芥川板碑(木部地蔵堂境内)です。

文化財の指定は受けていません。

 

 芥川板碑とは、18世紀末頃の寛政年間に田迎手永の惣庄屋であった芥川守拙が建てた一字一石碑です。

 木部地蔵堂境内のこの芥川板碑は、市指定有形文化財の林田左京亮逆修板碑の隣に位置します。風化が激しく表面には字が彫られていたことは分かるものの内容は判然としません。が、おそらく他の芥川板碑と同じ文面が彫られていたと思われます。

 

 

 

 

※写真は2023年10月撮影

熊本市東区画図町に所在する

芥川板碑(中ノ瀬地蔵堂内)です。

文化財の指定は受けていません。

 

 芥川板碑とは、18世紀末頃の寛政年間に田迎手永の惣庄屋であった芥川守拙が建てた一字一石碑です。この芥川板碑は放牛地蔵(93体目)と隣り合って地蔵堂内に置かれています。左側の表面が剥落して失われています。剥落した部分は一部、床に置かれています。芥川板碑はどれも似たような薄く剥がれやすい安山岩を石材としています。そのせいで板碑自体が薄く仕上げてあり、そのため欠落したり表面が剥がれたものも多いです。なお、この中ノ瀬地蔵堂の芥川板碑は、風化が激しくなく、刻まれた文字も読みやすいです。

 銘文は聖観音像の右側に「普門品一字一石寛政甲寅 七月建立者五穀成熟人民」、左側は欠落しているため「子孫栄昌」「拙敬白」のみ残っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

※写真は2023年10月撮影

熊本市南区御幸木部に所在する

芥川板碑(小原若宮神社境内)です。

文化財の指定は受けていません。

 

 芥川板碑とは、18世紀末頃の寛政年間に田迎手永の惣庄屋であった芥川守拙が建てた一字一石碑です。この小原若宮神社境内の板碑は、境内西側の観音堂の隣に位置します。板碑の右半分は欠落していますが、刻まれている聖観音像の左側に「人民平安罪障消滅 子孫栄昌之祈願也 芥川守拙敬白」と刻まれています。

 

 

神社拝殿です。

 

境内の北西隅に板碑があります。

 

 

 

 

 

 

※写真は2023年10月撮影

熊本市中央区中唐人町・西唐人町に所在する

中唐人町・西唐人町の町屋です。

文化財の指定は受けていません。

 

 明治10年の西南戦争以降の明治~大正期の町屋が残る地域です。戦前までは各種卸問屋が並ぶこのあたりが商業の中心地だったそうです。業態は変わりながらも現在でも伝統様式を残しながら活用されています。

 

 

 

 

 

 

※写真は2021年8月撮影

熊本市南区良町に所在する

芥川板碑(良間日吉神社境内)です。

文化財の指定は受けていません。

 

 芥川板碑とは、18世紀末頃の寛政年間に田迎手永の惣庄屋であった芥川守拙が建てた一字一石碑です。この良間日吉神社の板碑は他の芥川板碑と異なり四角形に近い形態をしています。板碑がかなり薄いのは他と同じ特徴です。中央の蓮台上に聖観音立像を刻み、左右に銘文を刻んでいます。銘文は読みにくいですが、「普門品一字一石寛政甲寅七月建立者五穀成熟人民」「平安罪障消滅子孫昌栄之祈願也 芥川守拙敬白」とあります。

 

良間日吉神社です。芥川板碑は本殿の裏にあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

かなり薄いです。

※写真は2023年10月撮影

八代市鏡町塩浜に所在する

七百町新地潮受堤防跡です。

文化財の指定は受けていません。

 

 文政4年(1821年)に行われた七百町新地の干拓事業で作られた潮受堤防です。近くからみると城の石垣かと思うほど迫力があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

※写真は2017年12月撮影