人類滅亡説は、
何度も何度も歴史上、
何人も何人もの人々によって
唱えられてはきているものの、
昨今の
2024年 働き方改革問題、
2025年 高齢者が人口の
3分の1になってしまうかも知れないという問題、
そして出ました、
2026年、食糧不安、都市化、森林伐採、
気候変動等々による人類生存限界説。
これは、我々に何ができるのかを
問われている問題として考えるのではなく、
我々には何ができて何ができないのか、
我々は次の世代のために何はできて何はできないのか、
我々は自分という個と
人類・世界・地球という総体のために、
なになら可能で何は否であるのか等々を、
あらためて考えなおすチャンスを、
投げかけられているような気もしないでもないのです。
これは究極的な
中庸、バランス、塩梅、適当適切等々を
考える責務でもあるようにも思われます。
「オルガヌム 17」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12543593742.html
モンテーニュは信用できなくても、
「知は力なり」と言ったフランシス・ベーコンの
著作「オルガヌム」なら
信用できるという人も多いのかも知れません。
「たいていの人は、警句や金言や格言を振り回しながらも、ご本人はそれの本当の意味さえ知らずにいる。」
(「エセ―」ミシェル・ド・モンテーニュ))
「格言集」とか、
「すぐに使える〇〇」とか、
「わかりやすい仏教」とか、
世にいいかげんな書物が溢れてます。
そんな本を読んで、
知った風な顔をする輩が多いなか、
ココの読者は、僕といっしょに、
それぞれの名著を一冊一冊、
一言一句ずつ、ほぼほぼ丁寧に
読破しているに等しいのかとも思われます。
「著者の優秀さは、彼らが何を言うかだけではなく、何を考え、なぜ考えるのかということまで見なければならない。」
(「エセ―」ミシェル・ド・モンテーニュ))
まったく、そのように本を読むことが、
真の読書の楽しみであり、
著名な賢者たちと直接対話している
ということになるようにも思われます。
「分別のある人間が適度の自己満足を感ずるのはいいが、ばかな人間が賢者以上に自己に満足しているのを見ることくらい、癪にさわることはない。」
(「エセ―」ミシェル・ド・モンテーニュ))
我々は苦労に苦労を重ね、
切磋琢磨、自己鍛錬を繰り返し繰り返し、
古今東西の智者賢者の著作を読破し、
その結果、
「すべては疑うべきこと」とでもいふ
ピュロン主義的懐疑哲学をも修めたはずであるのに、
「ピュロン主義哲学1」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12634553283.html
世の中のあらゆる物事に、
何の疑いも持たず、自分のことだけを、
私利私欲だけに満身しているような輩が、
人生を、自己の思想に、自己の思考レベルに、
何の疑いもなく満足しているのを見るのは、
たいへん愉快であるとは言えぬのかも知れません。
「知恵は、知恵ある者に満足し誇ることを禁じ、常に不満と不安のうちに送り出すのに、一方では頑迷・無分別・無知は、その主人たちを喜悦と自信で満たすというのは不幸なことである。」
(「エセ―」ミシェル・ド・モンテーニュ))