オルガヌム 17 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

身だしなみというものは、

他者に不快感と与えず、

己も爽快感を感じられるということが、

大切であるようにも思われます。

 

「身だしなみのセンスを身につけるのには、それらを、ばかにしないということだけでも、十分といえるであろう。」

(「随想集/身だしなみと礼儀について」フランシス・ベーコン

 

身だしなみも学問も、地位も名誉も、おカネさえも、

それらを、ばかにしないということだけでも十分である

 

と、いえるのかいえないのかは、わからないような気も

しないでもないようにも思われなくもないのです。

 

「が、あまりに骨を折って、身だしなみに気を配っているということをあらわそうとすれば、その品のよさを失うことになるだろう。

 それには自然で気どりのないことが大切なのである。」

(「随想集/身だしなみと礼儀について」フランシス・ベーコン)

 

あからさまは宜しくないようです。

身だしなみ一つにも、その人の人間性が現れる。

 

ほどほど、良い塩梅、最適なバランス、

つまりは「中庸をわきまえる」ことができている人か、

そうでもないのかも、身だしなみ一つで判断されかぬない

のかも知れません。

 

「バランスは中庸。中庸が幸不幸の分かれ道となる」

「貴女へ 8」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12103921716.html

 

「礼節を全然用いないことは、他人に、こちらに対してもそれを用いないことを宣言することになる。

 だから、自分自身に対する尊厳を減少させることになるのだ。」

(「随想集/身だしなみと礼儀について」フランシス・ベーコン)

 

礼儀を知らぬ者は、他者を冒涜しているということ。

礼節をわきまえぬ者は、社会に対して孤立する。

 

礼儀、礼節をわきまえぬ者は、

己の実力もわきまえず、己本意の狭量なる心魂は、

 

他者を不快にするだけではなく己をも破滅へと

導く第一歩となってしまうのかも知れません。

 

礼儀、礼節をわきまえぬ者は、中庸もわきまえず、

慈愛、品性、優美、高貴をも粗末に扱うような

気もしないでもいのです。

 

「幸福中庸不幸」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-11878461169.html

 

さて、そこで、身だしなみも礼儀も

賞賛という情動と関係しているのかも知れません。

 

「賞賛は徳性の反射である。」

(「随想集/硝酸について」フランシス・ベーコン)

 

徳性こそが賞賛に値すべきものであるようにも思われます。

賞賛は、

「もし、ふつうの人たちから出るものであれば、ふつうは、まちがっていて、無意味なものである。

 そして、徳性のある人よりも、うわべだけの人についてまわることが多い。

 ふつうの人は、すぐれた徳性の多くを理解しないものだからである。

 いちばんひくい徳性でも、そういう人たちから賞賛を得る。

 中くらいの徳性は驚きや感嘆の気持ちを、それらの人たちの中にかきたてる。

 しかし、最高の徳性に対しては、感じないのか、全然理解できないものなのである。」

(「随想集/賞賛について」フランシス・ベーコン)

 

徳性とか賞賛の話というよりは、まるで、

「ふつうの人はバカである」「バカは賢者を認知できぬ」

または「バカな人が普通に多すぎる」という話に

なってしまっているような気もしないでもないのです。

 

「そして外観と『徳性に似た表面(おもてづら)』というものが、そういう人たちにとってはいちばん適当なのである。」

(「随想集/賞賛について」フランシス・ベーコン)

 

愚かなる人は、外観だけに気を取られる。

愚かなる人は、真の徳性を知らず、

愚かなる人は己の愚かなる判断に基づき、

人間の表面だけで人を判断するということ

なのかも知れません。

 

そして愚かなる人々にとっては、

外観だけつくろい、表面だけの薄っぺらな人間こそが、

彼等にとっては最も適した人間である、とも述べている

ようにも思われなくもないのです。