「人の役に立つ人間になりたい」
貴女は、このような趣旨のことをよく、
御話になります。
が、誰かの役に立つということは
誰かの不利益に結びついてしまう場合も
あるのかも知れません。
貴女が
僕との交際を継続して下さっているということは、
貴女に
思いを寄せる誰かの不利益に結びついている
のかも知れません。
貴女が
還暦過ぎのオジさんとの関係を続ける限り、
貴女に
思いを寄せる多くの若い男性たちの不利益を
生み出しているようにも思われます。
誰かが何かのボランティアをすれば、
何処かの誰かが
何某かの不利益を被ってしまっている可能性は
否定できないようにも思われます。
「エネルギー不滅の法則」
コラム・インテリジェンス「信長とヘラクレイトス」
http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/40028236.html
「人の役に立つ」という情動は、
貴女が認知し学んで理解していると思っていることよりも、
はるかに難儀な情動であるようにも
思われなくもないような気もしないでもないのです。
貴女に限らず、誰かが誰かの役に立てば、
かならず誰かが何らかの不利益を被ってしまう
可能性は否定できぬようです。
が、ほどほどならば益も不益もほどほど。
そのあたりのバランスも難しいのかも
知れませんネ。
バランスは中庸。
中庸が幸不幸の分かれ道となる
ような気もしないでもないのです。
コラム・インテリジェンス「幸福↔中庸≒徳↔不幸」
http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/40312990.html
「一方の徳が、一方の損になる」
(モンテーニュ「エセー」)
コラム・インテリジェンス「モンテーニュ4」
http://blogs.yahoo.co.jp/shigetage/40135768.html
「人の役に立つ」を考える前に、
貴女自身を大切にしてほしいのです。
「人の役に立つ」ことは難しい。
が、貴女は、貴女が存在するという事実だけで、
幸か不幸か、
僕には十分役に立つどころか、
その存在ありのままが僕の
生存証明のようにもなっているのです。
が、ここでまた一つ命題が提起されてしまいます。
僕の幸福が貴女の幸福と
結びついているのかどうか。
「エネルギー不滅の法則」
「モンテーニュ4」によれば、
僕の幸福は貴女の不幸になってしまっている
可能性も否定できぬのかも知れません。
僕は常に、その不安に怯え苦しみ、
その反動が貴女への理不尽な甘え、
貴女への依存度を
さらに深めているようにも思われるのです。
それでも「エネルギー不滅の法則」を曲解するならば、
僕の貴女への愛は、
貴女の僕に対しても「役に立ちたい」に
還元されているとしても、けっして
やぶさかでもなんでもないようにも思われるのです。