そこ、「そこそこ」で いいですか?
こんにちは。
しょうもないダジャレのような見出しに加え、
タイトルの「3K」の文字に、【キツイ・汚い・危険】を連想して
ギョッとされた方もおられるかもしれません(^-^;
(こういった形容、何となく差別を連想してしまって大嫌いなのですが
敢えて用いたことを ご容赦ください)
3Kが何を意味するかは、記事後半で(^-^)
まずは、質問を3つさせてくださいね。
二者択一の回答形式ですが
ぜひ紙に答えをメモしてください。
ではどうぞ!
【Q1】 あなたは、「そこそこの人生」で満足ですか? ( はい ・ いいえ )
こちらの質問は、どうでしょう?
【Q.2】 自分を生きる実感(存在意義)において、「そこそこの人生」で満足ですか?
( はい ・ いいえ )
(【Q.2】で「はい」と答えた方のみに伺います)
【Q.3】 自分の存在意義を一度も感じることのない人生に、満足できますか?
(人生に悔いはありませんか?)
( はい ・ いいえ )
回答、ありがとうございました
(^-^)
*
*
さて、
「人生」がテーマの<3段階質問>でしたが
【Q.3】にまで
「はい」と答える人は、恐らくゼロだと思います。
もしあなたの答えが「はい」なら、
彩音はこう問いたい!
「それって絶対、
本心じゃないですよね・・・?!」
一つ目の質問。
実はわざと、そこそこの「物差し」を曖昧にしました。
【Q1】あなたは、「そこそこの人生」で満足ですか? ( はい ・ いいえ )
「そこそこの人生」という語を見て
あなたの心が反射的にどんなことをイメージし、答えを出したかは分かりません。
「物差し」は人それぞれ だと思います。
物質的豊かさ、職業の種類、社会的地位や
評価などを基準にした答えだったかもしれないし、
家族や友人関係を軸に
答えを書いてくださった方もいるでしょう。
回答は二者択一でしたが
「これに関してはそこそこでもいいけど、
<そこ>は<そこそこ>ではアカンわぁ・・・!」と
関西風コテコテなダジャレを駆使した
こだわりの回答も
本当はあったかもしれませんね(笑)
繰り返しになりますが
「何を物差しにするか」、は本当に人それぞれだと思います。
そして尺度・基準が何にせよ、
それが地位とか職業などの
「外的要因」観点なら
人は「そこそこ」でも満足できるのかもしれないと思うのです。。。
では、
【Q.2】 自分を生きる実感(存在意義)において、「そこそこ」で満足ですか?
( はい ・ いいえ )
(【Q.2】で「はい」と答えた方のみに伺います)
【Q.3】 自分の存在意義を一度も感じることのない人生に、満足できますか?
(人生に悔いはありませんか?)
( はい ・ いいえ )
これらのような究極の内的要因、つまり
「自分の人生そのもの」が物差しなら、どうでしょう?
しかもそれを、「集団的無意識」レベル(=人間が先天的に共通してもつ無意識)
から考えた時に。
「自分の命への手ごたえ」みたいなものが感じられない人生に
「悔いはない」と言い切れてしまう人なんて、私はいないと思います。
いないはずだと信じます!
だから…
❖私的結論<1>❖ 人が先天的に最も恐れること(味わいたくない思い)とは
「自分の人生には何の意味もない(なかった)」と思うこと
「死への恐怖」を別にすれば、これじゃないでしょうか?
生きている間も。まして、命の最期の瞬間に・・・!
だとすれば、逆説的に
以下のようになるんじゃないか、と思うのです。。。
人類の「3Kな願い」とは?
❖ファイナルアンサー(私的)❖
\ 3K /
【人が先天的に究極・強烈・共通に味わいたい思い】
=【集団的無意識(普遍的無意識)の願い】とは
↓↓↓
「自分の人生には意味がある」と思うこと
「きつい・汚い・危険」を意味する「3K」ではありません!
「究極・強烈・共通」を意味する「3K」です!
人間とは「自分の人生に意味があると思いたいし、それが必要な生き物である」
そして誰の人生にもきっと意味があるけれど、
それは最終的に、本人にしか見つけられないもの。そして定義するのも感じ取れるのも、その人だけなのでしょう。
人生の意味とは本来
「とてもパーソナルなもの」。
私はそう思います。
*
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今日も最後まで読んでくださって
ありがとうございました。
心より感謝を込めて。。。
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