Colly's Camp -431ページ目

高山中華そば~1杯600円の幸せ~

中華そば

「高山らーめん」というカテゴリーがある。

これは数あるラーメンの中でも、これぞ「高山らーめん」という特徴があるからだ。

一番の特徴は、タレもスープも一つの寸胴鍋で作ってしまうこと。一体化されているのだ。

醤油味で、和風ベースの味であるということ。そしてスープの絡む平打ち縮れ麺。

盛り付けはいたってシンプル。チャーシュー・メンマ・飛騨ネギ。そして1杯の量は少なめ。

恐らく、飲んだ後にさらっと食べるような、そんなことから出来たラーメンだ。

この「高山らーめん」。実は湘南の人が海に行くことを「浜に行く」というように、高山の人は「高山らーめん」のことを別の名前で呼ぶ。

「中華そば」。

高山の町をみても、文化を考えても、実にシックリくる。

でも、残念なことに、「高山中華そば」を「高山らーめん」と名前を変えただけで、売上が倍になった中華そば屋さんもあるほど、もはや、「高山らーめん」のほうが全国的に知名度が高くなっている。

地元の人に呼ばれている愛称よりも、作られた名称の方が売れてしまうのは、なんだか悲しい話だ。

でも、この高山の中華そばは、非常に奥が深い。

先にあげた非常に特徴的で、間口が狭い中で、各店がその定義からはみ出ないようにしのぎを削る。

ある程度決められた材料で、絶妙の配合を各店舗が考えるのだ。煮込む順序であったり、ダシの配合率であったり、スープにあったチャーシューであったり。

高級な材料さえ使っていれば美味しくなる世界ではない。もともとそんな文化から出てきた物ではないし、何よりも庶民の楽しみなのである。原材料で価格が跳ね上がっては素も子も無いのだ。



中華そば2

だから、作り手はじっくり自分の理想の味に近づけるように、妥協無く作っていく。

そんな「どんぶり」のような間口の狭い中でのこだわりは、深さを生む。

作り手はその深さを生むために、朝は早くから仕込み、夜は遅くまで「中華そば」を作り続ける。

それでも、価格は平均1杯 600円。

写真は僕の職場の麺処で出している「高山らーめん」。これも残念なことに、1年前に「中華そば」から名前を改名したら、グンと売上が伸びた。

ここにも、職人の思いが沢山詰まっている。

味は「とんでもなく旨い」わけでもない。ただ、「旨い」。

でも、一番大事な要素を持っている。

それは「何度でも食べたくなる味」だということ。

そういう味は必ず「幸せ」を生む。

この物価の上がっている時代に、1杯600円。

いつまでも変わらない持続可能な味に、それを食べることで持続可能な小さな幸せ。

「高山中華そば」はそんな庶民に愛され続けている、LOHASな料理なのだ。

日本の田舎の夏


抜け殻1 抜け殻2


昨日、「崖の上のポニョ」を見たからじゃないけれど、頭の中は宮崎駿の世界になっていて、朝家の前で見つけた蝉の抜け殻も、一瞬オームの抜け殻のように見えてしまった。

ナウシカほどにはしゃぎはしなかったけれど、思わず撮影。


この目の辺り、超リアル、というか本当にこんなのが、ナウシカで沢山いたなぁ、と思う。



もう、完全に夏真っ盛りで、朝の日差しが、7時を回るとかなり強い。

その上、田舎は空気も澄んでいるし、標高も高いから、じりじりと紫外線も肌で感じる。


そりゃそうだ、だって夏だもの。


朝はそれでも風が涼しくて気持ちがいいけれど、昼間はちとエライ。

これは絶対地球温暖化のせいだ。


うちのソファーは窓際にあるから灼熱地獄と化す。窓を開けても日差しが射すから、涼しい風も入ってこない。


これは人間にも、うちの「チュル」にも相当こたえている。




というわけで、夏といえばこいつだ。


よしず

そう、「よしず」。


この「よしず」を知ったのは、その昔中学生の頃の、TUBEの曲。

「あ~夏休み」。


「よしずの君って、何だよ!」ってな具合で、大人になって「よしず」を知ったときに、


「なるほど、風流だねぇ」と感心した。



そいつが、今うちの窓にかかっている。

葦の間から射す光と影が、見ているだけで涼しくなる。

少なくとも「写真を見ている分には」ということだけれど。



でも、蝉の抜け殻も、この「よしず」も、日本の田舎の夏って感じがしていいなって思う。

だって、これぞ日本の原風景だもの。


「となりのトトロ」に出てきた夏も、こんな感じだったかなぁ?と

20年前の記憶をさかのぼってみている今日この頃である。






「崖の上のポニョ」


ポニョ

今日は休みの日なのに午後からの会議に出席し、そのあと「崖の上のポニョ」を見てきました。

多くの人がそうであるように、この3連休中、頭の中で「ポーニョポーニョポニョ♪」とこだまする中、接客をし続け、そんなメロディーに誘われるように映画館に入っていきました。


「となりのトトロ」を見たのはもう20年も前の話。

あの時も、映画を見る前に「トットロ、トットーロ♪」と頭の中でこだましていました。中学生の時の話です。


あれ以来宮崎駿フリークになった僕は、何度も映画館に足を運んでそのたびに、感動を貰ってきましたが、今回は予感があったのです。


それは、きっと自分が映画の中に引き込まれてしまうんじゃないか?という予感です。

あの「となりのトトロ」を初めて劇場で見たときのように。



ポニョ3

映画を見たときに感じたのは「画のやわらかさ」でした。

後でパンフレットの監督インタビューを見ると、今回は一切CGに頼らずに、手書きで描いたとのこと。

パンフレットには

「やっぱり最終的に人が惹かれるのは、人間が手で描いた驚きにあると思います」

と書かれていました。


このやわらかさの感覚も「となりのトトロ」の時と一緒です。


それからは映画の中にのめりこむのめりこむ。


時折出てくる20年前とは違った、悲しいくらいつまらない大人の感情を押し殺しながら、見ていました。



ポニョ2


きっと、子供と大人の違いは「楽しさ」と「大変さ」のどちらが先に浮かんでくるかだと思います。


「こんなだったら、楽しいだろうな~」と考えられるか、「いや~でも、それって大変なんだよ」ってなるか。


この映画の中にどんなメッセージが隠されているのか?なんて詮索しながら見ても、それは大人の視点になってしまうだけでつまらないんでしょうね。

内容は結構無茶だらけだし。


そういう意味では、登場人物の宗介のお母さんなんかは、もう最高のお母さんだな…と思ってみてました。


最後に純粋に「ポニョ」に会いたい!」と思えた自分がいたことがとても嬉しくて、映画館を後にしました。

こんな自分を大事にしていきたいと思いました。