高山中華そば~1杯600円の幸せ~
「高山らーめん」というカテゴリーがある。
これは数あるラーメンの中でも、これぞ「高山らーめん」という特徴があるからだ。
一番の特徴は、タレもスープも一つの寸胴鍋で作ってしまうこと。一体化されているのだ。
醤油味で、和風ベースの味であるということ。そしてスープの絡む平打ち縮れ麺。
盛り付けはいたってシンプル。チャーシュー・メンマ・飛騨ネギ。そして1杯の量は少なめ。
恐らく、飲んだ後にさらっと食べるような、そんなことから出来たラーメンだ。
この「高山らーめん」。実は湘南の人が海に行くことを「浜に行く」というように、高山の人は「高山らーめん」のことを別の名前で呼ぶ。
「中華そば」。
高山の町をみても、文化を考えても、実にシックリくる。
でも、残念なことに、「高山中華そば」を「高山らーめん」と名前を変えただけで、売上が倍になった中華そば屋さんもあるほど、もはや、「高山らーめん」のほうが全国的に知名度が高くなっている。
地元の人に呼ばれている愛称よりも、作られた名称の方が売れてしまうのは、なんだか悲しい話だ。
でも、この高山の中華そばは、非常に奥が深い。
先にあげた非常に特徴的で、間口が狭い中で、各店がその定義からはみ出ないようにしのぎを削る。
ある程度決められた材料で、絶妙の配合を各店舗が考えるのだ。煮込む順序であったり、ダシの配合率であったり、スープにあったチャーシューであったり。
高級な材料さえ使っていれば美味しくなる世界ではない。もともとそんな文化から出てきた物ではないし、何よりも庶民の楽しみなのである。原材料で価格が跳ね上がっては素も子も無いのだ。
だから、作り手はじっくり自分の理想の味に近づけるように、妥協無く作っていく。
そんな「どんぶり」のような間口の狭い中でのこだわりは、深さを生む。
作り手はその深さを生むために、朝は早くから仕込み、夜は遅くまで「中華そば」を作り続ける。
それでも、価格は平均1杯 600円。
写真は僕の職場の麺処で出している「高山らーめん」。これも残念なことに、1年前に「中華そば」から名前を改名したら、グンと売上が伸びた。
ここにも、職人の思いが沢山詰まっている。
味は「とんでもなく旨い」わけでもない。ただ、「旨い」。
でも、一番大事な要素を持っている。
それは「何度でも食べたくなる味」だということ。
そういう味は必ず「幸せ」を生む。
この物価の上がっている時代に、1杯600円。
いつまでも変わらない持続可能な味に、それを食べることで持続可能な小さな幸せ。
「高山中華そば」はそんな庶民に愛され続けている、LOHASな料理なのだ。
日本の田舎の夏
昨日、「崖の上のポニョ」を見たからじゃないけれど、頭の中は宮崎駿の世界になっていて、朝家の前で見つけた蝉の抜け殻も、一瞬オームの抜け殻のように見えてしまった。
ナウシカほどにはしゃぎはしなかったけれど、思わず撮影。
この目の辺り、超リアル、というか本当にこんなのが、ナウシカで沢山いたなぁ、と思う。
もう、完全に夏真っ盛りで、朝の日差しが、7時を回るとかなり強い。
その上、田舎は空気も澄んでいるし、標高も高いから、じりじりと紫外線も肌で感じる。
そりゃそうだ、だって夏だもの。
朝はそれでも風が涼しくて気持ちがいいけれど、昼間はちとエライ。
これは絶対地球温暖化のせいだ。
うちのソファーは窓際にあるから灼熱地獄と化す。窓を開けても日差しが射すから、涼しい風も入ってこない。
これは人間にも、うちの「チュル」にも相当こたえている。
というわけで、夏といえばこいつだ。
そう、「よしず」。
この「よしず」を知ったのは、その昔中学生の頃の、TUBEの曲。
「あ~夏休み」。
「よしずの君って、何だよ!」ってな具合で、大人になって「よしず」を知ったときに、
「なるほど、風流だねぇ」と感心した。
そいつが、今うちの窓にかかっている。
葦の間から射す光と影が、見ているだけで涼しくなる。
少なくとも「写真を見ている分には」ということだけれど。
でも、蝉の抜け殻も、この「よしず」も、日本の田舎の夏って感じがしていいなって思う。
だって、これぞ日本の原風景だもの。
「となりのトトロ」に出てきた夏も、こんな感じだったかなぁ?と
20年前の記憶をさかのぼってみている今日この頃である。
「崖の上のポニョ」
今日は休みの日なのに午後からの会議に出席し、そのあと「崖の上のポニョ」を見てきました。
多くの人がそうであるように、この3連休中、頭の中で「ポーニョポーニョポニョ♪」とこだまする中、接客をし続け、そんなメロディーに誘われるように映画館に入っていきました。
「となりのトトロ」を見たのはもう20年も前の話。
あの時も、映画を見る前に「トットロ、トットーロ♪」と頭の中でこだましていました。中学生の時の話です。
あれ以来宮崎駿フリークになった僕は、何度も映画館に足を運んでそのたびに、感動を貰ってきましたが、今回は予感があったのです。
それは、きっと自分が映画の中に引き込まれてしまうんじゃないか?という予感です。
あの「となりのトトロ」を初めて劇場で見たときのように。
映画を見たときに感じたのは「画のやわらかさ」でした。
後でパンフレットの監督インタビューを見ると、今回は一切CGに頼らずに、手書きで描いたとのこと。
パンフレットには
「やっぱり最終的に人が惹かれるのは、人間が手で描いた驚きにあると思います」
と書かれていました。
このやわらかさの感覚も「となりのトトロ」の時と一緒です。
それからは映画の中にのめりこむのめりこむ。
時折出てくる20年前とは違った、悲しいくらいつまらない大人の感情を押し殺しながら、見ていました。
きっと、子供と大人の違いは「楽しさ」と「大変さ」のどちらが先に浮かんでくるかだと思います。
「こんなだったら、楽しいだろうな~」と考えられるか、「いや~でも、それって大変なんだよ」ってなるか。
この映画の中にどんなメッセージが隠されているのか?なんて詮索しながら見ても、それは大人の視点になってしまうだけでつまらないんでしょうね。
内容は結構無茶だらけだし。
そういう意味では、登場人物の宗介のお母さんなんかは、もう最高のお母さんだな…と思ってみてました。
最後に純粋に「ポニョ」に会いたい!」と思えた自分がいたことがとても嬉しくて、映画館を後にしました。
こんな自分を大事にしていきたいと思いました。





