チュルのお話
昨日の「カメキャッチャー亀」の「とっくり」が来た翌年、今度は犬が来た。
高山のセガワールドに行ったら、「イヌキャッチャー」なるものがあって…というのはもちろん嘘で、長野県松本市のペットショップで、すくったわけでもキャッチしたわけでもなく、あんまり好きな言い方ではないけれど、買ったのだ。
名前は来る前から決まっていた。「チュル」。ポケットビーグルだ。
もちろん、彼(チュル)には何の断りも無くつけた。
断る必要も無い。このときの彼は「ジョン」と呼ぼうが「タロウ」と呼ぼうが「花子」と呼ぼうが、何でも振り向いた。
生後2ヶ月のチュルは、飛騨までの車の中で、吐いては食って、吐いては食った。
とてもかわいそうだった。その時のトラウマか、今でも車に乗せるだけで、口はよだれまみれになって、動けばすぐに吐く。
でも、家に着くなり暴れだす。俺だったら吐いた後にはまず、動こうと思わないけど。
大体、ビーグルを家の中で飼おうなんていう発想がもう間違っていたのかもしれない。
新品のソファーはボロボロになるし、畳は一瞬で田舎の廃屋の畳みたいになった。
でも、チュルは元気に育った。
元気に育ってくれないと、ソファーも畳も報われない。
うちに来て間もなく、彼は人間の言葉を理解した。
親ばかとそういうレベルでなく、彼は人間の言葉とか思いを鋭く見抜き、確実に防御体制に入った。
だから、たまに東京に2泊3日で帰ろう、なんていうことを家で話していると、帰る前の晩にはもう、完全に防御体制に入っているのだ。
まず、手始めに甘えてみる。ベタベタくっついてきては、かなり可愛いそぶりを見せる。
次に、具合が悪くなった振りをする。これは人間でも常套手段だ。
そして、最後に暴れてみる。家の中を運動会のように走りまくって、クッションはかんでタオルは引きちぎる。
こっちに言わせれば、「なんだ、元気なんじゃん!」ということになる。これだけ動けりゃ安心だ。「チュルも演技の順番を逆にすればいいのに」なんて事を口に出してみると、一晩考えた結果なのか、翌朝からアカデミーショー並みの迫真の演技をする。
もちろん、その演技の末に、東京行きはなくなりはしない。
寂しい上に、嫌いな車に乗せられて、吐いた末に動物病院に預けられる。
「ついでに予防接種もしといてください」なんていったら、チュルには悲劇以外の何物でもない。
東京から帰ってきて動物病院にチュルを迎えに行く。
もちろん、彼はやさぐれている。
基本的な反撃から始まる。例えば、名前を呼んでもシカト。リードを引っ張ると踏ん張ってみたり、無理やり抱っこしようとすると、噛む。
噛むのはわかる。だって、とても犬らしい反撃だから。
家につれて帰ると、彼の迫真の演技はクライマックスを迎える。
とても具合が悪くなるのだ。
足を引きずって歩いてみたり、だら~んとしてみたり、
「おまえら、俺を1人にすると、こんなに具合が悪くなっちゃうんだよ~」的な目でこっちを見る。完全に役になりきっちゃっている時なんかは、大好きな砂肝ジャーキーをちらつかせても、ビクともしない。
これはマジでヤバイのかも、と思ってしまう。
でも、1時間ほどして、いなくなったかと思うと、砂肝ジャーキーのおいてある棚の下に座り込んで、じっと砂肝ジャーキーを見つめ続けていたりする。
これは、もう確実に人間と対等にやりあっていると、本人も思っている。
そんな彼は、もちろんColly’s Campの大事な看板犬になる。
このチュルのお話は、ちょくちょく出していこうと思う。
さて、ここに出てくる写真は寝ている物か、ブーたれている物が多い。
だって、幸せそうに寝ているか、起きてるとブーたれているか、大体どちらかだから。
でも、彼の寝顔を見てしまうと、お気に入りのTシャツを噛みちぎられても、許せてしまう。
でも、今日はここまで。
こいつの話は書き始めるとキリが無いからだ。
おやすみ。チュル。
出会いはゲーセン。「亀」飼ってます。
僕は生まれてから26年間、動物をちゃんと飼ったことがなかった。小学校のときの金魚も、ザリガニも、カエルも、カブトムシも、クワガタも、彼らの寿命を全うさせてあげることが出来ずに、死なせてしまった。
もう、動物を飼うなんてことは自分には無理なんだとも思った。
縁日でも「金魚すくい」なんか絶対やらなかったし、「ミドリガメすくい」なんかもってのほかだった。
だから、26歳でゲームセンターの機械の中に亀が泳いでいても、なんとも思わない・・・はずだった。
UFOキャッチャーというゲームがある。
僕は兄の影響もあってか、これには結構ウルサイ。
どんなに調子が悪くても、300円あれば目当ての物が取れた……時もあった…。
そして、26歳。飛騨高山のセガワールドには、その類のゲームで「金魚すくい・亀すくい」があった。
でも、先に言ったけれど、生かしておける自信がなかったので、やらないようにしていた。
あるとき、その「カメキャチャー」(と呼ぶことにする)に中学生が奮闘していた。
金魚は難しいけれど、亀くらいは取れるだろう・・・とのことだった。
僕も同感だった。
でも、彼らはいくらやっても取れない。
いい加減じれったくなってきて、とうとう、彼らが帰ったあとに、やってしまった。
楽勝!一発ゲット!
「さすが俺!・・・ふふふ、余裕だぜ!」
もう、その昔飼った小動物をことごとく死なせた記憶など、どこかにいってしまっていた。
その亀に名前をつけた。
「とっくり」。なんのひねりもない。
1年後、元気に生きていた。
2年後、目が白くなってきて、そろそろヤバイか、と思ったけれど、餌を変えたら復活した。
3年後、デカくなった。
4年後、更にデカくなった。
あれから8年。厳しい冬を8回も乗り越えて、なおも元気だ。
朝は必ず玄関で僕を送ってくれている。
うちの職場に、あの「動物奇想天外」の千石先生の教え子がいて、その子がその亀の本当の名前を教えてくれた。
「クサガメ」というらしい。
彼女は最後にこう言った。
「まだまだ大きくなりますよ。30センチくらいまでは」
マジ?…。
癒しの場所『ハコブチ』
自分にとっての癒しの場所をいくつか持っておくことは、この時代を生きていく上でとても有利なことだと思う。
愚痴を言うストレス発散法は、きっと誰かがそのストレスを引き継ぐだけで、ストレスが消えるわけではない。
「うつせば治る風邪」みたいなものだ。
でもそれって、何も解決していないのとおんなじ。ごみが移動し続けるだけで、消えることがないように。
でも癒しの場所は違う。ストレスを吸い取ってくれる。
正確に言うとストレスを吸い取ってくれているわけではなくて、自分の心をストレスを変換できるように持っていってくれるのだ。
だから、マイナスをプラスに変換して、それが経験として積み上げられる。
僕にとってのそんな場所を紹介します。
場所は職場からMTBで20分ほどの通行止めの先にある林道を入りすぐの橋の下。
名前は「ハコブチ」


このハコブチ、おそらく遠い昔に山から伐った木を運び出すために作られたであろう、古い水道かと思われます。
この箱のような淵。まさしく名前の通りなのですが、人工物なのか自然の物なのか、もはやわからないくらい時の洗礼を受けていて、いずれであっても、毎回訪れた者を癒してくれます。


見てください。この透明度。そして飛び込みたくなるようなブルー。 見ているだけで涼を感じることが出来ます。
昔、村上龍さんの「限りなく透明に近いブルー」という小説がありました。内容はまったく違いますが、ハコブチのブルーのキャッチには、まさしくピッタリなタイトルです。 昨日は休みだったので、そのハコブチで30分ほどボーっと体育座りしていました。とても癒されました。 だって、温暖化が嘘かと思うくらい涼しいし。 だから、ヘコんだり、疲れたりすると僕はよくハコブチに来るのです。
ストレスも癒しも自給自足の時代。
自分のストレス処理能力を上げてくれる場所。
そんな癒しの場所を、みんなで探してみませんか?








