一目惚れから衝動買い。
僕は基本的に、飾る物は買わない。置物とか、リースとか、フォトフレームとか。
買った数週間後には埃にまみれていることが、容易に想像できるのだ。
だから、僕の職場で企画しているプログラムも、フォトフレームやリースなど、いわゆる飾ってみて楽しむ物は作
らない。
もし、僕を除く大多数の人が、旅先で作ったリースやフォトフレームを、埃をためることなく、こまめに掃除しているのだとしたら、かなり僕の独りよがりな体験になる。
でも、僕は心からこう思っている。
「手で触って、使える物の方が、実用的で美しいし、楽しい。」
そんな偉そうなことを言っている僕が、ついにやってしまった。
今年の6月に出張帰りに清里に寄った時のこと。
清泉寮の売店で、出会ってしまったのだ・・・。
それは衝撃的な出会いだった。
まるで強い引力が働いたように、僕の心を激しく揺さぶった。
それが、この「モヒカン&豹柄」のファンキーな牛。
人生なんて不思議な物だ。
実用性なんてどこにも無いものに、突然激しくほれ込んでしまう。
気がついたら、僕はこの牛を片手にレジに並んでいた。
値段なんかまったく気にせずに(思ったよりも倍近く高かった)買ってしまった。
この牛は「COW PARADE」というアメリカのブランドの物で、
著名なアーティストや、一般市民、子供が感性の赴くままに、ペイントを施した物。
もちろん、こんなことは後から知ったわけだが、
一目ぼれした女の子のことを、もっとよく知りたくなるのが恋心。
そんなエピソードを聞くだけでも、さらに惚れ込んでしまう。
だって見てくださいよ。このスタイル・ペイント、そして攻撃的な目つき。
鳥肌が立ってしまう・・・。
そんなわけで、この牛は今僕のデスクに飾られている。
埃をかぶらないように、ケースに入ったまま。
たまにケースから出して、こんな風に写真を撮ったりもする。
それだけで、なぜだか癒される。
飾る物も悪くないな・・・と思う。
でも、やっぱり
「手で触って、使える物の方が、実用的で美しいし、楽しい」
という思いは変わらない。
ただ、今はこの牛は本当に僕を癒してくれるのだ。
飛騨の水は美味しい!
飛騨の水は本当に美味い。
これは、その体の80%以上を水が占めている、僕たち人間にとって、最大のアドバンテージだと思う。
飛騨の水は、喉もとで体に吸収される感じがする。
科学的言うと、粒子が都会の水よりも圧倒的に細かいらしい。
そんな水を、日々飲んだり、調理に使ったり、体に浴びて見たり、とかなり贅沢な使い方をしている。
特に、料理には当たり前のように使ってる。
お米を炊いたり、茹でたり、煮たり、ラジバンダリ。
よく、雪質のいいところでスキーをしている人間が、ベタ雪のスキー場で滑ると下手になる・・・というけれど、
僕の「なんちゃってイタリアン」料理も、飛騨の水で作るから、食べられるのかもしれないとさえ思う。
実家で作ったら不評だったら、ショックだ。
ところで、昨日の日記でスパークリングウォーターが好きだと書いたけれど、
好きになったきっかけは飛騨の水にある。
僕の職場は飛騨の中でも山奥のほうにある宿泊施設で、こういう所の水道水は、山水を最低限消毒したものを使っている。
驚いたのだけれど、飛騨の水は水道水としては圧倒的に美味い。
これはもう、ミネラルウォータークラスだ。水道水をペットボトルに入れて売っても、都会であれば売れるんじゃないか?なんて思う。この食品偽装の時代に、こんなことを思ってはだめなのだけれど。
話は戻って、職場の水道水。
要するに山水を使った簡易水道である。こういう水道は、なにかの加減で時折エアーを噛むことがある。
水道管の中に空気が入るのだ。
でも、簡易水道とは言っても、水の供給はされているから、エアーを噛んでいても蛇口をひねれば、爆発をしたような勢いで水は出る。最初は噴射という感じ。
この水をはじめてコップに採った時、飲むことをためらった。
明らかに水が白いのだ。
でも、よく見ると、白いのは小さな空気の粒だった。
噛んだエアーが、蛇口をひねったときの勢いで水の中に混じったのだ。
そして、飲んで見た。
とても不思議なまろやかな口当たりで、発泡水ほどではないけれど、口の中で小さな泡がはじけているのがわかる。そして、甘い。
この水は、その日一番最初に蛇口をひねる人にもたらされる。
一日に一度のとても貴重な水。
そんなことから、僕のスパークリングウォーター好きは始まったのだ。
また、今度水について、しっかり書こうと思う。
でも、今日は疲れたので家に帰ります。
実はまだ職場なのでした・・・。






