ミュンヘン・ カフカ通り徒然日記 -2ページ目

トスカーナ修学旅行兼芸術実習

ずーっと肌寒くて悪天候が続くドイツ。
そのとどめに週末の長雨で南東ドイツ、さらにはオーストリア・チェコなど
広域に渡って水害に見舞われています。
バイエルン州ではドナウ河畔のレーゲンスブルクやパッサウでアラーム発生中。
また、サルツブルクのアウトバーンもキーム湖付近で水没状態で
南への大動脈が断裂されてしまった。
ミュンヘンも私の住むあたりは問題ないけれど
一日も早く水位が下がって、この危機から逃れられることを祈るばかり。

これで暖かくなったらもう季節は夏。今年は春らしい春はなかったというワケだな。。。(ぼそっ)


そんな大騒ぎになる直前の土曜日朝一で
息子たちのクラスは12年間のシュタイナー教育カリキュラムの仕上げ、
恒例の芸術実習を兼ねたトスカーナ修学旅行に出かけていった。
(出発前にアウトバーンが通行止めになっていたらどうなってたんだろうか?)

14日間、丘の上の宿泊所で自炊しながら
カッラーラの大理石で彫刻作業、それから近隣のサン・ジミニャーノ訪問、
さらにはフィレンツェやシエンナなどへの芸術遠足の他
プールは付いてるしバーベキューパーティも組まれてて
17~18歳の若者たちのこと、キャンティ飲んでドルチェ・ヴィタ??
太陽と自由を満喫してきっと楽しい毎日になることだろう。


こういうロケーションらしい:




Casaなんとか:




ここから帰ってきたら、彼らは13年生に突入だ。
一年足らずの間、来春のアビトゥア試験に向けて今までとは全く異なる方法で
ビシバシ勉学に励むことになる。

アグリッピナ ~フランクフルト・オペラ観賞訪問~

土曜日のヴィースバーデンは雨にも降られず帰宅できたのだが
一夜明けると、この日は予報通りの長雨、しかも風もあって5月下旬とは思えぬ冷え込み方。
やせ我慢しておニューのワンピを着たけれど、これは天気の点でも劇場の雰囲気的にも
昨夜の方に合ってたかな・・・次は無謀なことは止めます(反省)。


ギーセン市立劇場でのマチネ「アグリッピナ」には
シュツットガルトのFB友で鯖子大ファンのI嬢とフランクフルト中央駅で待ち合わせして参上した。
彼女とは2月のチッチ@クヴィリエ劇場で初対面して以来ですが
今回は時間余裕あり、ゆっくり食事しながら親交を深めることができました。


駅から劇場までは徒歩20分ほど。
そぼ降る雨の中を日曜日でがらんとした商店街を抜け、劇場近くでやっと見つけたカフェで一服。
とにかく寒くて寒くて、以来2人の間ではこういう天気のことを「ギーセン天気」と呼んでいる。




この劇場はヴィースバーデンのに較べると、もちろんずーっと小ぶりで市民会館っぽい雰囲気が漂っていた。
お客様はよく入っていたけれど、ある意味気取った(失礼)保養地の社交界と違い
日曜日の午後に催し物見に行こか?とやって来た感じの地方小都市のおば様方が大半。


3月のプレミエ時から新聞評をいくつも読んでいた、
幼稚園読み替え演出アグリッピナを理解できない(したくない)観客がいまだに数多いのも確認。
先日など、納得できない観客を対象に公演後急遽説明会が開かれたとか?
なるほど、この日も休憩時間にあちこちで演出を批判する輪が出来ていた。
陰謀渦巻くローマ時代の物語を
時には村八分みたいな残酷な仕打ちも存在する子供の世界と重ねたのだろうに。
これで文句言ってたら、ミュンヘンのスキャンダラスな演出なんぞ卒倒モノかもしれない?(笑)
まあ、それはそれ、舞台自体は沢山の折り鶴がぶら下がり
アイテムも歌手たちの井出達もカラフルな幼稚園そのもの。


ハゲてたり髭が濃かったり出バラの幼稚園児がなんともご愛嬌だけど
何より、↓ この写真の一番左の「女性」にご注目!
その名をタンテ・シグリット(シグリット先生)といって、ヘンデルのオペラには存在しない役ですが
お昼ご飯のホウレン草を飛ばして遊んだり、いじめを働いたりする子供たちに
ついにはプッツン切れて大声で叱るシーンが挿入されてる。
泣く子も黙るタンテ・シグリット。これは良かった(爆)




私たちのお目当ては、ネローネ役のサバドゥス君(髭面)とオットーネを歌うテリー君(ハゲ)。
このラインアップの中では知名度(少なくとも私たちの間では!)テクニックともダントツの2人は
一緒の仕事をすることも少なくなく、プライベートでも仲良しなんだそう。
テリー君の生を聴くのは初めてだったが、オットーネという村八分被害者
かつ綺麗なアリアの持ち主とあってかなり注目した。
そしてサバちゃんは若いけどやっぱり上手。いつの間にかスターのオーラが漂い始めている。


さて、お芝居が跳ねた後、楽屋口でサバちゃんと対面。
この人はおっとりと性格の良い子で、疲れていても急いでいても気持ちよくお話してくれるのね。
私がミュンヘン在住と知ると、やはり市内に住んでる彼はどのへん?なんて聞いてくる。
でもって、最近あちこち引っ張りだこで空けることも多いそうだが
自分のWG(共同生活)はXX通りなんだーとか言っちゃっていいんでしょうか?サバちゃん?w
いや、私はストーカーしませんけどね。。。
そういうフツーな会話を(まだ)すぐできちゃうところも魅力かな。
知らない人が見たらフツーの大学生風。





私のことはどうやらFBのプロフィール写真である、私の犬の顔で認識していたそうで
「カワイイよね。種類なんていうの?」 
動物好きらしい。


しばらくしてテリー君も出てきたけど、サバ君同様仕事終わってさあ帰りましょうって感じ。
誰も「きゃーテリー君♪」 「すてき~サバ君♪」 てなノリじゃなくて
そういうのもギーセンだから可能なのかもしれない。
せっかくだから握手して、素敵でしたよーと一言言わずにいられなかった私ですが、
テリー君、小さい頃からウィーン少年合唱団で活躍してた割りに
すっごくシャイではにかむような笑みを湛えていた。これまたカワイイ。


この後すぐにフランクフルトから次なる仕事場エクサンプロバンスに
大荷物持って飛ばなきゃいけないというサバ君。

さば:スーツケース3個だけど大丈夫かなあ?
てりー:おいヴァレリウス(愛称か)、普通23キロまでだぞ。あとは超過料金!
さば:くそ~どうにかなんないかなあ・・


そーいう会話してる二人にさよなら言って
年甲斐もなく相変わらずミーハーな私は、自分で自分が可笑しくなっちゃった。



寒かったよなあーこの恰好じゃ!
レイネさんから戴いたフェルトボールのネックレスで暖を取りました。




繭玉みたいなフェルトの手作りネックレス

今日、オランダ在住のレイネさんから嬉しいプレゼントが届いた!
郵便番号間違えてお伝えしちゃったせいで、もしかしてとんでもなく回り道するかも・・と思っていたら
ほぼ1週間で私のところにやって来ました。

色合いや素材は事前に打ち合わせしていたのだけど
なんと昨日手に入れたサマードレスと何だか雰囲気が似ているじゃないか・・・。
またまた以心伝心しちゃったね(笑)。

フランクフルトに一緒に連れて行きます。
ありがとう!レイネさん


↑ こういう色合いとグラデーションがたまらなく好き ↑
ふんわり包み紙ももちろん色あわせよね


↓ こちらが昨日調達したばかりのワンピース ↓



麻の水色ワンピースにも♪
この白いボール面白い。これが入ってるのがポップな感じだし夏らしい。







5月になっちゃった



気がついたらもう5月半ば、やっと春になりました。
ついこの間イースターだったと思ってたら、来週から2週間また学校はお休みだ。
その直後2週間息子たちは芸術実習兼ねたクラス旅行でトスカーナへ。
初夏のイタリアでドルチェ・ヴィタ、いいわよね・・・。


私も負けじと(?)久しぶりにフランクフルトの友達んちに遊びに行ってくるー。
ヴィースバーデンの美しいヘッセン州立劇場で「アレッサンドロ」(チェンチッチ)、
ギーセンでは「アグリッピナ」(サバドス)のマチネ、とヘンデル二連ちゃんしてきます。
交通費節約のため、巷でウワサの長距離バスに挑戦。往復28ユーロよ。
お金はないけど時間だけはたっぷりという向きにピッタリらしい(爆




ロココ劇場でマックス・エマニュエル・チェンチッチ


先週土曜日にミュンヘンが誇るロココ様式クヴィリエ劇場にて
カウンターテノールのマックス・エマニュエル・チェンチッチソロコンサートを聴いてきました。
演目は彼の新CDヴェネツィアから、ヴィヴァルディとその同時代にかの地で活躍した作曲家たちによるアリアの数々。


暖かみのあるメゾソプラノ、確固としたテクニック、
そして何といっても表現力の豊かさ。
それは幼少の頃から歌い続けてきた長いキャリアの持ち主であり、さまざまな経験を積んできた彼だからこそ持ち備えているのではないかな?(演歌だな~
今回の生舞台ではそういったチェンチッチのいいところが前面に出て素晴らしい出来だった。
CDで時折聞こえてくるヒステリック気味の高音はここでは全くなく、無理のない自然な歌唱でよかった。
いや、ヒステリック声も彼らしくていいのだ・・と思えてきたりしたが(笑)。


コンサート後、サイン会があるというので(FBで情報キャッチ)
ご本人体調不調サイン会欠席のためケルンでもらい損ねたリベンジに!と
アルタセルセのプログラムを持参。
ついでにちょっとだけ言葉を交わすこともできましたし


素顔のチェンチッチは・・・にこやかに物腰も優しく、言葉使いもオネエ・・もとい・微笑みを絶やさない口元。うーん、どこまでがプロでどこからがプライベートな顔なのか分からない(笑)。
とことんプロ根性の座ったお方と見受けました。
とにかく、彼のお洒落さん振りはクラシック界でも屈指ですね。
小柄なんだが小顔だしプロポーションが良いので、舞台上ではちっとも体が小さい感じがしないのを確認。
この日も上から下まで黒、しかもジャケットはビロード・シルクのアスコットタイ・靴はエナメル・・・と素材で変化をつけるという井出達。
おっと、靴下は真っ赤でしたぞ。
きらきらトカゲのブローチがファンコミュニティの間で話題になってます、と言っといた。








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後日、南ドイツ新聞にコンサート批評が載ってました。
稚拙ながら翻訳付け加えておきますね。


Mormorando quelle fronde
(木の葉がさらさらと囁き):この素晴らしく擬音的な言葉でエウモノスのアリア(ジョヴァンニ・ポルタのオペラ"La constanza comtattua in amore”1716年作)は始まる。木の葉の囁きが洗練された音楽にこの上なく愛おしく映し出されている。カウンターテノールM.E.チェンチッチはこのアリアでクヴィリエ劇場での第二部を皮切った。6人の弦楽器とチェンバロ奏者をバックに、ヴェネチアをテーマにした新CDを披露する極上なコンサートである。リッカルド・ミナージ率いるイル・ポモドーロによるヴィヴァルディのヴァイオリンコンチェルト、個性的なシンフォニア(G.A.ブレッシャネッロ)。そして同様に生き生きと躍動的かつ彩りのあるB.ガルッピのコンチェルトから上記のポルタアリアへと続く。


かつてウィーン少年合唱団のソリストとして、そして18歳にいたるまで魅惑のソプラノ声に恵まれたマックス・エマニュエル・チェンチッチは、すでにここ数年来カウンターテノール界の新しいスターの1人に数えられている。今やメゾソプラノに熟成したしなやかな彼の歌声は数々のオペラやソロCD(ヴィヴァルディ、ヘンデル、ロッシーニ)で聴くことができる。バリトン的胸声から力強い中音域そして柔らかくかつ確かな最高音まで、そのバランスの良さ。彼の歌声を聞くのは純粋なる喜びである。


G.ジャコメッリのオペラ”Merope“1734年作)から”Sposa, non mi conosci 我が妻よ、私がわからぬか”は10分近い、このコンサート最長のアリアであると同時におそらく最も美しい一曲であった。旋律に微妙な変化を加え柔らかくフェイドアウトさせる歌唱は、女性的な感受性と男性的な力強さが融け合った様である。繊細かつドラマチック・怒りと悲しみ、という多彩さ。それはヴィヴァルディ、カルダラ、アルビノーニ、ポルタ、ジャコメッリのアリアが散りばめられたプログラム自体に言えることだ。また、チェンチッチは機敏なコロラチュールとアタックにおいても確かで、素晴らしい音楽性、非の打ち所のないテクニックそしてほんのちょっとだけクレイジーさをも披露。そしてアンコール曲・ジュゼッペ・セリットの"Anche un misero arboscello“で美しく丸みを帯びたメゾと、微かに金属的上塗りを施された高音域を再度楽しむことができた。


布製ケース二点

シュタイナー学校でお馴染みの布製クレヨンケースを作ってみた。
お手本は息子が使ってたヤツ(写真奥)。
これは入学前の父母会で(12年前!)購入した在学生親の手作り作品。
中等部の頃には流石にお絵かきキットから卒業したのですが
処分するのは勿体無くて、母は洗ってクレヨンも汚れを落とし、今では引き出しで眠っている。


サイズは長さ約50cm、幅約20cm。
シュトックマーのクレヨンスティック型12本と、ブロック型8個用のポケットを設けました。
(うちのショップにてクレヨン12本とセットで4000円で販売中♪





このタイプの応用で(馬鹿の一つ覚えw)、小さなスケッチブックやペンを入れるものを。
文房具に限らずお道具の持ち運びに使えるかな?





義母の誕生日のプレゼントに買っておいた無印良品のミニスケッチブックだが
これだけじゃあまりにも味気ないよな・・と、昨夜思い立って縫いました。
実はこれ、ランチョンマットなのです。
片側をたたんで適当な間隔で仕切りをつけて、紐を縫い付けて出来上がり。


ハイキングや旅行の時にはスケッチブックを持ち歩く義母は
ここんところに絵の具ケースがちょうど入るわ~と喜んでくれた。






Opernglas誌チェンチッチ・インタビュー(下)



チェンチッチ・インタビューの続きです。

長い歌手経歴で出会った重要な人物として
ラインハルト・ゲーベルやヘンゲルブロック、マクリーシュ。
後にはルセとクリスティーを筆頭に挙げています。
特にクリスティーとは最も共同制作の回数が多い。


ここで話はバロック音楽界メッカとしてのフランスの現状について展開されます。


貴方はフランスで歌うことが圧倒的に多いですね。昨今のフランスのバロック音楽メッカとしてのステータスには驚くべきものがあります。
 その秘密はあの国の文化援助政策の充実にあると思う。音楽アンサンブルも公立私立に関係なくその恩恵を受けることが出来、結果的に古楽を振興するベースにもなっているんです。さらにはこういった音楽アンサンブルはナンシー、メッツ、ストラスブール、パリ・・といった各都市のオペラハウスと頻繁に共同制作します。こうして全国レベルの音楽地図が出来上がる。この多彩性は他国では例を見ない。通常はごく一部の団体のみ援助され・しかもかなりの制限を受けるもの。スカラ座や聖チェチリアに過酷な条件を強いるイタリアなどその最たる例です。
それだけにいっそうフランスの平等性は称賛すべきであり、それはバロック音楽界にとっても幸運の女神と言えます。


フランスはここ数年来バロック音楽の復興に大きな役割を果たしていますね。
ここにはクリスティー・ミンコフスキ・ルセというバロック音楽の大貢献者がいますが、他国の、例えばアーノンクールも忘れてはいけない。そしてチェチリア・バルトリ。彼女はバロック音楽に縁のないファン層にもこのジャンルへの関心を掻き立て、一歩身近なものにしました。

ここで今日のメディアがどう機能するのかがよく分かりますね。例えば、何の芸もない無名の5人をコンテナーに住ませて、その生活を2ヶ月間隠しカメラで撮影しテレビ放映する(ドキュソープ『ビックブラザー』のことでしょう)。それだけでもう彼らは有名人になる。
僕が言いたいのは、どんな音楽ジャンルでも、しかるべきメディアを駆使すればより広い視聴者層を得ることができるということ。彼らはどんな音楽に対しても関係なくオープンになるんです。


それはエリートのためのものと思いこんでいたクラシック音楽に対しても・・・
 そのエリート云々ってのは馬鹿げてます!メディアが一からげにしてるだけだ。サッカーは一般的でクラシック音楽はごく一部の人向け娯楽だなんて嘘。だいいち一年間にどれだけの動員数があるか比較してみてください。欧州で年間2000万もの人がクラシック音楽祭に足を運ぶんですよ!決して少ないとは言えないんでは?




クラシック界にも変化が起きていますね。インターネットのライヴストリーミングといった新しい技術によって、オペラハウスは新しいファン層を獲得できるでしょうか?
 僕はこういった新しい技術に対して非常にオープンな考えを持っています。英国のとあるアンケートによると、オペラは見てみたいけれど何を着て行ったらいいか分からず近づきがたい・・という声があったのです。見分不相応だと思い込んでいる人がいる。しかし興味を持つ人は多い。可能性は高い。クラシック音楽専門テレビ局が高い視聴率を記録しているという。今まで縁のなかったバロック・室内楽・現代音楽・・・これらを気軽に楽しめるというのは素晴らしいことではないですか!


その反面、音楽産業界(貴方自身こちら方面でも精力的に活動していますが)は、このYoutubeやiTunesの時代においてCD売上に苦労していませんか?
 今のところ大きな違いは感じてませんね。ただ、クオリティの高さには勝てないのは今の時代も同じだけど、平凡な作品はダメ・ある程度の独創性がないと売れない。最初のCDが登場した30年前当時、無数のクズ作品が作られた。特にそれが顕著だったのがポップミュージックで、当たればラッキーをモットーに大量生産された。こういうコンセプトは今日ではまったく成功しない。良質で独創性のあるものを作らないと話にならないんです。僕たちの『アルタセルセ』はその代表的作品であると断言できます。


テレビ番組に数多く見られるタレントショー。これはメインストリームが行き詰っている証拠?ポール・ポッツのお陰でオペラハウスにより多くの人々が殺到した?
 
 番組制作者は大衆それぞれの嗜好に合わせることが難しいと分かったんです。なので、何が好きか・面白いか・・それを大衆自身に決めてもらおう、という考えに至った。こうして"Deutschland sucht den Superstar"や"Britain's Got Talent"といったタレント発掘番組が生まれたわけです。
ポール・ポッツがオペラハウスに直接貢献したかどうか・・それは分からないけれど、どんな家庭環境からもクラシックとの繋がりは持てる、という好例ではないだろうか。クラシックは敷居が高いと思っている人間は多いけれど、ポール・ポッツの様なアーティストがその壁を破ってくれた。エンターテイメントには不可能ということはないんです。


貴方の新しいソロCDが今リリースされましたね。やはり個性的なコンセプトですか?
それから今後どのようなプロジェクトを予定していますか?
 
『ヴェネチア』と言うタイトルです。ヴィヴァルディの、そして彼と同時代にヴェネチアで活躍した、しかし今では忘れられてしまった作曲家たちの曲を収録しています。目下準備中の大プロジェクトはヘンデルの『アレッサンドロ』です。これはハレのヘンデル・フェスティバルにてオペラ形式で上演され、その後ヴェルサイユ・アテネ・ウィーンそしてアムステルダムと巡業します。そしてもちろんヴェネチア・コンサートツアーも各地で。

Opernglas誌チェンチッチ・インタビュー(上)

Opernglas今月号のカヴァーストーリーに
カウンターテノールとしての成功はもちろんのこと、その経営センスとお洒落感覚でも冴えまくってる
マックス・エマニュエル・チェンチッチが載ってます。
『ザ・成功物語』なんてサブタイトルについ惹かれて6,90ユーロ出費(笑)。



ウィーン少年合唱団のソリストとして日本でも相当人気があったらしい彼も
今や煌めくカウンターテノール新世代をひっぱる置屋の女将・・おっと失礼・リーダー格、
オピニオンリーダー的存在とも言えましょう。


ページ(写真抜きでギッチリ3ページ)のこのインタビュー記事は
自分自身の「成功物語」というより、クラシック音楽の将来を考える真面目なビジネスマンとしての顔が覗く内容。
かいつまんで意訳してみました。


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(前略)・・・僕たちカウンターテノール(以下CT)が今日この高音域レパートリーで極めたものは特筆に価する。ヴィンチのアルタセルセを1730年のローマそのままに再現できるんです。僕たちは当時のカストラートたちが持っていた高音と技術にかなり近いところに到達しました。女性が舞台に立つことは禁じられていた時代ゆえ、その役は男性よって歌われなければならなかった。風紀のために・・ね。その時代に身を置き換えられるなんて素敵なことじゃないですか。



アルタセルセはそれを実現させる完璧な機会、というわけですね。貴方のほか、国際的名声を得ているジャルスキーやファジョーリを含めた4人のCTが舞台に勢ぞろいしていますね。

夢のようなプロジェクトです。とくにファジョーリが演ずるアルバーチェのパートは想像を絶するほど難しく、女声でも重労働であるはず。僕たちはとにかく非凡なことをやってみたかった。


貴方自身はというと、アルタセルセの妹・マンダーネに扮していますね。女役というのは抵抗のあることではないですか?

皇帝ネロを演じるのと変わりないですよ。僕は役者だから、新しい役を演られるのが楽しい。舞台の上では何でも許される。舞台というのは色とりどり変化にとんだ人生を映す鏡であり、そこで歌手として芝居という名の魔術の一部になれるなんて素晴らしいことです。


その魔法には変装(女装)がもちろん欠かせない・・・

変装はイタリアオペラにおいて重要な要素であり、当時のローマでは浮気や売春を避けるための、要するに風俗秩序を守るための措置だった。もちろん、カストラートを女装させることによって、別の形の売春を促すという全く反対の結果を生むことになったわけですが。同じような状況は中国や日本にも存在しました。演劇界は『ソドムとゴモラ』と化し、枢機卿たちは娼婦やカストラートを愛人として囲っていた。例えば、ランディの『聖アレッシォ』で嫁役を歌ったカストラート・パスカリーニはバルベリーニ枢機卿の人生の伴侶でした。それでもローマはオペラ界のメッカであり、重要な作曲家たちは皆この聖なる都で活動していました。ヴィヴァルディ、ヘンデル、ハッセ、ポルポラ・・・バッハを除いて。


なのに今日私たちにとってこのローマ時代は未知の世界ですね。

それが魅力的なところなんです。謎に包まれている。その後の時代は、特に堅苦しい性的役割分担や(見せかけの)上品さが道徳基準のヴィクトリア時代など、面白みがなくなりました。19世紀にはオペラ上の変装というのはズボン役のみに制限されるようになってしまった。それに対して17~18世紀の社会生活は風習という点でずっと自由で型にはまらないものだったんです。ナポレオン時代までは君主国に君主がいるように君主には愛妾が付き物だった。今日では考えられないこと・・あったら直ちにスキャンダルだ。

バロック音楽のファン層はどんどん広まっており、それには貴方の様なアーチストたちが大きく貢献しています。先ほど今CTはカストラートの高音域と技術にかなり近づいていると仰いましたが、ここ数年間のその急速な進歩をどう説明されますか?

 聴衆の大きな関心が私たちアーチストの向上心を高揚し、それに伴って若手が育ち、同時に育成システムのレベルアップにもつながります。ただ、自分の才能を見出すにはそのための機会が必要。以前カウンターテノールとしての才能を持つ若手は十分いただろうけれど、それを試す場乏しかった。


どのように自分の才能を見出したのですか?

 僕は音楽一家に生まれ育ち、音楽と関わる子供として典型的な音楽教育を受けました。楽典、ピアノ、声楽。。そして少年合唱団へ加わることになった。あそこでは非常に徹底的な教育がなされますから、それは厳しい5年間でした。それでも僕はもともとは将来歌手になろうと思ったことはなかった。僕の芸術家としての経歴は偶然と運命の産物なんです。


歌手になろうと思ったきっかけは?

 13歳の時だったと思う。といってもきっかけと言うほど決め手になる出来事があったわけじゃない。あの当時、「音楽なしでは生きていけない」という思いをはっきり意識したんです。毎朝起きて毎日毎日歌うことへのモチベーションが消えなかった。歌が必要だった。


最初からバロック音楽を歌っていた?

 少しずつこのレパートリーに必要な技術を身につけていった。声楽としての声はすでにあった、というかそれは筋肉トレーニングの他の何物でもないんです。

訓練には記憶力と習慣が重要ポイント。これは僕が得意とするところなんです。一つのパターンが出来上がるまで、毎日同じ作業を繰り返します。CTの音域は長年の訓練の賜物だから苦になりません。 一度喉頭部に根付いてしまった自分の音域というのは、もちろんある程度は意図的に手を加えることは可能。でも完全に変えることはできないんです。

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後半ではなぜフランスがバロックのメッカでありうるのか、
そして今後いかにクラシックがエリート音楽のイメージから脱出して
より広く愛されるようになるか考えるチェンチッチ。
こちらは後日に。

ニッポンの風景④ 東京散歩(青山~麻布十番~芝公園)

墓場散歩第二弾(笑)。
従姉と芝公園で昼食約束してあったので、その前に青山界隈をぐるっと回ろう。
地図を見ながら、これってもしかして全部歩ける?
芝公園に出る地下鉄ルートがいまいちピタッとフィットしないんじゃ
歩いた方が簡単。しかもこのお天気


外苑前下車。この辺は学生の頃、六大学野球を見によく来ていたなあ。
あのころの面影が残ってるような残ってないような・・・
でも青山墓地には一度も足を踏み入れたことがなかった。


墓場に浪漫を感じる年頃になりましたか(爆




もう誰も訪れる人がいないのか、錆びついた欧風な柵に囲まれ荒れ果てたお墓。


4,5メートルはあろう巨大な墓石もいくつかあり
おそらく偉業を成し遂げた方たちのものではあるのでしょうけれど
何ごと一番大きく・高くありたい気持ちって人間の見栄かしらね・・などと
背後の高層ビルと見比べながら思ふ。


春にはお花見名所になる桜並木のゆるい坂道を下ると首都高下の六本木から
再び迷路のような細道に入り麻布十番方面へ。

ここでは商店街をぶらぶらウィンドーショッピングしたり
コーヒー屋で一服したり。
可愛い手ぬぐいグッズを置いてるお店で、猫好き姪っ子に和風猫柄エコバッグ購入(→)



@タリーズ
滞在中、どこにでもあるタリーズ・スタバ・ドトールにはよくお世話になりました(笑)



十番商店街を後に、また首都高をはさんで反対側の狸穴坂へ。
最新のビルや大通りの間に
こういったチマチマと細く狭い曲がり道や坂道が現れて退屈しない。
その謂れなど読みながら歩くと一層面白いですね。(例えばこれなんか→


飯倉交差点を右に曲がると東京タワー。
スカイツリーエイジに入った今となってはレトロ感たっぷり。




長蛇の列だったスカイツリーの比では全くないけれど
小学生グループなど結構な人たちが訪れていたのを確認してホッ(笑)。


これで芝公園に到着(約5キロ)
プリンスホテル脇のカフェで従姉とそのお嬢さんとランデヴー。
すっごく久しぶりに会う従姉と、バレエをやってる超可愛い娘さんと
時と空間を越える会話で盛り上がり楽しかったー。



最後にゆったり広々とした増上寺の境内に立ち寄り
浜松町駅まではもう一息。

ニッポンの風景③ 東京散歩(雑司が谷)

新宿の飲茶で女子会ランチのあと
副都心線に乗って雑司が谷まで。
静かなこの界隈をノンビリ歩いてみたいと思っていた。

雑司ヶ谷駅構内のポップなベンチ。
写真だと分かりづらいけど、奥行のない腰掛けという感じ。


チンチン都電に沿って少し歩くと、雑司が谷霊園。
有名どころでは夏目漱石や小泉八雲もここに眠る。
都会で静けさを求めるには墓場は穴場ですね(笑)。
向こうに見える池袋の高層ビルたちとのミスマッチ。


墓地を通り抜けて、反対側の住宅街は角の多い狭い路地が迷路のよう。
こういうところなんて特に、〇丁目〇番地〇号をぴたっと探し当てるのは本当に至難の業だろうな。
ごく普通のアパートや家が続くなかで
突然、ちょっぴり洋風なスタイルを取り入れた古びた家屋なんかが現れて面白い。
ああ、あったよね、子供心にすごく違和感で怖いような、でも何だか惹かれる家が。


坂を下りて大通りを暫く。
お昼に友達が、美味しいよ立ち寄ってみたら?と一押ししてた豆大福屋さんは
案の定、新年休業中だった(涙・このパターンは多かった)。
で、再びかなり急な坂を上って、上り詰めたところは東京カテドラル。そして椿山荘。

椿山荘の先の角を左折。
この辺は学生寮が多いんだそうな。
なるほど緑多く静かで勉学に励めそうで、親も安心して子供を東京に送り出せる環境だ(笑)。




その通りの、下り坂になるあたりに永青文庫は
細川侯爵家の美術コレクションが見られる小さな美術館。
しかし、細川家屋敷跡に立つこの建物は、これまた不思議ーな雰囲気の洋館で
なんだろね?住居というより病院みたいだね、などと話していたが・・
どうやら昭和初期当時は屋敷の事務所だったらしい。




実に坂が多い街、東京って変化に富んでて楽しい。
永青文庫から胸突き坂を下ると、ふもとは神田川。


左手には関口芭蕉庵がひっそりと佇む。
芭蕉が神田上水改修工事に関わった数年間住んだという場所う(←これこれ・・)。
東京のど真ん中と思えない空間。
程よく寂れたお庭が情緒たっぷりであった。



ここで神田川に出る。
川沿いの桜並木道は、春にはさぞかし美しいだろうな。
この界隈は神田川の水のお陰で染物屋が多い。
が、夫がチェックしていた染物博物館もこれまた新年休業中だったー。ざんねん。


面影橋のところで都電に乗り込み、大塚駅まで。
駅前のコーヒー屋で一服したら、山の手線で帰宅。
(歩行距離約5キロ)