Opernglas誌チェンチッチ・インタビュー(上) | ミュンヘン・ カフカ通り徒然日記

Opernglas誌チェンチッチ・インタビュー(上)

Opernglas今月号のカヴァーストーリーに
カウンターテノールとしての成功はもちろんのこと、その経営センスとお洒落感覚でも冴えまくってる
マックス・エマニュエル・チェンチッチが載ってます。
『ザ・成功物語』なんてサブタイトルについ惹かれて6,90ユーロ出費(笑)。



ウィーン少年合唱団のソリストとして日本でも相当人気があったらしい彼も
今や煌めくカウンターテノール新世代をひっぱる置屋の女将・・おっと失礼・リーダー格、
オピニオンリーダー的存在とも言えましょう。


ページ(写真抜きでギッチリ3ページ)のこのインタビュー記事は
自分自身の「成功物語」というより、クラシック音楽の将来を考える真面目なビジネスマンとしての顔が覗く内容。
かいつまんで意訳してみました。


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(前略)・・・僕たちカウンターテノール(以下CT)が今日この高音域レパートリーで極めたものは特筆に価する。ヴィンチのアルタセルセを1730年のローマそのままに再現できるんです。僕たちは当時のカストラートたちが持っていた高音と技術にかなり近いところに到達しました。女性が舞台に立つことは禁じられていた時代ゆえ、その役は男性よって歌われなければならなかった。風紀のために・・ね。その時代に身を置き換えられるなんて素敵なことじゃないですか。



アルタセルセはそれを実現させる完璧な機会、というわけですね。貴方のほか、国際的名声を得ているジャルスキーやファジョーリを含めた4人のCTが舞台に勢ぞろいしていますね。

夢のようなプロジェクトです。とくにファジョーリが演ずるアルバーチェのパートは想像を絶するほど難しく、女声でも重労働であるはず。僕たちはとにかく非凡なことをやってみたかった。


貴方自身はというと、アルタセルセの妹・マンダーネに扮していますね。女役というのは抵抗のあることではないですか?

皇帝ネロを演じるのと変わりないですよ。僕は役者だから、新しい役を演られるのが楽しい。舞台の上では何でも許される。舞台というのは色とりどり変化にとんだ人生を映す鏡であり、そこで歌手として芝居という名の魔術の一部になれるなんて素晴らしいことです。


その魔法には変装(女装)がもちろん欠かせない・・・

変装はイタリアオペラにおいて重要な要素であり、当時のローマでは浮気や売春を避けるための、要するに風俗秩序を守るための措置だった。もちろん、カストラートを女装させることによって、別の形の売春を促すという全く反対の結果を生むことになったわけですが。同じような状況は中国や日本にも存在しました。演劇界は『ソドムとゴモラ』と化し、枢機卿たちは娼婦やカストラートを愛人として囲っていた。例えば、ランディの『聖アレッシォ』で嫁役を歌ったカストラート・パスカリーニはバルベリーニ枢機卿の人生の伴侶でした。それでもローマはオペラ界のメッカであり、重要な作曲家たちは皆この聖なる都で活動していました。ヴィヴァルディ、ヘンデル、ハッセ、ポルポラ・・・バッハを除いて。


なのに今日私たちにとってこのローマ時代は未知の世界ですね。

それが魅力的なところなんです。謎に包まれている。その後の時代は、特に堅苦しい性的役割分担や(見せかけの)上品さが道徳基準のヴィクトリア時代など、面白みがなくなりました。19世紀にはオペラ上の変装というのはズボン役のみに制限されるようになってしまった。それに対して17~18世紀の社会生活は風習という点でずっと自由で型にはまらないものだったんです。ナポレオン時代までは君主国に君主がいるように君主には愛妾が付き物だった。今日では考えられないこと・・あったら直ちにスキャンダルだ。

バロック音楽のファン層はどんどん広まっており、それには貴方の様なアーチストたちが大きく貢献しています。先ほど今CTはカストラートの高音域と技術にかなり近づいていると仰いましたが、ここ数年間のその急速な進歩をどう説明されますか?

 聴衆の大きな関心が私たちアーチストの向上心を高揚し、それに伴って若手が育ち、同時に育成システムのレベルアップにもつながります。ただ、自分の才能を見出すにはそのための機会が必要。以前カウンターテノールとしての才能を持つ若手は十分いただろうけれど、それを試す場乏しかった。


どのように自分の才能を見出したのですか?

 僕は音楽一家に生まれ育ち、音楽と関わる子供として典型的な音楽教育を受けました。楽典、ピアノ、声楽。。そして少年合唱団へ加わることになった。あそこでは非常に徹底的な教育がなされますから、それは厳しい5年間でした。それでも僕はもともとは将来歌手になろうと思ったことはなかった。僕の芸術家としての経歴は偶然と運命の産物なんです。


歌手になろうと思ったきっかけは?

 13歳の時だったと思う。といってもきっかけと言うほど決め手になる出来事があったわけじゃない。あの当時、「音楽なしでは生きていけない」という思いをはっきり意識したんです。毎朝起きて毎日毎日歌うことへのモチベーションが消えなかった。歌が必要だった。


最初からバロック音楽を歌っていた?

 少しずつこのレパートリーに必要な技術を身につけていった。声楽としての声はすでにあった、というかそれは筋肉トレーニングの他の何物でもないんです。

訓練には記憶力と習慣が重要ポイント。これは僕が得意とするところなんです。一つのパターンが出来上がるまで、毎日同じ作業を繰り返します。CTの音域は長年の訓練の賜物だから苦になりません。 一度喉頭部に根付いてしまった自分の音域というのは、もちろんある程度は意図的に手を加えることは可能。でも完全に変えることはできないんです。

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後半ではなぜフランスがバロックのメッカでありうるのか、
そして今後いかにクラシックがエリート音楽のイメージから脱出して
より広く愛されるようになるか考えるチェンチッチ。
こちらは後日に。