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イラストとマンガ ときどき哲学

哲学とイラストとマンガを気の向くままに投稿しています!

こんばんは!

 

今日はマッチングアプリで約束した女性と会ってきた.

 

 

 

前の彼女とは円満に分かれた.

 

しかし,その時,

 

「おれはもてるからマッチングアプリですぐ彼女をつくるさ!ウシシ

 

なんて,格好良くないことを最後の晩餐で話していた...

 

 

 

そして今,

全然マッチングしない,,,宇宙人くん

 

ありゃりゃ,

 

こんなはずでは,と思いつつ,数少ないマッチングした方との出会いを大切にしている.

 

やっぱり,偶然で出会ってるのではなく,何かしらの縁があるんだ.

 

だから,一人一人としっかり向き合いたい.

 

 

 

今日は,

 

「消極的な方なんですね」と一括りに性格を決めつけるように言われ,

 

むっとしたロボット

 

 

でも,その中でも話していくと,

 

最終的には,あなたの感情がみえなくて,わざとむっとさせることを言ったとのことであった.

 

晩年のおじいちゃんのような雰囲気があるといわれた.

 

もっと感情を伝えてくれないとあなたがわからないといわれた.

 

 

新鮮であった.

 

そこまでつっこんで話してくれることに感謝である.

 

 

いろんな個性のある方に出会えて,楽しいし,ありがたい.

 

 

はやく,アプリをやめたい.

素敵な人と愛し合いたい.

それが今の切実な感情である.

 

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こんばんは!

 

最近は,

 

・座禅で何も考えない時間

・この人の幸せのために,自分の幸せのために何ができるだろうかという思い

 

この二つを大切にしている.

 

 

あまりむずかしいことはやらないことにしている,考えない.

本当に大切なことは結構シンプルだ.

 

よい環境に植えたトマトは自然に立派に育つ.

きゅうりだって,サボテンだって,そうだ.

 

人間だってそうではないだろうか.

 

 

人間にとって善い環境とは?

 

 

決してお金でも,権威でも,名声でもない.

 

というよりも環境どうのこうのではない.

 

 

こころではないだろうか.

 

 

とらわれない心,自分勝手にならない心,全体本位の心,

 

そうした心が,活きる活力を流入させる.

 

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こんばんは!

 

今日もつれづれなるままに書きます

 

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今日は,ふと本屋さんに行った.

 

いろいろと晴れない気持ちが多い中であった.

 

 

ふと目に入り,なんとなく購入して,近くのカフェで読み始まる.

 

 

すぐに共感が多く出て,読み進めていった.

 

ヤカンに入ったロイヤルミルクティーを飲み干す前に読み終えた.

 

圧巻であった.

 

 

ジェームズ・アレンの「原因と結果の法則」である.

 

 

 

いろいろとふらついていたが,生気を取り戻した.

 

迷いない歩みに少し近づいた.

 

 

 

言葉にするのが簡単でないことを,こうも力強く言葉にできるものかと思った.

 

漠然としていたことが,とても整理された.

 

本の持つ力の強さも改めて感じたのだった.

 

 

印象に残った内容を記憶の範囲で列記する.

 

・万事は,思いを種とする.言行や環境や喜び,悲しみは思いの果実である.その法則は絶対なのである.

 

・今いる環境は,その数々の思いが織りなす万華鏡の世界である.

 

・その引き寄せている特定の対象は,心の平均的なことではなく,心のそうした側面が引き寄せている.正直者が不正直ものよりも恵まれていないのは,不正直ものにはより高貴で気高く尊い何かがあるということである.

 

・駆け巡る思いの多くが急に積極化すれば,その環境もまた積極的方向に変わる.

 

・恐怖は銃弾よりも速く人を死に導く.また,その速さでなくても,死に向かわせている.

 

・現象を変えようとするのではない.種である思いを気高くすることに意味がある.

 

・思いを高貴で気高くもつことで,すべてが調和に向かう.

 

 

 

 

なんとなく,最近の自分は,体裁的に,正しいことをしていることに自己満足を持っていたように思う.

 

その割に,自分の正義を掲げ,反するものに対して批評を下して,不平不満を当然のように持っていた.

 

正しくないことと漠然と思っていたが,無意識化に駆け巡るそうした消極的観念を統制できていなかった.

 

 

漠然としていた中が,言葉で照らされた.

 

自分は人との関係に課題がある.

 

すぐに不平不満を持ち,特にはじめての人を敵対視している傾向がある.

 

それでは,よくない思いをたくさんばらまくのみである.

 

よくない種をまいていることになる.

 

 

そこを改善するんだ.

 

誰に対しても,

「この人の幸せのために何ができるだろうか」

「自分の幸せのために何ができるだろうか」

 

その全体本位の思いを持ち続けていけば,思いは大きく変わるように思う.

 

 

遠くを見ないでよい.

目の前の人に対して,思いやりをもって,「この人の幸せのために,自分の幸せのために,何ができるだろう」

 

自問自答をしていこう.

こんばんは!

 

書き終えて思いますが,本当につれづれなるままに書いたため,文脈はなしですお茶

 

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10連休

 

はじめの数日はまだまだたくさんお休みがあると思っていたのに,

 

残すは明日のみ.

 

時間の流れは強いものである.

 

 

 

半年前,再就職したものの,

 

窮屈感を感じる.

 

サラリーマンは,毎月決まったお給料をいただける.

ボーナスまでも.

 

とても安定している.毎日カフェに行っても罪悪感もない.

 

結婚していないから,二人分の贅沢をしても大丈夫だ.

 

 

でも,会社に一足入ると,スッと

 

肩に重さがのってくる

 

 

人とのコミュニケーションから生じる摩擦が好きになれない

 

好きになれない

 

人と会うのは好きだけれど,利害関係が発生すると,

 

人の自己本位な欲が入るとつらくなる

 

責任を果たさないとならないという気持ちとの折り合いのつけ方も簡単ではないと思う.

 

自分が批判されないように,責任を果たさないと...

 

その気持ちとどのように対峙すべきか,一つの課題である.

 

 

 

 

自然の中で一人暮らして,自然豊かな和風の庭を見て,

 

縁側で熱燗を飲みたい.鈴虫の鳴き声を聞きながら.

 

そして,月一くらいで横浜に行って,ジョイナス,高島屋でウィンドウショッピングをして,

 

みんなが楽しそうにしている雰囲気をたくさん吸って,人っていいなぁと感じたい.

 

 

 

物事はバランスなんだ.

 

過剰は,本来得られる幸せまでも奪い去っていく.

 

少ない場合もだ.

 

 

でも,今の時代は少し少ないくらいがちょうどよいのかもしれない.

 

 

 

本当に,今の福祉は必要なのだろうか.

 

医療は必要なのだろうか.

 

豪勢な食事は必要なのだろうか.

 

SNS映えは必要なのだろうか.

 

こんなにたくさんの情報は必要なのだろうか.

 

時刻表の半分の電車でできる生活はないのだろうか.

 

スマホは本当に必要なのだろうか.

 

そんなにたくさんのアプリは本当に必要なのだろうか.

 

そんなにたくさんの飛行機が,電車が,車が本当に必要なのだろうか.

 

そんなにおもちゃを子供に買い与える必要があるのだろうか.

 

そんなに服は必要なのだろうか.

 

そんなにスマホをみている時間は必要なのだろうか.

 

 

社会全体の在り方が正しいかどうか,今見極められようとしているように思う.

 

 

 

 

自分がすべきことはなんだろうか.

 

もっと心の豊かさを追求した生き方をしてもよいのではないだろうか.

 

尺度は,自分が正しいと思った尺度を使えばよい.

 

 

 

 

ただ,仕事は今の仕事を天職と思えば天職になるようにも思う.

 

その覚悟なのだろうか.

 

どの道を活きる道と覚悟を決めればよいのだろうか.

 

途中で道を変えるのは正しくないのだろうか.

 

ただ,水が水蒸気になるとき,

 

沸騰して一時的に不安定になる.

 

そんなときは,人間にもあるんではないだろうか.

 

 

まあ,いずれにしても,正しいのはいつだってとらわれない考え,思いである.

 

日々を無欲に生きていくことを基礎において,

 

その中で生まれてくる考えに従う他ないのである.

 

私欲はいつも不安定を招く.

 

ただただ,無私の境地において,私利私欲なく,

 

とらわれなく,世の人のためを考えた中で,

 

生まれてくる考えに従うのが,本来の人間の姿に思う.

 

結局いろいろ考えても,

 

どう脚色しようとしても,

 

その本心からの考えに従うほかないのである.

 

 

 

 

 

うむ,

 

そういうことだ.

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは!

 

ホームセンターに付属しているゲームセンターコーナーに足を運ぶ.

 

ほぼみんな,バケツ1個以上にコインをじゃらじゃら持っていた.

 

でも,楽しそうな人はほとんどいなかった.

 

みんな,目の前の機械に心をとらわれていた.

 

執着した顔をしていた.

 

 

自分が子供のころは,持てて30枚のコインだった.

 

1枚失うことに,とても失望したし,1枚のありがたみを感じていた.

 

その限られたコインの中でやるゲームだからこそ,勝った時はうれしかったし,

 

負けても大きな悔しさがあった.

 

幸せといってよいかはわからないが,確かに楽しかった.

 

 

でも,バケツ1杯は子供にはやりすぎだと思った.

簡単にコインを失う.

 

失う量が増えると,失うことに鈍感になる.

得る量が増えると,得ることに鈍感になる.

 

幸せの感受性がまひしていっているように思う.

 

 

ゲームだけではない,

 

日々の中で,お酒だって無制限に飲むより,限られた数杯をありがたく飲む方が幸せだ.

 

情報だって,本当はもっとない方が幸せだ.スマホに依存しすぎている.

 

 

世の中バランスだ.

 

無意識に過剰になっている面があるはずだ.

 

もっと,適量の中に,本当の幸せを感じたいと思う最近である.

 

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