昨日のブログ、「どや顔・うざい・やばい」に関して、
「そう言えば、最近自分の言葉遣いも、「書き言葉」と「話し言葉」の境界線が不明確になってきた」とか、
「毎日書いてるブログの言葉は、両方が入り交じってるし(入り交じっているし)、ラインやメールで使う言葉も、文法的にはメチャクチャ」なんて、書きました。
その中でも、一番不明確になってるのが、この使い方。
・入り交じってる←入り交じっている
・原稿を書いてて←原稿を書いていて
・汚れがついてて←汚れがついていて
つまり、「い」が抜け落ちてる(←落ちている)!
しかも、あまり違和感がない!(私は)
話し言葉では、「い」がなくても何とも思わないし、それどころか、ない方が自然に感じることも多い。
だから、あらたまった文章の中でも、うっかりすると「い」が抜けたまま。
かなり意識しないと、「い」が抜けてる(←抜けている)ことに気がつかない。
そして、これは自分だけではないようで、
実は世の中には、「ら」抜き言葉だけでなく、
「い」抜き言葉
というのがあったんですね、かなり以前から!
しかも、
「ら」抜き言葉は使わないけど、「い」抜き言葉は知らないうちに使ってる、なんてことも。
❶「い」抜き言葉について、こんな説明がありました。
「い」抜き言葉とは、「着ている」→「着てる」というように「い」を抜いて使われる言葉。「ら」抜き言葉と同じく、文法的に誤っている表現です。
「ら」抜き言葉や「い」抜き言葉」は、仲間内で話し言葉として使われることがあっても、文章として使うことはタブーです。個人のアカウントや個人的なやりとりの中ならともかく、コーポレートサイトや公式ブログなどでうっかり使用しないようにしましょう。(「CORAL Basic」というサイトによる)
❷慶應大学の学生も、「い」抜き言葉について卒論を書いてました。
その学生は、牛丼チェーン松屋のチラシの、「カウンターに並んでる(←並んでいる)ドレッシング」という言葉から卒論を始めてます。
そして、「最近になって「ら抜き言葉」とほぼ同等に、人によってはよ り多く使われるものに「い抜き言葉」というものがある」と続けています。
➌毎日新聞の校閲センターが運営している「毎日ことば」というサイトも取り上げてます(2019年08月16日)
「い」抜き言葉は、辞書では、「話し言葉でのくだけた言い方」(大辞林)で、
「い」抜き言葉の存在は認められているとしてます。
その上で、
新聞は「い」抜きとは相性がよくないが、気楽に読めるようにあえてくだけた表現で書くこともあり、「い」抜きの方がしっくりくる場面もあるとも言ってます。
つまり、
「地の文(書き言葉)」「会話文(話し言葉)」と単純に分けるのではなく、文章の内容などの個々の場面で「い」抜きの是非を考えるべきかもしれないとのこと。
例えば、
「友達の読むゆるいブログなどでは、地の文であっても語りかけるような「い」抜きのほうが安心して読めそうです。」
と書いてます。
「そう、そうなんだよな」と、ゆるいブログを書いてる私は、いたく納得した次第です。
ブログなどのSNSで使われる言葉は、書き言葉であっても、話し言葉の要素が強い。
SNSの広まりは、両者の境界線を、ますます曖昧なものにしていくんでしょうね!