最近 中学生のトレーニングで感じる物足りなさ感。 


先週のU13の試合もそうですが、今年の中一の選手は良い選手が多い印象があります。  サッカーが好きというのは練習していればわかるし、とっても素直でいい子が多いです。 


自分が感じている物足りなさ感はまさにそこでした。 


このチームに例えば相手と 例えばコーチと喧嘩できる選手はいません。 


よい意味ではいい子、でもいい子過ぎるのもまた問題です。  こうだとおもった自分の意見を強く伝えられる選手はいないようです。 


先日の中学生でのトレーニングでのこと。 


毎回その選手(中三)はコーチに対して意見をしてきます。 その考えがあってるかあってないかは別としてそのやり取りが楽しみです。 時にぶつかることもあるけれど、跳ね返りの多い選手です。 


先日の練習ではその選手なりの考えを持ってプレーしていました。 

「今はどうゆうイメージを持って、そこにポジションを取っているの?」 


「こうこう こうでゴールをイメージしています。」


正直そのアイディアは上手くいかないと思いました。 なのでその選手のイメージ通りプレーさせてみるとすんなりゴール・・・。 


コーチの面目なしです笑 ただ、コーチのアイディアを選手が上回った(もしかしたらたまたまかもしれません)ことは事実なので、ナイスアイディアと伝えました。 


時にその選手は、意見をしてきますがコーチはこうだと思うよというとそのプレーを試してくれます。 結果的に上手くいき、その積み重ねでその選手の引き出しは増えるでしょう。


最近ではユースの練習に入っても意欲的なプレーを見せ、成長中です。 



年齢的なことももちろんあるのでしょうが、そういったやりとりはまだ中一、中二ではありません。 いや、小学六年生でも彼らなりのアイディアを伝えてくれるので年齢の問題だけではないように思います。 



悪ガキ的な選手がいない 今の中一 中二です。 


もしかしたら学校では優等生なのかもしれません。 もしかしたら日本人の特徴でもある怒られる前にやらないでおこう、どうせ怒られるなら最初からやらないでおこう。

といった思考回路になっているのかもしれません。 


先日スペイン人の指導者がおっしゃってました。 

「日本人はだれも使っていないグランドがあるのに使わない。スペインだったら警察に通報されるまでサッカーをやる」と。 



もしかしたらサッカーは怒られる前にやめようではなく、 (考えがあるとしたら)怒られるまでやってみよう というのが正しいのかもしれません。 

 なぜならサッカーに答えはないから。 まずやってみた先に答えがあるから。 


でも自分はそれはサッカーに必要な考えだし、大げさにいうと社会も同じだと考えています。 

なぜならサッカーほどいろんな国で行われているスポーツはないから。 いちサッカークラブのオーナーがその国の大統領になってしまうのはサッカーだから。 スポーツが原因で国家の戦争になるスポーツはサッカー以外他にはないから。


教育としてのスポーツの中にサッカーがあるのではなく、サッカーそれ自身が教育の要素も含んでいる気がします。 


なので、自分の関わる選手には怒られる前にやらないのではなく(道徳的にだめなことはだめですよ 人に迷惑をかけたり)、どっちかわからないならやってみよう、怒られないならやり続けよう やってみて怒られたら次はやらないようにしようとそんな選手に、そんな人間になってほしいと思います。 


そうなるように選手に要求することは自分の考えを持つこと それは出してみないと、言ってみないと、やってみないと正しいか正しくないか誰にもわからないことだとおもいます。 


なのでコーチが約束することはやってみた失敗は決して否定はしないこと。 同じ過ちは三度までは許すこと。 



許容の大きいコーチになることと、アクティブな悪ガキ選手になることを期待しています。 アクティブな悪ガキ選手=サッカーの上手い選手 という公式が正しいことを証明してほしいと思います。 





追伸:アクティブな悪ガキ選手・・・かつてマラドーナは明らかに手で入れたゴールでも審判がゴールと認めたら【神の手】と言い放ちました。 良いか悪いかではなく結果的にマラドーナは伝説の選手になりました。 それが僕たちの生きている社会です。  



文責:3776

短い距離のダッシュ。


1対1の攻守。


1対2の攻守。


2対2の攻守。


最終的には、勝手に飛び出す選手が出てきて、4対4の攻守。


6対6の紅白戦。



これでこの日のトレーニングは終了。


ここまでの時間、給水時間も含めて、約70分。



オフ明けの先週は、選手同士の思考のズレ、運動量のズレ、モチベーションのズレが大きかったと思います。


そして、この日。


運動量を求めたわけではありませんが、必然的に運動量が必要な内容となりました。



動くことで、思考が呼び起こされ、


思考することで、身体が動き始めるような。



先週までズレていたピントが、少しずつ重なるような感覚を覚えました。


それは、選手個人の思考や運動量やモチベーションだけのことではありません。



もしかしたらそれらは、わたし自身のことでもあるようです。


U-18モードになりつつあると言うか、U-18のスケジュールに、自身の思考と身体感覚が重なりつつあるような。


選手とわたし自身の意識というか意志というか、そういうものも含めたピントが重なりつつあるのかな、という感覚です。



グラウンド上の選手の表情や何気ないひと言。


そんなことを、わたし自身が、自然に汲み取って行けるような感覚を、久しぶりに感じました。


選手たちとわたしたちスタッフが、ピントを合わせながら、進むことが理想ですね。



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7月12日、風が出てきた夕暮れのリバーサイド。


U-18 VS U-15 。


U-18にとっては、考査明けの久しぶりの実戦。


考査明け2回のトレーニングを経て、フルコートでの実戦です。



「実戦を行なうことで、実戦感覚を呼び起こす」


あるいは、


「プレーすることで、プレーの身体感覚を呼び起こす」


あるいは、


「プレーすることで、思考を呼び起こす」



試合の至るところに、思考と身体感覚のズレが、ボールと身体感覚のズレが、味方との思考のズレが、ありました。


そのズレを重ね合わせていく作業こそが、「呼び起こす」ということなのでしょう。



日が経って、改めて思うことがあります。


『プレーする』という言葉には、何か足りないものがあるということです。


この日の試合でも、ズレがあったとしても、それぞれがプレーをしていました。


でも、省みれば、決定的に何かが足りません。



その何かとは、きっと、


『プレーし合う』という感覚ではないか。



「プレーする」は、個人の自己満足でも成り立ちます。


『プレーし合う』は、自分だけでなく、他者が関わっています。


味方はもちろん、相手も、含みます。


もしかしたら、その日のグラウンド状態全てや、グラウンドを見守る眼も含めた全てが関わって成り立つのが、『プレーし合う』ということのような気がします。



ということで、


「プレーし合うことで、身体感覚を呼び起こす」


あるいは、


「プレーし合うことで、思考を呼び起こす」


今週は、そんな試合とトレーニングを行うことが、大切です。



きっと、『プレーし合う』空間は、とても心地良い。





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