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TITLE:
日本国は民主主義国家なのか。
SUBTITLE:
~ Dystopia on my mind. ~
Written by BlueCat

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220721
 
※ 濃ゆい思想が丸出しなタイトルから分かるとおり、濃ゆい政治的思想が見え隠れしないでもない文章になります。
そのうえ死について、その概念や取扱いについても、踏み込んだことを書いています。
自殺(未遂を含む)や他殺、いじめなどについても記載があり、先の元首相殺害についても触れています。
これらに嫌悪感がある場合や、心理的な痛みが予測される場合、読まないことをおすすめします。
 
 
 
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 基本的に、死という概念をもてあそぶのが嫌いである。
「え? まさか。猫氏がいちばん死という概念をもてあそんでいるのではありませんか」という向きもあるかもしれない。
 しかし僕は、死を、単純な死としてしか評価しない。
 もちろん主観的にはいろいろ思うところもあるが、死というのは単純に、肉体が機能を停止することであって、それでしかない。
 
 具体的にいうと、死んだ人を、死んだときから「いい人」としてすり替えたり、死ぬことを引き合いに出してコミュニティ内での影響力として利用しようとする行為を嫌っている。憎んでいる。嫌悪している。
 ときどき書いているが、死んでもクズはクズである。
 
 たとえば殺人犯を死刑にしたとしても「死をもって償われた」とは僕は考えない。
 殺人犯が死んだとしても、被害者が蘇るわけではないし、何事もなかった過日が戻ってくるわけでもない。
 当たり前だろう。
 マイナスに対してプラスが加わって相殺されるわけではないのだ。
 単純にコミュニティがその個体を受け容れられないから抹殺すると断言してくれた方が、正直なぶん安心できる。
 死刑制度に賛成も反対もする気はないが、誰といわず善良なカオをして人殺しをしない(そういう価値観を持たない)でもらいたい。
 死が死であるように、殺しは殺しだ。
 個人が個人を殺すように、コミュニティが個人を殺す事実を、善悪とは別に考えてもらいたい。
 その殺しはコミュニティには必要な殺しだろうけれど、償いなどではない。
 ただ一方からの正義の強要でしかない。
 無意味ではないと思うが、善良かと問われると答えに詰まるし、最善かと問われてそうだと答えることもできない。
 
 人(あるいは自分自身)の死に、過剰なメタ情報を加味しないでほしい、と僕は思う。
 誰かが死んだことは、それがその人の自発的選択的行為によるものだろうと、不慮の事故によるものだろうと、あるいは誰かに殺されたのであろうと、その人自身の価値に影響しないし、ましてその人以外の周辺の価値を変動させるものではない。
 
 具体的に、いじめに遭っている人がいるとする。大人でも子供でもいい。
 死ぬほど辛くて死んでしまうことについて、できればない方がいいとは思うが、死んだ方が楽なこともある。
 そういう気持ちも理解できるから、みだりに止める気にはならない。
 しかし死んで、本人の主観は「それ以上つらい思いをしないですむ」という解決を見るが、周囲に与える影響はどれほどだろう。
 
 明るみに出れば加害者は相応の非難を受けるだろうか。社会的な制裁を負わされるだろうか。
 法や規則が守ってくれる範囲であればそれも可能かもしれないが、倫理だけがそれを守っていた場合はどうなるだろう。
(法は明文化されているが、倫理は明文化されないものも多い)
 他人を生かしながら死ぬほどの思いをさせるような行為を行った人間たちであっても、殺人ではないから、緩やかな罰しか与えられない。
 人間性を失った ── あるいはそもそも持っていない ── 者が、他人の、それも自分が玩具としていたイキモノの死をもって反省するだろうか。
 僕にはそうは思えない。
 
 一方で、被害者を守るべき立場にある人 ── 子供なら親が居るだろう。親が居なければ、何らかの保護者が居るだろう。大人なら家族や友人が居るかもしれない。僕のようにいない可能性もあるが、独りくらい、誰か悲しむ人はいるだろう。その人の所属するなんらかの組織があるはずだ ── は、おそらく自身を責めるはずだ。そして責められて然るべきでもあるかもしれない。
 
 同様の手法で、自殺未遂を人間関係のコントロールに使う人間もいる。
 こうなると、自殺をさせる要因を作った側ではなく、自殺をしようとする側のほうが人間性を失っているといえる。
 
 人間が死んだあとに、いろいろな物事が動くのは事実だ。
 人間が人間関係やモノを所有し、それが亡き(あるいは亡くなろうとした)人の権利として紐付くような文化を形成している以上、不在の(あるいは不在になろうとした)人間の存在感が影響を与え続けるのは致し方ないことだ。
 
 しかし死によって、誰かが何かの ── それがたとえ死したその人自身であっても ── 価値を変えてはいけないように僕は思う。
 だから死んでもクズはクズだ。
 
 一方で、失われた能力は戻らない。その人の能力の喪失はもしかしたら、コミュニティの損失かもしれない。
 だからこそ、個人の能力や資質に過剰に依存しないようにコミュニティを形成しているのではないのだろうか。
 ある程度の能力を有していれば、誰がその歯車として割り当てられても、正しく稼働する仕組みを作っているのではないのか。
 
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 死刑囚が「死刑に値するほどコミュニティから拒絶される罪を犯した」事実は変わらない。
 拒絶した側のコミュニティだって「殺したから明日から安泰」と短絡に安堵するようでは根本的な解決はされない。
 
 コミュニティから拒絶されることを理解してなおコミュニティを拒絶するような強く激しい動機があればこそ、そうした因子が発生する。
 たまたま多数決的にコミュニティに属する我々は被害者ヅラをすることができるが、実のところ、コミュニティから拒絶されていたからこそ、死をも顧みないほどの狂気を増長させる可能性は否定できない。
 ために真の加害者は、コミュニティからこぼれ落ちる人を救わなかったコミュニティそのもの、つまり被害者ヅラをしている自分自身かもしれない。
 確かに人は殺されない方がいいし、みだりに殺人を犯すべきではないと思うが、人を殺したいほど憎んでしまうシステムの欠陥を修正しなければ、コミュニティの歪みはいつまでも危険な因子を生み続ける。
 死刑囚が死んで「ああよかったね、めでたしめでたし」なんてわけには行かないということが、どうして周知されないのだろう。
 
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 同じように生きることに絶望して自殺した人は、その人が弱かったわけでも、無力だったわけでもない。もちろん、強かったわけでも、勇敢だったわけでもない。その方がラクだっただけだ。
 確かに人は死なない方がいいし、自殺をしても(本人の主観以外に)何らかの解決がされるわけではない。
 しかしこれもコミュニティから拒絶されていたからこそ発生する死である。
 被害者が可哀想、加害者は悪い奴だ、というありきたりな評価で終わりにして済む問題でも、済ませていい問題でもない。
 
 そうしないと自殺する人間はみな被害者であって、周囲が加害者だという図式を悪用する人間が出てしまう。
 自分の命を道具に他人の権利を操ろうというのは、弱さである。そして同時にふてぶてしさであり、怠惰でもある。
 拳銃を手にして、相手に向けるか自分に向けるかの違いでしかない。
 つまりコミュニティにおける加害的自殺(未遂)も現象としては可能ということだ。
 
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 誰かが選択的に死んだり、あるいは殺したりという行為に及ぶのは、看過しているコミュニティに、つまりは気付かないままでいる我々ひとりひとりに遠因のある問題だと僕は考える。
 
 コミュニティがそこに含まれる(あるいは含まれて然るべき)人をして生きたまま拒絶し、拒絶された人が自身あるいは他者の死 ── あるいは生かしたままそれ以上の損傷を与えること ── によってコミュニティ(およびそのルール)を徹底的に拒絶し、その感情を行為にするとき、人は自殺あるいは他殺をするのだろう。
 
 自殺をした人が可哀想というなら、いじめをしている人間だってある意味ずいぶん可哀想だ。
 加害者を擁護しているつもりはない。
 クズに育ち、クズな価値観を植え付けられてなお、クズである自分を変えられない有り様がどうしようもなく哀れだというだけだから、非難に近い。
 あるいは自殺未遂を攻撃に使う人間が同じ原理で可哀想というなら、そういう価値観に育ててしまった被害者たるコミュニティの持つ狂気はいかほどだろう。
 
 どちらがどれほど加害的行為を行って、誰がどれくらい善良だというのだろう。
 誰が被害者で、誰がどれほどの損失を被っているのか。
 どうやってそれを定量的に計測できるというのだろう。
 
 ○○さんが殺されました。はい可哀想ですね。惜しい人でした。素晴らしい人でした。殺した奴は悪い奴ですね。そうですね。そんな奴はこのコミュニティには必要ありませんそうですねだから抹殺しましょうそうしましょう。
 と杓子定規に僕は思わない。
 勝手に死ぬクズがいるように、殺されるクズもいるだろう。
 追い詰められて死ぬ、衆に優れた人もいれば、一方的な狂気に殺される、優秀な人もいるだろう。
 
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 元首相が死んだという。
 国葬までするという。それを、執政者が一方的に決定したという。
 施政組織が主力たる施政組織であるために、特定の宗教団体と関係を持ち、それが巡り巡った遠因となって殺されたという。
 
 僕が知っているのは、その程度の情報だ。
 
 人を殺すことは確かに容易に許されていいことではないように思う。
 しかし殺されたからといって、これまでの行いのすべてを「いいもの」として考え、あるいは印象づけようとするのはまた別問題で、はたしてどうかと思う。
 
 たいていの人は死者を悪く言えない。
 そういう価値観が醸成されているコミュニティで暮らしていればなおさらだろう。
 
 悪く言えないこと自体は、まぁ、仕方ないとも思える(いいかげん誰も彼も、死に慣れてほしいものだけれど)。
 しかしそれを逆手に利用して、つまりは死者を利用して「悪かったこと」「たいして良いことでもなかったこと」「悪かったかもしれないこと」を有耶無耶にし「いいこと」として上書きされようとはしていないだろうか。
 
 何度でもいうがクズは死んでもクズである。
 個人として、ひとりの男が死んだことは、残念というか、悲しいことである。
 僕は死後の世界を(このうえまだ意識が残るなんて信じたくないので)信じていない。ために冥福は祈らないが、顔だって、声だって、まぁ悪い方ではなかったとは思う。
 
 ただし執政者として、コミュニティを正しく運営できていたかどうかとなれば話は別だ。
 
 人間は、弱者のためにコミュニティを作り、そのコミュニティをより倫理的に、正しく運営するために「民主主義」なる概念を作ったはずだ。
 そのコミュニティから零れ落ちた弱者が、コミュニティを逆襲したのである。
 その執政は、果たして誰のためのものだったのか。
 我々の属するコミュニティは、いったい誰のために稼働するシステムなのか。
 そのシステムは、正しく機能していたのか。今も機能しているのか。
 
 死は死であり、成功は成功であり、失敗は失敗である。
 死を ── 価値観にバイアスを掛けるその機能をして ── 道具使いすることはすなわち、死の、あるいは生の、つまりはその人個人を道具にすることであり、その尊厳を貶めることに他ならない。
 
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 事件の当初「民主主義に対する攻撃だ」などと、まことしやかに、過剰に熱を含ませた言葉が空虚に流れていると感じたが、民主主義を正しく民主主義にしていないのは誰だろう。
 誰かが善人で、誰かが悪人だという、簡単な図式などではないはずだ。
 
 誰も彼も、望むと望まざるとに関わらず、この日本国という(もはや国家かどうかアヤシイ)コミュニティに属している、すべての人間の加害行為であり、同時に被害でもある。
 
 なるほど「民主」というのが「洗練されないままの衆愚」を指すなら確かに民主的だろう。
 しかし本来の意味において「弱者のために、多数決的に物事を敢行するための」民主主義というなら、この国は、はたしてどれくらい、民主主義国家だというのか。
 いつからいつまで、民主主義国家だというのか。
 
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 個人的には、死ぬ側の気持ちも、死なれる側の気持ちも、また死を利用される側の気持ちも分かる。
 さらに有り体にいえば、殺す側の気持ちさえ、僕は知っている。
 いずれも(実践はしていないが)経験していることだ。
 きっと死を利用する側の気持ちも分からないではない。
 
 しかし死は現象だ。
 ひとたび死を美化してしまえば、死はすべての免罪符に使える。
 殺す者にも、死ぬ者にも、他者のそれを利用する者にも。
 
 自らが生きる方に、他者を生かす方に、よりよい選択肢があるという、当たり前であるべきことが当たり前の社会であってほしい。
 自身を含めた誰かの自由を奪うことが、自身の思い通りを実現する上で優れたやり方だなんていう価値観が、仮に無くなることはないにしても、動物的で野蛮で短絡で間違ったことであると、正しく認識される人間社会であってほしいと思う。
 
 
 
 
 
 
 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
[ Cross Link ]
 
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[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Ecology-Engineering-Interface-Life-Link-Mechanics-Stand_Alone-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-JunctionBox-Reactor-Resistor-
 
[Object]
  -Camouflage-Human-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :いのちあるものたち:夢見の猫の額の奥に:
 
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