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すべてはうまくいっている! 光と心の調和

横浜の心理カウンセラー ロキのつぶやきブログ
その人がその人らしく
『生まれてきてよかった!」
と思える人生のために。

これまで、人と人との間に生ずる「恋愛感情」について、進化心理学や生物学、脳神経科学等々、各方面から大雑把に身も蓋も無いことを述べてきました。つまり、ホモ・サピエンスの遺伝子に組み込まれた生殖行動のための、特化された「期間限定の情動」が恋愛感情の源であろう、という見地です。

 

その他にも「恋愛」については様々な角度から捉えることができます。

 

娯楽や文化的側面からの恋愛については、    神話や伝説の時代から「物語」として扱われてきています。思いつくままに並べてみますが、ひじょうに偏った知識による雑談なので、「さっさと生涯のパートナー」について語れや!」という方は次回まで読み飛ばしてください。

 

『恋愛』辞書のあつかいでは、

薄味の広辞苑(第6版)=『男女が互いに相手を恋したう事。また、その感情。こい』

濃厚味の新明解国語辞典(第7版)=『特定の相手に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと』

 

編者によって表現に違いがあるのがとてもいいですね。

 

読書体力のあった若かりしころ、ギリシャ神話(ホメロス・ヘシオドスの英雄、冒険ワールド)や中国古典文学(西遊記・水滸伝、三国志・聊斎志異のみ)にどっぷり耽溺し、長期寝不足によって仕事でミス乱発の不届きな時代もありました。その時期に私自身も昨今で言うところのアセクシュアル傾向を自覚しはじめたように思います。

 

 

ギリシャ神話で描かれる恋愛

 

古代ギリシャでは「特定の相手を求める感情」を「エロス」と定義し、人類愛や同胞愛などとは別のものとして区別していたといいます。

 

人間臭い神々の世界をベースとしたギリシャ神話では、恋愛は日常茶飯事のように勃発し、様々な混乱や事件を引き起こす元凶?として多数くの物語で記録されています。

 

神々の王であるゼウスは、天空と雷を司るオリンポス山の最高神として崇拝されておりますが、バツ2で再婚した後も男神や人間の娘と浮気しまくる恋愛体質の神様です。ゼウスの最後の正式な妻である女神ヘラは、ゼウスの浮気のたびに猛烈な嫉妬で暴れるのですが、その被害はハンパありません。

 

またギリシャ神話では、アポロはじめヘラクレス、アマゾネス等々、同性愛(バイセクシュアル含)を楽しむ英雄や人間も数多く登場します。アポロの双子の姉であるアルテミスは、文献によってはアセクシュアル(無性愛)として描かれています。

 

預言者テイレシアスは、7年の間男性から女性に変身してしまうという設定ですが、男性性に戻った際「女性性のときの方が10倍も性行為を楽しめたもんね!」とうっかり発言し、ゼウスの妻ヘラの怒りを買って盲目にされたという、トランスジェンダー的要素をもつ存在です。

 

トランスジェンダーに関しては、従来の男女という規範に一致しない性的アイデンティティとして、古代シュメール王国やギリシャ・ローマ時代等々、人類の歴史を通じて多くの証拠とともにその存在が証明されています。文化によってはノンバイナリーやトゥースピリットといった概念で認識されています。

 

といったわけで、話題のLBGTQ‥という存在も、すでに様々な形で数多く人類史上に登場していたのでした。

 

 

中世ヨーロッパの宮廷愛

 

中世ヨーロッパの恋愛観では、貴族の男性には騎士道精神(Chivalry)とともに理想的な貴婦人に対する忠誠心や礼儀正しさが求められ、自己犠牲も厭わないといった高貴な関係性(『宮廷愛』という概念)が理想の愛のかたちとして定着していました。プラトニック重視な傾向が強かったようです。

 

とはいいつつ実態は、貴族同士の地位や財産結合が目的の政略結婚がほとんどで、結婚後は夫妻それぞれ愛人を持つのは許容範囲事項だったようです。結婚と愛人関係は、まったく異なる社会的機能を果たしていたのでしょうね。

 

しかし宮廷愛的恋愛観はその後消えることなく、現代においても夢見る乙女たちの「白馬の王子様幻想」として生き延びています。現代の女性対象コミックなど「財閥の優秀美形息子に愛されちゃう女性or 男性設定」は定番となっておりますな。♂=資源という遺伝子レベルからも女性の魂を揺さぶるのでしょう。

 

中世の貴族以外の一般人はどうかというと、やはり恋愛や結婚は家族の生計を立てるための協力関係として捉えられ、恋愛感情だけでなく実用的な配慮も重視されていました。現代日本の結婚事情とも似ていなくもないですが、それでも確かに恋愛を謳歌する人々は存在していたようです。

 

フランス革命の18世紀を舞台としたディケンスの「二都物語」では、愛する女性のために、自らその女性の愛する夫の身代わりとしてギロチン台にのぼる男性が描かれております。読後、雌に命捧げるんはカマキリやクモの雄だけで人間にはいないやろ!と高校生の私は激しく思ったものです。しかし命をかけた自己犠牲という恋愛のかたちも、きっと存在したのですね(過去形)。

 

 

日本の恋愛系古典文学

 

日本の中世においても、恋愛とは別に婚姻はしばしば政治的な同盟や家族間の結びつきと深く関係しており、個人の感情よりも社会的利益が重視されることが一般的だったようです。しかし歴史や文学の中には、個人の恋愛や浪漫を扱った作品も数多く存在します。

 

平安時代の女性が描いた『源氏物語』は、ひとりの男性が幾多の恋愛にただひたすら現(うつつ)を抜かす、世界最古ともいわれる恋愛長編小説です。光源氏って、好きですか?...

 

江戸時代から明治時代にかけては近松門左衛門の「曽根崎心中」「心中天網島」といった大ヒット作も含め、「心中もの」というジャンルの物語が流行りました。実際の事件を元ネタとする物語は、当時の封建社会の規範や身分制度の中で恋愛は難しい背景があり、恋愛の自由を求める人々の深い共感を得たのでしょう。

 

また、恋愛において障害があるほど燃え上がるという構図があります。困難を共に乗り越える体験は、二人の絆を強め、感情的な結びつきを深め、さらに恋愛の価値や意味を高める‥というわけです。ここでも脳内の快感物質選択圧力(遺伝的適応:困難を乗り越えることができる個体同士が結びつく傾向)といった生物学的な働きが大いに関係しているようです。

 

 

世界各地の様々な恋愛・結婚制度

 

現在も世界各地で珍しい恋愛や結婚の形態を持つ民族が存在しますので、漁った資料や情報からいくつか抜粋。

 

チベットにおけるポリンドリ(多夫婚)は、一人の女性が複数の男性と結婚する制度。

高地に住むチベットの人々は環境の厳しさに対応するため、多夫婚は人口増加を抑えるための手段となっているようです。

とくに兄弟が一人の女性と結婚するケース「兄弟多夫婚」が一般的で、複数の夫が共同で働き、家族の収入や資源を共有することで生活の質を向上させているといいます。

 

ヒマラヤのナシ族は、夜になると男性が好きな女性の家を訪れ、一晩ともに過ごして朝には帰って行きます「歩婚(通い婚)」。男性はアーシャ一と呼ばれるパートナーではありますが、一人とは限らない!し、父という呼称もありません

女性・男性はそれぞれの家族と一緒に住み続け、生まれた子どもは女性(母親)側の家族が育児や教育を行ます。父親の役割は女性家族の男性陣が引き受けるといいます。男性パートナーは気楽でいいですな?

 

パプアニューギニアのトロブリアンド諸島に住む部族は、恋愛&性にオープンで、青年期の男女は自由に複数の恋愛関係を築くという自由恋愛。成人になると、その中からパートナーを選んで正式な結婚に至る、というケースが多いといいます。

 

マーシャル諸島では伝統的に母系制で、結婚相手を選ぶ主導権を女性が握っています。選ばれるのは男性側で、地位や財産は母系を通じて継承されるそうです。離婚決定も女性主導で行われ、自由に結婚相手を変えられまっす♪

 

ブラジルのアマゾン地域に住むムラ族は、若い男女は結婚前に一定期間同棲し、相性を試します。互いに家事能力や協調性等々を評価し合い、結婚に進むかどうかを判断し、双方が納得した上で結婚を決めます。日本でも徐々に増えていますね。

 

上記で紹介した文化や生活様式も、現代の環境問題や社会変動等による近代化の波の中で少しずつ変化を余儀なくされているようです。

 

 

以上、思いつくまま書き散らしてきましたが、時代や社会制度がどうであれ「恋愛感情」が遠い昔から存続してきたことは事実です(もちろん個人差はあります)。

 

特定の相手を熱情的に恋慕する感情は、異性間という母集団に含まれない同性間においても、直接繁殖にはつながらないですが、自然の理に必要な役割を担っていると考えています。

 

ところで最近巷でもチラホラ見かけるようになった「ポリアモリー」という聞き慣れない呼称をご存知ですか?「新しい恋愛(性愛)の概念」とのことです。が、現状は明確な「概念」には至っておらず、いろいろ諸説、個人差がありすぎてなかなか一本化できない感じ?でしょうか。これも実は新しくもなんともなく、大昔から様々なかたちで存在してきているのですがね。興味のある方は検索をぜひどうぞ!

 

次回からはいよいよ私の妄想する「生涯のパートナー」についてです。

 

日本の3月というのは、寒暖の落差や気圧の変動で自律神経のバランスが崩れやすく、心身の不調を起こしやすい。あと花粉が激増する。

 

もうね、今年の花粉症が酷いの何のって、薬をうっかり飲み忘れると、満員電車の中で悲惨な状況となる。マスクをしているので即座にハンカチを使うこともできず、突発的にマスクの中に流出し続ける・・・以下略。

 

母も鬼の霍乱ではないが、首の横が腫れて、ものを飲み込む際に喉に違和感があるというので、先日某総合病院で、診察と検査結果を聞くため2回にわたって受診したという。母の場合、基本病院は付き添いなし(拒否)でひとりで行く。

 

そこでの受診体験談を聞いたのだが、ひじょうに珍奇というか面白かったので、それを備忘録として書いておく。

 

総合受付での診察で甲状腺の腫瘍かも(だいたいが良性らしい)、ということで、壮年の穏やかな医師に外科で受診するように言われる。

 

外科で呼ばれて診察室に入ると簡易ベットがあるだけの部屋で、ナースは「上半身の服を脱いで下着でお待ちください」と言い残して去ったまま、10分以上放置されたという。レントゲンでも撮るのかとイライラ(超せっかち)待っているとナースが現れ「すみません上着を着て診察室に入ってください」と。

 

何のために脱いだのか不明のまま、上衣を着て隣の診察室に入ると、「見るからに今風の薄ら生意気な態度の若造医者」(母の主観的印象)が待っていたという。

 

「よろしくお願いします云々」と挨拶して向かいの椅子に座ると、医師は黙ったまま綿で患部を拭いた後、おもむろに注射器を取り上げ、首の腫れた部分に計4箇所、針をぶっ刺したそうな。

 

3箇所目を刺したときに思わず「痛い!!」(敏感かつ痛がり)と叫んだところ、その医師は

 

音を出さないでください

 

そこまで話してきた母に「じゃなくてを出すなって?」と聞き返したところ、「そうよあんた、音を出さないでください、って言ったのよ」。ちなみに母の聴覚は呆れるほど正常。

 

ギャハハと笑い出した私に、アラナインの母は「もう人間扱いじゃないのよ。こんな大年寄りは生きてても無駄な物体って思ってるわけ」

 

その受診の間に医師が発した言葉は「音を出さないでください」のみであったという。あとはナースに細胞検査の結果(何の説明もないので母の推測)を聞くために次回の受診日を予約させられて帰ったそうな。

 

で、2回目の受診日。

外科の診察室に入り、挨拶をして例の医師の前に座ったところ、しばらく待っても何も言わないままなので

 

母「検査結果はどうでしたか?」

医師「針、刺したでしょ」

母「・・・(コイツに何を言っても無駄と、会話への意欲が消滅したという)」

 

そこまで聞いて「え?それだけ?説明は?」と問うと

母「それだけよ。針を刺して検査したけど何でもなかったし、どーでもいい(独自解釈)、ってことでしょうよ」

私「えーそうなの?、インフォームド・コンセントを軽く蹴り飛ばしてるのが凄いわ!」

母「コンセントだか何だか知らないけど、モノ扱いってことは分かる」

私「確かに度外れて失礼だわ、ウッフ」

母「要するに年寄りが多すぎる、さっさと逝けって話よ(超解釈)」

 

2回にわたる一連の珍察でその医師が発した言葉は

「音を出さないでください」

「針刺したでしょ」

という二言であったという。

 

通常の日本語でのコミュニケーションをかなり逸脱した言語表現の使い手ではある。それが彼の歩んできた環境的背景によるものか、経験的なものか、性格的なものか、様々な要因の複合的なものか、あるいは意図的な選別的対応なのか‥‥等々、勝手にいくらでも憶測できるが、あくまで想像に過ぎない。

 

母の解釈による高齢者物体扱いなのか、「痛い!」への報復なのか、通常のスタイルなのかは不明だが、現時点では母や私レベルの者には想定外の斬新な対応である。その後腫れも引き、母の怒りも苦笑いに収束したようだ。

 

言語というのは、コミュニケーションの手段として使う場合、人間同士が、種々雑多な情報や意見や感情を伝達し、互いの理解を深め、つながりを築くための最重要なツールのひとつであることは確かだ。

 

しかし同じ言語ツールを共有はしていても、搭載している言語システムは一人ひとり個別のもので、けっして他者と同じではない。さらにコミュニケーションの手段として使うにはダイレクトに感情が伴うので、時と場合によってはかなりブレの大きい面倒なツールにもなると考えている。  

 

ツーカーの仲でない限り、せめて誤解を最小限に抑えるためにも、丁寧かつ丁寧な言語使用を心がけるに越したことはない と、しみじみ思う今日この頃。

 

『恋愛感情と生涯のパートナー』シリーズその(7)でございます。

 

経験値のない怖いもの知らずという立場で、あえて『生涯のパートナー』というものについて、恋愛至上主義的要素を排し、心理学的に一寸語ってみたいな‥という動機ではじめたこのシリーズ。誰も求めていない不人気シリーズですがさらに進めます。

 

その前にお知らせですが、シリーズその(6)をかなり書き直しました。再読してみたら例によって激しい書き直しの衝動にかられたわけですが、もともと悲しい文章力なので変わり映えしません(泣

 

前回は最後に「恋愛感情」を操る脳内ホルモンの役割について触れました。

 

大雑把に脳内ホルモンとしていますが、そのほとんどは脳の神経細胞(ニューロン)から分泌される情報伝達のための化学物質=「神経伝達物質」です。ここでは脳以外でつくられるいくつかの性ホルモン、テストステロンやエストロゲンなども含めての総称とします。

 

神経伝達物質の役割についてはかなり解明されてきてはいますが、現在も新たな技術や分析手法の開発とともに、様々な研究が進行中です。

 

今回は、恋愛にも関与している神経伝達物質とホルモンについて、ある程度実証されている知見(仮説を含む)をもとに、 ヒトの恋愛にどう関わっているかを簡単に説明してみます。(あくまでも統計的分析。恋愛における感情や脳内の神経伝達物質の動態はひじょうに複雑で個人差も大きいです。)

 

恋愛感情に深く関与する神経伝達物質とホルモン

 

[主に恋愛初期~中期]

ドーパミン(報酬系への関与):恋愛初期の、ドキドキワクワクの期待や高揚感/個々のセクシュアリティや性愛/性的興奮や快感

PEA(フェニルエチレンアミン):一目惚れ/恋愛の初期においての高揚感や幸福感/焦燥や離れていく相手への執着

ノルアドレナリン:報酬系へのドーパミン的関与/心拍数の上昇/冒険やリスクの受容/緊張・不安等のストレス/恋愛に対する集中と没頭

テストステロン(男性ホルモン):性的欲望・興奮の促進/男性的魅力/独占欲・競争心

エストロゲン(女性ホルモンの一種):恋愛によるリラックス効果/安心感・満たされた感情

 

[恋愛〜愛情・信頼への移行]

エンドルフィン:快感や幸福感/恋愛のストレスを軽減/親密なコミュニケーションによる愛情や絆の形成

オキシトシン:愛情と親密さへの関与/カップルの絆や信頼関係の構築

セロトニン:恋愛時の心の安定や幸福感/性的機能

バソプレッシン:パートナーへの信頼感や絆を強化/パートナーシップや親密さの形成・維持

 

簡単に「恋愛 初期~中期」信頼・愛情への移行期」としましたが、主に初期~中期に生成される恋愛ホルモンは約3〜4年で次第に消失します。

 

恋愛感情は3年で冷める説ですが、科学的に実証された訳ではなく、進化心理学や神経科学の脳内ホルモンシステム、人類学者ヘレン・フィッシャー説などの総合的推論 + 事実の集積(説得力大)ですね。

 

結婚5年以上経っているパートナーに、寝ても覚めてもときめいてワクワクドキドキあなたがすべてもう夢中!って方がいらしたらお知らせください。ひじょうに興味がありますので、コーヒー、ケーキ付きでお話を伺います。

 

恋愛の熱情が冷めて次の段階への移行期に、信頼感、絆といった結びつきを強化するためのホルモンの関与が、その後の相手への感情にかなりの影響を与えることになります。

 

次に進む前に、恋愛だけではなく人生の質に大きく関与する報酬系システムについて簡単に説明しておきます。

 

報酬系システムとドーパミン

 

脳の報酬系は、さまざまな生物行動において快感や報酬を調整するための神経回路の一部です。この系統は中脳の辺縁系、大脳皮質前帯状回(中脳辺縁系の一部) 、視床下部の3つの領域で構成されています。

 

3つの領域は複雑に相互作用し、報酬系の機能や異常によってさまざまな行動や精神疾患も説明されます。例えば、薬物乱用や依存症、摂食障害、抑うつなどの疾患は報酬系の異常が関連しています。

 

報酬系は学習や動機付けにも関与しており、このシステムは行動科学や臨床心理学などの分野でも重要な役割を果たしています。なかでも中脳辺縁系はドーパミンを生産する主な領域で、報酬系の中心的な役割を果たします。

 

ドーパミンは人の行動全般に関与していますが、これには食欲、社交、行動、性行動、学習、報酬に対する反応などが含まれます。ドーパミンの放出によって報酬を処理し、快楽を評価するための主要なシステムの一つです。

 

大脳皮質前帯状回も報酬を処理し、快楽を評価するための主要な構造の一つです。ドーパミンやその他の神経伝達物質によって活性化され、報酬の予測や評価にも関与します。

 

快感物質として知られているドーパミンは、恋愛時の報酬系システムでも中心的な役割を果たします。

恋愛時においては、好ましい相手を見つけるとドーパミンが放出され、それによって相手に対する強い感情や興奮、期待が強化されます。これが一目惚れってやつですね。

 

報酬系システムはセックスにおいて、身体的、視覚的、聴覚的なセクシュアルな刺激を受けるとさらにドーパミンの濃度が上昇し、肉体的・精神的なご褒美(報酬)を要求します。報酬とは「快感」を意味します。快感を得られるという仕組みがスムーズな生殖行動には必要だったのでしょう。

 

快感を追い求めている最中にも分泌は高まり、さらに達成したときにも分泌されます。報酬を受け取ったあともドーパミンの麻薬的効果によってさらなる快楽を求め続けます。これが暴走するとまさに中毒といってよい状態に至ります。

 

恋愛に限らず、人の欲望全般は古い脳の報酬系システムで生み出され、新しい大脳の前頭前皮質の理性がそれを制御するというかたちとなっています。

 

ご存知、 理性と欲望の葛藤、理論と実践の乖離、ですな。新しい脳から生まれた理性君、力及ばず‥のケースも多いですね?

 

報酬系がドーパミンの過剰分泌によって暴走すると、理性による制御が効かない状態となり冷静な判断や長期的な視点が欠如、即時の快楽や報酬に対する欲求・衝動が優先します。

 

会いたい、そばにいたい、離れたくない、我慢できないっ、もうどうなってもいい!!etc. 

相手の存在が頭の中いっぱいになった状態となり、結果、衝動的に勝手に身体が動いてしまう‥そうです。

 

その他の恋愛初期に関与する脳内ホルモン

 

PEA(フェニルエチレンアミン)一目惚れや恋愛の初期段階のときに濃度が高まる神経伝達物質です。また、恋する相手が離れていきそうになるときにもドッと分泌され、去ろうとする相手への執着や独占欲が急激に強まる働きがあることも示唆されています。

 

別れ話をしたら予想外に相手があっさり受け入れたので、逆に未練が湧き執着が生まれ、相手が逃げ腰になると逃がすものかと追いすがり‥わけわからん云々カンヌン‥‥。状況がややこしくなるのは脳内ホルモンがいらんことをするから、というのもあるんですね、きっと。

 

さらにPEAは恋愛時だけではなく極度の緊張状態や不安や恐怖を抱いている時にも活性化されます。吊り橋効果などもPEAの活性化による錯覚現象から生じるものといいます。

 

ところで男性は、女性から焦らされれば焦らされるほど恋心(欲望)がつのるなどと言われがちですが、このおあずけ効果もPEAの仕業らしいですね。

 

ノルアドレナリンも恋愛関係がはじまると分泌が増加し、恋人への期待感が高まり、愛情や絆を強化、恋人との感情的繋がりを深めます。これも場合によっては冷静で理性的な判断を難しくする作用があります。また、ノルアドレナリンはストレスホルモンの側面を持ち、恋愛にからむ緊張や不安などさまざまなストレスにも関与しています。

 

他の脳内ホルモンの関与もいろいろあるのですが、キリがないのでこのあたりで終了します。

 

 

ここまでが恋愛真っ只中で起きている脳内反応とそれに付随する行動となります。

 

個人的感想としては、なんだか脳内麻薬で大騒ぎといった感じですが、これが人類繁栄を促すために人が獲得した最適解?システムなわけです。もちろん恋愛が脳内ホルモンの関与だけで成り立っている訳ではありません。個々人においても不確定要素は無限にあります。

 

ただ、これまで書いてきたような進化論的視点や脳システムの存在を頭の片隅に置いておくことは、恋愛を実践するうえで無駄ではないと考えています。

 

時代による社会制度や規範意識の変化と共に、種々のイデオロギーによって性に対する捉え方も千差万別になってきている昨今、今後結婚制度がどうなるかもわかりません。

 

しかしヒトは、ひとりで生きてゆくにはとてもさみしがりやにできています。

 

特定のひとりどうしが互いに抱く、心からの尊敬や信頼や安心や濃密な感情交流など、生涯を通じての心地よい親密な関係性は、やはり生きてゆくうえでは羨ましく妬ましく貴重なものだと考えております。

 

次回からは、やっとこさっとこ恋愛期間終了以降の生涯を共にできるパートナーについてです。(つづく)

 

新年が明けてしまった。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

最近観た映画で強く印象に残っているのは「素晴らしき世界」。

内容や感想については多方面で詳しく述べられているので割愛するが、実在した人物をモデルにしているという。

人にお勧めしない私としては珍しく、多くの若い人たちにぜひとも観てほしいと思った。

 

最近ネットで読めるコミックに嵌ってしまっている。

ラインマンガのエレキシード、面白くて二日で最新まで一気に読んじゃった。他にもたくさん読み漁っている。

年末年始マンガ読んで過ごしても、「マンガばっかり読んでないで勉強しろ〜!!」と怒鳴られない大人の特権だもんね。

 

小学生の頃から毎年、家族用に手作り年賀状を制作している。

最近はほぼギリギリ31日の夕方にできあがる。

どんどん私の賀状交流は減少し、とうとう数枚になった(泣

 

 

 

 

ネット上で正義を行使するために、誰かを「〇〇主義者!」や「〇〇するのは〇〇だ!!」と糾弾するチャンスを見つけたとき、麻薬中毒者がコカインを見つけたときと同じ脳の部位(報酬系)が反応する。誰かを正義によって悪だと断じ糾弾することは、依存症と同じメカニズムによって、罪悪感を感じることなく興奮と快感を得ることができるのだ。

 

それが集団化するとさらに歯止めのきかない状態となり、集団リンチのようなバッシングに至り、焦り苦しむ相手を見ること自体に脳内報酬系が活性化し、快感や喜びが生じるようになる。

まだ未熟な青少年だけではなく、社会的地位もあり心理的にも成熟している(はずの)大人も夢中になって罵っている様は、側から見るとちょっと異様だ。

 

その裏に潜む心理的問題(たとえば欲求不満やコンプレックス等の捌け口として)に自ら目を向けることができれば、「そもそも正義とは何ぞや」というところから考える余裕も生まれるのではないだろうか。

 

もちろん冷静かつ論理的に、明確な論拠によって「〇〇」についての批判を展開する人もいる。その場合「正義 vs 悪」という立場はとっていない。

 

匿名性によって、「報復される脅威」に対する心配のないソーシャルネットワークは、悪意のコストをさげ、正義の行使という快感と利益を倍増させる。

 

などといいつつ、私がジェームズ・ボンドや椿三十郎やジョン・マクレーンやジャック・ライアンやガンダムが大好きなのは、彼らが巨悪?に立ち向かい叩き潰すときの快感が、もうたまらないから。