「あの人が自信満々なのは、本当は能力が低いから」
「言動が攻撃的なのは、劣等感が強い証拠」
「他人を批判するのは、自分の問題を投影しているから」
ネットを眺めていると、こんな「心理学的解説」に出会うことが多々ある。
偉そうな上司や、嫌いな同僚を思い浮かべながら読むと、なかなか気分がいい。「なるほど。あいつは偉そうにしているけれど、本当は大したことないんだ」、少し溜飲が下がる。
しかし、この妙な気持ちよさ。人によってはどこかで出会ったことがあるかも。
阿Qの精神勝利法ですな。
魯迅の小説『阿Q正伝』には、阿Qという男が登場する。現実にはボロ負けしている。屈辱も受ける。バカにされまくる。
ところが阿Qは、その現実を頭の中で解釈し直すことで、「自分は負けていない」という心理的勝利をつくり出す。いわゆる「阿Q式精神勝利法」だ。
池乃めだか師匠のように、ボコボコにされた後ヨロヨロ起き上がって、パンパンと手の塵を払い「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ!」と意気揚々に言い放つ感じ? ちょっと違うか。。
もちろん、現代のネット利用者が阿Qそのものだ、という話ではない。ただ、人間には誰にでも、傷ついた自尊心を守るために、現実を少し自分に都合よく解釈したくなるところがある。
そして現代には、阿Qの時代にはなかった便利な道具がある。誰もが大好き心理学用語だ。
「あいつは無能」を心理学が証明してくれる?
よく登場する代表例がダニングクルーガー効果。
この心理学用語には、何やら説得力を増強する「ダニングクルーガー効果曲線」の添付図、までがワンセットだ。
上記の心理学研究を根拠に、ネットではしばしば「能力の低い人ほど、当人は有能だと思っている」と説明される。そのため、自信満々で偉そうな人を見ると、「典型的なダニングクルーガーだw」と言いたくなる。
しかし、本来の研究はそんな単純な話ではない。研究で調べられたのは、論理的推論や文法など特定の課題について、実際の成績と本人の自己評価がどの程度ズレるかという、心理的な認知バイアスを扱ったものだ。「偉そうな人は能力が低い」という研究ではない。
そもそも「自信満々」という状態は、自分の能力を過大評価しているのか? 単に自己主張が強いのか? 本当に能力が高いから自信があるのか? 不安を隠し強く振る舞っているのか?
外から見ただけでは区別できない。
にもかかわらず、
自信満々 → 自己評価が高い → 実際には無能
と変換してしまえば、嫌いな相手を一瞬で「実は自分より下」にできる。
現実の力関係は何一つ変わっていないのに、頭の中では逆転勝利。阿Q先生、21世紀でもなかなかご活躍だ。
心理学は、とても便利な自己防衛の武器にもなる
同じことは他の心理学用語でも起きる。
「あんなに威張るのは劣等感があるから」
「頻繁なSNS投稿は承認欲求が強いから」
「自慢ばかりするのは自信がない証拠」
「批判するのは自分を投影しているから」etc.
もちろん、そういう可能性は大いにあるが、可能性があることと、その人が実際にそうであることは別の次元だ。
心理学を少し知ると、人間の外から見える行動について、考えられる説明は増える。
ところが、その「説明候補」を「真相」と取り違えると、心理学は自己理解の道具ではなく、他人を診断して自分を安心させる道具になる。しかも厄介なことに、ただの悪口より知的に見えるのがエグい。
「あいつは嫌いだ」なら個人的感情だとわかりる。しかし、「あの攻撃性は劣等感を補償するための防衛機制だ」と言えば、なんだか科学的分析のように聞こえる。(そもそも心理学は純粋な科学か?という問題は棚に上げても)自分の好き嫌いに心理学という立派そうな箔が付いて、ちょっと鼻も高くなったりする。
けっして精神勝利が悪いわけではない。傷ついた心が安らぐ効果は重要だ。
人間は誰でも、自分に都合よく現実を解釈する。自分に都合のよい物語に惹かれる。嫌な相手について「あいつにも問題がある」と考えることで心が楽になるなら、それ自体が悪いわけではない。
けれども、そこで満足して終わってしまうのはもったいない。
問題になるのは、それによって現実から学ぶ必要までなくなってしまったときだ。「あの上司は無能だ」それが事実かもしれない。しかし「では、自分は何を改善できるだろう」という問いとは別問題だ。相手を心理学的に分析して完全勝利しても、こちらの能力は1%も上がらない。現実世界の経験値はゼロのままである。
心理学は望遠鏡より鏡として使う方が得るものは多い
心理学は、人間の心と行動というひじょうに複雑で測りにくい対象を、可能な限り科学的方法によって研究しようとする研究だ。だからこそ、常にその結論には確率と不確実性がついて回り、そのため統計学への依存度が非常に高い。
私の好きな言葉で、これまでも何度か引用しているが、心理学者ヘンリー・マレー&文化人類学者クライド・クラックホーンの、
1. すべての人間は、ある面においては他のすべての人間と同じであり
2. ある面においては他の幾人かの人間と同じであり
3. ある面においては誰とも似ていない
(要旨)
これが人の心の実態に近いのではと考えている。
心理学を学ぶと、他人の行動についていろいろな仮説を考えられるようになる。しかし本当に心理学的な態度とは、「あいつはこういう人間だ」と断定することではなく、「そういう可能性もある。でも本当のところはわからない」と複数の可能性を残しておくことではないだろうか。
「あいつはダニングクルーガーだ!」と思ったときには、ほんの一瞬だけ「ところで、自分自身の能力評価はどのくらい正確なのだろう?」と考えてみる。
「あいつは劣等感から攻撃している」と思ったなら、「では、自分がこれほど相手を気にしているのはなぜだろう?」とも考えてみる。
心理学は、(距離のある)他人を覗くための望遠鏡として使うのもよい。が、自分自身を知るための鏡として使ったほうが、案外たくさんのものが見えてきて有益だったりする。
もっとも、嫌いな相手を心の中で一度か、二度か三度くらいまで?コテンパンにする程度なら、それこそが人間の醍醐味。大いにやるべし。
以上、ここまで「阿Qの精神勝利法」で武装した人間からの発信でした。
あ、あの世から魯迅先生の冷めた視線を感じる。。