すべてはうまくいっている! 光と心の調和

すべてはうまくいっている! 光と心の調和

横浜の心理カウンセラー ロキのつぶやきブログ
その人がその人らしく
『生まれてきてよかった!」
と思える人生のために。

見つけてくださってありがとう!

どうしたらじたい欲求と破壊的にならず付き合えるのか?

 

人間の脳には、もともと生存戦略として、「親を信じる」「強いものに従う」「物語を信じる」「権威を信じる」という回路があるということを述べた。

 

では、人間に本来備わっている信じたいという欲求を、ビジネスに利用されない、騙されないようにコントロールするにはどうしたらよいのか。

 

かんたんに言えば、信念(自分が正しいと固く信じる考え)を自己同一化しない。つまり、現在は正しいと考えていても、「絶対に」正しいものはないという、メタ認知(客観)の視点をつねに持ち続けることだ。

 

例えば、ある宗教やイデオロギーを信じる場合、それを絶対視するあまり、自分が信じる対象以外の宗教やイデオロギーを「劣ったもの」「排除すべきもの」とみなし、過剰に敵対視して執拗に攻撃することがある。

 

このような攻撃性の背景には、自らが抱える不安や劣等コンプレックス・葛藤などを和らげようとする防衛機制が働いていると考えられる。つまり、絶対的な価値をもつと信じた宗教やイデオロギーの価値観を自我に取り込むことで、心理的安定を維持しているからだ。

 

その結果、信じる対象を否定されることは、自分自身を否定されることと同義になってしまう。批判者に対し、側からみると異常な敵意や憎悪を剥き出しにしたりする様はその所以だ。

 

このように、信念と自己が分離できなくなった状態は、心理学的には「自己同一化(最近の表現ではアイデンティティの融合)」と捉える。

 

それを避けるためには、「仮説として信じる」「必要がなくなったら捨てられる」「複数の解釈を許容できる」というように、「盲信」しないことだ。

 

反証や批判されても自分が否定されたと思わずに、自我と信念を分離できる。そこが健全な「信じる」と病的な「信じる」の違いである。

 

とはいっても「アイデンティティの融合」状態だからこそ、楽ちんに人生を送る人たちも存在する。

信念に関連する様々な事柄を、自分で思考判断する必要はなく、信じている教義や理論に丸投げできるからだ。

 

 

信じる力そのものは、本来人間に備わっている強力な回復力。

しかしその性質が、他者の利益の為に利用されたり、葛藤や苦悩の原因となるなら、それは生きる上でのデメリットになる。

 

これまでも何度か書いているが、

「何を信じるか?」よりも「どのように信じるか?」

「自分の世界を広げるのか?、狭めるのか?

 

ここが健全な信心と狂信の分水嶺ではないかと考えている。

 

好きなだけ信じていいのは、自分だけ ♪

 

 

 

 

 

 

 

なぜビジネスとセットになるのか?

 

ここがエグいところ。

「信じたい欲求」には「生き延びるための生存戦略」を満たすため、つねに 不安・依存・希望・救済願望がくっついている。

 

そこに、

・これで救われる!

・これで成功する!

・これで安心!

を置いたら、無限市場が広がる

 

それを強化するのが

成功 → 教義の正しさ

失敗 → 本人の問題

 

論理的には永久に否定できない構造になっている。

宗教も、スピリチュアルも、マルチも、自己啓発も、カルトも同じ。

 

これって悪いことなのか?

 

人の信じたい欲求というのは、愚かだからでも弱いからでもない。

むしろ「意味を欲しがる」「希望を欲しがる」「世界(宇宙)とつながりたい」「自分の生に意味を持たせたい」といった、ひじょうに人間的な機能が働いている証拠でもある。

 

問題は、

信じる対象 → 検証不能(似非科学)→ 排他性 → 金・権力とつながったときに、

信仰 → 狂信

希望 → 依存

物語(解釈)→ 無謬の教義 

に変わること。

 

だから同じように 心理学も、AIも、危うい。

媒体は違うが、人間社会においては永遠になくならないテーマ。

 

宗教が弱くなればスピリチュアルが来る

スピが飽きられたら心理学・脳科学が来る

心理学・脳科学が疑われたら

自律的AI・シンギュラリティが来る‥

 

中身は「これを信じれば大丈夫」という救済装置。

 

 

人間が信じたいのは「神」ではなく「不確実性がない世界」

 

だから、「全部説明してくれる」「迷わなくていい」「自分が正しいと思える」という物語に、どうしても引き寄せられてしまうのだ。

 

繰り返すが、なぜ人間は信じたいのか?

 世界が意味を持ってほしいから

 

・ そうでないと不安に耐えられない

・ 誰かと同じ物語を共有したい

・ 何者かに委ねたい

・ 希望を持ちたい etc.

 

これは特別な心理ではなく、「不安を除き安心したい」という人間本来の生存仕様なのだ。

 

「ケッ! 生きることに意味なんてネエヨ」というカッチョイイ台詞もあるけれど、それも「意味なんてねえ」という解釈(意味付け)で自分を納得させているのだ。屁理屈っぽいけど。

 

 

時代を通じて、人間のそうした欲求を「うまいことビジネスにつなげて儲けよう」という、これまたとても人間的な思考も必ず生じる。

 

いまや、SNSで再生数を稼ぐためには不安を煽るのが最も効果的、と皆気づいており、そういった情報発信の仕方がかなり多い。「怖い〇〇!」「〇〇しなければたいへん!」「危ない〇〇!」「〇〇してはダメ!」的なものがてんこ盛り。

 

人が根源的にもつ不安感や恐怖心をビジネスとセットにする→ 不安解消のために飛びつく

大昔から現在まで、あらゆるかたちで不安ビジネスは存在し続けてきた。

 

ただ、一概に善悪では語れないのも事実。

後になって大金を毟り取られたことに気づき怒り狂うケースもあれば、信じることで安心満足な人生を手に入れたと喜ぶケースもある。

 

次回は、どうしたら信じたい欲求と破壊的にならず付き合えるのか?について。

ネット上では膨大な情報が日々更新され続け、最近では驚異的な生成AIも登場し、ますます真贋の見極めが難しい状況になっている。

 

当然、偽情報を信じることによる被害発生も凡ゆるかたちで増大している。

 

余談だが、私は生物全般の生態を扱う動画配信が大好きである。そのなかに、生成AIで事実のようにつくられた『動物と人との感動エピソード」のフェイク動画が多数混じっている。違和感により気がつくケースがほとんどだが、つい感動しちまって後からわかったときは、恥意識と自己信頼が揺さぶられひじょーに不快である。

 

なぜ人間には『信じたい欲求』があるのか?

 

答えを一言でいうなら、

『世界が意味を持ってほしい』

から。

 

人間にとっていちばん耐え難い状況をごく大雑把に挙げるとすれば、無意味・偶然・理不尽・コントロール不能ということになる。

 

例えば、

・良い人が難病に罹る

・子どもが事故に巻き込まれ亡くなる

・いくら努力しても報われない

このような状況を

 

「たまたまですな」「意味はないでしゅ」

という解釈で受け止められる脳はない。

 

そこで脳はこうする

「意味を作る」

「理由を作る」

「背景に何ものかの意思を置く」

 

つまり『物語を作る』。

 

進化心理学的にみると、信じる能力は人類の共存に便利だったということになる。

 

昔の人類は雷が鳴ると

「神がお怒りじゃ!」→ 集団で祈る→ 集団の結束が高まる→ 生存率アップ

 

つまり、「目に見えない意思を想定」し「同じ物語を共有」する。

 

これは、「集団をまとめる」「行動を統一する」「恐怖・不安を抑える」

につながり、集団生活を営む人類にとっての実用スキルとなる。

 

「神がお怒りじゃ!」の神は『崇高で偉大なる何か』を想定している。

 

では「崇高で偉大なる何か』はどこから来ている?

 

人間の脳には、もともと生存戦略として、

・親を信じる

・強いものに従う

・物語を信じる

・権威を信じる

という回路がある。

 

赤ちゃんは親を「信じる」能力がないと死ぬ。

したがって、

 

・親は絶対

・神は絶対

・真理は絶対

・自己啓発やスピリチュアルや超能力の絶対

・AIは絶対  ←今ここ?

 

対象だけが時代で入れ替わってきている。

 

ネット情報で心を惹きつけられたとき、上記のようなことを頭に入れておくと盲信を免れる、、と思う。

 

なぜ、「信じたい!」はビジネスとセットになっているのか?を次回に。

 

過疎ブログにきてくださる奇特な皆様に、心から感謝しております。

今年も、好きなことが一つ増えますように。

 

さて、誰もお待ちかねではない『恋愛感情と生涯のパートナー』シリーズ、約一年ぶりに再開いたします。

 

あまりにも期間が空き過ぎてしまったため、自分でもどのような心づもりでシリーズ(9)まで延々と引っ張ってきたのか分からなくなっています。体力を考え前回の(9)だけを読み返したところ、恋愛感情についての独善的考察は殆ど書き尽くしていることを述べ、最後は以下のように終わっていました。

 

〜〜次回から「恋愛感情」とは別の次元で「生涯のパートナー」について、引き続き冗長(自分でもイラつく!)に話を進めてまいります。〜〜

 

は?「別の次元で」とか書いているが、別の次元がどの次元を指しているのか‥半日を費やして資料やらメモ書きを漁ってみても思い出せませんでした。 (´;ω;`)

もしかしたら、ただ何となく期待感を持たせるために「別の次元」という表現を使ってみただけかもしれません。

 

閑話休題、次に進みます。

 

「生涯パートナーを求めない」という選択の先

 

人は孤独に生きるより、誰かと共に生きることを望む傾向にあります。

一方で「いやいやそんなことはない、独身でいることに満足している!」という人たちもひじょうに多く存在することを知っています。

 

近年では、「結婚=幸せの王道」という価値観が相対化され、「自分の時間・キャリア・自由」を優先する人々が増えています。経済的・社会的自立が以前より可能になったことで、無理にパートナーを持たずとも生きていける、という選択肢が現実的になり、個人主義や自己実現志向が強くなった結果といえるかもしれません。

 

データによると2020年の日本では、50歳時点で「一度も結婚したことのない人(生涯未婚率)」の割合が、男性で約28%、女性で約17~18%といいます。ちなみに2000年では男性は約12.6%。女性は約5.8%、1960年は男女とも1%台でした。

 

世界的にも、結婚率の低下、結婚年齢の晩婚化、未婚・同棲・事実婚の増加など、「結婚と子育て」を結びつける旧来型の家族モデルの変化が報告されています。

 

ここ数十年の過程で、単身で生きることの自由さ、気楽さ、自己管理、自己実現などが語られ、「シングルで幸せ、満足」という価値観も、以前よりずっと受け入れられるようになっています。

 

しかし結婚に依らない幸福の可能性を広げた一方で、人間が本質的に持つ「つながりへの欲求」と「自由・自律への欲求」とのあいだで、これまでにない葛藤も生じています。

 

現代のパラドックス

 

上記のような理由で結婚を選択しなかった人たちも、人生の後半から晩年に入り、日本でいえば 定年前後の独身者たちが 、強い孤独感・孤立感・寂しさ・死への恐怖‥といった思いを抱えているという現実が見られます。これは私の周辺からも熟年世代の独身者からの本音として強く伝わってきています。

 

心理学・社会学の研究では、若い頃には「自由」や「自己実現」を最大化することが重要だったとしても、加齢に伴い、「情緒的な絆」や「深い関係性の価値」が大きくなっていくことが示されています。

 

また、晩年に孤独が増すと、「不安・恐怖・抑うつが増大」「免疫機能低下」「認知症リスク上昇」「早期死亡率が高くなる」といったデータもあります。

 

若い時期は、社会生活によって「資源を獲得する能力」「健康と体力」「多数の人間関係」によってある程度の安定を得られますが、加齢とともにその優位性を失うため、「情緒的な絆が生存に不可欠な資源」へと再び浮上するわけです。

 

人は人生の後半になるほど、

⚫︎ 表層的な人間関係よりも「信頼できる少数

 の関係」を求める

⚫︎ 自分の存在を理解し、共有できる相手

 必要性が高まる

⚫︎ 孤独は死亡率を高め、健康にも強く影響する

といった傾向が強まるということです。

 

若い頃には「自由を守るためにパートナーを持たない」という選択が魅力的に思えても、人生の最終局面では、むしろ深い人間的つながりの欠如が後悔へと転じるケースが少なくありません。

 

実際、定年期以降の独身者を対象にした調査では、

⚫︎ 今からでも信頼できるパートナーが欲しいよう」

   と回答する人が多数を占める

⚫︎ 特に男性独身者の孤立は深刻化しやすい

⚫︎ 孤独感はうつ、認知症、生活機能の低下とも

   関連する

という結果が繰り返し報告されています。

 

「自立できるようになった社会」であるがゆえに、

人は人生の後半に入ると「孤独を強く意識する」ようになり、より深く「寄り添う相手」を必要とする。

 

つまり、

若さ : 自由を優先する価値観

老い : 絆を求める心理

との間に、人生を通したダイナミックな転換があるといえます。もちろん特にない人もいます。

 

次回は、進化心理学の観点からみた、人が深い絆を求める本質的理由について。