すべてはうまくいっている! 光と心の調和

すべてはうまくいっている! 光と心の調和

横浜の臨床心理カウンセラー ロキのつぶやきブログ。
その人がその人らしく
『生まれてきてよかった!と思える人生』
のために。




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日々の忙しさと、隙あらばの怠け癖が災いして、書きかけの項目もほったらかしのまま随分とご無沙汰している。

 

もともと文章を書くのは好きだし、いろいろ書きたいこともある。しかし文才がないので短文でもかなりの時間がかかってしまい、暇ができてもつい、もっと好きな映画やTVドラマの鑑賞で時間を潰してしまう今日この頃。

 

などと言い訳じみたことを書いてしまったが、別に誰も期待なんぞしていない過疎ブログだった。自分のための覚書を兼ねて、ひとりでも読んでくれる人がいればいいな、という感じでまた再開したいと思う。

 

家族に関する最新情報では、ハムスターのタロ君が、減塩シラスをさらに塩抜きしたものを、野獣化するほど好きなことがわかった。

 

そして、多めに与えたときに限り、シラスの頭としっぽを残すことが判明した。嘘だと思うかもしれないが、証人もいる。そのうち現場をupしたい。


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息子が幼稚園のときから、ずっとハムスターを飼い続けてきた。

 

約2~3年の寿命が尽きて旅立つたびに、少しの時間をあけるのだけれど、しばらくするとまた一匹だけ飼い始める。息子が家を出てからも、それは変わらず続いている。そして息子はハムスターに会うためだけに、用もないのに度々帰ってくる。

 

今のタロ君が何代目かはもう定かではないが、今年の初夏に我が家に迎えた。

 

ハムスターのジャンガリアンは性格の個体差が激しく、様々な個性があることで知られている。

 

今度のタロ君は、売れ残って少し大きくなった子で(2ヶ月半)、生後1ヶ月ほどの他のジャンガリアンとは別の、小さなケースに一匹だけ隔離されていた。少し安かった。

 

そのせいか、最初からふてぶてしい態度で、引越し初日から、つまんで差し出すキャベツを怖がる風もなく、ひったくって食べるような男の子であった。

 

おやつにあげる木綿豆腐が大好物で、手のひらに乗せて差し出すと飛び乗って、べったりと座って小さな咀嚼音を立てながら夢中で食べる。

 

散歩のために部屋に放してやると、呼べば走り寄ってくるし、散歩に飽きたりおしっこがしたくなると、自分で勝手にケージの開けたままの扉を登って中に入り澄ましている。

 

そういうお利口な彼であるが、最近になって、夜になり外に出たくなると、立ち上がってケージをかじったりガタガタ揺すぶって「出せ!」と催促するようになった。

 

しつこくガタガタ音がするので「はい、タロくんお散歩タイムね」と扉を開けてやると、下に開いた扉を登って走り出てくる。手のひらに乗せて頭をナデナデなどしてやってから床に放す。

 

しかし先日、いちいちガタガタ音で出すのは面倒だから、さんぽの時間の頃合いを見計らって扉を開けておくことにした。

 

机に向かって仕事をしていると、またガタガタケージを揺さぶる音がする。「おかしいなぁ、扉を開けてあるのに」と思ってそーっと部屋のドアを開け、リビングにあるケージを覗いて見る。すると、開けてある扉のすぐ横で、やはり立ち上がってかじりながら揺さぶっている。

 

「扉開いてるじゃないの、気がつかなの?」と、出してあげようと近づいていくと、私の声と姿を認めたタロくんは、開いた扉から素早くさっと出て、私の方へ走ってきた。「なーんだ、開いてるのわかってるじゃない」と言ってから気がついた。

 

彼は私を呼ぶために、ケージをかじって音を立てていたのである。

 

クルミはいつも途中で飽きて投げ出すタロ君


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『ナルシシズム(narcissism)1』では、自己愛には、誰もがもっている健全な自己愛と、ナルシシストを生み出す病理的な自己愛があることを説明いたしました。

 

日本ではナルシシズムの語訳は「自己愛」「自己陶酔」とされていますが、分かりやすくするために、ここでは便宜上、「健全な自己愛」を「自己愛」、「病理的な自己愛」「ナルシシズム」とします。

 

「自己愛」――― 誰もがもっている健全な自己への愛着

  ・基本的自己愛「セルフ・ラブ」

  ・「能動的な愛」を自己に向けた心的状態の一つ

  ・自己を含め他者も愛することができる能力

 

「ナルシシズム」――― 自己認識や現実認識を狂わす病的な自己への

                                      執着

 ・心的エネルギーが全て自分(身体・感情・利害等)に向かっている状態

 ・そこに他者は存在ぜず、自分だけに関心や情熱が向いている心的状況

 

 

 

基本的自己愛

 

最初に、健全な基本形態としての「自己愛」について考えてみたいと思います。

 

本来、ナルシシズム(narcissism)の最も基本的な意味はセルフ・ラブ、つまり「自分が自分を愛する」ということです。

 

F・フロムは『愛するということ』の中で、「健全な自己愛」の重要性を説き「自分を愛することのできない人間に、どうして他人を愛することができようか」ということを述べています。

 

それでは「自分が自分を愛する」とは、具体的にはどのようなものなのか。ここでは主に二つの自己愛心理について説明してみましょう。

 

「自分だけは特別だ」

 

まず、誰にでも「自分だけは特別だ」という心理があります。

 

例えば、災害や病気、事件や死について考えるとき、どこかで「自分は、大丈夫」「自分はそんな目には遭わない」という漠然とした気持ちがあります。この漠然とした思い込みが、基本的な自己愛心理です。

 

したがって突然の大きな災難や不幸、ガンがが発覚したときなどは、「なぜ、自分が!!」と、受け入れ難い大きな衝撃を受けることになります。

 

このような「自分だけは特別」という自己愛心理を、フロムは自己に関する「全能感」と呼んでいます。

 

「自分だけは特別だ」という思い込みは、不安をやわらげる大きな役割を担っています。例えば、車の事故や大地震、大病など、実際には自分も遭遇する可能性が十分にあるのですが、毎日その心配をしながらビクビク暮らしていたら身が持ちません。「自分はまあ、大丈夫だろう」という自己愛心理に守られているから、日常生活を楽観的に過ごせるわけです。

 

この「自分だけは特別」という心理は、死や危険に対してだけではなく、自己像にも反映されます。自分に実際以上の理想的な自己イメージを抱いて、鏡の前で何時間でも化粧に没頭したり、高級車やブランドもので身を飾り、都合よく思い描いた自己イメージに満足します。老人は、実際の年齢より自分は20歳前後は若く見える‥と思っているという統計もあるそうです。

 

こういったうぬぼれや否認の心理も、健全な自己愛という意味では重要なものです。家族や親しい友人などの間では、お互いのイリュージョンを支え合う、というかたちで機能しています。

 

自分に対して思い描く理想的な自己像が、ある程度保たれているのは健全な自己愛といえます。しかし、自分で思い込んでいるイメージと現実の自分とのギャップがあまりにも大きすぎると、この記事のテーマである「病的な自己愛」ナルシシズムにつながることになります。

 

また「自分だけは特別だ」という思いがネガティブに反転する場合もあります。「自分だけはうまくいかない」「自分に限って失敗する」これは全能感が逆にはたらく、神経症的傾向の方に多い思い込みですが、これもナルシシズムと深い関係があるのです。

 

「自分に関わるものは Good 」

 

「自分が自分を愛する」説明としてもう一つ挙げておきたいのは、「自分に関わるものはよいものだ」という心理です。

 

自己愛の対象が、自分そのもの、自分の人生そのものへと向かうことはもちろんですが、それだけではなく、自分に関るすべてのものに対し「自分に縁がある」というだけで、よいものだ と感じる心理があります。

 

自分の家族や友人、ペット、職場、さらには自分の郷土や生まれた国など、自分に関係のあるもの、人間や人間関係、グループに対しての無条件な好意は、誰もが心の奥底に抱いている自己愛心理によるものです。

 

明確な根拠もなく、スポーツで母校や同邦の選手を応援したくなるのも、同じ犬種を飼っている人に親近感を覚えるのも、同国人のノーベル賞受賞が嬉しいのも、宇宙人の来襲に国境を超えた人類愛に目覚めるのも、つまるところ「自分で自分を愛すること」から生じているわけです。

 

以上のように、自己愛は心の中だけではなく、外の世界にもネットワークを広げてゆく性質を持っています。この自我感情の拡大を「ナルシスティック・エクステンション(自己愛の延長物)」といいます。

 

この心理は、自己愛の対象物が客観的に素晴らしいとか、価値があるということよりも、「自分の」縁者だからであり「自分の」生まれ育った故郷だからです。

 

 

「自分だけは特別だ」「自分に関わるものは Good 」という自己愛心理は、あくまでも自分の主観的な心の世界のことですから、幻想やイリュージョンの上に成り立っているもの、ともいえます。

 

自分が生きてゆく世界はここであり、自分の一生は一度しかありません。たとえ幻想やイリュージョンであっても、この世界を自分にとって特別でよいものと思うことができなければ、日々不安や恐怖、孤独に怯え、惨めな自己否定の人生を歩まなくてはなりません。

 

しかしナルシスティック・エクステンションが病的な変異を遂げると、わが子に親の自己愛を満たすための人生を強いる‥といったような悲劇が起こります。これについても、次回からの「病的な自己愛」ナルシシズムの中で触れたいと考えています。

 

 

以上、基本的自己愛は、人が生きてゆく上での安全装置であり、シールドであり、保険であるとということが理解できたと思います。

 

危険がいっぱいの不条理なこの世に、強引に押し出されてしまった自分の心を守ってくれるのが、自己愛が生み出す幻想やイリュージョンなのですね。

スゴイとしか言いようのない心の仕組みの一つが自己愛です。

 

 

自己愛によって、自分の主観性や自己中心性、楽観性といった、自分を肯定し、受け入れ、ここに安住していることができること 、つまり「自分を受け入れる」ことができるのは、その人の子どものころからの経験による、ものごとの認知に深い関係があります。しかしこれを説明しだすと、小舟で大海原に漕ぎだすようなことになってしまうので、今回はここまでとします。

 

以上、基本的自己愛は、健全な自己愛であるということを述べてきました。

 

自己愛は人間が生きてゆく上でひじょうにたいせつなものですが、その基本的自己愛を獲得できていない場合はどうなってしまうのか?

 

次回からは、この記事のテーマである病的な自己愛「ナルシシズム」について、思いつくままにあれこれ書いてゆきたいと思います。

不定期だけど。(続く)


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リュック・ベッソン。

監督作品では『ニキータ』『レオン』、製作脚本では『TAXi 』『トランスポーター』『96時間』『アルティメット』など、メジャーなアクション映画しか観ていないが全て大好きな作品である。

 

しかしこのほど『アンジェラ』を観て、久しぶりに映画からノックアウトを喰らった。

 

リュック・ベッソン、凄いよ。お見逸れしました。

 

『アンジェラ』は臨床心理でいうところの『アイデンティティ(自我)の確立』を描いた物語である。

 

パリで暮らすアメリカ国籍の青年アンドレ28歳は、自分を、無知で愚かで醜男で何をやってもついていない、無価値な人間だと認識している。

 

それでも生きていかねばならず、いいかげんな事業を起こしては一旗上げようとするのだが、うまくいくはずもない。

 

借金の相手がマフィアやら悪徳業者やらの危ない連中で、返せずに逃げ回っていたが、とうとう48時間後に返済しないと命で償うしかない状況に至る。

 

策もなく、絶望の末に「死んでやる!それがのぞみなんだろ? 神様よぉ!」とセーヌ川の橋の欄干から身を投げようとするが、欄干の少し離れた場所で、同じように身投げしようとしている金髪の美女に気づく。

 

と、彼女はセーヌ川へ飛び降り、思わずアンドレもあとを追って川に飛び込む。

 

やっとの思いで引き上げた彼女は、見上げる高身長の絶世の美女。アンドレより20センチは背が高い。

そのまま美女と別れるつもりが「生まれて初めて人を救った」ので、気になって戻り「もう飛び降りるな」と彼女に伝える。

 

するとのっぽの美女は「私はあなたのもの」

 

「からかっているのか」と戸惑うアンドレに、

「あなたに未来を与えるために来た」

「あなたの内面はとても美しい。それを教えに来た」

 

謎の美女の名前はアンジェラ。

 

そこからアンドレの、魂の成長のものがたりが始まる。

 

長身の金髪美女とチビの醜男の奇妙な二人組は、借金を返すために悪党たちに会いに行く。

 

臆病で軽薄で卑屈でおしゃべり、口先のお愛想に有頂天、すぐ調子に乗ってしまうアンドレに、深い孤独とさみしさがまつわりついている。

 

アンジェラの活躍?やら、すったもんだの末に、借金はチャラになり、アンジェラの正体も明らかになる。

 

終盤のシーン、アンジェラがアンドレを鏡の前へ引きずっていき、アンドレに鏡に映った自分を見ろという。

 

「愛もなく、傷ついた自分の姿を見て、大切だと言ってあげて」

「居場所があると言ってあげて」

「愛していると言ってあげて」

 

アンドレ「(愛している)言えない、口に出すのは難しい」

アンジェラ「それは人に言われたことがないから。愛している、アンドレ」              

 

とうとうアンドレは、鏡に映った自分に向かって言う。

「ジュ・テーム アンドレ」

 

アンジェラ「私はあなたが誇らしい」

 

人間離れしたアンジェラの存在感がすごい。

 

いやいや、こんな映画を作り上げたリュック・ベッソンに驚きました。感動しました。


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悩みの根源の一つとして、ナルシシズムの問題はとても重要だと考えています。

これから何回かに分けて、不定期で「ナルシシズム」について思いつくまま書こうと思います。

 

ご存知の通り「ナルシシズム」「ナルシシスト」は、ギリシャ神話の美少年ナルキッソスの名前が語源です。ナルキッソスは神ネメシスの呪縛によって、泉に映った自分の姿に恋をしますが、その熱愛は叶うことなく自らの姿に魅入ったまま命を失い水仙(Narcissus)となります。

 

ギリシャ神話の中の登場人物の名前が、精神分析の概念として数例使われていますが、神話や寓話は人類共通の心理的原型の宝庫というだけでなく、ユングがギリシャ神話オタクだったせいもある、などと余分なことを考えてしまうのでした。

 

ちなみにナルシシズムの他にも、エディプス・コンプレックス、ディアナ・コンプレックス、エレクトラ・コンプレックス、オレステス・コンプレックス、ピグマリオン効果etc. などがあります。

 

一般的に「あの人、ナルシストよネ~」という場合、自撮りをわんさかSNSにupしたり、鏡と何時間も対座していたり、会話内容がほとんど自分のことに終始していたり、自意識過剰気味だったりの人を指します。

 

しかし心理学でのナルシシスト(narcissist)はもう少し複雑で厄介です。

 

ナルシシストの抱える心理的状況がナルシシズム(narcissism)です。

ナルシシズムは、よく「自己陶酔」「自己愛」と訳されますが、その定義は現在も研究者によってそれぞれ微妙に異なり、まだ系統立てた理論としては構築されていません。

 

私がナルシシズムについて学んだのは、昔カウンセリングの幾つかのケースで、ナルシシズム的概念と取り組まざるを得ない状況に直面したことがきっかけです。その後、心因性の精神疾患や悩みにおいて、そのほとんどがナルシシズムの問題抜きには適切な対応ができないと考えるに至りました。

 

ナルシシズムについては、フロイト、ユング、フロム、カレン・ホルナイ、コフート、ネヴィル・シミントン、小此木啓吾、加藤諦三、ネヴィル・シミントン等の考察や研究を書籍で読むことができます。それらの本を何度も読み浸ったに過ぎませんが、現時点で私が理解しているナルシシズムについて、あれこれ考えてゆきたいと思います。

 

「ナルシシズム」と「自己愛」

 

最近では、人の悩みの根源的要因としても、様々な社会問題の誘因としても、ナルシシズムが大きく関係しているという研究が進んでいます。臨床心理の現場においても、ナルシシズムの問題は最重要課題と考えられるようになってきました。

 

ナルシシズムは「自己愛」と翻訳されていますが、一般的に使われている自己愛と臨床におけるナルシシズムとは分けて考えたほうが理解しやすいので、ここでは「自己愛」と「ナルシシズム」を以下のように定義して考察してゆきたいと思います。

 

「自己愛」――― 誰もが持っている自己への愛着

「ナルシシズム」――― 自己愛が変異した病理的な自己への執着

 

「自己愛」の基本形態は「セルフ・ラブ」で、「能動的な愛」を自己に向けた心的状態の一つと考えます。これは自己を含め他者も愛することができる能力です。

 

「ナルシシズム」は心的エネルギーが全て自分(身体・感情・利害等)に向かっている状態であり、そこに他者はほとんど存在しません。簡単にいえば、自分だけに関心や情熱が向いている心理状態です。

 

これは「自分だけを愛している」というよりも、自分も他者も愛することができない、愛するという能力が未だ獲得されていない自我の状態と捉えると、これから考察してゆくナルシシストの思考と行動がより理解しやすくなると思います。(続く)

 

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