どうしたら信じたい欲求と破壊的にならず付き合えるのか?
人間の脳には、もともと生存戦略として、「親を信じる」「強いものに従う」「物語を信じる」「権威を信じる」という回路があるということを述べた。
では、人間に本来備わっている信じたいという欲求を、ビジネスに利用されない、騙されないようにコントロールするにはどうしたらよいのか。
かんたんに言えば、信念(自分が正しいと固く信じる考え)を自己同一化しない。つまり、現在は正しいと考えていても、「絶対に」正しいものはないという、メタ認知(客観)の視点をつねに持ち続けることだ。
例えば、ある宗教やイデオロギーを信じる場合、それを絶対視するあまり、自分が信じる対象以外の宗教やイデオロギーを「劣ったもの」「排除すべきもの」とみなし、過剰に敵対視して執拗に攻撃することがある。
このような攻撃性の背景には、自らが抱える不安や劣等コンプレックス・葛藤などを和らげようとする防衛機制が働いていると考えられる。つまり、絶対的な価値をもつと信じた宗教やイデオロギーの価値観を自我に取り込むことで、心理的安定を維持しているからだ。
その結果、信じる対象を否定されることは、自分自身を否定されることと同義になってしまう。批判者に対し、側からみると異常な敵意や憎悪を剥き出しにしたりする様はその所以だ。
このように、信念と自己が分離できなくなった状態は、心理学的には「自己同一化(最近の表現ではアイデンティティの融合)」と捉える。
それを避けるためには、「仮説として信じる」「必要がなくなったら捨てられる」「複数の解釈を許容できる」というように、「盲信」しないことだ。
反証や批判されても自分が否定されたと思わずに、自我と信念を分離できる。そこが健全な「信じる」と病的な「信じる」の違いである。
とはいっても「アイデンティティの融合」状態だからこそ、楽ちんに人生を送る人たちも存在する。
信念に関連する様々な事柄を、自分で思考判断する必要はなく、信じている教義や理論に丸投げできるからだ。
信じる力そのものは、本来人間に備わっている強力な回復力。
しかしその性質が、他者の利益の為に利用されたり、葛藤や苦悩の原因となるなら、それは生きる上でのデメリットになる。
これまでも何度か書いているが、
「何を信じるか?」よりも「どのように信じるか?」
「自分の世界を広げるのか?、狭めるのか?」
ここが健全な信心と狂信の分水嶺ではないかと考えている。
好きなだけ信じていいのは、自分だけ ♪
