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すべてはうまくいっている! 光と心の調和

横浜の心理カウンセラー ロキのつぶやきブログ。
その人がその人らしく
『生まれてきてよかった!」
と思える人生のために。

他人への無償の援助はとても難しい。

 

つまり、見返りを求めない助け――は、理想的に見えて、実際にはとても繊細な力学を孕んでいる。

 

以下、あえてマイナス面に絞ってみる。

 

受ける側の心を傷つける。

受ける側は、感謝や恩義を抱くと同時に、無力さ、恥、依存への不安、あるいは「対等ではない」という痛みを感じる。

 

主従関係を作り上げる。

助けられたものは、助けた者に頭があがらない。永遠に「貸し」を背負わされたように感じ、その人の前では自由にふるまえない。

 

深い劣等感を植え付ける。

自尊心や「自分の力で生きたい」という本能的欲求を潰す。「恩」という重荷が助けられた者の成長や自立を妨げる。

 

場合によっては、ドストエフスキー小説の登場人物のように、助けられた者が無償の援助者を憎悪し始める場合だってあるかもしれない。

 

助ける側は?

純粋であるほど、それはそれは気持ちいいだろう。

 

考えるに、無償の援助はキリスト教的な人道主義が要請するものなのかもしれない。つまり、一方的に助けられる人の存在をいつまでも必要とする世界観。神と人間。

いや、まだよくわからないが。

 

日本の「お互い様」という感覚は好きだ。

 

 

 

ネットに繋がっていないと不安になる、という心理状態は、いまや各国共通の社会現象となっている。モバイル端末は、不安やネット依存の発生装置にもなる。

 

大量の玉石混交の情報が、砂嵐のように渦巻くIT社会を無傷で生きるためには、情報の真贋を見極める判断基準の確立や情報の判断スキルの習得等々が必要になるのだろうが、まだまだ現状に追いついていない。というより、情報(エントロピー)は増大し続けるという法則からいえば、永遠に追いつかないのかもしれない。

 

自分で思考し、判断し、決断し、行動し、自分の言動の結果に全責任をもつ‥‥といった自我を確立した人間であれば、そう簡単にネット情報に振り回されることはないだろう。しかしネット社会だからこそ、なかなか自分仕様の自分軸で生きている人は少ない。

 

ところで、インターネットは超絶便利なシステムではあるけれど、あまり向いていないものもある。

個人的な交流(コミュニケーション)である。

 

悩みの原因として圧倒的に多い「人間関係の悩み」も、SNSを媒介としたケースが新たに加わり、その占める割合が徐々に大きくなってきている。

 

インターネットというのはネガティブな虚言が増幅する装置でもある。

 

年齢を偽る。性別を偽る。職業を偽る。身分、経歴を偽る。写真を偽る。善人を装う。正義を装う。不安を煽る。憎悪を煽る。欲望を煽る。

 

そして偽ることに対する罪悪感が希薄になり、対面ではためらうようなことも容易にできてしまう。

 

発信する側となっても、本音や素の自分をそのままネット上に晒すのではなく、何かしら自分を演出したくなる。つい、かっこいい自分を演じたくなる。←ワタクシ

 

しかし、ネット上では不可能なこともある。

 

コミュニケーションによって信頼関係を築くこと。

 

生身の人と人との交流の過程で成り立たつ信頼関係は、ネット上での交流をいくら重ねても構築できない。これは断定してもいいように思う。

(もちろん、リアル交流なら必ず信頼関係を築ける、という意味ではない)

 

ここでは主にリアル交流によるメリットを挙げる。

 

リアル交流で得られるメリット------------------

 

1. 触覚・空気感を通じた深い感覚

 空気感や肌感覚で人のぬくもりを感じる

 

⚫︎ 握手、ハグ、肩に触れるなどのスキンシップは、オキシトシン(絆ホルモン)を分泌し、安心感を生む

 

⚫︎ 場の空気を共有することで、共感や安心感、不審感、違和感など言葉以上のものを感じ取れる。

 

⚫︎ 微細な表情変化、呼吸、間(ま)といった要素を感じ取れるため、より深い理解が生まれる。

 

⚫︎ 相手との相互作用による五感の刺激が脳の働きを活発にする。

 

⚫︎ 親しくなると、会話をしていない時間も一緒にいる安心感があり、沈黙の時間を心地よく共有できる。(ネットでは、沈黙が「返信がない=不安」につながりやすい。)

 

 

2. 予測不能な出来事による刺激と成長

  ネットではアルゴリズムによって同じような情報ばかりが集まる。偶発的な出会いや意外性のある交流はリアルなシーンに生じる。

 

⚫︎ 偶然の出会いや出来事による刺激。

たまたま隣に座った人と意気投合する、意外な場所でばったり嫌いな知り合いに会う、など、「予測できないリアルな体験」が生じることで脳を刺激する。

 

⚫︎ リアルな対話の中で瞬時に思考を整理する力がつく。

直接の会話では、その場の流れに応じて即座に返答する必要があり、対話力や対応力が鍛えられる。

 

⚫︎ ネットでは時間をかけて考えた返信ができるため、この「即興の思考力」は磨かれにくい。

 

 

3. 本物の信頼関係の構築

   リアルでは「一緒にいるだけで安心できる」関係が生まれる。

 

⚫︎ 長期的な関わりの中で互いに「偽りのない人間性」を知ることができ、その上で信頼関係を築いてゆける。

 

⚫︎ 実際に何度も会い、言葉や行動の一貫性を確認することで、「この人は信用できる」と判断できる。

 

⚫︎ 長時間一緒に過ごすことで同じ体験を共有し、それが信頼関係を深める。

 

⚫︎ リアルな関係では約束を守る・時間を共有する・トラブルに向き合う、といった責任感が求められ、そこに信頼が生まれる。

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リアルな交流には、実体感のないネット上に浮遊している状態から「生身の人間らしさ」を取り戻す力がある。オキシトシン(絆を深めるホルモン)やエンドルフィン(幸福感をもたらすホルモン)といった神経伝達物質が豊かに分泌され、それは心を落ち着かせ、安定させる。

 

人付き合いが苦手な方が、ネット上での交流に孤独を癒しているのも事実。それも大いに楽しみつつ、リアル交流も味わってほしい。

 

バスを前扉から降りる時、運転手さんに無言でちょっと頭を下げる、するといつもの「ありがとうございました」にほんの少し感情がこもっている。これもリアル交流。

 

勇気を出して、人に会おう!

 

過疎ブログにきてくださる奇特な皆様に、心から感謝しております。

さて、『恋愛感情と生涯のパートナー』のシリーズもいよいよ終盤にはいります。

これまで延々と繰り返してきたのは、恋愛感情は個人差はあれど「期間限定の感情である」という身も蓋もない事実でした。

 

結婚も色々あらーな

 

誰しもが「情熱的大恋愛」の末に結ばれるわけではなく、「お見合い」「政略」「打算」「衝動」「不倫絡み」「周辺圧」等々、それこそ無数の事由による婚姻関係が存在するわけです。

 

我が国では、明治時代の初期まで一夫多妻が認められていた一方で、婚姻形態はまだまだ家と家との結びつきを重んじ、親同士で決める許嫁やお見合い結婚が主流でした。明治時代に初めて自由恋愛という概念がヨーロッパから輸入され、徐々に広がり始めます。私の敬愛する夏目漱石も、恋愛(自我)をテーマとした名作を何作も執筆しています。「然(しか)し......然し君、恋は罪悪ですよ。分かっていますか」。。ひゃ~

 

その後「大正デモクラシー」と呼ばれた自由主義的風潮が広がり、自由恋愛による結婚観もさらに浸透が進みます。

 

戦後民主主義の導入と共に恋愛を基盤とした結婚も徐々に増え始め、戦後高度経済成長期の1955年~1970年で、見合い結婚は約54 → 45%、恋愛結婚は約36→ 50%となり、1970年代に比率が逆転しします。

 

1980年以降になるとさらに恋愛結婚率が上がり、お見合い結婚との差は拡大します。2015年の調査では、お見合い結婚5.3%、恋愛結婚87.9% 。いまから9年前の時点で恋愛結婚が約9割を占めています。恋愛結婚最強!(上記データ/内閣府:社人研の調査より)

 

といった経緯を辿って現在に至り、恋愛結婚ぶっちぎり社会となったわけです。

ちなみに日本の統計データによると、見合い結婚と恋愛結婚の離婚比率は、恋愛結婚が1割~2割高いのだそうな。

 

お気づきになりましたか。(by孔明

自らの遺伝子を次世代へと継承するためのプログラミング(恋愛感情が触媒となる配偶者選択)の発動がなくても、種々条件が付きましょうが人間社会において結婚の継続は可能なわけです。

 

それはさておき、恋愛結婚が隆盛を誇る?現状を踏まえて「生涯のパートナー」についての独善論を進めてゆきます。

 

結婚(同棲)の先

 

様々なカタチでの恋愛熱中状態がマックスを迎えると、互いに相手を確保するための結婚(同棲)に至ります。

 

熱々の新婚時代を経てのち、ほぼ2~4年で互いへの恋愛感情は完全に消失します。

 

「いやいやそんなことはない!結婚23年いまだ恋愛感情マックス!」というご主張もあるかと存じますが、レア認知ケースとして棚上げします。(強引

 

恋愛感情が一仕事を終えてひっそりと退場した後、さてどうするか。

 

結婚・同棲後、恋愛感情が消えゆく過程で、どうしたら良好な関係性を保ちながら生涯を共に過ごすことができるのか。

 

次回から「恋愛感情」とは別の次元で「生涯のパートナー」について、引き続き冗長(自分でもイラつく!)に話を進めてまいります。

 

とうとう本年も残り約3ヶ月になってしまった。なーんてこったい!

今年も新たな出会いや別れがあり、喜怒哀楽悲驚恥etc. あらゆる感情を味わい、猛反省や猛反省や猛反省など、とても深い経験や思い出を心に刻むことができた。

 

朝が来て夜が来てというのが死ぬまで続くわけで、今年一年とくくることもないのだけれど、やっぱり1日、1週間、1ヶ月、一年という区切りは、人間にとって必要なものなのだろう。

というわけで今年中に、机の右側の引き出し1段目を整理しようと決意してしまった。

成功体験を積むには、思い切りハードルを下げるのがコツ♪

 

久々に友人👩‍🦰と行く旅の宿をネット予約したのだが、その際にうっかり男性2名でポチしてしまった。

友人に「(実質)女装したおっさん二人でも通るよね」と言ったら超ウケていた。

いちおう宿に電話をかけて訂正したけど。

 

 

ほんとうに人の心は、一人ひとりまったく異なるシステムで成り立っているのだな、としみじみ思う今日この頃。

精神医学や臨床心理の領域でも、診断名や様々な心理学理論、心理療法各論だけではとてもじゃないが、人の心は はかれない。

 

心を扱う分野では、様々な研究・調査や分析、次々と発信される新しい知見も、結局は主観を含む統計学が元になっている。

〇〇症や〇〇障害といった判断基準に従った治療やカウンセリングを進めても、上手くいかないことも多々ある。ということを心理職に携わる者は知っておく必要がある、「例外がデフォルト」の世界なのだ。

 

もちろん、膨大な時間を費やした精神医学や心理学の調査分析や研究成果は人類にとってたいへんな価値があり、心を病む人々に多大な貢献を果たし続けているのも事実だ。

 

その上で、人と交流すればするほどに、人の心はほんとうに繊細で脆くて、単純で複雑で、影響を受けやすいが可塑性に富んでいて、つくづく凄い!と思う。

共通部分も多いが、個々人ではまったく異なるのだ。

 

信頼関係にある他者とのコミュニケーションの累積によってはじめて動く、心の琴線というものも存在している。