これまで、人と人との間に生ずる「恋愛感情」について、進化心理学や生物学、脳神経科学等々、各方面から大雑把に身も蓋も無いことを述べてきました。つまり、ホモ・サピエンスの遺伝子に組み込まれた生殖行動のための、特化された「期間限定の情動」が恋愛感情の源であろう、という見地です。
その他にも「恋愛」については様々な角度から捉えることができます。
娯楽や文化的側面からの恋愛については、 神話や伝説の時代から「物語」として扱われてきています。思いつくままに並べてみますが、ひじょうに偏った知識による雑談なので、「さっさと生涯のパートナー」について語れや!」という方は次回まで読み飛ばしてください。
『恋愛』辞書のあつかいでは、
薄味の広辞苑(第6版)=『男女が互いに相手を恋したう事。また、その感情。こい』
濃厚味の新明解国語辞典(第7版)=『特定の相手に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと』
編者によって表現に違いがあるのがとてもいいですね。
読書体力のあった若かりしころ、ギリシャ神話(ホメロス・ヘシオドスの英雄、冒険ワールド)や中国古典文学(西遊記・水滸伝、三国志・聊斎志異のみ)にどっぷり耽溺し、長期寝不足によって仕事でミス乱発の不届きな時代もありました。その時期に私自身も昨今で言うところのアセクシュアル傾向を自覚しはじめたように思います。
ギリシャ神話で描かれる恋愛
古代ギリシャでは「特定の相手を求める感情」を「エロス」と定義し、人類愛や同胞愛などとは別のものとして区別していたといいます。
人間臭い神々の世界をベースとしたギリシャ神話では、恋愛は日常茶飯事のように勃発し、様々な混乱や事件を引き起こす元凶?として多数くの物語で記録されています。
神々の王であるゼウスは、天空と雷を司るオリンポス山の最高神として崇拝されておりますが、バツ2で再婚した後も男神や人間の娘と浮気しまくる恋愛体質の神様です。ゼウスの最後の正式な妻である女神ヘラは、ゼウスの浮気のたびに猛烈な嫉妬で暴れるのですが、その被害はハンパありません。
またギリシャ神話では、アポロはじめヘラクレス、アマゾネス等々、同性愛(バイセクシュアル含)を楽しむ英雄や人間も数多く登場します。アポロの双子の姉であるアルテミスは、文献によってはアセクシュアル(無性愛)として描かれています。
預言者テイレシアスは、7年の間男性から女性に変身してしまうという設定ですが、男性性に戻った際「女性性のときの方が10倍も性行為を楽しめたもんね!」とうっかり発言し、ゼウスの妻ヘラの怒りを買って盲目にされたという、トランスジェンダー的要素をもつ存在です。
トランスジェンダーに関しては、従来の男女という規範に一致しない性的アイデンティティとして、古代シュメール王国やギリシャ・ローマ時代等々、人類の歴史を通じて多くの証拠とともにその存在が証明されています。文化によってはノンバイナリーやトゥースピリットといった概念で認識されています。
といったわけで、話題のLBGTQ‥という存在も、すでに様々な形で数多く人類史上に登場していたのでした。
中世ヨーロッパの宮廷愛
中世ヨーロッパの恋愛観では、貴族の男性には騎士道精神(Chivalry)とともに理想的な貴婦人に対する忠誠心や礼儀正しさが求められ、自己犠牲も厭わないといった高貴な関係性(『宮廷愛』という概念)が理想の愛のかたちとして定着していました。プラトニック重視な傾向が強かったようです。
とはいいつつ実態は、貴族同士の地位や財産結合が目的の政略結婚がほとんどで、結婚後は夫妻それぞれ愛人を持つのは許容範囲事項だったようです。結婚と愛人関係は、まったく異なる社会的機能を果たしていたのでしょうね。
しかし宮廷愛的恋愛観はその後消えることなく、現代においても夢見る乙女たちの「白馬の王子様幻想」として生き延びています。現代の女性対象コミックなど「財閥の優秀美形息子に愛されちゃう女性or 男性設定」は定番となっておりますな。♂=資源という遺伝子レベルからも女性の魂を揺さぶるのでしょう。
中世の貴族以外の一般人はどうかというと、やはり恋愛や結婚は家族の生計を立てるための協力関係として捉えられ、恋愛感情だけでなく実用的な配慮も重視されていました。現代日本の結婚事情とも似ていなくもないですが、それでも確かに恋愛を謳歌する人々は存在していたようです。
フランス革命の18世紀を舞台としたディケンスの「二都物語」では、愛する女性のために、自らその女性の愛する夫の身代わりとしてギロチン台にのぼる男性が描かれております。読後、雌に命捧げるんはカマキリやクモの雄だけで人間にはいないやろ!と高校生の私は激しく思ったものです。しかし命をかけた自己犠牲という恋愛のかたちも、きっと存在したのですね(過去形)。
日本の恋愛系古典文学
日本の中世においても、恋愛とは別に婚姻はしばしば政治的な同盟や家族間の結びつきと深く関係しており、個人の感情よりも社会的利益が重視されることが一般的だったようです。しかし歴史や文学の中には、個人の恋愛や浪漫を扱った作品も数多く存在します。
平安時代の女性が描いた『源氏物語』は、ひとりの男性が幾多の恋愛にただひたすら現(うつつ)を抜かす、世界最古ともいわれる恋愛長編小説です。光源氏って、好きですか?...
江戸時代から明治時代にかけては近松門左衛門の「曽根崎心中」「心中天網島」といった大ヒット作も含め、「心中もの」というジャンルの物語が流行りました。実際の事件を元ネタとする物語は、当時の封建社会の規範や身分制度の中で恋愛は難しい背景があり、恋愛の自由を求める人々の深い共感を得たのでしょう。
また、恋愛において障害があるほど燃え上がるという構図があります。困難を共に乗り越える体験は、二人の絆を強め、感情的な結びつきを深め、さらに恋愛の価値や意味を高める‥というわけです。ここでも脳内の快感物質や選択圧力(遺伝的適応:困難を乗り越えることができる個体同士が結びつく傾向)といった生物学的な働きが大いに関係しているようです。
世界各地の様々な恋愛・結婚制度
現在も世界各地で珍しい恋愛や結婚の形態を持つ民族が存在しますので、漁った資料や情報からいくつか抜粋。
チベットにおけるポリンドリ(多夫婚)は、一人の女性が複数の男性と結婚する制度。
高地に住むチベットの人々は環境の厳しさに対応するため、多夫婚は人口増加を抑えるための手段となっているようです。
とくに兄弟が一人の女性と結婚するケース「兄弟多夫婚」が一般的で、複数の夫が共同で働き、家族の収入や資源を共有することで生活の質を向上させているといいます。
ヒマラヤのナシ族は、夜になると男性が好きな女性の家を訪れ、一晩ともに過ごして朝には帰って行きます「歩婚(通い婚)」。男性はアーシャ一と呼ばれるパートナーではありますが、一人とは限らない!し、父という呼称もありません。
女性・男性はそれぞれの家族と一緒に住み続け、生まれた子どもは女性(母親)側の家族が育児や教育を行ます。父親の役割は女性家族の男性陣が引き受けるといいます。男性パートナーは気楽でいいですな?
パプアニューギニアのトロブリアンド諸島に住む部族は、恋愛&性にオープンで、青年期の男女は自由に複数の恋愛関係を築くという自由恋愛。成人になると、その中からパートナーを選んで正式な結婚に至る、というケースが多いといいます。
マーシャル諸島では伝統的に母系制で、結婚相手を選ぶ主導権を女性が握っています。選ばれるのは男性側で、地位や財産は母系を通じて継承されるそうです。離婚決定も女性主導で行われ、自由に結婚相手を変えられまっす♪
ブラジルのアマゾン地域に住むムラ族は、若い男女は結婚前に一定期間同棲し、相性を試します。互いに家事能力や協調性等々を評価し合い、結婚に進むかどうかを判断し、双方が納得した上で結婚を決めます。日本でも徐々に増えていますね。
上記で紹介した文化や生活様式も、現代の環境問題や社会変動等による近代化の波の中で少しずつ変化を余儀なくされているようです。
以上、思いつくまま書き散らしてきましたが、時代や社会制度がどうであれ「恋愛感情」が遠い昔から存続してきたことは事実です(もちろん個人差はあります)。
特定の相手を熱情的に恋慕する感情は、異性間という母集団に含まれない同性間においても、直接繁殖にはつながらないですが、自然の理に必要な役割を担っていると考えています。
ところで最近巷でもチラホラ見かけるようになった「ポリアモリー」という聞き慣れない呼称をご存知ですか?「新しい恋愛(性愛)の概念」とのことです。が、現状は明確な「概念」には至っておらず、いろいろ諸説、個人差がありすぎてなかなか一本化できない感じ?でしょうか。これも実は新しくもなんともなく、大昔から様々なかたちで存在してきているのですがね。興味のある方は検索をぜひどうぞ!
次回からはいよいよ私の妄想する「生涯のパートナー」についてです。