すべてはうまくいっている! 光と心の調和 -23ページ目

すべてはうまくいっている! 光と心の調和

横浜の心理カウンセラー ロキのつぶやきブログ
その人がその人らしく
『生まれてきてよかった!」
と思える人生のために。

人間の性格や行動パターンについての膨大な研究・調査の結果のひとつとして、「犯罪あるいは反社会的行動」をしやすい人が存在することが判明している。

「犯 罪・反社会的行動」を起こしやすい人の特徴は、他者への共感力が低く、特に「恐怖・悲しみ・苦しみ」といったネガティブな感情に対してはほとんど共感する ことができない。その結果、他者に対する「罪悪感」や「申し訳ない気持ち」「良心の痛み」などを持つことができないことがわかっている。

犯罪を起こした場合も、法律による処罰は恐れるが、被害者に対する懺悔の気持ちはほとんどないといってよい。捕まってから謝罪をすることがあったとしても、それは単に処罰の軽減を目的としていることが多い。

したがって、本心から後悔したり改心したりすることはほとんどなく、懲りずに何度も何度も繰り返して犯罪を犯してしまうことになる。

このような傾向性を持った人を、「サイコパス」「精神病質」あるいは「反社会性パーソナリティ障害」と呼ぶ。

では、なぜ「犯罪や反社会性行動」を起こしやすい傾向の人と、起こさない傾向の人に分かれるのだろうか?

進化心理学(人の精神的活動の基盤が、その生物学的 進化の過程で形成されてきたとする)」の立場からは、人間は生得的に「遺伝的知恵」として「犯罪・反社会性行動」をしにくいようにできている、と捉える。簡単にいうと人は生まれつき「良心回路」を持っている、という考え方である。

では、人の「良心回路」は、どのようにして善悪を判別し、さらにどのようにして善を好み悪を嫌うようにしむけるのか?

これはとても難しい問いかけで、宗教や形而上の問題範疇ともいえるが、ひとつの仮説として次のようなものがある。

人 は幼い頃から家族や学校などにおいて、大人たちとの関係、子どもたち同士との関係によって、さまざまな対人関係行動を学習しながら成長する。たとえば、幼い子どもが無意識のうちに人の嫌がる行動をとってしまったとき、相手に嫌な顔をされたり、睨まれながら去られたり、怖い顔で怒られたり、といった経験を何度も何度も繰り返すことになる。

この経験は、幼い子どもにとっては「恐怖」の体験となる。というのも、人はもともと「嫌がっている顔」「人の怒った顔」に反応して扁桃核が活動し、不安症状が生じるよ うにできている。したがって、特にこんこんと諭されたり叱られたりしなくても、人が「嫌な顔や怒った顔」をするだけで、自分自身のなかにネガティブな感情 (恐怖・不安)を引き起こしてしまう。これはミラーニューロンの働きによる、「他者に嫌な思いをさせる=自分が嫌な思いをする」という基本的共感性もベー スにあるからであろう。

「他者の嫌がる行動をとる」=「不安・恐怖(自分が嫌な思いをすること)が生じる」と関連づけられ、そのうちに単純に「他者の嫌がる行動をとることを考える」だけで、「不安・恐怖に関連した嫌な感情」が生じてしまうようになる。

単純化すると
「他者の喜ぶ行動をとる」=「安心・満足(自分が嬉しい思いをすること)が生じる」=善
「他者の嫌がる行動をとる」=「不安・恐怖(自分が嫌な思いをすること)が生じる」=悪
といった具合であろうか。

つまり、人が「良心回路」を身につけるのは、パブロフの犬と同じような「条件づけ」のメカニズムの働きによるもののではないか、という仮説である。

人の心に生じる善悪が、「宗教的、哲学的、形而上的問題」から一気に、「パブロフの犬と同じ単純な条件づけメカニズム」になってしまうのだけれど。

しかし、これが案外ほんとうのことかもしれないという科学的根拠が、さまざまな研究のなかでいくつもあがってきている。

そのひとつは、サイコパスや「精神病質」の人たちは、そうでない人たちに比べ「恐怖条件づけ」をしにくいというものだ。その傾向は、多くの実験で繰り返し示されている。

実験はパブロフの犬と同様の手順で行われる。
たとえば赤いランプが点灯すると仰天するような爆発音が起こり、青いランプの点灯では何も起こらない。被験者は、それを何度も繰り返されるうちに、赤いランプが点灯しただけで恐怖反応が起きるようになる。

しかし、犯罪者やサイコパスの人たちは、赤いランプの点灯も青いランプの点灯も、反応はほとんど変わらない。つまり、恐怖条件づけという学習ができない、ということがわかったのだ。

問題は、この「恐怖条件づけ」の学習がうまく働かない傾向は、「生まれ(遺伝的要因)」なのか「育ち(成長の過程で犯罪者になってしまうまでの環境的要因)」なのか? という疑問である。

人は生まれつき「良心回路」を持っている・・という仮説が成立するならば、将来的に犯罪者やサイコパスになってしまう人は、幼い子どもの頃から「良心回路」が働いていないのではないか?ということになる。

米国のGao博士たちの研究グループが、その疑問に応えるべく20年をかけて追跡調査を行ったという研究報告がある。

米国精神科学会発行「The American Journal of Psychiatry/2010; 167: 56-60.」の「小児期における恐怖条件付けの弱さは成人期における犯罪と関連するか Association of Poor Childhood Fear Conditioning and Adult Crime」


約1800人の被験者(3歳児)を集めて、その子どもたちに「恐怖条件づけ」の実験を行い、学習できるか、できないかのデータをとる。その後、20年後の23歳時に追跡調査を行い、その子どもたちが「犯罪を犯したか?」を確認する。

その結果、犯罪を犯していない人の場合は3歳時に「恐怖条件付け」を学習できているが、犯罪を犯した人の場合は3歳時の「恐怖条件付け」学習がほとんどできていない・・ということが明確に示された。結論として、犯罪の成因に神経発達障害(扁桃体・腹側前頭前皮質の機能不全)が関与するとしている。

と いっても、こうした「良心回路」の働きの問題が「遺伝的・生得的」なものであるのか、または3歳までの「育ち(環境)」のせいなのか、この実験結果では特 定できない。犯罪を犯しやすい要因として、3歳の幼少期から良心回路の欠陥、という問題がすでにあることを示してはいるが。


この研究論文のいくつかの問題点。

犯 罪者を扱うというかなり微妙な問題を含んでいるので、「恐怖条件付け」のできなかった子どもたちの何%くらいが犯罪を犯したか?についてのデータは発表さ れていない。また、犯罪を犯した人たちについて、犯罪の詳しい内容や、1回だけの犯罪か何度も再犯を繰り返しているのか、に関しても言及はない。

編 集者も研究結果の悪用や誤用を懸念して、「実験結果は、犯罪者になるのは運命として変えることができないという証拠を示した・・と誤った解釈する人がいる かもしれないが、その考え方は間違っている。神経系の性質の中で最も重要な性質は、その可塑性にある」というコメントを載せている。



繰り返し犯罪を犯す、サイコパスや反社会性パーソナリティ障害の人は、心の葛藤がない。
悩むこともない。行為は単純な行動原理にもとづいている。
したがって、矯正や更正については難しいといわざるを得ない。  

犯罪者も含め、心に葛藤のある人は、悩む。
強く複雑な葛藤であればあるほど、悩みは深化する。
だからこそ、葛藤し、悩み苦しむことで、どこまでもどこまでも変容してゆくことができる。


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幼年期の童謡漬けから脱して、思春期の背伸びから始まったジャズ好き。二十代、三十代の頃はブルーノート・レコードの名盤をせっせと揃えたり、横浜や吉祥寺のライブハウスに同類の友人と入り浸たっていた。

モダンジャズの大御所ソニー・ロリンズやアート・ブレイキー&ザ・ジャズメッセンジャーズが来日すると馳せ参じ、甲羅を経た無作為の演奏にとことん痺れた。ジャズメンて、歳とってもどうしてあんなにめちゃくちゃカッコイイの?

ああ過ぎ去りし青春・・・・シッシッあっちいけ老年期

最近は年に一度友人に誘われる以外、ライブを聴きに行く気力も時間もなく、たまにCDでスタンダードナンバーを聴くらい。それでもストレスが吹き飛び元気がでる。アニソンも同じだけど。ヾ(ーー )ォィ 


ジャズセッションとカウンセリングのセッションはちょっと似ているところがある。お互いのパートが交流し、やがて共鳴し合い、テーマからときどき離れたり戻ったりアドリブが飛び出したりするうちに、一緒に気持ちのいいノリのリズムをつくりあげていく。


先日、YouTubeで何となくいろいろ聴いていたら、井上陽水のジャズバージョンを2曲見つけた。

すてき!とてもクール。

「嘘つきダイヤモンド」

もう一曲。明菜ちゃんもいいけれど

「飾りじゃないのよ涙は」2002年



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これまで心理臨床家を対象としたないろいろなシンポジウムやセミナーに参加してきた。また、教育分析(カウンセラー自身がカウンセリングを受ける)やスーパーピジョンにつかった時間も少なくない方だと思う。

したがっていろいろな場面で心理職に就いている人々の言動を、目の当たりにすることになる。

そこでつくづく感じるのは、臨床の現場で癒されているのは、クライエントではなくむしろ心理カウンセラーやセラピストの方とだというケースも多いのではないか、という懸念。もちろんあくまでも私の主観ではあるけれど、そう思わざるを得ない臨床心理士や認定カウンセラーにかなりの頻度で遭遇する。

とくにシンポジウム等での仲間同士で交わされる私語の端々に、所属とは別の流派に対する排他意識はもとより、クライエント尊重の理念とはほど遠い、病的なほどの傲慢な姿勢が垣間見えるときが多々ある。

推考すれば、自分たちより情緒・精神面に劣っている「クライエント」という存在によって、優越感情や満足感、心の安定(劣等コンプレックスの解消)を得ている、という心的状況である。前提として、優=臨床家、劣=クライエントという認知の歪曲がある。


心理学がブームだという。特に臨床。「臨床心理士」の資格を求めて、各地の心理学科や大学院には学生が押し掛けているらしい。私が心理学を受講していた大学にも驚く程の学生が学んでいた。皆、ひじょうに熱心であった。

しかし臨床心理士や認定カウンセラーを目指す若い人たちのなかには、明らかに、本来はクライエントたるべき心的葛藤を動機として有している人々も存在する。つまり、自己の抱える心の問題を、強者(カウンセラー・セラピスト)となって弱者(クライエント)を救済するという保障願望によって満たすわけである。

そもそも、100パーセントそうでないカウンセラーやセラピストは存在するのか? ということも含め、少なくとも自らの心の明暗を自己洞察できていない者に、人の心を扱う資格はないと思っている。社会経験(生身の人間経験)も乏しいまま、大学院卒業と同時に心理職に就くことについても危うさを感じる。

さらに言うなら、心理カウンセラーやセラピストは地道な臨床だけを行っても儲からない。だからといって儲けようとすれば、手を広げざるを得ない。結果、時間の制約によって、臨床も臨床のための日々の研鑽も疎かになる。そういう面でも厳しい業種である。


カウンセリングを受けて、心の変容どころかさらに傷つき萎縮してしまうような目にあったクライエントさんと接することが、最近とくに多くなった。

以上、お前はどうなのだ? という自戒を込めて。


誤解を避けるために付け加えるけれど、豊かな経験と実績を積み、尚かつ人格にも優れたセラピストやカウンセラーとも数多く出逢ってきた。私自身の未熟を省みながら、常に多くを学ばせていただいている。

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8日、14日と2週続けて大雪を経験し、都会の人たちも雪国をほんの少し体感できたかもしれない。

 

一昨日、吹雪いている雪景色のなかで、ちょっと衝撃を受けた。


いわゆるスノーホワイトと呼ばれる純白の凄さ。

 

私の車はパールホワイトとかの色で、わりと気に入っている色だけれど、

駐車場に行って、降り積もった雪で半分埋もれた我がポンコツ君を見て愕然とした。

 

雪の間から見える車体の色がまるで灰色なのである。

ありゃ? こんなに色褪せていたかしらん?

 

あらためて周囲を見回してみると、白系の車体の色は雪の純白に暴かれたように、ことごとく白とは異なるシロモノと化していた。

 

自然界は、高屈折率の空気入り結晶にすべての可視光線を乱反射させ、スノーホワイトを生み出す。それはあらゆる人工物の白色をすべてグレーに変えてしまう。

 

まいりました、礼!

なんだか勝手に人類を代表して負けた感じがした。

 

ひじょうにさわやかな敗北感だった。

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佐村河内守氏「現代のベートーベン」騒動がマスコミ(一部を除く)を大喜びさせている。

私は今回のニュースで初めて佐村河内氏の存在を知ったわけで、「鬼武者」の曲をさきほどYouTubeでちらっとだけ聴いた。作品に対しての感想は特にない、というかよくわからない。

報道をいろいろ読むと、佐村河内氏の虚偽が暴かれるのは時間の問題であったようだ。新垣氏の会見は、暴走気味の佐村河内氏の振る舞いに露見の危機と迷惑の拡大を感じ取り先手を打った、という印象だ。

騒動の底にあるのは、「被爆や障害者を騙り、よくもだましたな」という憤りだろうか。人は騙されるのが大好きであり、大嫌いである。 



佐村河内氏は「被爆二世・全聾の作曲家」という大きな仮面をつけることで有名になったが、いくらメディアの触手が動くプロフィールであっても、作品自体に魅力がなければここまで有名にはならなかったのではないか。そこが問題をややこしくしているのだと思う。

もし、嘘が程よい状態のまま保たれて、露見することなく歴史に刻まれていくとしたら、それによって誰かが損をするか?
しないのだ、誰も。

佐村河内守氏は「現代のベートーベン」を演じきれなかった。 



有名な「スタンフォード監獄実験」というのがある。
ジンバルト教授率いる研究チームが、実験者たちに刑務所の囚人と看守という役を振り、役割による関係性の変化を調べるために行った実験である。

普通の若者21人を集め、囚人役10人と看守役11人に分けた。

囚人役の若者は、警官に自宅までパトカーで乗り付けられて実際に逮捕される。収監されると素っ裸にされ指紋採取とシラミ駆除剤を散布。下着無しで番号入り のスモックを着せられ、ストッキングでつくったキャップをかぶらされる。さらに片足に鎖を巻き付け、トイレへの往復は目隠しをされる。

看守役には、看守の制服を着用させサングラスをかけさせる。

実験の主催者は、囚人役の若者には囚人らしく振る舞うように、看守役には看守として熱心に仕事に励むことを指示。他のことには干渉せず、監視カメラで一部始終を観察する。

すると、若者たちはそれぞれの役割を演じるうちに、囚人はより囚人らしく、看守役はより看守らしく振る舞いはじめる。看守役は権力によって囚人を服従させ、急速に支配的屈辱的な扱いをするようになる。

ついに看守役の行為はエスカレートし、禁止事項であった暴力の制裁を行うに至る。汚物の中に囚人の顔を押し付けたり、性的な虐待もあったという。その過程でひとりの囚人役の若者は精神錯乱に陥った。

協力者の牧師がたまりかねて中止を進言するが、実験にのめり込んだジンバルト教授は拒否し、強引に実験を進めようとする。最終的には家族と弁護士の介入によってようやく実験は中止されたという。開始から中止までわずか6日間であった。

危険な状況にも関わらず実験を継続しようとしたジンバルト教授自身、「研究者として制御不能に陥った」と、後に語っている。

この実験結果は、「権力を行使する側の人間とされる側の人間が、隔離された環境下で長期間一緒に過ごすと、次第に権力行使側の理性が失われ歯止めが利かなくなる」傾向性を示している。けれども、それよりも面白く怖いのは、

「ひとは役割を担うと、元々の性格とは関係なく、その役を演じ始める」こと。 



佐村河内守氏のような装飾過剰な仮面(役)ではないにしろ、いくつもの仮面をつけ替えながらそれを演じている人は普通に存在する。心理学では、そのような仮面を「役割り性格」と呼ぶこともある。

家庭での顔、職場での顔、友人と遊ぶときの顔、恋人の顔、表の顔、裏の顔etc. 誰にでも心当たりがあると思う。その時々にうまく適応した仮面を自然に付け替えることができるのが、自立した大人ということなのだろう。

仮面の用い方が極端なケースでは、いろいろな疾患名も用意されているけれど、佐村河内氏の場合は特に病的なものは感じられない。そもそもの動機は、なんとか人に注目されたい、有名になって儲けたい、というところではないだろうか。

最初は小さな役(嘘)から始まったのであろう。それにいろいろなものを付け加えた「被爆二世・全聾の作曲家」という役どころを演じていくうちに、心はそれを受け入れ、真実のごとく振る舞い始める。そして自分の演じている役(嘘)に取り込まれる。

仮面が剥がれたのは、役づくりと自己演出が稚拙であったことと、自らの嘘にだまされ、自分を客観視できなくなったからではないか。新垣氏との役割分担につ いての綿密な打ち合わせもなかったようだ。虚偽に満ちた脆い仮面をつけ続けるには、それなりの知恵と技量と魅力が必要なのだ。



私がものすごく興味があるのは、佐村河内氏の作曲(とされる)作品を絶賛した方々の思い。
プロの音楽評論家から一般の熱狂的ファンまで、今どう感じているのだろうか。

私は次の3点を知りたいと思った。

◉音楽(芸術)は純粋に作品だけで評価し得るのか
◉障害者というバイアスが作品評価に及ぼす影響
◉佐村河内氏(指示)と新垣氏(作曲)、二人の交流なしには存在し得ない作品ではないか

そんな問いに応えてくれるブログがあったのでご紹介。専門家の視点、さすがに説得力があると思った。

Yui Morishita officil site
より正しい物語を得た音楽はより幸せである ~佐村河内守(新垣隆)騒動について~

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