お腹いっぱい お腹いっぱい。

でも

心にぽっかり穴が開いている気がするのは、

まだ あなたからの返事がこないからなのかな。


どこにいるの どこにいるの。




とりあえず


わたしの心が満ちるには

あなたからの連絡待ちかな。


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しゃぶしゃぶ食べ放題に友人らと行って参りました。計10人のおなごの集団です。

牛肉と野菜の食べ放題だったんですが、リバース…その後更に食べてリバース…

帰りにみんなで食べたクレープも、途中で寄ったゲーセンでプリクラ撮影後リバース…


まだまだ拒食ってます。まだまだ過食ってます。


最近は大丈夫かと思ってたんですが、やっぱりまだ、駄目みたいです。

吐くことで太るって言うことから逃げられる…と思ってしまうから…


でも、明日は健康的に過ごせるように頑張ります。

とりあえず胃を縮めようと思います。

繋がるけど、つながらない。

電源は入っているけれど。

送ったメールの返事もない。

事務的な話がしたいので、電話に出てください。

あなたと言葉を交わしたいから。


―――まさかあの路線で轢かれてたりしないよね、って

心配になってしまうから。


だからお願い。

もう

わがまま言わないし、怒ったり 不機嫌になったり

しないから。


―――電話の先のあなたは 元気なんですか?



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相棒が電話に出ません…

練習、あわせなきゃいけないのに…

大会一週間前です。どうしよう…

会いたい人はたくさんいる。

でも誰に今一番会いたいか…一番、会わなければいけないのかと考えるならば

わたしは



今、入院している父方の祖母に会いたい。





2年前まで通っていた高校は家から電車で1時間と遠かったのだが、その高校の近くの病院に、祖母は入院している。

わたしは今大学生で上京しているが、あの頃、どうしてもっと頻繁に見舞わなかったのか、と後悔している。

父も「ババアも会いたいだろうから見舞い行かないか?」とよく言っていたが(父は口は悪いし、祖母とも仲はよくなかったが、祖母のことを思っていたのだと思う)わたしはあまりいい顔をしなかった。


今では会いたいと思っても直ぐに会いに行くことはできない。


東京と東北の実家との距離は、遠すぎる。




わたしが物心つく頃から、母と祖母は仲が悪かった。

父と母との結婚を反対された時からのようだ。

母は育ちの良い家柄だったので、田舎の普通より、寧ろ質素に暮らしている家では歓迎されなかったようだ。

逆もまたしかりで父は母方の祖父に猛反対されたようだったが、そちらは丸く収まっていたように思える。


父には姉と妹がいて、その2人の家族もやってきて、喧嘩染みた話し合いが行われたのも覚えている。

わたしはとても小さい頃だったが、初めて胃が痛くなったのは、その時だったかもしれない。

とにかく子供は母親に影響されるもの…わたしも母親に影響されてか、父方の親戚同様、母との喧嘩の当人でもある祖母が嫌いになった。



母が泣くのが、嫌だったのだ。



けれど、思い返してみれば、祖母はわたしには優しかったと思う。

マザコンとも言える程母好きな弟は思い切り祖母を毛嫌いしていて、暴言を吐いていたから、祖母も流石にその様子には憤慨しているようだったが

わたしには、何の問題も起こさない存在だった。

祖母は家にいる時、わたしにお菓子をくれたが、煎餅などあまり好きではなくて嫌な顔をして「弟にあげて」と断ったのを覚えている。それは祖父も同様だ。


小学校の頃、年末に父が「何だかお年玉くれるみたいだから会いに行って来い」と言ったので祖母と祖父に会いに行った(別居状態だったので…)。

たくさんくれると思っていたお年玉が、母方の家よりかなり少なくて、クリスマスプレゼントだといって一緒にくれた絵の具のセットも『クリスマスプレゼント=ゲーム』というように、何だか高級志向になってしまったマセた子供のわたしには全然嬉しくなくて、祖母と祖父に嫌悪の顔を見せたのを覚えている。





凄く、後悔しているのだ、わたしは。

凄く、馬鹿な子供だったと、後悔しているのだ。





入院する前はぶくぶくに太っていた祖母…病院で最後に見た時には、痛々しいほどにやせ細っていた。

祖母の痴呆はどんどん進んでいると思う。

今は亡き母方の曾祖母の痴呆が進んだ時、わたしは親戚の人と間違われたことがある。

祖母もいつか、わたしを母と間違えたりする日が来るのだろうか…わたしと母を間違えて嫌悪の表情を見せるのだろうか

もう、わたしの言葉の意味は伝わらないのだろうか…

それでも

祖母が生きているうちに会って

「ばあちゃん、ありがとね」

一言、伝えたい。

いろんな思いが、篭ってる言葉だから。


「じいちゃん、ありがとね」

同じく祖父にも伝えたい。

祖父の痴呆も進んでいる。

ちなみに一度、母と間違われそうになった。

けれど祖父は休みになって実家にわたしが帰ると、笑顔で迎えてくれる。

一つ屋根の下、別居状態は続いているけれど…

実家にはいるはずだから、年末に実家に帰って、会ったらきちんと笑顔で言うんだ。



「ありがとう」



色んな想いが、篭っている言葉だから。

小学校の時、旅好きの先生がいた。

一年に一度、自転車に跨り、先生は旅をした。

「先生は夏休み一ヶ月をかけて日本列島を縦断する!」

が夏休み前の口癖だった…気がする。

「先生は田舎の山奥の、全校生徒20名くらいの学校の先生になってみたいんだ」

これも口癖だった。

結局わたしたちが卒業して直ぐ、この願いは叶った見たいだけど

わたし達の学校も、かなり田舎の学校だったんですがね…。

でもかなり疑問でした。だって

「先生は都会に行って私立の小学校の先生になりたい」

って口で言ったらまずいだろうけど、まさか本気で山奥に行きたい先生がいようとは…




とりあえず、そんなアクティブな先生には4年生の時と6年生の時、お世話になった。



入学した時は「小学校ってこんなもんか」と思うほどのものだった。

小学校1年生と2年生の時には、格別楽しかった記憶が、ない。

でも、小学校3年生の頃からか…

セピア色の記憶が色づくようになったのは…



小学校1年生の時の担任の先生は怖い先生で

“夕読み”という宿題を忘れると、米神を引っ張る体罰教師だった。

ただそれだけの記憶しかないわけではないけれど

とりあえず友人と先生の話をするとこの話題しか出ない。


小学校2年生の時の先生は、新任の先生で

かっこよくて好きだったけど、イジメ問題が起きた時、嫌いになった。

わたしが苛める側の一人だったからしょうがなかったが…(自白)

でも、他にも何人もいたイジメっ子の中で、首謀者はわたしじゃなかったのに、わたしだけを怒ったことが腹立たしくて、その気持ちだけが残ってしまったようだ。

でもイジメって良くないよ(よく言えるな)

ちなみにわたしが捕まった原因は、イジメの手紙の書記をしていたのがわたしで、字でばれてしまったらしい…先生って凄いなと不謹慎にもちょっと感心した瞬間でもあったし、同時に“バレないようには…”といった悪知恵がついた瞬間でもあったorz


小学校3年生の時の担任の先生は、オカマっぽかった。

でも頭は薄かった…(´Д `;

大人になった今考えると、たまにというか頻繁に出るオカマ口調はキャラクターメイキング…セルフプロデュースだったのかも知れない。子供達に好かれるための演技…。

でも幼かったわたし…わたし達には、とても異質で

とても魅力的に映ったことを覚えている。

笑顔が素敵で眼鏡の奥から優しく微笑む、そんな大人の大きさを感じさせる先生だった。


小学校5年生の時の先生はただただ大きかった。

身長が大きくて、教室に入ってくる時には頭を下げなければ頭をぶつけてしまうほどだった。

ただ、あまり記憶がない…(汗)嫌いではなかったし、好きの部類だった。

けれどきっと、4・6年生のあの強烈なキャラを持つ先生に挟まれてしまったせいで印象がかすれてしまったのかも知れない…。


小学校4・6年生の先生との想い出はたくさんある。

この先生は、子供と遊ぶのが大好きなんだな、と子供でも感じれてしまうほど

『遊ぼう!』オーラが溢れていた。

子供だったわたしたちと一緒になって

馬鹿をやってくれる存在で

そんな存在である先生は

とても安心できる存在だったことを覚えている。

一番覚えているのは、6年生でのこと。クラスは2クラスしかなく、わたしは6年2組だった。


「えーと、みんなに聞きたいことがあるんですが」


6年生最初の授業。

先生がまた担任になってくれたことが嬉しくて、先生を嬉々として見上げて言葉に耳を傾けていたのを覚えている…確かわたしの席は先生の目の前、教室の中央前列だった気がする。


「一年間の予定をみんなに相談したいんですが」


次の言葉にクラス全員が頷いた…というか興奮して騒いだ。




「一年間授業を駆け足で終わらせて、一ヶ月、遊ぼうか?」




一年間の年間スケジュールを調整して、卒業までの一ヶ月間、遊び通そうというのである。

もちろん6年生、中学に上がる前の大事な1年で、授業内容は本来の予定通り、1組と同様の内容を行わねばならなかった。


みんなそんなの無理だと思っていて、そこまで期待はしていなかった。小学校生活5年の中で、まさかそんな馬鹿げたスケジュールが出来るとは思っていなかったのある。

みんな勉強にいっぱいいっぱいの子が大半で(わたしは自分で言うのもなんだが要領の良い子だったのでその心配はなかったが…)一ヶ月も空きが空くなんて、まさかの話だった。




しかし、それは実現したのである。



「授業は、これで終わりです… …よーしお前ら、遊ぶぞ――!!!」

算数の授業が終わった時だった気がする。



いい気分だった。

1組の子達が3階の教室から授業を受けつつ羨ましそうにわたし達を見ているのが広い校庭から見えた。

体育の授業で他の学年が使っている時以外、校庭も体育館も、わたし達の使いたい放題だった。

あとになって解ったことだが、校庭も体育館も使用許可が必要だったらしく、先生が一ヶ月遊びのために取ってくれたらしい…きちんと内容のある授業をすることを条件として。

1クラス40人程度のクラスだったが、野球をしたり、縄跳びをしたり、サッカーをしたり、校庭の遊具を使ったり…東北だったので3月、まだ雪は積もっている時は雪合戦をしたり…。

先生は校庭で野球をしてる最中に教頭先生の車にボールを当てて、慌てて走って(生徒を置き去りにして/笑)逃げたりもした…子供じゃあるまいし…逃げ足速かったな(汗)


ちなみに問題だった授業の内容…これは他の先生達も親達も驚いたらしい。

あれだけ飛ばして授業をしたのにも関わらず、2組の子の方が1組の子のテスト平均よりもかなり良かったらしいのだ…確かどの教科のテストも10点以上平均点が違っていた。


それが何より、誇らしかった。



先生からは今でも年賀状や暑中見舞が届く。

それは旅した先で撮った写真や、最近では結婚式の写真。どうやら独身貴族だった先生も身を固めたらしい…旅も一時休止かな、美人な奥さんと可愛い子供がいたら、ね(笑)

わたしは今20歳だから、卒業してから既に8年程経っているけれど

それでもそんな風に関係を続けていられる先生がいることをとても嬉しく思う。

素晴らしい小学校時代だったと思えるのは

本当に“終わりよければ全て良し”と言えるように、素晴らしい先生がいてくれたから。





親愛なるE.S先生、素晴らしき日々をありがとうございます。



…こんな風に語れる小学校生活で、よかった。

喧嘩して喧嘩して

青空の下で仲直りした



「何をすればいいか解っていて、することも出来るのにやらない人に


やらせるには、どうしたらいいでしょう」



溜息のあとに聞こえてきた謎掛けに

わたしは顔を上げて答えた



「…『やれ』…って言う…」

「その通りですよ」



納得半分不服半分で

どちらが勝ったのかは よく わからないけれど

とりあえず仲直り

とりあえず苦しさが1つ減った


それは青空の下の出来事。



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苦しかったこと1つ減りました。

こうして欲しい、ああして欲しいって、嫌われたくなくて言わなかったけれど。

彼がこうもあっさりと聞いてくれるとは思ってなかったので…拍子抜けしました。

でも、今は別のことで喧嘩中…とりあえず高圧的な彼の態度を何とかしたい…(汗)


考えることを止めていた。

頭に栄養が足りてなくて 考えるのが酷く億劫だったから。

何より

先を考えるのが怖かった。

でも

明日になったら きっとあなたに会わなきゃならない。

ありえないくらい 辛い世界が待っている。

でも

この世界の中心はあたしなんだ。

あたしの世界を作っているのは、あたしの、思考。

辛いと思ったらどんどん辛くなる。

だから

自己中なくらい、世界を楽しもう。



無理だって、解ってるけど…。




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明日、あの人にちゃんと説明できるか、不安です。

明日、あの人たちに、あの人を悪者にさせないために、ちゃんと説明できるか、不安です。

ざあざあざあざあ雨が降る。

わたしの心の中のよう…

窓の外の景色がすぐ耳元で聞こえていたのに




-----ココロカラ ココロカラ オモウキミガタイセツナモノハナンデスカ?




着メロを変えると起きれなくなるからって

ずっと変えていなかった、このメロディ。

あの人と音信不通の携帯が

3日ぶりに着信を伝えた そんな雨の朝。



二日酔いの頭の中で 思考回路は繋がらなくて

「とらなければ良かった」と、携帯を開いてから思った。



本当は、行くはずだった。

借りたドレスは椅子の上で待っていたけれど。

でも心の中に雨が降りすぎて

ベッドから起き上がることなんて、出来なかったんだ。




「無理」




口を付いて出てきたのは、やっぱり拒否の言葉。

あの人を拒否する、わたしを守る言葉。




残念そうな声 でも強要する素振りは微塵もなくて

電話は切れて わたしはまた夢の中。






ああ。






今度目覚める時には

こんな悩み事なんて 世界と一緒に消し飛んでしまえば良いのに、って






…考えて虚しくなった そんな雨の朝。



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ブログ開設しちゃいました。

自分のサイトも更新してないのになぁ…

辛かったからしょうがないか。

誰かとこの辛さ、共有できたら良いのに。

説明するのも億劫なくらい、心が痛い。

そして胃が痛い…

明日、どんな顔して会ったらいいんだろう、会えるのかな…会うんだろうか…